表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
泥遊びと笑われた土魔法は、不眠の公爵様を癒やす最強の聖域でした  作者: 九葉(くずは)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/12

第6話 一方その頃、実家は雨漏りと隙間風で崩壊寸前でした

 ポチャン、という間抜けな音が、私の眉間の皺を一層深く刻み込んだ。


 執務机の上に置いた書類。そのインクの文字が、天井から落ちてきた水滴によって無惨に滲んでいく。

 私は羽ペンを握りしめたまま、頭上を睨みつけた。

 天井の漆喰には、醜い茶色のしみが地図のように広がっている。

 外は朝から激しい雨だ。だが、ここは由緒ある男爵家の屋敷であるはずだ。なぜ、室内で傘を差したくなるような湿気に悩まされねばならんのだ。


「お父様! もう我慢なりませんわ!」


 バンッ、と扉が開かれ、長女のマリアンヌが飛び込んできた。

 自慢の金髪は湿気で広がり、高価なドレスの裾を苛立たしげに持ち上げている。


「私の部屋の窓、閉めても隙間風が入ってくるのです! おかげで肌が乾燥して、化粧ノリも最悪ですわ。早くなんとかしてくださいませ!」


 娘の金切り声に、こめかみがズキリと痛む。

 

「騒ぐな。今、業者に見させている」

「業者? そんな下賤な者を部屋に入れるなんて。……メルディがいれば、小汚い土魔法で勝手に直していたでしょうに」


 マリアンヌが鼻を鳴らす。

 メルディ。

 その名を聞いただけで、私は不愉快に鼻を鳴らした。

 二週間前に追放した、出来損ないの三女。

 攻撃魔法の一つも使えず、毎日屋敷の壁を撫で回しては泥遊びをしていた恥さらしだ。あやつがいなくなって、ようやくこの家も清々すると喜んでいたのに。


「失礼いたします、男爵様」


 ノックと共に、作業着を着た工務店の男が入ってきた。

 濡れた帽子を手に、どこか言いにくそうな顔をしている。


「見積もりが出ましたか。で、いつ直る?」


 私が尊大に問うと、男は気まずそうに視線を逸らし、羊皮紙を差し出した。


「それが……現状、屋根の葺き替えと外壁の防水加工、さらに基礎の断熱補強を含めると、これだけの費用がかかります」


 提示された金額を見て、私は目を剥いた。

 金貨三百枚。

 我が家の年収の半分にあたる額だ。


「なっ……ふざけるな! ただの雨漏りだぞ!? 瓦を数枚替えれば済む話ではないか!」


 机を叩いて怒鳴ると、男は慌てて首を振った。


「い、いえ! それが、この屋敷の建材はもうボロボロでして……。これまでは、何か『特殊な魔力』で無理やり繋ぎ止められていたようですが、それが切れた途端に一気にガタが来たんです」

「特殊な魔力だと?」

「はい。通常なら崩れているはずの壁が、精密な魔力コーティングで補強されていた形跡があります。これほどの維持管理を人力でやるなら、宮廷魔導師クラスを雇わないと……」


 男の言葉に、私は絶句した。

 宮廷魔導師クラス?

 あの、すすけた顔で「修繕しておきました」と笑っていたメルディが?


「嘘をおっしゃい!」


 マリアンヌが金切り声を上げた。


「あの子はただの土いじりしか能がない、愚図な娘でしたわ! そんな高等な魔法が使えるはずありません!」

「そ、そう言われましても……現に、雨は止まりませんし」


 男は困り果てて天井を見上げた。

 そのタイミングを見計らったように、ポチャン、とまた一滴、冷たい雫が私の禿げ上がった頭頂部に直撃した。


「……っ」


 冷たい。

 そして、惨めだ。

 この私が、男爵である私が、雨漏りに怯え、高額な修理費に顔を青くしているなど。

 メルディがいた頃は、こんなことは一度もなかった。

 あやつは、何も言わずに直していたのか? 私が新しい家具を買う金を惜しんで、「屋敷の維持費など無駄だ」と削った分を、自らの魔力だけで?


 冷えた雫が頬を伝う。

 ふと、暖炉に目をやる。火は消えている。薪が湿ってつかないのだ。

 寒気がする。

 かつて、私が仕事をしている時、部屋は常に適温だった。あれも、あやつが通気口を調整していたからなのか。


「……お父様」


 マリアンヌが、青ざめた顔で私の袖を引いた。


「わ、私、カビ臭い部屋で寝るのは嫌ですわ。……なんとかしてください」


 その懇願に、娘としての可愛げよりも、生活に追い詰められた必死さが滲んでいるのが分かった。

 このままでは、社交界に着ていくドレスすらカビてしまう。そうなれば我が家の終わりだ。


 私はギリと奥歯を噛み締めた。

 認めたくない。あのような役立たずが必要だったなどと。

 だが、背に腹は代えられん。


「……迎えに行くぞ」

「え?」

「メルディだ。あやつを連れ戻す」


 私は椅子を蹴って立ち上がった。

 そうだ、これは慈悲だ。

 荒野で野垂れ死にかけているであろう娘を、広い心で許し、再び家においてやろうというのだ。

 あやつも今頃、泣いて後悔しているに違いない。屋根のある暮らしのありがたみを痛感しているはずだ。


「で、ですがお父様、あの子はどこへ?」

「北の荒野だ。馬車を出せ! ……雨除けのほろがついているやつだぞ、絶対に濡らすな!」


 私は使用人たちに怒鳴り散らした。

 足元の絨毯が湿気でじっとりと重くなっているのが、不快でたまらなかった。


 待っていろ、メルディ。

 この父が、わざわざ迎えに行ってやるのだからな。

 戻ったら、死ぬ気でこの屋根を直させてやる。


 窓の外では、雷鳴が轟いていた。

 それが、私の前途への警告だとは気付かずに、私は震える手で濡れた外套を羽織った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ