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泥遊びと笑われた土魔法は、不眠の公爵様を癒やす最強の聖域でした  作者: 九葉(くずは)


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第10話 公爵様のプロポーズ? 「家ごと王都に来てほしい」

 実家の屋敷が夕日に輝くのを見届けたあの日の光景は、数日経った今でも瞼の裏に焼き付いている。


 平和な日常が戻ってきた。

 朝、キッチンで焼くパンの香り。庭で薪を割るアレクさんの音。

 私の作った家で、彼が健やかに眠り、笑い、食事をする。

 そんな当たり前の時間が、どれほど奇跡的なバランスの上に成り立っているか、私はまだ理解していなかった。


 その日の午後。

 リビングの窓辺で設計図の手直しをしていた私の元に、バサバサという羽音が飛び込んできた。


「……王都からの使いか」


 ソファで読書をしていたアレクさんが、重い口調で呟く。

 窓枠に止まったのは、銀色の羽根を持つ鷹だった。その脚には、赤い封蝋がされた手紙が結ばれている。

 公爵家専用の伝令使い魔だ。


 アレクさんが手紙を受け取り、封を切る。

 紙面を走る視線が、一行ごとに険しくなっていくのを、私は息を殺して見守った。


「……帰還命令だ」


 アレクさんが短く告げた。

 心臓が、とくんと冷たく跳ねる。


「筆頭魔術師の不在が長引けば、国政に支障が出る。……それに、私の『療養』を表向きの理由にしていたが、それも限界らしい」


 彼は手紙をテーブルに置いた。

 当然だ。彼は公爵様で、国の重要人物だ。こんな荒野の小さな家で、いつまでも傭兵ごっこを続けられるわけがない。

 頭では分かっていた。

 けれど、製図ペンを握る指先が、じわりと冷えていく。


「そうですか。……お仕事なら、仕方ないですね」


 私は精一杯の愛想笑いを浮かべた。

 喉の奥が乾いて、声が少し上ずる。


「お荷物、まとめましょうか。転移魔法なら、一瞬で帰れますし」

「メルディ」


 アレクさんが私の言葉を遮った。

 彼は立ち上がり、窓辺に立つ私の目の前まで歩み寄ってきた。

 紫色の瞳が、真剣な光を宿して私を射抜く。


「帰れないんだ」

「え?」

「試してみたんだ。昨夜、君が寝た後に、結界の外へ出てみた」


 彼は苦渋に満ちた顔で、自分のこめかみを押さえた。


「……五分もたなかった。この家の敷地を出た瞬間、あの頭を割るような痛みと、耳鳴りが戻ってきた。呪いは消えていない。君の作ったこの『聖域』で、抑え込まれているだけなんだ」


 私は息を呑んだ。

 アレクさんの顔色は、今でこそ健康的だが、あの行き倒れていた時の死相が完全に消えたわけではなかったのだ。

 私の家は、彼にとってただの快適な宿ではなく、生命維持装置そのものだった。


「王都に戻れば、私はまた眠れなくなる。……仕事どころか、生きていくことさえ困難だろう」


 彼の声が震えている。

 不眠の恐怖。それは経験した者にしか分からない絶望だ。


「でも、戻らないわけには……」

「ああ。だから、提案がある」


 アレクさんが、私の両肩を掴んだ。

 熱い掌の温度が、服越しに伝わってくる。


「一緒に来てくれないか」


 ドクン、と心臓が早鐘を打った。

 至近距離にある彼の瞳に、私の間抜けな顔が映っている。


「君が必要なんだ。君と、君の作る空間がないと、私は生きていけない」

「……っ」


 顔から火が出るかと思った。

 それは、まるでプロポーズのような台詞だ。

 でも、すぐに冷静な自分が冷水を浴びせる。

 

 ――勘違いするな、メルディ。

 彼は「私の機能」が必要だと言っているのだ。

 この家の安眠効果と、それを維持管理できる私の技術。それがなければ死んでしまうから、連れて行きたいと言っているだけ。

 身分違いの恋なんて、夢見てはいけない。


「……つまり、王都に私の家ごとお引越ししたい、ということですね?」


 私は動揺を押し殺し、努めて事務的な口調で返した。

 アレクさんが一瞬きょとんとして、それから困ったように笑った。


「……情緒がないな、君は。まあ、そうだ。王都の屋敷の一角を改装して、君の部屋を作ろう。私の寝室も、君に全面的に作り変えてほしい」

「改装……」


 私は顎に手を当てて考え込んだ。

 王都の屋敷をリフォームする?

 確かにそれも手だ。でも、根本的な問題がある。


「ダメです。それじゃ解決しません」

「なぜだ?」

「私の『聖域効果』は、この荒野の土地の魔力と、私が一から組み上げた建材の相性で成り立っています。既存の建物を改装しただけじゃ、ここまでの安眠効果は出せません。再現するには数ヶ月かかります」


 アレクさんの顔色がさっと青ざめた。

 数ヶ月も不眠に戻れば、彼は確実に死ぬ。


「そ、それでは……私は一生、この荒野から出られないのか?」

「いいえ」


 私は顔を上げた。

 職人としての闘志に火がついた。

 無理難題であればあるほど、燃えるのが建築士という生き物だ。

 彼を守る。そのためなら、常識なんてねじ伏せてやる。


「持って行けばいいんです」

「はい?」

「この家を、そのまま。基礎ごと」


 私が指差すと、アレクさんは口をぽかんと開けた。

 それから、窓の外の二階建ての家を見上げ、また私を見た。


「……正気か? これはテントじゃないぞ。レンガと漆喰の塊だ。重さは何十トンあると思っている」

「分かってます。物理的には不可能です」


 私は机の上の図面を広げ、新しい紙を重ねた。

 ペンを走らせる。

 家の周囲を深く掘り下げ、岩盤層ごと切り取るラインを描く。


「でも、魔法なら可能です。私の土魔法で、家の地下の岩盤ごと持ち上げて、巨大な『浮遊台座』を作ります。それを、アレクさんの魔力で牽引するか、あるいは……」


 ブツブツと呟きながら計算を始める私を、アレクさんは信じられないものを見る目で見つめていた。

 呆れているのかもしれない。

 でも、否定はしなかった。


「……君なら、やれると言うのか?」


 その声には、微かな期待が混じっていた。

 私はペンを止め、彼を見上げた。

 

「やりますよ。だって、アレクさんは私のお客様クライアント第一号ですから」


 ニッと笑って見せると、彼はふっと肩の力を抜いて、それから深く、優しく微笑んだ。


「……勝てないな、君には。分かった。私の魔力は全て君に預ける。好きに使ってくれ」

「言いましたね? 後で『魔力切れで動けない』なんて言わないでくださいよ?」


 軽口を叩き合いながら、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。

 彼が求めているのが「機能」だとしても構わない。

 私が作った場所で、彼が安心して眠れるなら。

 そして、その場所ごと私も一緒にいていいと言うのなら。


 私は新しい図面の隅に、『移動要塞シルバニア計画』と書き込んだ。

 さあ、忙しくなる。

 人生最大のお引越しの始まりだ。

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