表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
泥遊びと笑われた土魔法は、不眠の公爵様を癒やす最強の聖域でした  作者: 九葉(くずは)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/12

第4話 目覚めた彼は「ここは天国か」と言いました

 意識の浮上は、泥沼からではなく、温かな水面へと浮かび上がるような感覚だった。


 目を開ける。

 視界に飛び込んできたのは、柔らかな若草色の天井と、揺れる木漏れ日だった。

 ……痛くない。

 私は反射的にこめかみに手をやった。

 三年前、北の魔王討伐戦で受けた『永眠拒絶』の呪い。眠ろうとするたびに脳を焼くような激痛と悪夢をもたらし、私の精神と魔力を削り続けてきたあの忌々しいくさびが、今は沈黙している。


 体を起こそうとして、驚いた。

 体が、羽根のように軽い。

 鉛のように重かった四肢が、まるで油を差したばかりの精巧な義手のように滑らかに動く。


「……あり得ない」


 掠れた声が出た。

 私は自分の手を見た。震えていない。視界もクリアだ。

 何より、頭の中が静かだ。常に響いていた耳鳴りも、焦燥感もない。


「ここは、死後の世界か……?」


 そうでなければ説明がつかない。

 国の最高位の治癒術師ですら匙を投げ、あらゆる睡眠薬が効かなかった私が、こんなにも深く、安らかに眠れるはずがないのだ。

 私はシーツを握りしめた。

 指先に触れる感触は、極上の絹よりも滑らかで、それでいて不思議な弾力がある。この寝具が、私の体を重力から解放していたのか。


「あ、起きました?」


 不意に、扉の方から声がした。

 私は即座に身構え、掛け布団を盾にするように引き寄せた。

 敵か。それとも獄卒か。

 立っていたのは、エプロンをつけた小柄な少女だった。栗色の髪を緩く縛り、手には湯気の立つマグカップを持っている。

 記憶が、急速に巻き戻る。

 荒野。行き倒れ。そして、この少女に運ばれた記憶。


「……君は」


 喉が渇いて張り付いている。

 少女は警戒する私を見て、困ったように眉を下げた。


「敵じゃありませんよ。ここは私の家。あなたは庭に行き倒れてた遭難者。思い出しました?」


 少女の言葉に、私は呆然と頷くしかなかった。

 生きている。ここは現実だ。

 だとしたら、なおさら異常だ。

 なぜ、この場所でだけ呪いが止まった? この少女は何者だ?

 高度な幻覚魔法か? それとも、彼女自身が「聖域」の使い手なのか?


「……どれくらい、眠っていた?」

「丸二日です。死んじゃったかと思って、何度も息を確認しちゃいました」


 二日。四十八時間以上。

 私は戦慄した。それだけの時間、無防備に意識を手放していたことにも、それほど深く眠れた事実にも。


 少女が近づいてきて、サイドテーブルにカップを置いた。

 ふわりと、甘い匂いが漂う。


「とりあえず、これ飲んでください。干し肉のスープですけど、栄養はありますから」


 毒見もせずに口をつけるわけにはいかない。

 普段ならそう判断する。

 けれど、今の私の体は、この空間の「心地よさ」に完全に降伏していた。

 このふかふかのベッド、適切な湿度、そして彼女から発せられる敵意のなさ。

 ここを失いたくない。

 本能が、理性を凌駕して叫んでいる。


 私は、自分が置かれた状況を冷徹に計算した。

 公爵としての身分を明かせば、彼女は恐縮し、王都へ連絡を入れるだろう。そうすれば私は、あの喧騒と不眠の執務室へ逆戻りだ。

 それは嫌だ。死んでも御免だ。


「……すまない、恩に着る」


 私はカップを手に取り、一口飲んだ。

 塩味だけの素朴なスープ。だが、胃に染み渡る熱さが、涙が出るほど美味かった。


「僕は、アレク。……しがない傭兵だ」


 嘘をついた。

 カップを持つ手が、わずかに罪悪感で重くなる。

 だが、この安眠を手放すぐらいなら、私は喜んで嘘つきになろう。


***


 彼――アレクさんが目覚めたのは、彼を拾ってから三日目の昼下がりだった。


 スープを飲み干した彼は、ほう、と長い息を吐いて、またベッドに背中を預けた。

 その仕草が、自作のマットレスの性能を何よりも雄弁に語っていて、私は心の中でガッツポーズをする。


「どうですか? 体の具合は」

「……驚くほどいい。まるで体が別物に作り変えられたようだ」


 アレクさんは自分の手を見つめながら言った。

 その声には、深い実感がこもっている。

 やっぱり!

 私の作った「鉱物綿ミネラルウール」の弾力構造は、疲労回復に最適なのだ。


「それは良かったです。ここ、こだわって作った甲斐がありました」

「君が……作ったのか? この部屋も、寝具も」

「ええ、まあ。私の魔法はそれしか取り柄がないので」


 へへ、と笑うと、アレクさんは真剣な眼差しで私を見た。

 綺麗な紫色の瞳だ。吸い込まれそうなほど深い色をしている。

 行き倒れていた時は死相が出ていたけれど、今は肌に血色が戻り、隠しきれない気品のようなものが漂っている。……傭兵にしては、所作が綺麗すぎるような気もするけれど。


「頼みがある」


 アレクさんが、居住まいを正した。


「しばらく、ここに置いてくれないか」

「え?」

「金は払う。労働力としても使ってくれて構わない。……怪我が治るまで、いや、もう少し長く」


 必死な響きだった。

 彼はシーツを握りしめている。まるで、ここから追い出されたら死んでしまうとでも言うように。


 私は少し考えた。

 見ず知らずの男性と同居。常識的に考えればアウトだ。

 でも、彼は丸二日、私の作ったベッドで爆睡していただけだ。それに、この家は一人で住むには広すぎるし、何より……。


『最高の家』を作るには、住み心地をフィードバックしてくれる「住人」が必要だ。

 自分以外の誰かが「使いやすい」「よく眠れる」と言ってくれて初めて、建築家としての仕事は完成する。


「お家賃はいりません。その代わり」

「その代わり?」

「住み心地の感想を、毎日詳しく教えてください。ここはどこが良かったか、どこが不便か。改善のためのデータが欲しいんです」


 私が提案すると、アレクさんはきょとんとして、それからふっと表情を緩めた。

 初めて見る、彼の笑みだった。

 氷が解けるような、見ていて安心する笑顔。


「……分かった。君が良い職人になれるよう、協力しよう」

「交渉成立ですね!」


 私は彼の手を取って、握手をした。

 彼の手は大きくて、少し熱かった。


「改めまして、私はメルディ。この家の設計者兼建築士です」

「よろしく、メルディ。……君は、僕の命の恩人だ」


 大袈裟だなぁ、と私は苦笑した。

 ただベッドを貸しただけなのに。

 でも、彼が再び枕に頭を沈め、心底幸せそうに目を閉じるのを見て、私は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。


 誰かが自分の作った家で安らいでくれる。

 それがこんなに嬉しいことだなんて、知らなかった。

 実家では「役立たず」と言われ続けた魔法が、誰かを救ったのだ。


 私は空になったカップを受け取り、部屋を出ようとした。

 その時、背後から小さな呟きが聞こえた。


「ここは……天国か」


 その言葉に、ドアノブにかけた手が止まる。

 天国。

 いいえ、ここはただの荒野の真ん中です。

 でも、そう言ってもらえるなら、もっと最高のリゾート地にしてあげましょう。


 私は振り返らずに、小さく頷いた。

 これから忙しくなりそうだ。お風呂も作りたいし、食事の質も上げなきゃいけない。

 でも、その忙しさは、ちっとも嫌じゃなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ