思い出
中学の始めの頃の私は、常に他人の顔色を伺いながら自分の言動を決めるような人間だった。
家でも、学校でも、他人の顔を伺ってばかり。
いつからこんな人間になってしまったのか、それはきっと小学生になった頃からだ。
私の父は名の知れた有名企業の社長で、母も自身の会社を経営する新進気鋭の若社長。
2人は私が物心ついた頃から忙しく働き回っており、私の世話の殆どが家の使用人に任せきりされていた。
たまに家に帰って来たかと思っても、私に構うのはいつも何かをしながらだった。
「お父様、お母様、私2人の絵を描いてみたの。」
「そうか、ありがとうな。真宵。私は少しやることがあるから先にお母さんに見せてやるといい。」
「う、うん。お母様、これ・・・。」
「ああ、ごめんね。真宵。後で見ておくからそこに置いておいてくれる?」
「分かった・・・。お父様もお母様もお仕事頑張ってね。」
特段厳しく育てられていた訳でもなければ、邪険にされていた訳でもない。
私が話しかければ一応の返答はしてくれるし、優しい口調でもある。
しかし、一度も目を合わせてくれたことはなかった。
私が話しかけなければ、向こうから構ってくることはない。言うなれば無関心だ。
私にはこの無関心が何よりもきつかった。
優しくされようが、怒られようが、冷たくされようが、何でも良かった。ただ、私を見て欲しかったのだ。
両親から見てもらえるよう色々努力はしてみた。
それでも、小学校にあがる頃にはさっぱりと諦めてしまった。
両親が求めているのは、「自立していて、放っておいても大丈夫な子」だと分かったからだ。
常に両親の顔色を伺い、その時私に求めているであろう言動を取った。
両親の仕事の邪魔はせず、たまに目に入る学校の成績などで心配させぬよう、運動も勉強も頑張った。
そうして過ごしている内に両親は、半年に一回ほど不意に褒めてくれるようになった。
その一瞬が嬉しくて、これが正しい生き方なのだと錯覚した。
自分の心を押し殺し、両親の求める私になりきった。
そして、それは家の中だけではなく何処にいてもそうして過ごすようになった。
家でも、学校でも、他人の顔色を伺いながら過ごし、その人の求める自分になりきる。
カメレオンの様に他人に合わせて自分を変えていく生活は、かなり私自身の能力を引き上げた。
勉強も運動も人並み以上に出来る様になったし、他人と話す力もついた。
何よりも重宝したのは、他人の心を正確に読み取り、他人を引っ張り導く力だ。
そういう私であれば、大抵の他人は私を好意的に受け止めてくれたからだ。
それにこの力だけは、私に向いている気がしていた。
そうやって、みんなから愛される完璧お嬢様の私が誕生したのだ。
中学生になってもそれは変わらず、しかしそのおかげで中学でも私は学校中の人気者になった。
クラスでは目立つタイプの5人の女の子と仲良くなり、いつも6人で一緒に過ごすようになった。男子からも学年を問わずたくさん告白された。
2学期の10月には自分の得意なことを生かそうと後期の生徒会に立候補し、一年生にして見事当選を果たした。
順風満帆。
私の中学生生活はそう言って過言のないものだった。
しかし、順調だったのはこの頃までだった。
中学一年生の2学期も後半に差し掛かった頃、母の経営していた会社の業績が一気に傾き始めた。
詳しいことは知らないが、競合他社との競争に遅れをとり、順調に伸びていた業績が赤字にまで落ち込んでしまったのだとか。
そうなれば当然、仕事一筋だった母はより自分の仕事で忙しくなり、家でもよく荒れるようになった。
仕事での疲れもあってか、些細なことでたびたび癇癪を起こす母に家の雰囲気は重たくピリピリとしたものになっていった。
父も最初は黙って見守っていたものの、我慢ならなくなったのかついに夫婦喧嘩を始めてしまい、それからは毎日のように家で大喧嘩をするようになった。
家に2人が揃うと大きなお屋敷全体に響き渡るほどの大声で口論が始まり、それが一晩中続いた。
そんな状態が何日か続くと、母は私にまで当たるようになった。
「ただいま、お母さん。いたんだ。」
「何?いたら悪いの?」
母の前には開けられた酒瓶が数本置かれており、かなり飲んでいるらしいことが分かる。
「そんなこと言ってないよ。お仕事お疲れ様。」
「ふん!思ってもないくせに!」
何が気に障ったのか、母は鋭い視線で睨んでくる。
「そう言えば、見たわよ〜。これ。」
母が持っていたのは私の中間テストの結果が書かれた紙だった。
「100点、100点、100点ばっかりで学年1位。真宵はお父さんに似て優秀なのね?」
褒められたのではない。
嫌味だと分かる言い方だった。
「綺麗で、優秀で。どうせあなたもあの人と同じで、私を見下しているんでしょう!」
「そんなこと・・・。」
私はどちらかと言えば、母に似ていると思っていた。
綺麗で、優秀で、運動も出来て、私が褒められる特徴はいつも母と同じだった。
父は優秀ではあるが、運動は得意ではないらしいし、容姿もそこそこだ。
しかしこの時の母には私が父と被って見えて、より憎たらしかったのだろう。
「あなたは昔から全く手のかからない子だったわ。何も教えないうちから、何でも卒なくこなして。まるで私の助けなんて要らないみたいに。」
「小学校にあがる前まではもっと無邪気で、子供らしい子だったのに・・・。かわいくない。」
「・・・・・。」
なぜ?どうしてだろう?
そういう子を望んだのは母ではなかったのか?
両親の為に、私はこうなったのではなかったのか?
どれだけ話しかけても目すら合わせてくれなかったではないか。
自分を押し殺してまで成ったこの私は、間違いだったのだろうか。
今の私は母が、両親が望んだ私ではないか。
「かわいくない。」
では私はどうすれば良かったのだろう。
何を為しても空っぽの答えしか返ってこないあの空虚を、地獄を、耐え続けるべきだったのか。
分からない 分からない・・・・・。
どうすれば両親は、私を見て微笑んでくれるのだろう。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
時は過ぎて3学期の初め頃、私は普段通りに登校する。
母に「かわいくない」と言われた翌日の朝、母は申し訳なさそうに私の部屋を訪ねてきた。
「真宵、昨日はごめんなさい。お母さん、本当はあんなこと・・・。」
「気にしないで、お母さん。私も気にしてないから。」
母が思い描く私ならどう答えたのだろう。
辛かった、悲しかったと母に泣きつくのだろうか。
今更、そんなセンチメンタルな私にはなれない。
結局、その週末は何となく気まずくて両親とまともに会話をしなかった。
一つ良かったことを挙げると言うなら、その週末は両親の怒鳴り声を聞かなくて済んだことくらいか。
しかし、そんな家族の事情など学校の私には関係ない。
学校で求められる私は、誰にでも優しく、それでいてリーダーシップもある完璧なお嬢様。
完璧なお嬢様は家の事情で悩んだりはしない。
だから、何事も無かったかのように普段通りに登校するのだ。
今日もいつも通りの学校生活を終え、生徒会室から荷物を取りに教室まで戻ってきた。
すると、教室の中から聞き覚えのある3人の女子の声が聞こえてきた。
クラスで仲の良い5人のうち2人は部活動をしている筈なので、教室に残ってお喋りをしている3人は誰か、自ずと答えが出る。
こんな時間まで教室に残っているとは珍しい、たまにはあの3人と一緒に下校するのも良いかもしれない。
そう思って教室の扉に手をかけたとき、自分の名前が話題に出た気がして思わず動きを止める。
「真宵ったらまた男子に告白されてたよ。」
「嘘!だれだれ!?」
「バスケ部の伊藤先輩らしいよ。あの人すっごいイケメンで狙ってたのに〜。」
伊藤・・・、昨日辺りに告白された男子が確かそんな名前だった気がする。
告白してくる男子が求める私には応えられないが、皆が求める完璧お嬢様な私ならきっと、告白は丁寧に、それでいて優しくフッてあげるのだろう。
だから私は、いつもその通りに実行してきた。
それにしても、この手の噂は本当にすぐまわってしまう。
今、彼女達が話している件についても私は誰にも言っていない筈なのだが。
「あの子ほんとにモテすぎ。あの子の周りにいたらおこぼれもらえると思ってたのに、あのレベルは無理だわ。」
「それな、逆に引き立て役にされてる気分。」
「それにあの子、顔だけじゃなくて男子にめっちゃ媚び売るもんね。」
媚び?そんなものを売った覚えはない。
男子がそういう私を望んでいるからそうしているだけの話だ。
「それめっちゃ思ってた!良いよね〜、顔が良けりゃあ、ちょっと優しくしただけで男子がホイホイついてくるんだから。」
「それな!てかあの皆んなに優しい感じ、普通にウザイよね。絶対演技でしょ。」
「まぁ、でも良いじゃん。真宵と一緒にいればウチらずっと一軍じゃん!玄関の花みたいに飾ってる感覚で良くない?」
「それ、めっちゃいい!」
耳が痛くなるような甲高い笑いで、3人は高笑いしている。
私はまた間違えてしまったのか。
小学校の頃は、皆んなに優しい完璧お嬢様をしていれば皆が私を慕ってくれた。
だから中学校でもそんな私が求められていると思っていた。
しかし、少なくとも私に中学で初めて出来た友達であるこの3人は、そうで無かったらしい。
中学生にもなれば誰しもが異性を意識し始め、突出して目立つ者がいれば同性の嫉妬の的になる。
そのことを考慮に入れていなかった。
修正しなければ、この3人にも求められる自分に成らなければ。
どうすれば・・・、どこを変えればいい?
分からない 分からない・・・・。
あれ?普段、私どうやって過ごしていたっけ?
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
気づくと、私は通学路の途中にある大きな橋の上で1人佇んでいた。
確かあの後、私は彼女達の会話を切るように教室に入っていき、慌てて弁明する彼女らに応えることなく荷物だけ手にして学校を出てきてしまった。
結局のところ私は家でも、学校でも、本当に求められている私に成れていなかったと言うことだ。
いや、実際のところ私自身が誰にも求められていないのかもしれない。
これだけ努力をして無理なのだから、私は本来他人に好かれるような人間ではないのかも知れない。
例えば今私が消えてしまったら、両親は、友達は、悲しんでくれるのだろうか・・・。
そしたら、私を見てくれるだろうか。
誰か私を見つけてくれるだろうか。
眼下に広がる川が夕陽に照らされて、きらきらと輝いている。
なんだか視界がぼやけて、吸い込まれてしまいそうだ。
両頬に温かい一筋の雫が流れ落ちていく。
「あれ?私・・・・。」
思わず自らの頬に手をやって、流れ落ちる雫を拭いさる。
「あ、あの・・・。」
その時、いきなり後ろから聞き覚えのない声に声をかけられた。
驚いて振り返ると、そこには同じクラスの男の子が心配そうにこちらを見て立っていた。
確かこの子は、朝日源之助くん。
表情が硬くて無愛想なイメージの背の高い男の子だ。
女子との会話に慣れていなそうな子には、優しく笑顔で・・・。
私は咄嗟に笑顔を作り、
「朝日くん?私に何か用かな?」
しかし朝日くんは私の顔を見て、少し眉を下げて悲しそうな顔をした。
しまった。私はまた何か間違えただろうか。
「あの・・・、笑顔作ってますか?」
「え?」
彼の唐突な言葉に、私の胸はドキリと音を立てて跳ねた。
「違ったらすんません。いつもの笑顔と違うような気がして・・・。」
「・・・・・・・!」
普通ならいきなり声をかけられてこんなこと言われたら、怖いと思うか、少なくとも嫌な気持ちになるだろう。
しかし、この時の彼のあまりにも核心をついた言葉に、私は驚きで固まってしまった。
「い、いや!違いますよ?別にいつも見てた訳じゃないですからね?ストーカーとかじゃないですから!」
私が固まった様子を見て、彼は慌ててそう弁明する。
「ごめんなさい、私もそんなこと思ってないよ?ただ、なんでそう思ったのかなって。」
実際にそんなことは微塵も思っていなかったし、そんなことよりも何故彼がそう感じたのかが知りたかった。
「ああ、えっと・・・。守皇さんは気付いてないかもしれないすけど、守皇さんって笑うと綺麗にえくぼが出来るんですよ。」
朝日くんは、自分の頬を指差しながらそう言う。
「でもえくぼが出ない時も結構あって、今みたいに。だから、もしかしたらえくぼが出ない時は本当の意味で笑ってないんじゃないかと・・・。」
私は思わず自分の頬に手をやる。
そうなのか、そんなこと全く知らなかった。
昔から、特に最近は心から笑うことなんてほとんど無かったし、笑顔を作ることは出来るけど、笑っている自分を想像することは出来なかった。
改めて彼の方を真っ直ぐに見つめる。
背が高くて、一見怖そうに見えるが、よく見れば性格な滲み出ているような優しい顔立ちだ。
彼は私自身も気付いていなかったことに気付くことができる人。
そして今も、落ち込む私を心配して声をかけてくれたのだろう。
「結構、私のこと見てたのね?」
「い、いや!守皇さんは目立つですし!決してやましい気持ちはないっすから!」
「ふふっ!必死ね!」
彼のあまりの慌てように思わず笑ってしまう。
「あっ、ほら!今、笑った!そっちの笑顔の方がいいっすよ!」
彼は嬉しそうに笑う。
私の目を真っ直ぐに見つめて。
「うん、そうだね・・・・。ちょっと嫌なことがあって無理してたかも。」
自分から出た言葉に、私自身驚いていた。
今日初めて会話を交わしたような男の子に、私は今本音で話をしている。
「いいんすよ。守皇さんは守皇さんのままで・・・。」
「え?」
「無理に相手に合わせなくて良いってことです。ずっと相手に合わせた生活なんて息詰まっちゃうじゃないですか?」
「ありのままの自分を大切にしてくれる人を探せばいいんです。それにきっと、そっちの守皇さんの方が素敵ですよ。」
彼は笑ってそう言う。
そっか、私は私のままでいいのか。
最初から我慢して自分を偽る必要なんてなかったんだ。
本当の私を見つけてくれて、こうも真っ直ぐに私の目を見つめてくれる彼が言うのだ、きっと間違いはない。
ずっと心を覆っていた雲が綺麗に晴れていくようだった。
決して特別な言葉じゃない。
きっと彼の中では、クラスメイトを励ます為の何気ない一言に過ぎないのだろう。
でも、私にはこの言葉が何よりも嬉しかった。
この人の前では、ありのままの私でいていいんだ。
きっとこの人と一緒にいれば私は・・・・。
心が晴れていくのと同時に、そんな確信めいた思いが私を満たしていた。
「ありがとう、朝日くん。なんだか私、心がすっきりしたわ。あなたのおかげ。」
「いやいや、俺なんか全然。」
朝日くんは少し照れ臭そうにそう言う。
「で?あなたはもちろん、ありのままの私を大切にしてくれるのよね?」
「え?ああ・・、そうしたいですけど、今日初めてまともに話しましたし・・・。でも少なくとも俺は、綺麗なえくぼの笑顔の方が素敵だと思います。」
「何よそれ、煮え切らないわね。」
「てか、そんなことより。守皇さんなんか話し方変わってません?」
やはり彼は、本当の私に気付いてくれる人だ。
「こっちの喋り方が素なの。こっちの喋り方じゃとっつきにくいかと思って、学校では変えてたのだけど。」
「あなたの言う通り、ありのままにしてみたの。ダメ?」
「いや、やっぱそっちのが良いっすよ、守皇さんは。」
「そう。」
思わずこぼれた私の笑顔には、綺麗な二つのえくぼがたたえられていた。
真宵視点の中学時代のお話です。
もう少し続きますのでお楽しみに〜。
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