『貧乏神と福の神と速記の神』
おじいさんとおばあさんがありました。
毎日一生懸命働いているのですが、なかなか暮らしが楽になりません。といっても、暮らしていけないということではありません。ぎりぎり何とかなるという程度の、まあ、そんなに悲壮感はありません。
でも、周りの人たちは、不思議がっていました。お前たちは、毎日毎日身を粉にして働いておるというのに、なぜそんなに貧乏なんじゃ。貧乏神にとりつかれてているのではないか。屋根裏をよく見てみるといい。
おじいさんも、おばあさんも、別に気にしていなかったのですが、そう言われてみると、少しだけ気になりました。そこで、おじいさんが、屋根裏に上ってみますと、いました。黒くて細いやつが。いかにも貧乏そうです。
まあ、でも、貧乏神といっても神様には違いありませんから、おじいさんとおばあさんは、貧乏神に屋根裏から下りてきていただいて、床の間…に見立てた、部屋の隅に座布団を敷いて、貧乏神に座っていただきました。
神様、うちはごらんのとおりの貧乏暮らしで、何もお供えするものもございませんが、速記シャープの芯だけは、たくさんありますんで、これをお供えいたしましょう。
おじいさんは、そう言って、お皿に速記シャープの芯を山のように盛って、貧乏神をもてなしました。貧乏神も、まんざらでもない様子です。
おじいさんとおばあさんは、毎日毎日、日が昇ってから日が沈むまで一生懸命働いて、何とか少しだけ蓄えもできるようになりました。
大晦日の夜のことです。おじいさんは貧乏神に速記シャープの芯を、いつもよりたくさんお供えして、ことしも無事に終わりました。貧乏神様もゆっくりお休みいただいて、よい正月を迎えてくだされ。貧乏神は、わしは来年もここにいていいのか、と尋ねました。おじいさんは、もちろんですとも。何かの縁でうちに来られたのだから、どうかいてくだされ。おばあさんも、そうですともと請け合いました。
貧乏神は、とてもうれしそうでした。除夜の鐘が鳴ろうかというそのとき、戸をたたく音がしました。誰でしょう、大晦日の夜遅くに。おばあさんが戸を開けますと、太った、いかにも福々しい男が入ってきました。耳たぶが大きいですし、小づちなんか持っています。わしは福の神じゃ。そうでしょうね。これで福の神じゃなかったら、逮捕されてしまうでしょう。
おじいさんは、福の神に、何の御用ですかなと尋ねます。福の神は驚きました。今までこんな質問を受けたことはありませんでしたから。いや、わしは、福の神じゃから、福を授けに来たのじゃ。
おじいさんは尋ねます。福とは何ですかな。福の神、困ります。改めて考えてみますと、福とは何でしょう。普通は米や金だと思うのですが、このおじいさんは、ちょっと感覚が違うようです。
お前が福だと思うものは何じゃ。そうです。困ったときは、逆質問です。おじいさんは答えます。そうですな、例えば、速記力?うん、確かにそれは、福な気がします。
福の神は、そういう概念的なものは出せんのじゃ。頼むから、米とか金とか、物質的なものにしてくれんか。少し泣きが入ります。おじいさんは答えます。だったら要りません。私どもは毎日毎日食べていけるだけの暮らしで十分です。ただ、忙しくて、速記の練習ができなかったことが、今生の心残りですが。いつか速記の練習をする時間ができる、そんな夢を見ながら、来年も一生懸命仕事をして、暮らしていきますので。
どうも調子が狂います。このおじいさん、何か悪いものにとりつかれているのではないでしょうか。部屋の奥を見ると、いました。貧乏神。多分、おじいさんがおかしなことを言うのは、こいつのせいです。やい、貧乏神、俺と勝負しろ。俺が勝ったら、この夫婦に米と金を授けるが、いいか。貧乏神は、ゆっくりとうなずきます。
そんなわけで。二人の神様が、相撲をとることになりました。家の中で。
さあ、立ち合いです。はっけよい、残った、福の神、立ち合いからもろ手突き、貧乏神を土俵際まで追い詰める、しかし貧乏神、体をそらして土俵を割らない、福の神、体を合わせます、貧乏神こらえる、福の神、なおも寄る、貧乏神こらえる、福の神寄った、貧乏神これはこらえ切れないか、貧乏神、土俵を割らない、うっちゃり、貧乏神うっちゃり。
相撲に負け、とぼとぼ帰っていく福の神の貧乏そうなことといったら、どっちが貧乏神だかわかりません。
おじいさんは、貧乏神の汗をふいて差し上げながら、いやいや貧乏神なのに大したもんだ。福の神を投げ飛ばすもんだから、実はあなたが福の神なんじゃないのかと思った、と持ち上げますと、。貧乏神、もじもじしながら答えます。実はな、わしは、貧乏神ではないのじゃ。
おじいさん、手をはたと打ちます。やっぱり。どこか福々しいと思っていたんです。でも福の神ではないんですね。もしかして、そもそも神様ではないんでしょうか。いや、神は神なのじゃが。
おじいさん、ここまで聞いたら、聞かないわけにいきません。一体何の神様なんですか。実は速記の神なのじゃ。なるほど、だから黒くて細かったんですね。
でも、速記の神様が相撲も強いのはどういうわけで?何を言う、お前が毎日速記シャープの芯を供えてくれたではないか。わしにとっては、何よりのごちそうじゃ。そんなに大したことはしてやれぬが、速記に関するものなら何とかなる。手始めに、お前たちに速記力を授けよう。おお、伏線が回収されました。
おじいさんとおばあさんは趣味の速記に熱が入り過ぎて、仕事がおろそかになったので、金持ちになることもなく、その日暮らしを続けましたとさ。
教訓:福っていうのは物質的なものじゃない、一人一人の心の問題さ、とかいう話かもしれないが、とりあえず、米と金はもらっておこう。