青虫横丁
再び随分と歩かされたアリスは、精神的にも肉体的にも、くたびれながら青虫横町へとたどり着いた。
入口を示すアーケイドの横看板は芋虫のような形をしていて、やはりアリスには読めない字――おそらく「青虫横町」と書かれているのだろう。
「やっぱりなんか……」
ダサい。
アーケイドもそうであったが、あまりにも色んなものがアンマッチすぎる。
見かける看板も全て、色合いがチグハグで、その酷さに言葉を失う。
二の句を告げる前に呆れはてた彼女の呟きを、帽子屋はやはり無視し、眠りネズミもただ失笑するのみ。
この人たちは同じ反応しか出来ないのか。
顔を顰めながら口の中で文句を言い、脱力感を感じながらも2人に続く。
無言の散歩の末にたどり着いたそこは、息を押し殺したように陰気な静寂に包まれていた。
人影は見当たらない。人がいる気配はある。
四方八方からの視線が4人に注がれているの気はするのに、誰一人として姿を見せようとはしない。
アリスは陰気で怪しい――そんな通りにある種の恐怖を感じて、前を行く2人との距離を縮めた。
帽子屋も眠りネズミもそれに慣れているのか、全くと動じる様子はなく、先頭の帽子屋は古びた洋服店の前で立ち止まった。
「ここだ」
扉には何かしら――店の名前か、営業中とでもかかれていそうな看板が、ぶら下がっている。
帽子屋はそのまま扉を開けて中へと入り、アリスは怪訝そうに足を止めるが、眠りネズミに背を押され、帽子屋に続く形となった。
3人の入った洋服店の中は外の店構えとは随分違って、なかなかの品揃えで、雰囲気も悪くない。
色々と残念な横町と店の外観とのギャップに興味を示したアリスは、店の中を見回りたかったが、なんとなくそれは憚られて視線だけ店内を見渡した。
すると、帽子屋は眉を寄せながらアリスを一瞥した後、店の奥へと呼びかけた。
「青虫、いるか?」
「へいへい、いるよ。帽子屋の旦那」
帽子屋の呼びかけに、暖簾の奥から一人の老人が水煙管を加えながら、帽子屋の元へゆっくりと歩いてきた。
「この娘の服を数着買う」
「はいよ」
短いやりとりと共に、前の帽子屋や親指でアリスを示す、
アリスは驚いて、その背を凝視した。
老人はさっさと背を向けたが、ふと立ち止まって、振り返らないまま言葉を続けた。
「ああ、卵はいらんのかね?」
「相変わらずだな。
何度言われたって、卵なんか買ってかえりゃしねーよ」
帽子屋は帽子の鍔を押さえて低く言うと、老人は反応を見せずにそのまま奥へと消えた。
アリスの前にいた眠りネズミが、乾いた声を上げる。
「ほんと相変わらずだなぁ、じいさん。
結構自分の役柄気に入ってるんじゃね~の?」
眠りネズミの言葉に帽子屋は答えずに、未だ店内を散策するアリスへ振り返る。
「自分の好きなもの選べ、アリス」
ふてぶてしく不機嫌そうに顎をしゃくった帽子屋に対して、アリスは困惑する。
「え?でもお金とか・・・」
「いいのいいの。この帽子屋さんは結構お金持ちだから」
眠りネズミが帽子屋に代わって明るい声で答えると、アリスはそっと帽子屋を一瞥する。
自然と目があってしまい、すぐに目を逸らした。
「早く決めろよ」との催促した帽子屋は、値段や量については一切制限をしなかった。
店内にたくさんある中から、選ぶのには時間がかかる。
案の定、痺れを切らした帽子屋は店の外へ出てしまい、アリスは焦った。
「アイツのことは気にせずにゆっくり選んだらいーよ、アリスちゃん」
フォローを入れてくれた彼の気持ちは嬉しかったが、やはりどれも高そうで決めかねる。
そんな気持ちを察したのか、眠りネズミは自分の好みだと言う服を次から次へと服を持ってき始めた。
試着室で着替えては眠りネズミに披露し、彼の反応を請う。
正直、着ることが出来ればなんでも良かった。
眠りネズミにはそれなりの拘りがあるようで、試着を繰り返し、数着目の時――アリスはふと思い出しして、カーテン越しの男へ呼びかける。
「ねぇ、眠りネズミさん」
「どうした?」
少し遠のいた彼の声が、反響して聞こえ、眠りネズミが試着室の方へと向かってくる足音がした。
「ここは不思議の国っていうの?」
ずっと気になっていた質問だ。
訳も分からずに、帽子屋の気迫に圧倒され、聞けなかったことを漸く尋ねることが出来た。
「まぁ、そう呼ばれてるね」
「この国ってなんか変じゃない?
街も人も……まず、名前が変」
率直な感想を告げると、眠りネズミの高笑いのような声が店内に響いた。
くつくつと小さな笑い声の間から彼は続けた。
「だよなぁ、俺も同感。
ここはお伽噺を舞台に作られた世界なんだってさ」
「お伽噺?不思議の国が出てくる物語があるの?」
何故か、自然と不可思議な話を飲みこめた自分に驚いて、着替える手を止めた。
しかし考える暇も与えず、カーテン越しの声がその先は説明する。
「ああ。ここに来る人間は皆、自分の名前を置いて来ちまった人間で、その度に王様と女王様が名前をあげるんだ」
「名前を置いてきた……?王様と女王様も?」
「それは俺達にはわからないけど。
陛下はそんな可哀想な人たちに名前をあげる。
そのお伽噺の登場人物の、な」
眠りネズミが説明する間にアリスは少しずつ着替えを進めて、言い終えたと同時に試着室のカーテンが開いた。
「おっ、いいじゃん。
じゃあ、それとさっきの俺好みのと、後これで……」
眠りネズミは持っていた二着の服を見せて、満足そうに頷いた。
全てで三着。それも高そうな生地のばかりである。
「え?そんなに?」
遠慮するアリスに、眠りネズミは悪戯な感じで微笑み、
「いいのいいの、帽子屋さんはお金もちだから」と言った。