「“奇跡のねつ造”事件と、テンペイのつぶやき」
テンペイ教が広まりを見せる中、ついに“奇跡”という言葉が独り歩きし始めます。
信じたい人々の心が、善意とともに暴走することもある。
今回は、テンペイが初めて「信仰が生む責任」と向き合う一話です。
誰かのためを思う気持ちが、ほんの少しだけずれてしまったとき――
テンペイは、何を思い、何を伝えるのか。
静かで、でも大切な言葉が残る、そんなエピソードをお届けします。
「テンペイ様は……本当に、このスライムで病を癒したのですか?」
その日、テンペイのもとを訪れたのは、隣村から来たという巡礼者だった。
頭に青い布を巻き、スライムのぬいぐるみを大事そうに抱えている。
年は十代半ばだろうか。
「……え、なにそれ?」
テンペイは素朴な顔で首を傾けた。
「私の母は長年、脚が悪くて……でも、こちらで“スライム様の奇跡”を浴びた人が歩けるようになったと聞いて……!」
「……ほんとに?」
スライムがテンペイの足元でぷるんと跳ねる。
そんな力があっただろうか。
いや、なかった気がする。たぶん。
「たぶん、それ……誰かの勘違いだと思うよ」
そう言ったテンペイの声は、どこか申し訳なさそうだった。
巡礼者は困惑しながらも深く頭を下げ、「それでも来てよかったです」と言い残して去っていった。
* * *
その後、テンペイは村の広場である光景を目にする。
「よし、井戸にスライムを入れるんだ!」
「今日も“甘露の水”が出るかもな!」
少年たちが何かを投げ入れようとしていた。
よく見ると、それはスライムではなく――青く染めた水袋だった。
「……おい、それ何やってんの?」
テンペイの声に驚いたのか、子どもたちは顔を真っ赤にして慌てて水袋を隠した。
「だ、だって! テンペイ様の奇跡をもっと広めたいと思って……!」
彼らの手には、蜂蜜の瓶と、スライム風の布製お守りが握られていた。
つまり、“甘くなった井戸水”という奇跡は、ねつ造だったのだ。
* * *
「……スライムって、嘘つかないよね」
その言葉に、場が静まり返る。
テンペイは責めなかった。
ただ、スライムをそっと抱き上げて言った。
「奇跡って、勝手に起きるもんじゃないかな。
誰かが無理やり作るものじゃ、ないと思うんだ」
子どもたちはうつむき、そっと蜂蜜の瓶を井戸から離した。
* * *
その夜、テンペイは家の縁側で星を見上げながら、スライムと寄り添っていた。
「……ぼく、なにもしてないんだよなあ」
スライムが“ぷるっ”と震える。
まるで、それでもいいよと返事するかのように。
テンペイは笑って、つぶやいた。
「でも、なんか……このスライムといると、不思議と元気にはなるかも」
そのとき、村の井戸から子どもたちの笑い声が聞こえてきた。
誰も蜂蜜は入れていない。
ただの冷たい水なのに、「今日は甘いかもね」と言って笑いあっている。
テンペイはふっと目を細めた。
「……本物の奇跡って、これかもね」
今日もスライムは、静かに、やわらかく震えている。
ぷるぷると、何も言わずに――。
読んでいただき、ありがとうございました。
今回はテンペイ自身が奇跡を“演出される側”となり、無意識のうちに持ち上げられていく構図を描きました。
信仰の広がりは、時に善意と欲望の境界線を曖昧にします。
テンペイは自分が何者なのかを深く考えるわけではありません。
ただ、彼の「素直な一言」が、人々の心を静かにほどいていく。
それこそが、彼の持つ“力”なのかもしれません。
次回は、さらに信仰が村の外へ波及し、新たな問題や出会いが訪れる予定です。
これからもテンペイとスライムの“静かな革命”を、ぜひ見守ってください。