第9話 実家のリフォーム大作戦! 〜プロのアフターサービス〜
翌朝のリビングには、昨夜の嵐のような騒ぎが嘘のような静寂が満ちていた。
父と姉は、食卓の隅で小さくなってパンを齧っている。
その視線は、上座に優雅に座るアレクさん――いいえ、アレクセイ公爵様に釘付けで、恐怖と畏敬がないまぜになっていた。
当の公爵様はといえば、いつものように私の焼いたパンにたっぷりとバターを塗りながら、呑気な顔をしている。
「……さて、男爵」
公爵様がナイフを置いた瞬間、父の肩がビクッと跳ねた。
「ひ、はいッ! 何でございましょう閣下!」
「メルディの意思は確認した。彼女はこの家に残る。……だが、君たちの屋敷が崩壊寸前というのも事実らしいな」
父は顔を歪めた。
プライドの高い父にとって、他人に家の恥を晒すのは屈辱だろう。けれど、背に腹は代えられない切実さが、その充血した目から滲み出ている。
「は、はい……。恥ずかしながら、屋根は飛び、壁は崩れ……今夜寝る場所もままなりません」
「メルディ」
公爵様が私を見た。紫色の瞳が、試すように、けれど優しく私に問いかける。
「君はどうしたい? 放っておくこともできるぞ」
私は飲みかけのミルクをテーブルに置いた。
放っておく。それは一番簡単な復讐だ。
彼らが雨風に震えて眠る様を想像すれば、少しは胸がすくかもしれない。
でも。
私は頭の中で、あの古い石造りの屋敷を思い浮かべた。
私が生まれ育った家。柱の傷も、床の軋みも知っている家。
主の管理不足で建物が死んでいくのを想像すると、建築士としての生理的な不快感が勝った。
「……直します」
「メルディ!?」
「戻りませんよ、お父様」
父が期待に顔を輝かせたのを、私は即座に手で制した。
「私はここに住みます。ただ、今回は特別に『出張リフォーム』として、屋敷の修繕だけ請け負います。……アフターサービスだと思ってください」
「出張……?」
姉のマリアンヌが訝しげに眉を寄せた。
「でもあんた、馬車で戻るのに三日はかかるのよ? 往復六日も野宿する気?」
「その必要はない」
公爵様がナプキンで口元を拭い、立ち上がった。
「私の転移魔法を使う」
「て、転移!?」
姉の声が裏返った。
無理もない。空間転移なんて、おとぎ話に出てくる大魔導師しか使えない伝説の魔法だ。
「閣下……まさか、そのような高位魔法を、ただの里帰りのために?」
「『ただの』ではない。私の専属建築士の時間を無駄にしないための、必要経費だ」
公爵様は私に手を差し出した。
その顔には、「君のためならこれくらい安いものだ」と書いてあるようで、私は顔が熱くなるのを感じながら、その手を取った。
***
視界が歪み、世界が反転する感覚。
次の瞬間、鼻をついたのは湿ったカビの臭いだった。
「うわ……」
私は思わず口元を覆った。
転移した先は、実家の前庭だった。
目の前に聳える屋敷は、見るも無惨な姿になっていた。
屋根瓦は剥がれ落ち、外壁には亀裂が走り、窓枠は歪んでいる。まるで百年放置された廃墟だ。
「こ、これはひどい……」
「私たちが留守の間に、さらに進んだようですわ……」
一緒に転移してきた父と姉が、絶望的な声を上げる。
私は屋敷に歩み寄り、壁に手を当てた。
ざらりとした感触と共に、建物の「悲鳴」が聞こえる気がした。
魔力を通して診断する。
……原因が分かった。
「やっぱり。私が仕込んでおいた『自動維持回路』が切れてる」
「維持回路?」
公爵様が興味深そうに尋ねてくる。
「はい。この屋敷、古いので放っておくとすぐ崩れるんです。だから私が毎日、壁の中に魔力を通して、建材同士を分子レベルで繋ぎ止めていたんです。……無意識でしたけど」
そう。
私は「掃除」のつもりで毎日壁を撫でていたけれど、あれは実際には「補強」だったのだ。
私がいなくなって魔力供給が途絶え、無理やり繋ぎ止められていたガタが一気に噴出した。それが真相だ。
「……なんと」
父が呆然と口を開けた。
「では、雨漏りがしなかったのは、屋根が丈夫だったからではなく……お前が支えていたからなのか?」
「そうですよ。気付きませんでした?」
私はため息をつき、腕まくりをした。
診断完了。治療方針決定。
やるからには、徹底的にやる。中途半端な仕事は私のプライドが許さない。
「下がっていてください。……一気にやります!」
私は屋敷の正面に仁王立ちし、両手を広げた。
イメージするのは、堅牢な城塞。そして、呼吸する皮膚のような快適な外壁。
荒野の家作りで鍛えたイメージ力が、脳内で設計図を爆速で展開する。
「再構築――開始!」
ドォォォン!
地響きと共に、屋敷全体が光に包まれた。
剥がれ落ちた瓦が宙を舞い、元の位置へと戻っていく。
ひび割れた壁が粘土のように波打ち、傷を塞いでいく。
ただ戻すだけじゃない。
屋根裏には断熱用の空気層を追加。
窓枠には隙間風防止のゴムパッキン状の弾性土壌を生成。
排水管は詰まりにくいように内径を広げ、表面をガラスコーティング。
私の魔力が、屋敷の隅々まで血管のように行き渡る。
額から汗が噴き出し、膝が震える。
公爵様の転移で温存できた魔力を、すべてここに注ぎ込む。
「……そこだッ、定着!」
最後の一撃を叩き込むと、光が収束した。
そこには、新築同然――いや、新築以上に美しく生まれ変わった屋敷が立っていた。
外壁はクリーム色に輝き、屋根は艶やかな赤。
窓ガラスは曇りひとつなく、陽の光を反射している。
「はぁ、はぁ……」
私は地面に膝をついた。
魔力が空っぽだ。猛烈な空腹感が襲ってくる。
倒れそうになった体を、横から支えられた。
公爵様だ。
「見事だ。……これほどの規模の修復を一瞬でこなすとは。宮廷魔導師でも数人がかりの仕事だぞ」
公爵様が心底感心したように囁く。
その言葉に、胸の奥が誇らしさで満たされる。
ふと視線を感じて振り返ると、父と姉が口をパクパクさせて固まっていた。
やがて、父がおそるおそる壁に触れる。
「……温かい」
「隙間風が……ない。音もしませんわ」
二人は夢遊病者のように屋敷の中へ入っていった。
しばらくして戻ってきた時、その表情は一変していた。
憑き物が落ちたような、あるいは狐につままれたような顔。
父が、私の前まで歩いてきた。
そして、深々と頭を下げた。
「……すまなかった」
蚊の鳴くような声だった。
「お前の力が、これほどとは知らなかった。……いや、知ろうともしなかった。私は、家の主として失格だった」
「お父様……」
「ありがとう、メルディ。……家を救ってくれて」
父の言葉に、姉も気まずそうに目を逸らしながら、「……お風呂、綺麗になってたわよ。ありがと」とボソリと言った。
その謝罪と感謝は、決して立派なものではなかったかもしれない。
でも、私にとっては十分だった。
あの傲慢だった家族が、私の技術を認め、頭を下げたのだから。
「勘違いしないでくださいね」
私は公爵様の腕を借りて立ち上がり、努めて明るく言った。
「これは一回きりです。次に壊れたら、正規料金を請求しますから。……公爵家専属建築士の料金は、高いですよ?」
私がニッと笑うと、父は苦笑いをして、それから少しだけ寂しそうに頷いた。
「ああ、分かっている。……達者でな、メルディ」
その言葉は、初めて父が私を「一人の大人」として送り出してくれた証のように聞こえた。
帰り道――再び転移魔法で荒野へ戻る直前。
私はもう一度だけ、生まれ変わった実家を振り返った。
綺麗になった屋根が、夕日に輝いている。
もう、あの家は私の居場所ではないけれど、私の作品として誇れる場所にはなった。
「帰ろう、メルディ」
「はい、公爵様」
「……家ではアレクでいいと言っただろう」
公爵様――アレクさんが優しく笑う。
私は彼の手を握り返し、私の本当の居場所へと帰還した。




