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所有物である証

 

 アリスは首を傾げる。


「贈り物? リボンは分かるけど、そのチョーカーと鈴も?」

「ええ。私が彼女の所有物である証です」


 まるで違和感なくいうチェシャ猫の言葉に、アリスは「ふぅん」と生返事を返した。

 一拍おいて、言葉を飲み込んだ後、露骨に引いた表情を表した。


「ねぇ、チェシャさんって。変な趣味の持ち主?」

「さぁ?」


 肯定も否定もしない。別にそう思われてもいいと思っているのだろう――

 それに加えて、からかいの念が混じっているのをアリスは感じた。


「帽子屋さんが嫌う理由(わけ)、わかる気がする」

「傷つきますねぇ」


 全く傷ついていない表情。彼女のそういう表情すら面白がって、チェシャ猫は笑いを殺しながら答えた。

 アリスはケーキを食べていたフォークを空になった皿に置き、「ごちそうさま」と一言。


「おや? まだ沢山残っていますが?」

「こんなには食べられないよ」

「では持って帰られますか?

 今、用意しますね?」


 彼女の返答も聞かずに、チェシャ猫はさっさと立ちあがって、コテージの方へと行ってしまう。

 アリスはそんなチェシャ猫の背を見送ったあと立ち上がり、湖の方へ続く緩やかに下る丘陵を数歩歩いた。


 知らない空、知らない緑と風、そして大地の匂い――

 目に入る全ての景色。

 自分が知らないこの世界の規則。

 まるで自分だけが、ポツンと異物のように投げ出された孤独感が、彼女を急に襲った。

 そして、チェシャ猫の言葉と表情が頭の中を反響する。


 曖昧な答え――その中身。知りたいようで、知ってしまうのが怖い。

 アリスは恐怖に両腕を抱きしめた。

 風が止まった束の間の沈黙に、ポンと頭に何かを乗せられた。

 アリスは何なのかを恐る恐る触りながら振り返ると、そこには、チェシャ猫と頭には花冠。


「どうかしましたかぁ?そんな悲しそうな顔して……」

「あ……ううん。花冠?ありがとう」

「さて、帽子屋サンの所までお送りしましょう」



 後ろからそっと肩を抱かれ、一瞬にして前の景色が消えたと思えば、前には少し離れただけで、何故か懐かしいと思える家が一軒。

 そっとアリスの肩を離したチェシャ猫は何歩から後ろへ下がった。


「あれ?入らないの?」

「ああ、言い忘れていましたが……

 本来、私は帽子屋サンや眠りネズミ(ヤマネ)サンには見えないって設定になってるんです」

「また設定?そんなの守ってないくせに……」

「まぁ、そうですねぇ。

 お伽噺ではチェシャ猫は彼らと出会っていないので」

「変なの。まぁ、いいや。ただの設定だし。

 ありがと、チェシャさん」

「いえいえ。少しでもアリス君のお役に立てれば、光栄ですよ」

「嘘くさいけど、一応受け取っておく」


 アリスは、苦笑しながら答えた。

 チェシャ猫はそんな彼女を見て、困ったように目尻を下げながら一つの包みを渡す。


「残りものですが、甘党の帽子屋サンは喜びますから」

「ありがとう。チェシャさんって何だかんだ言って、帽子屋さんのこと好きだよね?」

「おや?そう聞こえましたか?」

「うん」


 アリスは包みを受け取って、家の方へとそのまま歩きだす。

「では、アリス君。

 またお会いしましょう」


 二コリと微笑んだチェシャ猫にアリスは頷き、背を向けたが、何かを思い出したようにすぐに振り返る。

「そうそう。

 前言撤回!チェシャさんって結構良い人ね」

「猫ですよ~」


 太陽のように笑ったアリスとその言葉にチェシャは思わず、微笑んで冗談で返した。

 またスカートの裾を翻して家の方へ駆けていく彼女は、そのまま振り返ることなく、扉の向こうへと消えて行った。


「アリス……」


 チリンと鈴が鳴り、チェシャ猫の呟きはアリスに聞こえることなく、風に攫われた。








「ただいま~」


 日は傾き、赤く輝きを滲ませている。

 気分良く応接間の扉を開いたが、そこには誰もおらず、アリスは首を傾げた。

 この家は、応接間しか場所を知らない。

 困った彼女は他の部屋へと足を向ける。


 玄関の先のホールから、向かって右側が応接間と上へと上がれる階段、左側には廊下があって、二つほど部屋がある。そして前には扉が一枚。

 この先がリビングなのだろう。

 アリスはそっと開くと、ふんわり美味しそうな香りが鼻につく。


「あれ? 帰ってきたの?」


 扉を開けてすぐ左手前にはキッチンがあり、そこには黒のエプロンを腰に巻いた眠りネズミがいた。

 キッチンカウンターを挟んだ奥には、木造のシンプルな4人掛けの食卓テーブルが視界に隅に窺える。


「うん。帽子屋さんは?」

「あ~、あそこ」


 苦笑気味に差された方向は、左側。

 2人暮らしには随分広いリビングで、中央には見るからにふかふかそうなベルベッドのベージュのソファーが二つL字に並び、応接間を同じように一人掛けのソファーも隣側に並んでいる。

 眠りネズミの指先に沿って、後ろ側を振り返った彼女の視線の先。

 ソファーの一角に帽子屋がいた。

 背を向けているのにも関わらず、彼の周りには目に見えそうなくらいの不機嫌な何かが、漂っている。


「あれ……どうしたの?」


 思わず顔を引きつらせて、半身を逸らすと眠りネズミは苦笑。

 苦笑は何かを誤魔化すための、この男の癖ではないのか。そこに悪意はなさそうであったけど。


「まぁ……色々と、ね。

 それより晩御飯どうする?パスタだけど……」

「あ~、さっきケーキ食べてきちゃったからなぁ」


 アリスの惜しそうな声に、眠りネズミは彼女が持っている包みを見た。


「あぁ、なるほど。チェシャのやつか。

 まだ夕方だし、日が暮れて腹が減った時にするか。

 アリスちゃん、それ帽子屋に持っていってあげなよ。

 じゃあ、すぐ機嫌もなおる」



 ―――甘党の帽子屋サンは、喜びますから―――



 チェシャ猫の言葉を思い出した。

 アリスはゆっくりと帽子屋の方へ、忍び足で近寄ると、ソファーの前にあるテーブルにそっと包みを置いた。

 すると帽子屋は今日の中で、一番機嫌の悪い顔(おそらく悪党に間違われてもおかしくない)でアリスを見る。

 視線を感じた彼女は思わず身を引きそうになったが、臆せずに包みを開け、帽子屋にそれを見るように指さす。

 恐る恐る帽子屋の表情を窺うと、彼の表情はミリ単位ではあるが、普段の表情に戻って行った。


「私、フォークとお皿もってくるね!」


 その場を逃げ出すようにキッチンへ向かうと、既に笑いをこらえている眠りネズミはフォークと皿一セットを用意していた。


「いやぁ、沸点の低い友人を持つと大変でね。

 アリスちゃんがいて良かったよ」

「帽子屋さんの機嫌取りに、私を使ったのね?」

「まぁ、怒るなよ」


 フォークと皿を受け取ったアリスは明らかにむくれた表情を作ったが、眠りネズミはそれを宥めるように微笑んだ。

 納得いかない様子のアリスであったが、すぐに帽子屋の元へ戻ると皿とフォークをテーブルに置く。

 そこに紅茶をトレ―に乗せた眠りネズミがやってきて、3人分の紅茶を注いだ。


「俺は人の淹れた紅茶は嫌いだ。

 それにどうせ、これもあの猫が持って帰らせたケーキだろう」


 まるで、機嫌を直すまいと意地を張る子供のように、帽子屋がぶつぶつと呟く。


「ほら、アリスも戻ってきたんだし、良い子だから甘いものでも食べて機嫌直せよ」

「子供扱いするんじゃねぇ!」


 俯いたままの帽子屋の頭をポンポンと撫でた眠りネズミ。その手を払い、声を荒げた帽子屋だったが、アリスと目があうと、そっと横に視線を逸らした。


「ったく……」


 切り分けられたケーキは5種類ほどあり、一つに帽子屋がフォークを刺し、口に運ぶとなんとも言えない幸せそうな表情をした。

 それをアリスは見て、目を丸くした後、失笑しそうになったのを慌てて抑える。


「ん?」


 アリスの異変に帽子屋は眉間に皺を寄せて、彼女を見る。

 慌てて表情を保った甲斐あって、なんともなかったように首を傾げて誤魔化すことに成功した。


「で? バカ猫に何、何聞いてきたんだ?」

「え~っと」


 アリスは目を斜めに泳がせて思い出してみるが、これと言って思い浮かばない。


「あれ? 特別ないかな?」

「はぁ?」

「だって、帽子屋さんから説明してもらったことを言って……

 あぁ! 名前と過去……つまり記憶を見付けること以外にも、この世界から出られる方法があるって」

「へぇ~、初耳だなぁ」


 間髪いれずに眠りネズミの驚きの声が介入したが、何故かふとアリスはその声色に違和感を感じた。


「知ってたか?帽子屋」

「……いや、初耳だ」

「そっか~。帽子屋さんか眠りネズミさんなら知ってるかなって思ったのに……」


 一応、取り繕うようにそう返答しながら肩を落とすが、違和感は心の隅に引っかかっている。


「その前に知ってたら、俺達もうここにはいないからね」


 もっともな眠りネズミの言葉に、その違和感はゆっくりと姿を消していった。

 帽子屋の声が遮るように続ける。


「他は?」

「他は~……チェシャさんには、2人が見えない設定になってる、とか?」

「ああ、あるな。そういうわけのわからん設定」


 既に2つ目のケーキに突入した帽子屋が、呆れ声で頷いた。


「そんなところかなぁ」


 アリスはほんの少しだけ流し目で言う、


 曖昧な答えと、その理由。

 アリスはどうしてもその話を切り出せなかった。

 チェシャ猫の言い方から、何かを隠しているのかもしれない――という予感はあった。

 どうやら、彼らは何かをはぐらかすのは得意のようだ。

 どうせ聞いてもはぐらかされる。







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