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眠り姫と白薔薇姫

現段階で最も古い時代のエピソードとなります。

一話と二話で、王太子たち(セドリック&グレンハルト)に婚約者がいなかった理由について、今回で軽く明かしています。

 その日、王宮舞踏会にて。

 王都ばかりか国中の噂の的となっている令嬢とその父親が入場すると、大広間はさながら波紋が広がるように、上品かつ密やかなざわめきに包まれていった。


「おお、あの令嬢が『精霊の愛娘』か……! 噂通り、何と可憐で美しい」

「確か、ファーロン男爵の一人娘でキャロライン嬢といったか。あの男爵家そのものには何の旨味もないが、令嬢が『愛娘』ならばそれだけで価値が見込めるというもの。彼女の『伴侶』と認められる機会は逃せぬな。すぐにでも息子との縁談を持ちかけねば……!」

「くっ、我が家には年回りの合う息子がいない。どうすれば……いっそ妻と離縁して、キャロライン嬢を私の後添いに……」

「まああなた、今度はまた何を企んでいらっしゃるのかしら?」

「うわあ!? お、お前、いつからそこに……!」


 ざわめきの実態の大半は、間違っても上品などと言えるものではないが、縁談の絡む社交界のやりとりとなれば概ねがそんなものである。


 一方、そんなざわめきなど他人事といった風情で傍観を決め込む若者たちもまた、広間の一角に堂々と陣取っていた。

 人数にすれば五人と少ないが、いずれも日々キャロライン以上に周囲の目を注がれている面々である。

 エイザール王国における筆頭貴族、ティルフォード公爵家の嫡男フランシスと、その妻である『紅薔薇姫』アデリーナ。

 アデリーナの双子の兄にして筆頭侯爵オルテンシア家の嫡男ラウルと、『白薔薇姫』と称される三女セレスティーナ。なお、現王太子妃で『白百合姫』の二つ名を持つカトリーナが長子であり、アデリーナは次女である。

 そして最後の一人、セレスティーナの婚約者であり、大陸最大の版図(はんと)を誇るクランダル帝国の第二皇子エルトリードは、現状独身で婚約者もいないラウルをも凌ぐ最高の花婿候補であり、高位の貴族令嬢の中には、側妃狙いに留まらず、彼の正妃の座を目指してセレスティーナを押し退けようと企む者もいるという。

 もっとも、企むだけならばともかく、うっかり実行に移そうものなら、エルトリードとラウルのみならず、姉たちとその伴侶も巻き込んだ最強の布陣による報復が待っているだけなのだが。


 そんな彼らの恐ろしさを知ってか知らずか──まあ間違いなく知らないだろう──、噂の的である令嬢の父親は、王族への挨拶を終えるや否や、娘を連れてほぼ真っ直ぐに彼らのもとへとやってきた。

 その顔には満面の笑みが浮かんでおり、明らかに怯む──と言うより怯えている娘の様子とは対照的である。


「お目にかかれて光栄の極みでございます、エルトリード皇子殿下。私は男爵位を賜り、ファーロン地方を治めておりますクラウス・ファーロンと申します。こちらは娘の──」

「セレナ。エイザールの作法では、身分の低い者から高い者へと声をかけても構わないのだったか?」


 流れるような口上を華麗に無視して、帝国の皇子は自らの婚約者へと問いかける。


「いいえ。わたくしの記憶違いでなけれぱ、建国よりの三百年、そのような変更は一度もされていないはずですわ」


 透き通るような美しさを宿しながら、同時に聞く者の心を虜にするほど甘く優しい声音で言うセレスティーナは、『白薔薇姫』の名にはあまりにもそぐわない、分厚く大きな眼鏡をくいっと手で直した。……他でもないこの眼鏡が、エルトリードを狙う令嬢やその親たちに、付け入る隙があると思われてしまう大きな要因なのだが、ある時から彼女はそれを着けたきり、人前で素顔を晒すことはほぼなくなってしまっていた。

 無論、れっきとした理由はある。


「今更ですがエルトリード殿下。いくら他の男に婚約者の素顔を見せたくないからと言って、ここまであからさまに見目のよろしくない眼鏡をプレゼントするというのは、流石に如何なものかと存じますよ? せっかくの義妹の可愛らしくも麗しい姿が台無しになるばかりか、逆方向に悪目立ちしてしまっているではありませんか」

「全くですわ。セレスの美しさは、隠すものではなく皆で愛でるものだと存じましてよ、殿下」

「フランシスお義兄様、アデルお姉様。お気持ちは嬉しいですけれど、わたくしは案外、これも気楽なので気に入っておりますのよ。わたくしの視界も微妙に遮られるのが、少々鬱陶しくはありますけれども」

「お前もなかなか容赦がないな、セレス。流石、美しくとも実はしっかり棘がある『白薔薇姫』。エルト殿下、どうせご卒業と婚儀まではあと半年もないのですから、素顔のセレスとダンスをなさる楽しさを、気楽な学生のうちに存分に堪能されては如何ですか?」

「……俺に味方はいないのか?」


 婚約者と年長の友人たちの四人がかりで眼鏡の件をつつかれ、すっかり不貞腐れるエルトリードだったが。


「とんでもない。ですが我々にとってはやはり、セレスは可愛い妹ですのでね」

「エルト様がわたくしを想ってくださるのはよく分かっておりますわ。でも、他のご令嬢の皆様がエルト様のお顔を好きなだけ拝見できますのに、婚約者であるわたくしにだけ眼鏡越しで我慢しろだなんて、あまりにも寂しすぎます。エスコートしていただく時だけでも、眼鏡を外すことをお許しいただけませんか?」

「セレナ……君たち兄妹が総がかりで説得できなかった相手など、きっと今まで存在しないのだろうな?」

「あら、いいえ。六年と半年ほど前のことになりますけれど、王太子殿下は学園を卒業なさってすぐ、わたくしたちの説得など歯牙にもかけずに、入れ違いで入学予定だったカトルお姉様を実に鮮やかな手際でさらい、純白のドレスを着せて王宮の礼拝堂までお連れになりましたわ」

「……それは強硬手段であって、説得以前の問題という気がするぞ。リースレイドの気持ちはわからなくもないが」


 母方の従兄でもある王太子にちらりと目をやれば、最愛の妃と並び立っているリースレイドもこちらを見ており、いつもの食えない笑顔でひらひらと手を振ってくる。


 実のところエイザール王家には、『精霊の愛娘』が生まれる可能性の高い百年周期に合わせ、若き国王や王太子は、一定年齢(二十五歳が目処)になるまで明確な伴侶や婚約者を決めずにおく慣例がある。これは、もしも彼らが『愛娘』の『運命の伴侶』だった場合、有力な婚約者や妃が別に存在していると、『愛娘』も含めた彼女たちの扱いが非常に厄介なことになるので、混乱を防ぐ為の措置である。実際にちょうど百年前、現王と同じ名を持つアルベルト一世の身にその厄介事が起きており、それを教訓として出来たものでもあった。

 無論、その代における『愛娘』の『伴侶』が判明した時点で、制限は即座に解除される。なお、それ以外の王族であれば婚約解消にもさほどの手間はかからず、仮に離婚となっても国家元首のそれと比べればそう重要な事態にもならないので、他の貴族同様に慣例は適用されない。いずれも当人たちの意思について考慮されていないのが問題ではあるものの、極論すれば男性が『愛娘』に一目惚れをしなければ済む話なので、現状はさほどの問題にはなっていない。

 ちなみに、現在ちょうど二十五歳のリースレイドはまさに慣例に従うべき存在だったのだが、彼は十年前に十二歳で社交デビューしたカトリーナを一目で見初めてからというもの、ありとあらゆる手段を使って彼女を自分の婚約者とし、果てはセレスティーナが口にしたような暴走一歩手前のやり方で早々と妃に迎えたのだった。『愛娘』に関わる王家の慣例など完全無視で、十六歳という女性の婚姻可能年齢も、カトリーナの誕生日が年度始めの数日後だったおかげで、日程の都合上、本当にぎりぎりのところで遵守できたに過ぎないのだから、まあ恐ろしいほどの惚れ込みぶりと言えた。

 もっとも、如何に王太子と言えどもこれだけのことが許されたのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことが大きかったのだが。


 そんな裏話はともかく、エルトリードにとって今問題なのは、セレスティーナの眼鏡の扱いである。

 確かに帝国皇子たる彼といる時であれば、眼鏡の有無に関わらず、セレスティーナに命知らずにも近付こうとする男はいない。なかなか聞けない婚約者の他愛ないおねだりくらいは、叶えてやるのが甲斐性というものだろう。

 そう決めたエルトリードは、手を伸ばしてセレスティーナの顔から不恰好な眼鏡を外し、自らの胸ポケットへ収める。

 ほう……と、一斉にこぼれる感嘆の吐息は聞き流し、エルトリードは愛情に満ち溢れた若草色の瞳を見つめ、対婚約者限定の柔らかな微笑みを浮かべてこう尋ねた。


「愛しのセレナ。私と踊っていただけますか?」

「喜んでお受けいたしますわ、エルト様」


 東方特有の漆黒の髪と、シャンデリアの光に煌めくプラチナブロンドが、寄り添って広間の中央へと進み出ていく。

 恋人たちの仲睦まじい光景に誰もが目を奪われる中、同じく見とれていたキャロラインに、横からそっと手が差し伸べられた。


「ファーロン男爵令嬢。よろしければ、ダンスのお相手を願えますか?」

「え……は、はい。喜んで……!」


 見上げれば、双子の妹と同じ鮮やかな赤毛に、ルビーを思わせる情熱的な瞳を輝かせたオルテンシア家嫡男が、蕩けるように甘く微笑んでキャロラインを見ている。

 国内でも指折りの美青年と踊れる喜びよりも、父親の側を離れられる嬉しさから、キャロラインは感謝の笑みを浮かべてラウルに自分の手を委ねた。


「あ、キャロライン……!」

「まあ、無粋ですわよ、ファーロン男爵。ご息女とは言え、ダンスのお誘いを受けた令嬢を呼び止めようとなさるだなんて。確かに、愛娘のお相手としては、我が兄が相手ではご不満なのは分かりますけれど?」

「えっ、あ、いや! そんなことは決して!」


 アデリーナに牽制されるうちにダンスが始まり、ラウルとキャロラインは、ホールの中央からは少し外れているものの十分に目立つ場所で、昔からのパートナーのごとく息ぴったりに踊り始めた。


「ほう、これはこれは。ラウルが本気を出しても問題のない身のこなしを披露できる令嬢などそういないと言うのに、キャロライン嬢は大した女性だ。貴方も父親として誇らしいでしょう、男爵」

「ええ、それはもう! あれの母は既に亡いのですが、私のような男の娘としては勿体ないほど、美しく立派に育ってくれました」

「そのようですね。……だが、疑問で仕方がない。それほどに見事に育て上げたはずの令嬢を、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……は……な、何を仰いますか、ティルフォード卿! そんな、虚偽などと人聞きの悪い……! かの『精霊の愛娘』たるキャロラインに対してそのような……!」

「男爵、顔色がよろしくありませんわね? 汗もひどいご様子でしてよ。開き直るのであれば、顔や態度には極力出さないようになさいませんと」


 くすくすと美しく微笑む『紅薔薇姫』の隣で、その夫にして次期ティルフォード公爵たる青年は、傍目には余裕綽々の表情で追撃を加える。ただ一人、近くにいる男爵には、若夫婦の目には容赦の色など全く宿っていないことが、嫌でも理解できてしまったが。


「こう言えば理解していただけるかな? 当代の『愛娘』誕生より十七年が経ったが、オルテンシアとティルフォードの両家は、『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、それは王家にも間を置かず奏上済みであると」

「!? な──それ、は──!」


 ファーロン男爵の顔が紙のように白くなった。

 だがその程度で攻撃を緩めるほど、ティルフォードやオルテンシアの教育は甘くはない。


「さて、白状してくれるかな、ファーロン男爵。わざわざエルトリード殿下にキャロライン嬢を紹介し、義妹(いもうと)を蹴落としてまで見初めていただこうとした真意を」




「おお、流石はフランシス。アデルと一緒になって、実に楽しそうに男爵を問い詰めているな。キャロライン嬢、君はそれでも平気かい?」

「その程度は自業自得ですから。大体、『愛娘』の何たるかもろくに知らず、ただ(わたし)の箔付けの為だけにその肩書を利用しようとするなど、我が父ながら、いえ父だからこそ浅はかで情けない限りですわ」


 見目麗しい異性とワルツで密着していながら、ラウルとキャロラインは、色気がないにもほどがある会話しか交わしていなかった。

 ダンスが始まってすぐ肩書詐称を打ち明けたキャロラインに、既に知っているとラウルもあっさり認め、ついでに本来の『愛娘』は他ならぬセレスティーナだとも明かしたので、二人は一瞬にして完全に打ち解けていた。キャロライン側が身分差を考慮した口調であるものの、それ以外は友人のような距離感になっている。

 もっとも、お互いに目をしっかり合わせて話をしている為、第三者からは二人が熱く見つめ合っているようにしか見えないのだが。


「なるほど。つまり男爵やファーロン家そのものには、特におかしな企みがあるわけではないということか。具体的には、君を帝国皇族に嫁がせることで、何らかの陰謀の足掛かりとするとかそういったような」

「農業以外のことには基本的に疎く不得手な父ですので、自らそのようなことを企んだりはしないかと。──ただ、だからこそ、私について余分な騙りをするなどということは、いくら良い縁談の為とは言え、父一人では絶対に考えつかないことのはずなのです」


 少なくともキャロラインにとってはそれが真実だ。信じてもらえるか不安げな彼女に、ラウルは大丈夫だと頷いてみせる。


「では、どこかの不心得者が、男爵や君を道具として利用しようとしている可能性が高い、ということになるか。実際にそんな気配は?」

「叔父が──亡き母の異母弟ですけれど、恥ずかしながら賭け事に目がなく、年中お金に困っているような男なのです。無駄な小賢しさだけはあるせいか、これまでは無事に生き延びてこられたようですが、流石に運も尽きてきたようで。我が家は金銭的にはさほど豊かではなくとも、食糧に困ることだけはないので、これまでも(それ)を目当てに、叔父はよく顔を出していました。ですが今年になって、その頻度が極端なほど上がり、今では領地に叔父が住み着いたかと思うほどで……」

「確か、君が『愛娘』だという噂が流れ始めたのも今年の春からだったね。その叔父も道具の一人なのだろうが、きちんと調べなくてはいけないだろうな。……とは言え、ファーロン領は間違いなく、余所者が入り込めばすぐにそれと分かる土地柄だね?」

「はい。特に身分の高い御方や、王都周辺にお住まいの皆様は簡単に判別されてしまうかと……」

「ふむ。ならばいっそ、逆に盛大に人目を引いてしまう方がいいか。すまないがキャロライン嬢、君にも全面的に協力を仰ぐ必要が出てきた」

「はい、何なりと喜んでお引き受けいたします。父やファーロン領を守る為でしたら」

「ありがとう。では早速、少し目立ってもらうよ」


 ラウルが言い終えたそのタイミングで、ちょうど曲の演奏が終わった。

 それぞれ、男性が女性をエスコートして場を離れていく中、ラウルは動き出す様子はなく、自然とキャロラインもそのままでいることになる。

 こちらは続けて踊るつもりらしいエルトリードとセレスティーナは、相変わらず中央に陣取っており、同じく残っているように見えるラウルたちへ確認するように視線を寄越した。

 そちらにこっそりと合図してから、ラウルはそっとキャロラインの手を持ち上げ、白い手袋越しにこの上なく優雅に口づけた。

 ──途端。


 カッ! と目映く神々しい光が、一瞬にしてキャロラインを中心に発生した。


「え──!?」


 予測すら出来ない事態に思わず声を上げた彼女から、じわじわと光が引いていく。

 ──正確には、その光は繋いだ手からラウルへと伝わり、ほどなく二人を包むように瞬いて消えていった。


 あまりのことに呆然とする一同の中、楽しげに声を発したのは王太子リースレイド。


「これは──『運命の伴侶』の証、かな?」

「おお……! では我が息子ラウルが、『愛娘』の『伴侶』と認められたと! 何とめでたく誇らしい!」

「おめでとう、ラウル殿。我が家に嫁いでくださった妹君ともども、末永い幸福をお祝いさせていただこう」

「ありがとうございます、ティルフォード公爵。それはそれとして大変申し訳ありませんが、我が父のはしゃぎぶりに歯止めをかけていただければ、この上なくありがたく存じます」

「うむ、そうだな。アドルフ、嫡男の未来の妻が決まり喜ぶ気持ちはよく分かるが、今はそのくらいにしておけ。ここは王宮なのだから、騒ぐのならせめて帰宅してからにすべきだろう」

「……まあ確かに、場所柄は考えるべきだな。陛下、王太子殿下。妃殿下がたも、大変お見苦しいところをお見せいたしました」

「いや。普段は何が起ころうとも冷静沈着なオルテンシア侯が、子供のことでは羽目を外すこともあるのかと、私としてはなかなかに興味深く見させてもらったよ。カトリーナは、父親のこんな側面は知っていたかい?」

「ええ、まあ……少々どころでなく落差が激しいので、娘としては些か居たたまれなくなることもありますけれど」


 夫の問いに苦笑する王太子妃は、それでもやはり『白百合姫』の名に相応しく、しっとりと香り立つように上品で美しい。


 ──このやりとりだけを見るならば、参加した全員が、キャロラインが『精霊の愛娘』ではないことを知っているなどとは夢にも思わないだろう。

 当のキャロラインは目を白黒させていたが、はっとしてセレスティーナを振り向いた。

 実兄を偽の『愛娘』の『伴侶』に仕立て上げる演出をした張本人は、にっこりと笑顔で祝福の意を伝えてみせる。

 ……どうやらキャロラインは、完全にラウルに捕まってしまうであろう自らの未来について、全く考えが及んでいないようだった。


「……やれやれ。やはりオルテンシア家は、敵にだけは回したくないものだな」


 しみじみと言った帝国の皇子は、そう遠くないうちに義理の姉となるに違いない男爵令嬢に向け、内心でそっと手を合わせたのだった。




 エイザール王国史の研究者の頭を悩ませるものとして、筆頭に挙がるのが、「『精霊の愛娘』が同時期に二人いた」という唯一の事例を示す記録である。

 建国より三百年後、アルベルト二世の治世でのこと。王宮舞踏会にて、後のオルテンシア侯爵となるラウル・オルテンシアが、『精霊の愛娘』にして後の侯爵夫人であるキャロライン・ファーロンと出会い、国中の貴族の眼前で『運命の伴侶』たる証明がされたということは数々の史料に記されており、その信憑性は疑いの余地がないほどに高い。

 一方、同時代のクランダル帝国史にも『愛娘』の存在が明記されているが、こちらはキャロラインの義妹、ラウルの末の妹であり第二皇子エルトリードに嫁いだセレスティーナ・オルテンシアを指している。


 当時の帝国において、エルトリードと皇太子アリスティードは仲の良い兄弟として知られていたが、それぞれを次期皇帝として推す派閥争いの激化に伴い、皇宮内は荒れに荒れていた。

 皇子二人の母である皇后はエイザール王家より嫁いだ身であり、皇位争いから逃れる為に母の母国へ留学したエルトリードはその年、王太子の第二子誕生を祝う夜会でセレスティーナと出会っている。

 彼の卒業とともに帝国へ嫁いだセレスティーナは、その類希なる力を以て、皇太子の即位までの一年間、夫とともに互いの命を何の危なげもなく守り抜いたという。

 その後のエルトリードは、新皇帝より大公位を与えられ、大公妃となった妻と二人、何の未練もなく皇都を離れた。広大な領地を無難に治めつつ平穏に暮らし、多くの子や孫に囲まれて幸せな生涯を送ったとされる。後に、アリスティードの血を継ぐ唯一の孫が流行り病で若くして世を去り、あわや皇帝の座が空位になりかねなかったところ、大公家からエルトリードとセレスティーナの孫息子の一人が迎えられて皇位を継ぎ、その血は現在まで連綿と受け継がれている。


 二人の『精霊の愛娘』の話に戻れば、結婚前にエイザール国内で『愛娘』と認識されたキャロラインと、帝国に嫁いでからその力を発揮しているセレスティーナ、どちらが真の『愛娘』かという議論は絶えない。

 夫との出会い以外では『愛娘』らしい明確な振る舞いがないとして、キャロラインを偽者とする論もあれば、『愛娘』について何処よりも詳しいエイザールが認めたキャロラインと、大国と言えども『愛娘』についての知識は格段に劣る帝国が称したに過ぎないセレスティーナでは、信憑性の違いは明らかだとして、セレスティーナが偽者であると断ずる声も根強い。

 ただ現在における最有力の説は、一介の男爵令嬢に過ぎない立場では次期侯爵夫人となるには心許ないとして、キャロラインに箔を付けて兄の想いを叶える為に、『愛娘』たるセレスティーナがキャロラインに自らの力を貸したという見方である。これは、生まれ落ちた瞬間から筆頭侯爵令嬢で、かつ美貌の持ち主でもあるセレスティーナは、国内外の何処へ嫁ぐにも何ら支障ない立場である為、仮に『愛娘』ではなかった場合でも、あえて偽の要素を無駄に盛る必要性そのものがないはずだとの論を根拠としている。

 また別の要素として、当時の皇太子派閥でも過激派に属する帝国民がエルトリードを始末すべく、ファーロン領で農民として生活しながら、彼の留学当初から暗殺の機会を窺っていたという事実がある。オルテンシアとティルフォードによって排除された彼らについて、何らかの手段で突き止めた両家が、大っぴらにファーロン領へ出入りする為に手っ取り早くラウルとキャロラインの婚約を成立させてしまおうと、セレスティーナの『愛娘』としての力を利用したと結論付けた説があるが、流石にこじつけめいている為に積極的に支持する声は皆無に近い。


 このように、個々の切り口の違いはあれ、セレスティーナが本物の『愛娘』であるという学説が、現在では大勢を占めている。

 もっとも、『愛娘』であるか否かに関わらず、キャロラインとセレスティーナの二人はともに、望まれた結婚をして幸福な人生を過ごしたとされている。

 取り分けキャロラインは、オルテンシア家代々の当主夫妻が描かれた肖像画で、最も美しく満ち足りた微笑みを浮かべた姿が後世に伝えられている。




一話6000字程度で収める予定が、どんどん長くなっていく……まあ今回に関しては、無駄に濃いキャラを出しすぎというのもありますが。特に王太子とか。


ティルフォード家とオルテンシア家の仲の良い様子が書きたかったのと、「長い歴史の中、『愛娘』を騙る偽者の一人や二人はいるよね」という思い付きからできた話です。……が、何だか思っていたのと違う出来に。主にセレスティーナの兄たち(義理含め)が出張りすぎたせいですけどね、ええ。

お陰でエルトリードの影が薄い薄い。多少独占欲が強いだけで、一番真っ当なキャラのはずなのに。ルドルフといいレイドリックといい、何故私の書く第二王子(皇子)はこうも存在感が微妙なのか……

いずれキャラの立った第二王子を、きっちり書いてみたいと思います(そこかい)


本文中にあったアルベルト一世とその周辺の話は、ちまちま書き進めています。……が、これがまた長くなりそうなんですけどね……

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