隠蔽
「おい、チェシャ猫。
お前、ここの住人の記憶操作が、タブーだと知ってて、やったのか!?」
「おや、そんな規定ありましたっけ?」
「とぼけるな」
「ほらほら、怒らないでくださいよ。
沸点の低い、眠りネズミサンのお友達サン?」
「誰からの受け売りだ? それ」
「勿論、そのネズミサンからです~」
「アイツやっぱり殺す」
帽子屋とチェシャ猫。2人が意味のない討論を繰り広げていたのは、公爵夫人の屋敷のアリスの部屋で、肝心な彼女はベッドで眠っていた。
「それはともあれ、まぁ……少し記憶に薄い靄をかけただけですよ。
操作ではありません~」
「それを隠蔽というんだ! バカ猫!」
「大声出すと、アリス君を起こしてしまいますよ~?」
テーブルの椅子に腰かけるチェシャ猫は足を組み替えながら言った。
その隣に設けられたソファーに座り、落ち着きなく貧乏ゆすりをする帽子屋の足が、妙に目につく。
「で、今回のことは……」
「三月ウサギが適当に報告者を作成して、提出してくれるそうです~。
いやぁ、頭の良い友人を持つと助かりますねぇ。楽で……」
聞いた三月ウサギが怒りそう、と呆れながら帽子屋は煙草を取り出したが、ふと目端にアリスが入って、ケースへと仕舞った。
「まぁ、この隠蔽がバレることがあったとしても、優しー帽子屋さんは私を庇ってくれるんでしょう?」
「なんで、俺がお前を庇わにゃならん!」
チェシャ猫を睨みながら言ったその声のせいか、アリスが呻きながら寝がえりを打った。
「ん……? あれ……?」
「あ~あ、帽子屋さん。起こしちゃいましたねぇ」
立ち上がってアリスの元へと歩み寄ったチェシャ猫を見て、アリスは目を擦る。
「チェシャさん?」
「おはようございます。アリス君」
上体を起こそうとするアリスを、チェシャ猫は支えてあげる。
「あれ……? 私、確か……」
「屋敷を脱走した挙句、疲労で倒れたんですよ」
「えっ!?」
アリスは驚いて、記憶を辿るように斜めを見た後、帽子屋とチェシャ猫を交互に見た。
「ごめんなさい」
「その言葉は私ではなく、駆けまわった帽子屋サンと、泣きそうになっていたフロッグ君にいってあげなさい」
椅子へと戻りながら言うチェシャ猫の言葉に、アリスは申し訳なさそうに帽子屋へと視線を移した。
「ごめんなさい」
「わかったならいい」
いつものことながら、素っ気なく言った彼の言葉は、今回ばかりはアリスを落ち込ませた。
「さてさて、アリス君が目を覚ましたのを見届けたことですし、私は用がありますので、これで失礼させていただきます」
チェシャ猫は再び立ち上がり、ソファーに座る帽子屋に耳打ちをする。
―――彼女の記憶の靄はすぐに晴れるでしょう。
その間にどう説明するか、考えておきなさい―――
それだけ言って、ニヤリと笑うと姿を消した。
帽子屋は舌打ちを一つ立ち上がって、部屋を出て行く。
取り残されたアリスは怒っていたように見えた帽子屋の背を引きとめることは出来ずに、彼が出て行ってしまった後、項垂れた。
「私の……バカ。
自分勝手な我がままで、みんなを困らせて……」
アリスはベッドヘッドに凭れて、膝を抱えると顔を埋めた。
後悔の念が、彼女に記憶を遡らせる。
朝の6時前に屋敷を抜け出して、そして……
「あれ?思い出せない……
確か、並木道を通って、広場には……」
「おいこら、ガキ」
アリスの思考を、制止する声が扉からした。
そこにはウエイターのようにトレ―を片手に持って、扉を開いた帽子屋がいた。
彼はベッドのサイドテーブルに透明なハーブティーカップを置くと、ポットから何かを注いだ。
湯気立つ黄色い液体。
「カモミールだ。
飲めば、落ち着く筈だ」
寝れた手つきてポットをトレ―へと戻し、部屋中央のソファーの隣にあるテーブルに置いた。
「さっき、チェシャさん。なんて言って帰ったの?」
「ああ」
姿を消す前の耳打ちのことだろう、と帽子屋は踏んだようだ。
「お前に一つ、注意しとけって」
「注意?」
一気にアリスの声が強張った声で返した。
どうやら怒られると思ったようだ。
「ああ、勘違いするな。
この街ことについてだ」
勘違い -――それは彼女が予想したことについての指摘で、アリスはホッと息をついてオウム返しするように問うた。
「この国が、お伽話を基盤に出来てるってのは飽きるほど聞いただろうが、その中でもこの不思議の国は特殊で、唯一均衡が保たれ、世界としてなりたっている。
だがな、この街の外はそうとはいかない」
「え? 不思議の国以外にも、何かあるの!?」
「ああ、一応は……
この世界という空間はお伽話から成り立ってるっていう、どうしようもない事実から分かるように、人の思念や過去、未練……
その他の人の想いから構成され、形を成した世界だ。
その中で不思議の国は、‘国’としての形と名を与えられ、そこには‘名前’を持つ住人が存在する。
そのことから均衡を保てているわけだが……
街の外には、さっき言った人の想いが溢れて、形すら成せていない空間になっている。
前置きが長くなったが。
とにかくこれから、もし何かに巻き込まれたとしてもこの街だけは出るな。
それが注意だ」
「でも、人の想いや過去が溢れてるってことは……」
記憶を探せるんじゃないか……
アリスが続きを告げる前に「バカか」と帽子屋がぴしゃりと遮る。
「そこに一歩でも足を踏み入れたら、もう二度と帰って来られはしない。
よ~く、肝に銘じとけ。
まぁ、これからはそんなことがないように、自重することだ。
もし街中で逸れた場合は、その場をピクリとも動くな。
ああ、でも路地裏とかなら、広い道に出ておけ。
そうすれば、あのバカ猫辺りが探し出してくれる」
帽子屋は一気に説明し終えると、テーブルに向かいトレ―を持って、アリスへと背を向ける。
「それだけ飲んだら、寝てろ」
「うん。ありがとう」
帽子屋がそのまま部屋を出ると、その部屋の少し隣の壁に耳を忍ばせている眠りネズミと三月ウサギがいた。
「おい、何やってる」
帽子屋は低く呟き、そっと後ろ手に扉を閉める。
「いやぁ、アリスちゃん。大丈夫だったかなぁって……」
眠りネズミは苦笑混じりに頭を掻きながら答えた。
「とりあえず、ここじゃあまともに話が出来ない。
帰るぞ」
2人を一瞥すると帽子屋はさっさと踵を返した。
アリスはカモミールティーを飲みほし、サイドテーブルにカップを置くと、再びベッドに潜り込む。
帽子屋が一方的に話すため、聞きたいことを聞く暇がなかった……と一つため息。
彼が部屋を出て行って、記憶をもう一度遡ってみたが、やはり最後に思い出すのは並木道から薄らとみえた広場だけ。
並木道で倒れた。
そう結論付けるにも、なんだが違和感が胸に留まっていた。
まるで靄がかかっているような――ムズムズして気持ち悪い感覚。
アリスは諦めて掛け布団を頭まで被ると、そのまま眠りに落ちた。




