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lullaby

 


 アリスには全て理解は出来なかったが、その帽子屋をただ見守り、開いた城を見上げる。



「悪い、待たせたな。行くか、アリス」



 すぐに城へと足を踏み入れた帽子屋にアリスは続く。

 そこはハートの城を酷似していて、大広間から高く伸びた階段。おそらくその階段の先には謁見の間があるのだろう。

 しかし帽子屋はその階段ではなく、その奥へと進んで行く。


 階段の後ろ側には、一つの扉があった。

 帽子屋はその扉を躊躇いなく開き、アリスを通す。


 そこには、城には似つかわしくない光景が広がっていた。

 床も壁も皆、赴きを感じさせる西洋風な部屋。

 古い木製の本棚、使い古したデスクにはインク瓶と万年筆。

 羊皮紙が散らばっていて、少しばかり煙草の匂いも染み付いている。


 帽子屋は部屋に入り扉を閉めると、扉が軋む音が鳴った。

 彼はいつも被っている帽子を取り、当たり前のようにコートハンガーに掛ける。

 その斜め下に目に入った、チェストの上には写真たてに入れられた写真。

 アリスは改めて部屋を見渡す。



 この部屋だけ、この世界とは切り取られているようだった。

 部屋の隅にはソファーがあって、そこには赤ちゃん用の玩具が転がっている。

 本棚には難しい本が並んでいて、数学の本や、哲学書、中には新しい絵本もあった。


 そのアリスを見ながら、帽子屋はデスクの前へと座ると、慣れた手つきで万年筆を握って、紙にインクを滑らせていく。

 アリスが部屋を見渡す足音と、帽子屋がペンを走らせる音。


 それが同時に止まった。

 アリスは帽子屋へと振り返り、帽子屋は真剣な面持ちで立ちあがる。

 お互いに引き寄せられるように近づき、アリスは愛らしい微笑みを湛えながら、首を傾げた。



 帽子屋はそんなアリスを愛おしそうに見て、腰のフォルダーから銀の銃を取り出すと、その銃へと眠りネズミから貰った弾丸を一発分装鎮する。

 それを見てアリスはこれから起こることを理解していたように頷いた。



「これが俺の目的だ。お前には、過去も未来もない。

 俺がお前にしてやれることは、一つだけだ」



 帽子屋は自分の言った言葉に、ほんの少しだけ苦々しそうな表情したあと続ける。



「呼ぶことのなかった、名前を呼ばせてほしい」



 懇願にも似た声色。

 アリスは、太陽のように笑った。



「レイシー……」



 帽子屋は囁くように言った。



「レイシー」



 アリスも自分の名前を噛みしめるように呟いた。



「レイシー……レイシー」



 帽子屋は幾度も幾度も、それこそ一生分を埋めるように彼女の名前を呼ぶ。

 アリスはそれを全て受け入れ、抱き締めるように幾度も頷いた。



 やっと、まっすぐアリス―――否、レイシーを見つめた帽子屋は歪めた表情で微笑んだ。



「悪い。ちゃんと愛してやれなくて……

 こんな愛し方しか出来なくて……」


「ううん、十分愛してもらった。

 他の誰よりも私、幸せだった――」


「レイシー」



 帽子屋はレイシーの言葉に、抑えきれない感情をただその言葉に込めた。

 レイシーは口を開いて、呼びかけた名前を諦めるように微笑んだ。



「ありがとう。


 帽子屋さん――……」





 パァン!と、銃声が美しい旋律を奏でるように鳴り響いた。

 どこからか吹いてきた風が、乾いたばかりのインクで綴られた物語を撫でる。

 そこには、こう綴られてあった。












『感謝を記す。




 ソウイチロウ、愛する親友へ

 ハナ、気高く勇ましい友人へ

 ダイナ、主人想いの猫へ



 公爵夫人、フロッグ、ロウ、白ウサギ、王、女王、ジャック。

 名も知らぬ同志たちへ


 ロビンソン、最愛の旧友へ


 アリス・リデル、愛する人へ



 チャールズ・ラトヴィッジ・ドットソンとアリス・リデルの愛娘



 レイシーへ






               Best wishes.』





 Fin.







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