眠り姫の縁談
ヒーローの年齢が高め(二十代後半)で、ヒロインと年の差があります。苦手な方はご注意を。
今日も今日とて、エイザール王家に降るように持ち込まれる縁談。
既に降嫁済みの第一王女を除く三人の王子王女のうち、周辺諸国から一番の目玉とされているのが、第二王女ブランシュ──他でもない『精霊の愛娘』である、十九歳になったばかりの少女だった。
少女とは言ったものの、通常ならば姉同様に嫁いでいるべき年齢なのだが、ブランシュの『運命の伴侶』は未だに見つかっていないため、王立学園卒業直後の令嬢たちに必ず発生する結婚ラッシュからは、幸か不幸か外れてしまっていた。
前例からしても、大抵の『愛娘』は十八歳までには『運命の伴侶』を見つけているのに、ブランシュは数少ない例外らしい。
もっとも、『運命の伴侶』は必ずしもエイザール国内にのみ存在するわけではない。過去には他国から留学してきた王族や貴族が『伴侶』と認められたこともあるし、そもそも『伴侶』が同年代でなければ出会う確率もぐっと下がる。まして王女という、社交に出る場を選ぶ立場にあるブランシュならば尚更だ。
そういうわけで、家族もさほど悲観することなく、以前と変わらずブランシュへの縁談を受け付けてはいるのだが──
「む?」
「如何なさいましたか、父上」
厳選された求婚者たちの身上調査書(*暗部作成)を整理していた、ブランシュよりも二つ年下の王太子が、唸るような声を上げた父王に声をかけた。
ちなみに彼は先日、麗しの辺境伯令嬢との婚約破棄の危機を危うく乗り越えたばかりで、現在は学園で婚約者といちゃいちゃするのに忙しい日々を送っていたのだが、「姉のために少しは手伝え」と両親から強制的に王宮へ召還されたのだった。まあ、王太子としては、婚約者とは別枠でブランシュも最愛の姉ではあるので、さほど渋ることもなくこの場にいる。その婚約者も今は別室でお茶を入れてくれていることだし。
「いや、この調査書なのだがな。以前に間違いなく弾いた覚えのあるものなのに、何故か最終候補の中に紛れ込んでおったのだ」
「姉上に関することだけに、単なるミスや悪戯とも考えにくいですね。……シルヴィ、これは精霊たちの仕業かい?」
王太子が自らを守護する存在に声をかけると、少女の姿をした風の精霊が姿を現し、にこにこと満面の笑みで肯定した。
《そうよ~。その子がブランシュの『運命の伴侶』だもの。一度彼女に会わせてみれば分かるわ~》
「そうなのか。父上、僕にも見せてください」
とてつもなく渋い顔をした父から報告書を受け取り、目を通して──王太子は、父王以上に盛大に顔を歪めた。
「……シルヴィ。本気かい? この男──アルバの王マリクは、三十人もの側室がいるハレムの主じゃないか」
《あれ~? その側室たちは確か、全員が元々は彼の兄の妻たちで、帰る家がなかったり体を壊したりのせいで、ただハレムに住んでいるだけの人がほとんどのはずよ~。中には名目だけの夫を好いてる人もいるけど~》
「まあ確かに、そう書いてはあるけど……その『好いてる人』が十人近くもいるのは、流石に引っかかるよ。大半がアルバの大貴族の令嬢だし」
《そうかな~? アルバみたいな砂漠だらけの、日々自然の脅威を実感してる国なら、『精霊の愛娘』をむやみに蔑ろになんてできるはずないよ~。そんなことしたらそれこそ国全体が、水不足で大変なことになるでしょう?》
「「…………」」
思わず沈黙する王と王太子。
時として、精霊とは人間よりも悪辣ではないかと思うことがあるが、今がまさにそんな時だった。いくら国王やその周辺に問題があっても、国民たちまでその巻き添えをくらうのは夢見が悪すぎる。
「……シルヴィよ、一つ確認させてもらえるか? かの王がブランシュを求めるのは、やはり国土改善のために『愛娘』の力を求めてのことか?」
《それもあるでしょうね~。でもあの子、昔ブランシュとお互いに一目惚れしてるから~》
「何ぃ!?」
「……ん? 姉上が一目惚れ、って……」
溺愛する娘に関する予想もしない情報を聞かされ、身も世もない絶望の表情を浮かべる国王の脇で、心当たりのあるらしい王太子は記憶を引っ張り出すように沈思し始めた。
二週間後、顔合わせの場が設けられた日。ブランシュに会う前の父王への謁見を控え、貴賓用の応接室に通されたマリク国王の顔を見に、王太子は先んじて挨拶をしに行った。
「初めまして、アルバ王国マリク国王陛下。私はエイザール王太子クリスファンと申します」
「おお、久しいなクリス! あれからもう十年になるか、大きくなったな! 流石にあの時に宣言した通り、俺の背丈を越すほどには背は伸びなかったようだが」
「……リック様、髪が乱れるのでやめてください! 国王なんて地位にお就きになったのなら、少しはそれらしくなさったらどうですか!」
剣だこのある大きな手でわしわしと頭を撫でられ、姉はいても兄のいない王太子は、懐かしさと嬉しさに少しばかりの感動を覚えながらも、未来の義兄へ叱責を飛ばす。
だがその程度、マリクは──十年前はリック・ベルトランの名で王立学園に在籍していた男は、からからと笑って受け流してしまう。
「あのやんちゃ坊主が、実に王太子らしくなったものだ。十年前は護衛を撒いて学園内を探検した挙げ句に迷子になって、『ちちうえ~、ははうえ~、あねうえ~、どこ~?』と半泣きでふらふらと──」
「わーっ! ストップ、黙ってください!」
忘れたい黒歴史を赤裸々に暴露されたクリスは、王太子としての外面をかなぐり捨てて大声を上げ、自分より頭半分以上も上背のある男の口を両手で塞いだ。
そのあまりにもらしくない様子に護衛たちが目を丸くしているが、そんなものは今は知ったことではないのである。
「もがっががが、ががれ。むぐぎい(分かったから、離せ。苦しい)」
「……鼻は塞いでいませんよ」
やや呆れながらもクリスが手を離すと、十年前よりも更に精悍さを増した顔ににやりと男らしい笑みが浮かんだ。……迷子になったクリスを保護してくれた時と、両親と姉たちのもとへ送り届けてくれた時に見た、頼もしすぎる表情が蘇る。
マリクは元いた場所に座り直して長い脚を組み、余裕たっぷりにこう尋ねてきた。
「その様子だと、『アルバ国王マリク』と『リック・ベルトラン』が同一人物だというのは既に知っていたようだな。いつから気づいた?」
「……恥ずかしながら二週間前、『マリク国王』が姉の一目惚れした相手だと、精霊に聞いてからのことです」
「ほう。まあ、過去の詳細まで徹底的に探るとしたら、身分や地位、素行の点で選抜されて残った、数人の最終候補までがせいぜいだろうからな。それ以上となると、いくら何でも暗部の手が足らん。つまり俺は、本来ならこうして顔合わせの場など設けてもらえる立場ではなかったというわけだ」
「……返す言葉もありません」
正面に腰を下ろしたクリスはついつい小さくなってしまうが、マリクは鷹揚に右手を振る。これだけを見れば、どちらがこの城の人間なのか全く分からない。
「ああ、責めているわけじゃないから気にするな。即位前後のごたごたを片付けるのに手間取って、王としての顔をろくに各国へ売れていない俺の責任が大きいだけだ。何せ生前の異母兄の阿呆っぷりが、予想を遥かに上回っていたものだからな。詳しくは長くなるから控えるが」
「はあ……失礼ですが、その件で一つ伺っても?」
「何だ?」
「何故この度は、貴方が国王に即位なさったのですか? 遅まきながらこの二週間で調査させていただきましたが、前王には幼いながら息子も、貴方以外のご兄弟もいますよね? 息子はまあ、浪費と放蕩を極めた男の子供という点や年齢を考慮して保留にするとしても、ご兄弟の中には、国王を務めるには十分なほど聡明で実行力のある人物が、貴方以外にも二、三人はいると思えてならなくて」
本音を口にすれば、黒曜石を思わせるマリクの瞳がすっと細まり、刃物のような鋭さを帯びた。
「──生まれも育ちもほぼ完全に国外で、つい一年前までは商人として身を立てていた、所詮は妾腹の王子に過ぎない男をわざわざ立てなくとも、という意味か?」
「──有り体に言ってしまえば、そうです。王族たる責任感が、貴方の生きているご兄弟には欠けすぎている気がしてなりません」
そこのところがどうしても理解できず許容もできないクリスは、一回り近く年上の男と対等の意思を以て睨み合う。
先ほど言ったようにクリスに兄はいないが、もし仮にいたとしての話。彼が即位後に王として目も当てられない振る舞いをし、愚かな政策を乱発して民を虐げていたのなら、問答無用で──無論、様々な段取りや根回しをした上でその座を返還させ、正当なる継承者を選び新たな王とするのが自分の役割だと思うのだ。そしてその『正当なる継承者』に値する者が自分であるというならば、すすんでその役割を担うことを選ぶと断言できる。それが国民全てに対しての、王族たる者の義務だからだ。
そんなクリスからしてみれば、亡き前アルバ王は勿論、マリクの異母兄弟は揃いも揃って王族失格としか思えないのである。
──応接室に満ちた息を呑むほどの緊張感は、思いの外あっさりと緩和された。
ふっ、とマリクの顔が緩む。
「──意外なところを責めてきたな。てっきり俺の血筋や以前の暮らし向きが、国王として相応しくないと言い出すのかと思っていたら」
「はい? 何故そうなるんですか。貴方は即位直後から今現在まで、アルバの民たち全ての命を背負い、彼らに対してきちんと責任を負った行いをしているでしょう。それが国王でないとしたら一体何なのです?」
「……いや、分かった。すまん、少々お前を見くびっていたようだ」
くっくっくっと自嘲気味に笑うマリクだが、クリスには全く意味がわからなかった。
しばらく時間が経ち、口元だけに笑みを残したマリクは、諭すようにこう口にした。
「クリス、骨の髄まで王族であるお前には分からんかもしれんが、生まれや血筋が王族だからと言って、必ずしも能力や心根まで王族に相応しい者ばかりではないってことだ。でなければ前王が死ぬ前に、異母兄弟の誰かがクーデターの一つも起こして、さっさと王位を簒奪していただろうよ。それが出来ないどころか企てすらしていない時点で、もう既にお察しというものだ」
「……確かに、そうでしょうけれど」
「俺が国王になったのも、言ってみれば体のいい押し付けだ。他に任せられる者がいないと、病身の先々代国王に呼びつけられてな。──実際、阿呆の極みだった前王の尻拭いなどと言う、苦労が多いだけで旨味がまるでない役目など、自分から引き受けようなどと思う奴はいない。そんな奴らの心には最早、民への義務感や責任感なんてものは存在していないのさ。──つまるところそれだけ、アルバ王家は腐りきっていたということだ。いつからなのかは知らんがな」
「──腐りきっていた、ですか。過去形ですね?」
「ああ」
にやり、と。再び不敵な笑みが、紛れもないアルバ国王たる青年の顔を彩る。
「根っこから腐りきった連中は、こちらに来る前に既に排除してきた。お前が使えると見込んだ異母兄弟たちは、王族たるメンタリティが欠けているだけで、人間としてはそう腐っているわけでもなく、能力的には申し分ない。残るは王族としての無駄なプライドだが、それはもう完膚なきまでに叩き潰してあるからな。王族籍も剥奪済みだから、奴らは適材適所で、この先いくらでもどうとでも使い倒してやるさ」
「うわあ、鬼ですね。容赦ない」
「国の立て直しなんていう、面倒極まりないことをやるからには、このくらいの大鉈は当然だろう。『文句を言われる筋合いなど俺にはない、本来なら一年以上前にお前たちがすべきことだっただろう』と言えぱ、異母兄弟やその取り巻きの貴族どもは黙るしかないからな。幸い、先々代の側近である古株連中は、あれこれ苦言は呈してくるが基本的には味方についてくれている。多少胃は痛めさせているかもしれんが」
「そこは少しは労ってさしあげるべきかと。まだ道半ばなんですから、味方は貴重ですよ」
「まあな。……で、その苦言の一つが、『さっさと後を継ぐ子を作れ』ということなんだ」
「え? でもマリク陛下には既に、数多くの側室方がいらっしゃるのでは?」
思いきりすっとぼけるクリスである。ここで、「自分が妾腹だから王女を娶って子を産ませたい」だの、「王女である上に『精霊の愛娘』であるブランシュなら、次期王位継承者の母として最高に箔が付く」などと言われようものなら、いくら姉本人が一目惚れした男とは言え、即座に話自体を撥ね付けてやるつもりだった。
のだが。
「馬鹿を言うな。世界で唯一の愛しい女を手に入れられる機会が巡ってきたのに、どれだけ掘り下げても同情しか感じない兄嫁たちのせいで不意にしてたまるか。ブランシュ本人やエイザール王家が駄目と言うならば、十日間貰えれば側室全員を追い出してハレムを廃止してやる」
「……ええと。その中には病人もいるはずでは?」
「あと一週間で最初の国営施療院が完成予定だ。今まではハレムの設備が国内で一番充実していたからそのまま治療に使っていただけで、施療院が出来れば病人はそちらに移動させることが決まっている。当然だが本人たちも了解済みだ。施療院は元から、実家のない側室たちの職場としても機能させる手筈だったからな」
「……そうですか。でも、れっきとした有力貴族出身の側室たちはどうなさるのです?」
「全員、元王族以外でそこそこの地位と身分の持ち主へ下賜することになっている。本人や親たちから多少の文句は出るだろうが、俺が『精霊の愛娘』の『運命の伴侶』と分かれば早々に引っ込むだろう」
「なるほど。──ですが、少し勿体ないと思いませんか? アルバ国内で後ろ楯を得るにはうってつけの女性たちでしょう」
「ほう。ならばクリスは、後ろ楯を得るためなら惚れてもいない女でも喜んで抱くということか。では早速、愛しの婚約者であるご令嬢にその情報を──」
「わーっ! ごめんなさいごめんなさい、もう言いません!」
本気で席を立とうとするマリクを、クリスは必死に止めにかかる。ようやく愛しい彼女との間にあった蟠りがなくなったのに、 そんな誤解を招きそうな話をされてしまっては元の木阿弥になりかねない。
相手が元通り腰を下ろしたのを見て、ほっと胸を撫で下ろす。
「うう、心臓に悪いですよ、マリク様。大体、僕と婚約者のことを何故知っているんですか?」
「商人の情報網をなめるなってことだ。ついでに、心配したブランシュからも時々相談を受けていたからな」
「……は?」
明らかにおかしな台詞を聞いて、クリスの口から間の抜けた声が漏れた。
マリクとブランシュ(とクリス)の出会いが十年前。それから二人が直接顔を合わせたなどという話は全く聞いていない。だがクリスが婚約したのは今から七年ほど前の話で、そのことをブランシュがマリクに相談していたとなると……
「もしかして、精霊を介した文通でもなさっていたとか?」
「それもある」
「も、って何ですか。他に何があるんです?」
その問いかけにマリクが口を開いた時だった。
──廊下を走る、ぱたぱたとした軽い足音が近づいてきた後、やや忙しなくドアがノックされた。
「? 誰だろう。どうぞ」
クリスが応じるのと、マリクが立ち上がったのがほぼ同時。
そして次の瞬間──
「──マリク様!」
柔らかに波打つ豊かなブロンドをふわりとなびかせ、この世のものとも思えぬほど儚げな美貌の少女が飛び込んできて、迷わずマリクの腕の中へとその身を委ねた。
「あ、姉上……!?」
あまりのことに目を白黒させるクリスの前で、『精霊の愛娘』と『運命の伴侶』は、もう離れないと宣言するようにひしと互いを抱きしめ合う。
「マリク様……! ようやくこうしてお会いできましたのね。嬉しい……! この四年間、誕生日でもお顔だけしか見られなくて、寂しかった……!」
「俺もだ。やっと直接ブランシュに触れられる……年に一度、顔を見て話すだけしか許してくれない精霊たちを、軽く恨みもしたが。すまなかったな、長いこと待たせて」
「いいんです。約束通り、迎えに来てくださったのですもの。……わたくし、きちんと大人になりましたわよね? もうマリク様のお隣に並んでもおかしくありませんでしょう?」
「当然だ。何の問題もないぞ。……正直、少し育ちすぎた気がしなくもないが」
「えっ……それは、わたくしが太っていると言うことですか!?」
「そもそも『精霊の愛娘』って必要以上に太るのか? いや、別に体重の話じゃなく。あんまり俺の理想通りに育ちすぎたから、今すぐにでも押し倒したくなるのを抑えるのに苦労してるって意味だ」
「ま、まあ……」
詳しい説明に恥じらうブランシュはこの上なく可愛らしいが、目を三角にしたその弟が、角を生やして抗議の声を上げた。
「マーリークーへーいーか! いくら婚約者同然とは言え、再会早々に姉上に寝室関連の発言を聞かせないでください!」
「おお、すまん。何せ俺は根が平民だから許せ」
「平民男性の誰もが、人前で恋人相手にそういった発言をするわけではないでしょう! 勝手な風評を広めないでください」
「ち、気づいたか」
「当然です! 僕にだって平民の友人はいるんですよ。そのうちの一人には卒業後、恋人と一緒に僕たち夫婦の警護騎士をしてもらうことになっているんですから」
「ほう、それは面白い人選だな。いずれ会える日が楽しみだ」
「二人ともとてもいい子ですのよ。お忍びに同行してくれた時には、明らかに暴利な値で細工物を売り付けられるところだったクリスを止めてくれましたし」
「姉上! これ以上、僕の弱みをマリク様に明かさないでください!」
「うーむ、それは流石に少々心配になるな。よし、クリスには近いうちに、市場での作法を叩き込んでやる。アルバでの婚儀にも出席するだろうから、その時に時間を作ってやろう」
「う……それは、正直とても興味深いですけど。と言うか、近く婚儀を迎えること確定ですか? 父上は姉上を溺愛していますから、すぐには難しいと思いますが」
懸案事項を口にするものの、ブランシュの腰を抱くマリクの余裕はちっとも揺るがない。
「溺愛しているからこそ、ブランシュの頼みは聞いてくれそうだがな。それに幸い、王妃様は俺の味方をしてくれるそうだから心配ないだろう」
「は!? ちょっと待ってください、いつの間に母上に接触なさったんですか!」
「勿論、元第一王女経由でだ。彼女の降嫁した侯爵家が俺の商会の得意客だったのと、王女が十年前のことを覚えていてくれたのが大きい。夫の侯爵は学園時代からの友人でもあるから、妻へのプレゼントとしてアルバ特産の最高級エメラルドを格安提供する条件付きで、あれこれと協力してもらった」
「な、な、な……あの義兄上まで取り込み済みとか……!」
頭を抱えるクリスの背を、男らしい大きな手がぽんぽん叩いてやる。
「まあ、あいつは味方にすると頼もしいが、絶対に敵には回したくない男だものな。うっかり見放されないよう頑張れよ、クリスファン王太子」
「他人事だと思って……! ブランシュ姉上と結婚したら、がっつり義兄として頼らせていただきますから覚悟してくださいよ、マリク国王陛下!」
「それはこちらも願ったりだ。是非ともよろしく頼む。……さて、そろそろ時間か」
と、柱時計を見やるマリクの服の胸元を、白い繊手が注意を引くために引っ張る。
「ん? どうした、ブランシュ」
「あの……まだ、してくださらないのですか? わたくし、そろそろ眠気が……」
恥ずかしそうに頬を染めた最愛の女性からの拙いおねだりに、しかし彼は今だけは応えてやれない理由があった。
「ああ、もう限界か。悪いが、『伴侶』の証明のために謁見の最中に起こすことになるだろうから、眠ってくれて構わないぞ。俺が抱いて運ぶから心配しなくていい」
「……やはりそうなるのですね」
「父親の前ではやっぱり嫌か?」
「いいえ、結婚式の予行演習とでも思えばさほど……ただ、マリク様には出来ることなら、わたくしの意識がきちんとある状態でキスしていただきたかったのです」
「…………」
「……マリク様?」
「いや、何でもない。陛下を説得した後でなら、いつでもいくらでもキスできるから、もう少しだけ我慢してくれ」
「はい、分かりました」
素直に頷くブランシュと、見事に真顔になってしまったマリクの様子に、見ていたクリスはほんの少しばかり、未来の義兄を気の毒に思ったのだった。
エイザールの長い歴史の中でも、王女の身で『精霊の愛娘』となったのは、セドリック四世の次女にしてクリスファン一世の姉姫ブランシュのみである。
彼女の足跡は母国エイザールよりも、嫁ぎ先である東国アルバにはっきりと残る。アルバは当時、愚王ザフィルにより国の体を成さなくなる一歩手前まで追い込まれていた。長年の放蕩が祟り、三十二歳の若さでザフィルが生涯を終えた後、『第二の建国王』と謳われる異母弟マリクが即位する。『運命の伴侶』でもあった彼のもとへブランシュが嫁いだのはその翌年である。
マリクの生い立ちは少々特殊で、母親は父王が王太子時代に手をつけた侍女だった。未婚のまま身籠ったことで実家を勘当された彼女は、国を出てエイザールに流れ着き息子を産んだ。成長したマリクの顔立ちは父親に生き写しで、王立学園に在籍中の彼を、留学してきた異母弟の一人が見かけて驚愕したほどだという。それをきっかけに内々に王子として認知されたマリクだが、既に傾きかけていたアルバには帰らず、学園卒業後は商人として身を立て、二十代半ばで大陸に名を轟かせる商会を率いるまでになった。
即位後のマリクは辣腕を振るい、たった二年で国の立て直しを見事に成功させた。アルバの再建には彼の私的財産も注ぎ込まれ、一説にその額はアルバの国家予算三年分に相当するとも言われる。
そもそも彼が何を目的としてそこまでの額を稼いだのかについては諸説あるが、やはり母国を救うためというものが根強い。ただ、近年提唱されている説として、母国を救うことだけが目的ではなく、のちの王妃ブランシュと結ばれるための手段でもあったとしているものがある。
『愛娘』と『伴侶』の関係性を重視したそれは、学生時代にマリクとブランシュが何らかの接点を持った可能性を提示し、同時期に彼自身が王族として認められたことから、マリクは斜陽の途にあったアルバを救えるだけの財を稼ぎ、その功績と血筋を以て母国で相応の爵位を得た後、将来的にエイザール王女を娶ろうと目論んだのではないかとしている。
実のところこの説は、ブランシュとクリスファンの姉、オルテンシア侯爵夫人アリアナが、妹の結婚に際して日記に記した内容を下敷きとしたものであるが、日記自体は確かに貴重な史料ではあるものの、この件に関してはあくまでもアリアナとその夫の推測となっており、明確な根拠には欠けるため、学説としてはあまり有力視はされていない。
マリクの思惑はさておき、彼がアルバ王国の再建と発展に生涯を捧げたのは紛れもない事実であり、王妃となったブランシュも同様だった。新婚旅行を兼ねた国内視察で、ブランシュは各地で精霊に祈りを捧げ、王国全土に恵みの雨をもたらした。やがてアルバには緑が広がり、国土の半分を占めていた砂漠は大幅に面積を減じたと記録に残されている。
その功績から、ブランシュは『奇跡の王妃』『救国の巫女姫』と呼ばれ、夫マリクとともに王国史上最高の国王夫妻と讃えられた。
『第二の建国王』マリクと、その唯一たる『奇跡の王妃』ブランシュ。その名は血筋とともに現在まで絶えることなく、アルバ王国史に燦然と輝いている。
「しかし、当時九歳の女の子に一目惚れした十八歳の男って、おかしな趣味を疑われかねないと思うんですけど……あと確認ですが、十年間ずっと一切の女性と関係を持っていなかったりします?」
「あのな、俺を何だと思ってるんだ、クリス。俺の女性関係については、詳しくはオルテンシア侯に聞いてみろ。間違いなくあれこれと赤裸々に話してくれる」
「はあ……それはそれで、聞きたいような聞きたくないような。まあ、現在とこれから先を姉上一筋でいてくだされば、僕としては何の文句もありませんが」
「そこは保証するから安心してくれ。ついでに、精霊たちもお前と同じ意見だとは言っておく」
「……分かりました(つまり、それなりに発散はしていたんだな)」
以上、男同士の会話。マリクも健康的な男なのです、はい。
まあ、即位が決まってからは忙しすぎてそんな暇はありませんでしたけどね。ブランシュを娶る算段を立ててもいたので尚更。
あと、ブランシュの言っていた四年前のエピソードについては、シリーズ番外編のまとめを別に作って、そちらで書ければと思っております。オルテンシア侯爵夫妻(当時は結婚前だけど)が出張りそうな気配がひしひしとしますが。




