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恋愛フラグは要らないので、私は“物語の外”へ逃げます――乙女ゲーム世界の編集者(女)がする致命的な校正  作者: 楠木 悠衣


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第2話 「黒い手袋の男と、削除予定のヒロイン」

ノックの音は、規則正しい。

 まるで秒針のように、正確に二回。


「――失礼。今夜は、君に会いに来た」


 低い声。落ち着いているのに、底が読めない。


扉が開く。


 月光の逆光の中、長身の男が立っていた。


 黒い外套。銀の留め具。

 そして、両手に嵌められた黒い手袋。


(いかにも“攻略対象”。しかも闇属性)


 頭上に文字が浮かぶ。


【名前:レオンハルト・ヴァルツ】

【ルート:支配/執着/破滅】

【初期好感度:測定不能】


(測定不能? そんなパラメータ、編集段階で止めるわよ普通)


 彼は部屋へ一歩踏み込んだ。


 空気が重くなる。

 メイドが膝を折り、震えている。


「……顔色が悪いな、ヒロイン」


 その呼び方に、私は眉を動かした。


「名前で呼んでいただけます? 私は“役割”じゃないので」


 彼の目が細くなる。


「面白い。君は、いつからそういう口を利くようになった?」


(テンプレ台詞。前世記憶バレの導入)


 私は答えない。

 代わりに、視界の端に浮かぶログを確認する。


【イベント:運命の邂逅】

【予定:3章で婚約 → 5章で裏切り → 7章で監禁】


(長いわ。しかも監禁確定か)


 私は指を伸ばす。


 今度は“イベント名”に触れる。


 ぞくり、と背骨が震えた。


(……重い。前回より、抵抗が強い)


 レオンハルトが、私の手元を見た。


「何をしている?」


「校正です」


「……は?」


 私は【運命の邂逅】の“運命”を、ゆっくりと引き剥がす。


 ぺり、と。


【イベント:  の邂逅】


 同時に、喉の奥が焼けるように痛んだ。


 血の味。


【警告:基幹ワードの改変】

【ペナルティ:存在感−5】


(減りすぎじゃない?)


 視界の端がノイズのように揺らぐ。

 メイドの輪郭が、わずかに粗くなる。


 レオンハルトが一歩近づいた。


 彼の黒い手袋が、私の顎に触れる。


「君、薄くなっているぞ」


 ぞくり、とした。


「……何のことですか」


「輪郭がだ。まるで、消えかけのインクのようだ」


(見えてるの?)


 彼の瞳は、金色。

 その奥に、文字が浮かんだ。


【特性:観測者】


 心臓が跳ねる。


(攻略対象のくせに、“読者側”……?)


「君は、この世界の流れを乱そうとしている」


 彼は静かに言った。


「だが残念だ。物語は、強い。登場人物一人の意思で壊れるほど脆くはない」


「壊す気はありません」


 私は息を整える。


「誤字を直すだけです」


 彼の口元が、わずかに歪む。


「誤字?」


「死ぬ予定の人間がいる。それは誤字です。

 理由なき破滅は、構成ミスです」


 沈黙。


 そして彼は、意外にも笑った。


「……気に入った」


(は?)


【好感度+3(想定外)】


(想定外って書くな)


 その瞬間、外から悲鳴が聞こえた。


 庭の方角。


 メイドが顔を青くする。


「まさか……!」


 私はログを見る。


【予定:庭で“事故”】【対象:メイド】


(改変したのに、発生してる)


「仕様の修正には、代替処理が走るのか……!」


 私は立ち上がる。


 足元がふらつく。

 存在感の減少が、体重を奪っている。


 レオンハルトが腕を掴んだ。


「行くな。君が動けば、さらに削られる」


「知ってます」


「消えるぞ?」


 私は彼を見上げる。


「編集者はね、原稿が炎上しても逃げないんです」


 彼の瞳が、揺れた。


 一瞬だけ。


【フラグ:共犯】


(……来た)


 私は彼の手を振りほどく。


「あなた、“観測者”なんでしょう?

 だったら見ててください。

 ヒロインが選択肢を選ばない物語を」


 私は庭へ駆け出す。


 月光の下、倒れているのは――


 メイドではなかった。


 “私”だった。


 血を流して倒れている、もう一人の篠宮いと。


【エラー:主人公が重複しています】

【削除対象を選択してください】


 空中に、赤い枠が浮かぶ。


【A:元のヒロインを削除】

【B:改変者を削除】


 レオンハルトが、私の背後で低く笑った。


「さあ、編集者。

 どちらを校正する?」


 私の指先から、また血が落ちる。


(……これは、恋愛じゃない)


(生存競争だ)


 赤い枠に、そっと触れる。


 物語が、息を呑んだ。

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