理由が必要なら
身分の違いが2人を引き裂く――なんてお伽噺みたいな話だけど、僕が……いや、私が生きてた時代は、自分より身分の高い人に好意を抱くだけで、罪みたいなものだったんだ。
私を庇った兄貴は、私の目の前で殺された。
そして、私が原因で結局は、全員打ち首。
面白みにかける人生だろう?
時々、この永遠に続く時間は、私に対する罰なんかじゃないかと思うことがある。
思い返す度に胸が痛んで、それでも私が償う相手は、もういない。
償いさえ、許してはもらえないんだ。
三月ウサギの言葉を帽子屋はただ、黙って聞いていた。
彼にも、思うところがあったらしい。
出しかけた煙草を見つめて、再び懐へと戻す。
「俺には、なんて言ったらいいか分からない。
俺には……お前に、何かを言ってやる資格なんてないからな」
言うと、やはりと言った具合に煙草を取り出す帽子屋に、三月ウサギは思わず笑った。
帽子屋は釣られて、微笑み、続ける。
「いいんじゃねぇか?
時代のせいにしちまえ。別に、誰が誰を想おうと個人の自由だろうが……」
「それを言ったら、終わりだけどね。
ねぇ、帽子屋。アンタの過去ってどんなの?」
まさか答えないだろう。聞いておきながら、三月ウサギは心の中で思った。
しかし、帽子屋その質問が意外だったように、目を瞬かせる。
煙草の煙が肺全体に行きわたるほど、吸い込んで時間をかけて紫煙を吐き出した後、考えるような仕草をした。
「そうだなぁ。まぁ、さっきも言ったが、酷いもんだぞ?」
その前置きに三月ウサギは頷くと、彼はゆっくりと話し始めた。
彼の話は、まるでひとつの物語のように、上手くまとまっていた。
生前、作家だったということが伝わって来る。
全てを話し終えるまでに、そんな時間はかからなかったが、そんな短時間で内容詰まった話が出来る、頭の持ち主であることにまず驚き。
次にその内容に驚き、最後に彼の目的に驚いた。
目を丸くしっぱなしだった三月ウサギを見て、帽子屋は思わず噴き出す。
その笑いは全て冗談だ、と言われているようで、一瞬怪訝そうな表情に変わった彼女だが、「言っておくが、全て事実だ」と釘を刺され、言葉を失う。
「どう思う? 眠りネズミ」
帽子屋の言葉が、あらぬ方向へと飛んだ。
いつの間にか眠りネズミが、キッチンからホールに続く扉の前に立っていたのだ。
気配を消していても、彼の存在には必ず気付く三月ウサギは、驚きの連続だったせいか、彼の存在すらも気付けずにいたのだろう。
「悪いな、立ち聞きするつもりじゃなかったんだが……」
「いや? 別に構わない」
一応、うわべでは謝罪を述べた眠りネズミだが、ちっとも謝っているようには見えない。
そのことを知っていてか否か、帽子屋も対して気を悪くした様子はない。
眠りネズミは、帽子屋の隣のソファーに座り、三月ウサギと向かい合うようになる。
「それで? その‘’目的’’は、かなりマジな話なのか?」
座るや否や、眠りネズミが問うた。
単刀直入な言葉に今度こそ気を悪くするんじゃないか、と三月ウサギはそっと帽子屋の様子を窺い、その様子に気が付いた彼は、三月ウサギの頭を撫でた。
「気を使うな。確かに俺達にとって、過去の話はデリケートのことかもしれないが、俺は構わない」
「おー、紳士だねぇ。帽子屋」
彼女に気を使った帽子屋と違い、呑気な声の眠りネズミを三月ウサギは、思わず睨みたくなった。
「怒るなよ、三月ウサギ。確認したかっただけだって」
三月ウサギの心境がまるで見えているかのように、彼に読みとられていて、思わず彼女は顔を引きつらせた。
色んな意味で、この男には敵わない。
しかしそれが、恋慕だけでないことも、彼女はちゃんと自覚していた。
この男に対する感情。それはもしかすると、兄と重ねているのかもしれない。
どこかで、頼っているのかもしれない。
兄と重ねているという罪悪感を払拭するために、恋慕という言い訳を使っているのかもしれない。
結局はどれが本当なのか、自分でもわからずにいた。
「まぁ、帽子屋が本気なら、俺もその手伝いを買って出るぜ」
突然の助っ人発言に帽子屋は眠りネズミを視界にとらえ、何も発せない様子だ。
「バカか、お前。そんなことしても、お前になんの得もないだろうが……
これは俺個人の問題で……」
「い~や? 俺はお前とこの先仲良くやってけると思ってるし……
俺はなぁ、そろそろ疲れたんだわ。三月ウサギの言ったようにさ。
この永遠に終わらない牢獄に居座るのも。
だから最後くらい、派手に散っても悪くないかなってな」
「冗談なら、今すぐ訂正しろ」
眠りネズミの言葉に対して、帽子屋はぴしゃりと言いのけた。
その言葉には怒りが混じっているようにも聞こえたが……
「そうじゃなきゃ……頼っちまうだろうが……」
続けられた言葉は、数カ月で知ったどの帽子屋よりも弱弱しい声色であった。
眠りネズミはそんな彼の頭を、子供にするようにポンポンと撫でる。
「頼れよ」
俯いた帽子屋は、視線を膝へと向けたまま小さく呟いた。
「ない」
「ん?」
「理由がねぇよ。お前が俺に手を貸す理由が……」
「じゃあ、作るか」
「は?」
「僕も! 僕も帽子屋に、手を貸す」
そこで、三月ウサギが手を上げた。
2人の視線が集まるが、彼女は笑って続けた。
「友達。理由はそれでいいだろ? それで不満なら、家族だ」
「なんつークセ―理由だよ」
間髪いれず眠りネズミが突っ込むが、その顔は嬉しそうだ。
「まぁ、でも悪くねぇんじゃねーか?
なぁ? 帽子屋?
利害という理由が、どうしても必要なら作ってやるが?」
2人に笑顔を向けられ、帽子屋は一瞬、困惑した表情をした。
しかし、紛れもなく嬉しさを隠すために、作られた表情。
「どうなっても、俺は責任とらねぇぞ!」
2人の視線から逃れようと、ふい、とそっぽ向きながら言った。
見える顔は、ほんのり赤い。
「うしっ! 決まりだ!
こんな日が酒盛りだろ! 帽子屋ぁ! 酒だ酒!」
眠りネズミは立ち上がり、キッチンの方へと常備されている酒瓶を漁りだした。
帽子屋は一瞬にして呆れ顔になり、その背を追い。
三月ウサギは、そんな2人の背を見ながら、微笑んだ。
―――なんだ、この国も捨てたもんじゃないや。