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不思議の国

 



 徒歩では随分かかったが、馬車だとすぐに着いた。

 降りた時に気が付いたが、御者だと思っていた男は、先ほど城の門にいたジャックという男で、アリスを見ては小さく頭を下げ、彼女も同じくそうした。

 馬車が元来た道へと引き返すのを見送って、3人は家へと続く道を歩む。


「さっさと行くぞ」


 帽子屋は帽子を被って、歩は早めた。

 最初にこの家から出て来た時は混乱と動揺のあまり、ほとんど何も考える暇がなかったが、改めてみると一軒にしては広い敷地だ。

 朝に3人がお茶をしていたテーブルはそのまま無造作に置かれてある。

 帽子屋が先導して入った玄関はかなり広かった。


 玄関だけではなく他の部屋も相当な広さを誇っているのだろうが、帽子屋が向かったのは、今朝アリスが出て来た応接間。

 その部屋に通されると、帽子屋は一旦部屋を出て、キッチンで用意してきたのだろう――ワゴンにカップとポット、少しの洋菓子を乗せて戻ってきた。


「へぇ、お前さんが客も持て成すなんて珍しい」


 既に部屋中央のL字ソファーの一角を占領して、横になっている眠りネズミが欠伸をしながら首だけ動かして帽子屋を見た。

 帽子屋は一瞬だけ眉を寄せたが、立ちつくしていたアリスを一人用のソファーに勧め、3人分のカップを各々の前へと置いた。

 自分の分とアリスの分だけに、紅茶を注ぎ「レモンか?ミルクか?」と訪ねる。


「ミルクで」短く答えて、適量のミルクを入れた後に「砂糖の数は?」と帽子屋。

「ひとつで」また短く返答する。

 相変わらず無愛想な帽子屋に、緊張がにじみ出すアリス。

 一つだけ分かったことがあった。

 帽子屋という男は人を緊張させるのが大の得意らしい。

 そして人のペースに合わせることを知らない。


 アリスの前で欠伸をしながら寝転がっている眠りネズミも、帽子屋よりは優しげな面影を見せるが、常に第三者的で厄介事には介入しようとしない性質(タチ)のようだ。

 帽子屋は自分の紅茶にミルクと砂糖を5つも入れて、眠りネズミが半分占領しているソファーへと腰掛ける。


 帽子屋がティースプーンで混ぜている紅茶を見て、味を想像したアリスは思わず顔を顰めた。

 ‘コ’の形でテーブルを囲むように配置されたソファーに、紅茶の良い香りと眠りネズミの欠伸の声。


「おいおい、俺の分は?」


 気だるそうに一応、と言った感じで彼が尋ねると、

「お前は客じゃあないからな」

 と、帽子屋が紅茶を啜りながら素っ気なく返した。


「ったく……相変わらず可愛げのねぇやつだな」

「なくていい」


 間髪いれずに反駁した後、帽子屋はカップに口を話す。

 アリスも2人の様子を窺いながら、そっと紅茶を一口飲んだ。


「んっ、美味しい」

「当たり前だ。俺が選んだ紅茶なんだから」


 どうやら彼なりに拘りがあるようで、彼女の率直な感想にほんの少しだけ気をよくしたらしい。その証拠に今までで一番声が高かった。

 しかし、拘りがあるのに紅茶の味を台無しにするようなあの砂糖の量な何なのか。

 アリスは矛盾を感じて、口の中で呟いた。


「で……」


 すぐに低いトーンの声色に戻った帽子屋は、帽子で隠れていた顔を上げて、アリスへと目を向けた。


「え?」


 アリスは拍子の抜けた声を出してしまい、それでも何を促されているのか分からずに首を傾げる。

 帽子屋はまた一口紅茶を飲んで、一息をついた。


「聞きたいことが沢山あるんだろ?」

「あ、うん。

 えっと……とりあえず全部がわからなくて、どこから聞けばいいのか……」


 えへへ、と誤魔化しながら、まとまった感触の黒髪を触る。

 それでも自分からは説明する様子を見せない帽子屋に、アリスは俯きながら考える。


「えっと……ここはとりあえず不思議の国って言ってたけど。

 実際どこなの?私はそんな名前の国を知らないし、どうやってここに来たのかもわからない」

「じゃあ、どこなら知ってるっていうんだ?」


 質問を質問で返されたが、帽子屋の言葉にアリスは黙り込んでしまう。

 確かに‘どこも’知ってはいなかったのだ。


「知らない。でも私は……漠然とだけど、こことは全く別の所にいた。

 少なくとも、ここよりは断然センスの良い国に」


 アリスの言葉に眠りネズミの笑い声が小さく響いた。

 押し殺しきれない「くくっ」という笑い声に帽子屋は眉を寄せて、眠りネズミを睨む。


「いやぁ、アリスはほんとに素敵な子だなぁ」


 彼の言葉の意味が理解出来ずにアリスは首を傾げたが、どうやら帽子屋には意味が通じたらしく「死ね」との一言浴びせる。


「ここはお伽噺を舞台に作られた世界で、ここに来るのはみんな名前を置いて来ちゃった人間で……って、眠りネズミさんに教えてもらったけど……」

「なんだ、少しは話してるじゃねぇか」


 帽子屋は隣で横になる眠りネズミに言うと、「おう」と彼は短く答えた。


「グダグダ説明してもお前は理解できない。

 それに説明したとしても、お前に出来ることは一つしかない」

「出来ること?」


 アリスの質問に帽子屋は紅茶を飲みほし、ポットからもう一杯カップに注ぐ。ついでに眠りネズミの方へと注いだ。

 小さなポットは注いでも注いでも中身が軽くなる様子がない。

 まるで無限に紅茶が湧き出るポットのように思えた。

 アリスは魔法のようなポットの正体が気になったものの、話を腰を折るのが引けて、その疑問を頭の隅に追いやる。

 自分の分には先ほどと同じようにミルクと砂糖を入れ、眠りネズミのカップには輪切りにされたレモンだけを入れた。


「さんきゅ」と眠りネズミは礼を言い、起きあがってカップを口に運ぶ。

「とりあえずお前の‘本当の名前’と過去を取り戻せ」

「本当の名前と過去?」


 帽子屋の言葉がピンと来ず、鸚鵡返しになる。


「この国に来る人間は皆、元いた世界で自分の名前を捨てた阿呆どもだ。

 そんな阿呆どもが辿りつく国がこの不思議の国。

 ここを出たけりゃ、捨てたものを探して拾わなければいけない。

 自分で捨てたんだから、自分で探せ。それだけのことだ」


 淡々を言った帽子屋の言葉に少しだけ違和感を感じた。しかし、最後に鋭い眼光で見つめられて、思わず戦いてしまいながらも率直な感想をぶつけた。


「まるで自分はその阿呆どもじゃないって言い方ね?」

「さぁな」


 お互いに紅茶を啜る音が響く。

 帽子屋の適当な相槌にアリスが思わず嫌そうに顔を顰めて、茶褐色の液体を見つめた。

 沈黙を挟んで、続きを切りだした。


「でも名前と過去なんて、そこらへんに落ちてるわけじゃないでしょ?

 どうやって探すの?」

「知らん」


 間すら入れずぴしゃりと言われ、アリスは頬を膨らませる。


「もし探せなかったら?」


 続けて尋ねたそれに、帽子屋の口へと運ぶ手が一瞬だけ止まったように見えた。

 その異変をアリスは見逃さずに、不安そうな目で彼を見つめる。


「ずっとこのままだ。

 外には出られないし、うんざりするくらいの陽気から、一日たりとも進めない。」

「そう」


 一瞬の異変はなかったように、淡々と語る帽子屋にアリスは首を傾げて生返事を返した。

 再び沈黙。

 次の沈黙は、馬車に乗っている時と同じくらい長かった。

 レディへの気遣いが出来ない男たちめ……

 心の内で毒づきながらも沈黙を破ることはしないアリス。


 そこに一つのノック音が転がりこむ。

 最初は居留守を使う気なのか、ピクリとも動かなかった帽子屋に眠りネズミだったが、あまりにしつこいノックに帽子屋は大きな音をたてて立ち上がる。そのまま足音を響かせて、玄関へと向かって行く。


「うるせぇんだよ!誰だ!」


 そんな怒鳴り声が玄関から聞こえた瞬間――いつの間にか、先程帽子屋が座っていたソファーに一度見た綺麗な顔の男が、ニコニコと微笑みながら座っていた。


「お~、チェシャ。

 お前がここに来るなんて珍しいな」


 前触れもなく現れた男――チェシャ猫に少しの動揺も見せることなく、「よっ」と手を上げた眠りネズミ。

 アリスがチェシャ猫に問いを投げかけようとした時、リビングの扉が乱暴に開けられた。

 それはもう、壊れるんじゃないかという勢いで。


「てめぇ、殺すぞ!」


 その怒号と磨きがかかった最悪な険相で、チェシャ猫へと迫りよる帽子屋。

 アリスはその迫力に戦いたが、チェシャ猫がその怒号が聞こえなかったかのように涼しい顔をしているので、この際無視して隣のチェシャ猫に改めて問うた。


「チェシャさんってどうやって移動してるの?

 テレポートみたいなやつ?」


「さぁ?企業秘密ってやつです~。

 ここが不思議の国だからってことにしておきましょう」


 チェシャ猫はニコニコしていた片目を大きく弧を描いて、テーブルに置いていた洋菓子を帽子屋のカップの中へ落とした。


「てめっ、人の紅茶になんてことを!」


 それを見た帽子屋は咄嗟にカップをテーブルから取って、後ずさる。

 どうやら、一旦チェストの上へとカップを避難させたようだ。

 しかしその紅茶を捨てることはせず、そのまま飲む帽子屋。

 アリスは小さく口元を歪めながら、チェシャ猫を一瞥した。


「ここじゃあ、帽子屋さんがうるさくて静かにお話できませんねぇ。

 どうです?私と楽しくお茶にしませんか?アリス君?」


 突然のお誘いだったが、断る理由もない。


「いいの? それなら勿論」

「と、いうことでしばらくアリス君はお貸頂きますよ。帽子屋サン?」


 帽子屋が有無を言う前に、チェシャ猫はアリスの肩を抱いた。

 最後に目に映ったのは、慌てて制止を促す帽子屋と眠りネズミの苦笑する顔であった。






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