眠り姫の出会いとその後〜依頼と襲撃・1
結局、皇帝との面会日は予定よりも数日ずれ込むことになった。
その当日、オルファからもらった召喚状を手に、皇宮を訪れたヴァイスとイリーゼだが、顔馴染みのヴァイスはともかく、初対面かつ顔を隠したイリーゼは、生真面目そうな門番の青年に死ぬほど胡散臭いという顔で見られてしまった。いつものことだし、無理もない反応ではあるが。
「……ヴァイス様。そちらの御方がかの『愛娘』様なのは、冒険者パスにより証明済みですが……まさか顔を隠されたまま、陛下に拝謁されるおつもりで?」
「できればそうしたいところだが、ま、無理だろうな。あの陛下は、隠されてるものがあれば嬉々として暴きたがるタイプだから」
「いえ、そういう意味ではなく……」
「無礼だとかそちらの意味でしょう? 心配しなくとも、それくらいのことは私も承知しています。それでも、できる限り長く顔を晒さずにおきたいので」
「そうですか……ですが失礼ながら、精霊による絶対の守護をお持ちの『愛娘』様が、お顔に傷がつくような事態に陥るとは考えにくいですよね」
やはり疑わしげな門番に、ヴァイスは手をひらひら振って誤解を正す。
「逆だ逆。イリーゼは美人だからな。つい最近も、うっかり顔を見た宰相家三男が、そりゃもうとにかくしつこいしウザいし美辞麗句のオンパレードが止まらないしで。宰相閣下が止めるのがもう少し遅かったら、窓から放り出してやろうかと思ったくらいだ」
「いえあの、それは流石に問題が」
「だろ? 別にイリーゼも俺も、皇宮内で無駄な騒ぎを起こしたいわけじゃない。そのための自衛策って奴だ」
「はあ……そういうことでしたら」
ということで通してもらい、公には使用されない小規模の謁見室に通される。
召喚してきた当人の姿はなく、選び抜かれた精鋭とおぼしき数人の騎士たちが非友好的な視線を寄越す中、不本意ながらもイリーゼは宣言通り、さっさとフードを脱いで素顔をさらした。
小ぶりのシャンデリアの明かりを、ハーフアップにしたアッシュブロンドが艶やかに弾き、ヴァイスに贈られたバレッタに煌めくアクアマリンと同じ瞳が、ごく無造作に室内を見渡す。
透けるような白い肌は繊細を極めた儚げな美貌に相応しく、醸し出す超然たる雰囲気はまるで、宗教画に描かれた女神──光の大精霊が顕現したかのよう。
ただその場に佇むだけで、いとも容易く騎士たち全員に息を呑ませた『精霊の愛娘』は、ほのかに色づいた花びらのごとき唇を開き、『運命の伴侶』へこう問いかけた。
「ねえヴァイス。もしかして私たち、この場で結構な時間を待たされることになるの?」
「んー、どうだかな。今回の謁見の主題は多分、イリーゼへの『皇女殿下に関する相談』とかいう代物だろうから、その緊急性と陛下の時間的余裕次第か?」
「それなんだけど、何であれあの殿下に、私がしてさしあげられることなんてあると思う? 仮にあったとしても、殿下の方が受け入れてくださる気がしないわ」
「まあな。……ただ、召喚を告げられてから十日になるが、その間に撤回や変更が何もなかった以上、殿下本人もある程度は承知してることなんだろう。それが本心からか、それとも承知させられたことなのかまでは、現時点じゃ知りようもないが」
「ならば早々に知らせておくとしようか」
豊かに響くバリトンは、さして大きな声でもないのに謁見室の隅々にまで行き渡る。
半ば惚けていた騎士たちが瞬時に我に返り、正式な礼を取る中、その場の誰よりも年長でありながら、誰より屈強な体つきの男性が、力強い足取りでゆったりと絨毯の上を進んでくる。
並んで膝をつき、顔を伏せた高ランク冒険者二人の間を、一切の躊躇なく悠然と通り抜けたのは、その身が担う絶対不可侵の立場ゆえか、自らの実力への確固たる自信によるものか、あるいはその両方か。
齢五十に手が届くとは到底思えぬ若々しさと、年齢を遥かに上回る威厳と迫力を共存させる皇帝は、悠々と玉座に腰を下ろし、付き従っていた一人娘を傍らに立つよう身ぶりで促すと、若き冒険者たちへ鷹揚に声をかけた。
「『帝国最強の冒険者』ヴァイス、そして『精霊の愛娘』イリーゼ。面を上げよ」
素直に応じたヴァイスに比べ、イリーゼはややタイミングが遅れたが。
当然と言うべきか、皇帝と皇女の視線が集中したのは彼女の方だった。
「な──っ!?」
「ほう、これはまた……鄙には稀な、と言う言葉はあるが。むしろそなたは、大陸一を誇るこの帝都にも稀な美貌であるな、イリーゼ。余の好みからは少々外れているが」
「恐れ入ります」
「な、な、なっ……何なのあんた、その顔! 僕たちの前ではずーっと頑なに隠しっぱなしだったくせに、フードの下はそんな美人だったなんて絶対に有り得ない! どうせ、顔を出さなきゃいけない場だからって、今だけ別人に入れ替わったんでしょ!? そうに決まってる! だってそうじゃなきゃ、顔を隠す理由なんて──」
「控えよ。見苦しいぞ、ラエラ」
「っ──は、はい。申し訳ありません、おと──いえ、陛下」
愛情らしきものはどこにも窺えない、ただ目障りな振る舞いを咎めただけの言葉に、ラエラはとたんにおとなしくなり、既にぼろぼろになった猫を改めて被り直した。周囲の騎士からの不安と憐憫が入り交じった視線には、気づいているのかいないのか。
「さて、ヴァイスよ。まずは余からそなたに詫びよう。この一年あまりに渡り、これなる我が娘ラエラがそなたへ多大なる迷惑をかけ続けてきたこと。父として深く頭を下げねばならぬ」
「ようやく解放していただきましたので、大げさなことは結構ですよ。むしろこれから先ずっと、皇女殿下が市井に下ることのないよう気をつけていただけるだけで、俺としては心の底から満足です」
「うむ、そこは保証しよう」
「そ、そんな。ヴァイス……!」
心に決めた師匠であり最愛の男性を前に、すがりつきたいのを必死でこらえつつ潤んだ瞳で訴えるものの、一瞥すらしてくれないヴァイスの様子に、くしゃりとラエラの顔が歪む。
流石に気の毒に思ったイリーゼだが、パートナーに関することで自身が何かをしたところで、単に皇女の神経を逆撫でするだけである。
皇帝からの詫びはあっても、皇女当人からの謝罪がないので、どれほど反省しているかも定かではない以上、この場で迂闊なことをするつもりはなかった。
そうして無言を通すイリーゼに、話を変えた皇帝の目が移る。
「そして、イリーゼ。そなたに来てもらった理由だが、他でもない。卓越した魔術の使い手であり、ラエラと年齢も近く、何よりも『精霊の愛娘』であるそなたに、我が娘へ魔術を教えてやってほしいのだ」
「……つまりは、私が『愛娘』であることを重要視されたということですね。勝手な推測をお許しいただけるなら、皇女殿下の嫁ぎ先がそれに関係があるという理解でよろしいのでしょうか?」
「ええっ!? ぼ、いえ私は、嫁ぎ先なんて何も聞いてないのにっ……!!」
うろたえるラエラをよそに、皇帝は満足げにうなずいてみせる。
「その通りだ。今年十五を迎えた、アルバの王太子が丁度良いと考えている。──かの国で史上最高の王妃と崇められているのが、そなたの母国エイザールの王女、『精霊の愛娘』としても名高いブランシュであるのは知っていよう? それに伴い、アルバでは『愛娘』の名が、エイザールに勝るとも劣らぬほどに特別視されているということも。恐らくそなた自身、かつては身を以て経験したのではないか?」
「ごく短期間ではありますが。……要は、アルバに嫁がれる皇女殿下への『『愛娘』の教え子』という箔付けを、陛下はお望みであると?」
「うむ、理解が早くて何よりだ。して、返事は?」
「……ご指名は大変恐縮ですが。申し訳ありませんが、それは不可能とお答え申し上げるほかありません」
半ば予想していたことなので、強烈な眼力とオーラに若干気圧されつつも、辞退の言葉を口にした。
「ほう? 諾否ではなく『不可能』とは。如何なる理由か?」
「単純なことです。私の魔術の強みは、一言で申し上げれば『多量の魔力と熟練度による早期発動』によるもの。諸々の理論で組み上げるべき術の構成手順を、魔力の絶対量と身に付いた魔法的感覚により大幅省略していると言えばよろしいでしょうか。
つまり、私と同レベル以上の魔力と経験の持ち主でなければ、同じやり方を修得できるものではありません。
それ以前の段階、実用的な魔術使用が可能になる程度に理論をお教えするのであれば、私のような若輩者よりも、ご教授に長けた教師の方々に噛み砕いた説明をしていただく方が、よほど適当なことと存じます」
一応イリーゼは彼女なりに、魔術師の端くれとして、独自の魔法理論の構築や、同じ魔法でもさほど魔力を要さずに済む術式の開発や簡略化等を、暇をみて行ってはいるのだが……そんな専門的に過ぎる代物を、ラエラのような基礎さえ皆無の素人に、それも短期間で教え込もうとするほど無駄なことはない。
なので現状、皇帝が期待する役割をイリーゼが担える要素は皆無だと言える。そもそもが現役の冒険者なのだし。
微妙に不満げながらもそこは理解したらしい皇帝は、顎髭を撫でながら傍らへ話を振った。
「ふむ、理に適ってはいるな。そなたはどう思う、ラエラ?」
「……恐れながら。彼女、いえイリーゼ……様、と、少しばかり別室でお話をさせていただけませんでしょうか。二人きりで」
「え」
この展開は予想外だった。
イリーゼが目をぱちくりさせる間に、話はどんどん進んでいく。
「よかろう。すまぬがイリーゼ、娘の話とやらを聞いてやってほしい。ヴァイスも構わぬだろう?」
「構わないわけがないのが本音ですがね。どうせ聞いてはいただけないんでしょうから?『二人きり』というのでなければ、是非俺も同席したいところですが……」
「生憎、許可はやれぬな。女同士の密談に男が割り込むことほど無粋なものはない」
「それはまた、何とも意味深なお言葉で。陛下の経験談と判断しても?」
「さてな。想像に任せよう」
気心が知れたやりとりに見えるが、ヴァイスの目はほぼ笑っていない。
そんな彼の袖を、軽く引っ張る白い指があった。
「ねえ、ヴァイス。私……」
「ああ。厄介な話になりそうなら、適当なところで切り上げてきていいぞ。……ただ経験上、あの皇女殿下はとにかくしつこいからな」
「そうね……傷つけたりするつもりはないけど、いくつかのパターンは考えておくわ。もしかしたらフォローが必要になるかもしれないから、そうなったらごめんなさい」
「それならその時だ。とりあえず、気を付けておけよ」
と言いつつ、実に素早い動作で、ヴァイスの唇がイリーゼのこめかみをかすめた。
「ちょ、もうっ! ヴァイス!」
「別にいいだろ、これくらい。ほら、早く行ってこい」
軽く背中を押されたイリーゼは、ちっとも迫力のない真っ赤な顔でパートナーを睨みながら、騎士に先導されて、射殺しそうな目つきのラエラとともに隣接する彼らの詰め所へ案内された。
──不意の風がその髪をふわりとなびかせ、バレッタのアクアマリンが明かりのせいでなく煌めいたことの意味に、その場の何人が気づいたか。
当のイリーゼは、広さ自体はそれなりではあるが、どうにも殺風景な部屋に通され、あえて立ったまま話を聞く体勢を整える。
皇女も腰を落ち着けて話すつもりはないらしく、椅子を勧めるそぶりもなく、自らも席には着かずに、恋敵に正面から向き直った。
おそらくはほぼ全面的に母親に似たのだろう容姿の中で、唯一父親譲りの濃い琥珀色の目が、明らかな敵意と嫉妬を宿して睨み付けてくる。
もっとも、百戦錬磨の皇帝の迫力に晒されたばかりのイリーゼに、その程度で怯む理由は何もない。彼女はただ受け流すように冷静に相手を眺めていたが……いつまで経っても皇女が口を開かないので、仕方なく溜め息をついて促した。
「……あまり陛下をお待たせするのは問題かと思いますが。お話というのは?」
「っ!……本当は、あんたの助けなんか借りたくないけど。こうするしかないから……!」
心の底から悔しそうに言うと、ラエラは強く唇を噛み締め、それでも深々と頭を下げてこう言った。
「お願い! 僕を助けると思って、また前みたいに、沈黙の魔法を僕にかけてくださいっ!」
「…………はい?」
イリーゼの声と同じタイミングで、宝石を媒介にしたフォーンの観察用水鏡と、シルヴィの音声中継で様子見中の面々は、思い思いの反応を示していた。
「はあ? 一体何を言い出したんだ、あの皇女サマは」
「……ふむ、そういう目論見か。ラエラにしては考えたことと言えようが、やはり見通しが甘いな」
《彼女、自分の頼み事がイリーゼをどんな立場に追いやるか、ちゃんと自覚してるのかなあ? その上でのことなら、恋する乙女の策としては相当なレベルだと思うけど。勿論悪い意味で》
《自覚はきっとしてないんじゃないかしら〜。だとしても〜、百億が一くらいでイリーゼが引き受けたとしたら、結果としては相当えげつないことになるわよね〜。もしそうなったら、ヴァイスはどうするの〜?》
どうにも能天気にしか聞こえないが、実際はかなりシビアなことを問いかけてきたシルヴィに、ヴァイスは腕組みをしてしばし考える。
「有り得ない事態だってのは大前提として。そうだな……最悪イリーゼは処刑になりかねないから、お尋ね者覚悟で逃げるしかないか」
「故意かそうでないかは知らぬが、自身とパートナーへの評価が過小にもほどがあろうよ、ヴァイス。皇帝たる余の個人的意見としても、帝国全体の総意としても、まだ御披露目すらできぬ状態の、政略的に役立つかも甚だ怪しい皇女一人と、巨大魔獣の群れを単独で撃退可能な冒険者に肩を並べられる魔術師とでは、どちらを重視するかなど分かり切ったことであろうに」
「いやー、流石は皇帝陛下。生き別れの一人娘が関わることなのに、血も涙もない冷徹極まるお言葉は相変わらずで安心しますよ。それと、ご存知でしょうがあれは単独撃退じゃなく、当時のパートナーあってこその話ですからね?」
《でも実際、あの皇女がいなくても帝国や帝都が揺らぐことはないけど、魔物たちの大規模攻撃を帝都が受けたら、Bランク以上の冒険者がどれくらいいるかで被害規模が桁違いになるからね。歴戦を誇る帝国軍だけで防衛自体は可能でも、そこまでが限度で次は総崩れになりかねないから》
ぎりぎり一度目を凌いだとしても、二度目三度目と襲撃の連鎖があれば、いくら大陸最強の名に恥じぬ帝国の首都と言えども、いとも容易く陥落の憂き目に遭うのは想像に難くない。
大陸に存在する多くの国家の中で、魔獣や幻獣の生息域と最も近接した地域にあるのがこの帝国であり、彼らとの争いの最前線基地と言ってもいい。この地理的条件が、帝国よりも二段階ほど遠くに位置し、自国の過酷な自然環境が何よりの脅威であるアルバや、建国時より精霊の聖地とされ、侵略の危機からは程遠いゆえに平和ボケ国家とも揶揄されるエイザールとの最大の違いと言えよう。一方で、前者の国が独特の剣術を身につけた勇猛な戦士の、後者は優秀な魔力と知識とを兼ね備えた魔術師と魔法戦士の産地であるのは紛れもない事実なので、帝国としては間違っても蔑ろにしていい場所ではないのだけれど。
とは言え、魔物との争いは通常、散発的な小競り合い程度であり、国家が揺らぎかねない規模の襲撃は十年に一度あるかないかだ。だが、強大かつ明確な脅威が目と鼻の先に存在するのは紛れもない事実で、それは必然的に国を挙げた武力の強化へと直結する。特に国境付近はそれが顕著であり、辺境伯家を中心とする常駐の警備隊の他、有事には住民たちが結成する自警団が大きな戦力となっていたりする。何せ彼らは、生まれた時から魔物の脅威と身近に接しているだけに、練度は中堅レベルの警備隊員にも並ぶレベルなのだ。なお、そんな猛者の産地の一つが、『帝国最強の冒険者』とその初代パートナーの出身地でもある。
また同時に、腕利きの冒険者の需要が増えて大陸中から猛者が数多く集い、冒険者ギルドの地位や影響力が国内で高まったために、余談としてどこぞの街でのような末端部の腐敗も生じてしまうわけだが。
『黒霧の森』でイリーゼが特殊な薬草を求めたように、魔物の生息域では貴重かつ有用な物質が採れることが多く、そこに入り込み目的の物を手に入れるのが帝国における冒険者の大きな仕事である。それが帝国内ならばまだしも、国境を越え、魔物の本拠地側に踏み込むことを要求される依頼は、いわゆるハイリスクハイリターンの典型だ。
そのリスクが冒険者たちだけに対してのものならまだいいが、ある種の魔物は、傷つけられた一体が多数の仲間を集め、怒りのままに集団暴走を起こすことがある。当然その被害は傷をつけた者に止まらず、酷い時には国境付近にまで押し寄せ、ほぼ例外なく多大なる傷跡を残す悪夢の行進となる。
近年起きた最大のそれは四年前、石化魔獣バジリスクの群れという前代未聞かつ最悪の代物で、対峙すれば精鋭揃いの国境警備隊さえ全滅に追い込みかねなかったその脅威を、ヴァイスが亡き相棒の支援を受けてあっさりと全滅させたのが『帝国最強』の二つ名の始まりだった。
その『最強』を冠する男が見守る先、水鏡の中のイリーゼは、淡々とした口調で呆れを隠しながら皇女へ確認を取っていた。
『──つまり、声が出せなくなって治る見込みもないと周囲に思わせることで、政略には役立たないと認識してもらえれば、皇女の立場から解放されるのではないか、と』
『そう! 最初はお姫様になれて嬉しかったけど、毎日毎日マナーだの作法だの国内や国外情勢の勉強だの、あれこれ何度もしつこくしつこく詰め込まれて、もう頭が爆発しそうなんだもの! こんなのあと一秒だって耐えられないし、何より好きどころか顔も何もかも知らない相手と、このまま結婚させられるなんて絶対に嫌! だからどうかお願い! 僕を助けると思って、ねっ?』
『……確かに、あなたには『皇女殿下』という立場は合わないでしょうね』
『うん、そうだよね! 僕もそう思う! 分かってくれてよかった、なら早速──』
『お断りします』
明らかに自明でしかない返答に、唯一そうと理解していないラエラは、鳩が豆鉄砲を食らったようにぽかんとした顔になった。
『……え、と……? 断るって、どうして? たった一回、魔法をかけてくれればいいってだけの話だよ?』
『その『たった一回』が、私を犯罪者にした挙げ句に命に関わる事態を招くんですが? 皇女殿下に明らかにおかしな事態が起これば、その原因を解明するために、医師や宮廷魔術師が総動員で診察にかかるに決まってるでしょう。となれば当然、その事態の原因が人為的なものであり、その術者が誰なのかまで完璧に突き止められることになります』
その気になれば隠蔽方法はいくらでもあるが、より面倒になるだけなのは目に見えているので、あえて明かさないイリーゼだった。
『そ、そうなんだ……でも、それくらいで命に関わるなんて大げさじゃない?』
『以前ならそうでしょうが、今のあなたは帝国皇女です。その肩書きを背負う存在に、一生ものの危害を与えた者がどんな目に遭うのか、想像するまでもなく分かることでは?』
『う……』
やはりそこまでは考えていなかったらしく、あっさりと怯んで黙り込んでしまう。
さて、この有り様を、父親はどう評価するのやら──などとヴァイスが考えていると、鏡の中のラエラが開き直ったように顔を上げ、実に高慢な口調でこんな言葉を発した。
『……確かに、今の僕は帝国皇女だね。だから、第一皇女ラエラとして、冒険者イリーゼに命じる。今すぐ僕──私に沈黙の魔法をかけるか、それが嫌なら早急にこの皇宮から連れ出しなさい!』
『……今度は私に誘拐犯になれと? いくら何でも、我が儘にも限度があるのではありませんか、皇女殿下』
『問答無用! ほら、皇女の命令なんだからさっさと実行しなさいよ!』
《う〜わ〜。何と言うか、とてつもなく痛々しいわ〜》
《シルヴィ、正直すぎ。まあ僕も同感だけど。皇女としての義務も何も果たさずに、権利だけは存分に行使しようとしてるあたりがもう、ねえ?》
「やれやれ。余をこれほど居たたまれぬ気分にさせるとは、我が娘ながら実に大したものだ。
ヴァイスよ。あれを市井に下さぬという約束だが、撤回は可能か?」
「不可能です。俺やイリーゼが完全に無関係の場所になら、いくらでも放り出してくれて構いませんが」
「であろうな。──さて、どうしてくれようか」
『どうしようか』ではないところが、感情の窺いようもない口調と相まって何とも恐ろしい。ヴァイスたちにとっては完全に他人事なので、皇帝が娘をどう扱おうが最早どうでもよくはあるが。
一方、思いきり身分を笠に着られたイリーゼは、一度目を伏せて嘆息すると、頭を完全に切り替えて答えを口にした。
『あなたが皇女として命令されるのなら、こちらは冒険者としての立場で判断し、対応させてもらいます。──よろしいですね?』
『当然だよ! まあ、単なる冒険者に過ぎない人間が、皇女の私に対して何ができるわけでもないだろうし?』
ふふん、と完全に悦に入った様子の皇女はしかし、次の言葉には完全に虚を突かれたようだった。
『では、まず最初に。──先ほどのお言葉は、Aランク冒険者である私への依頼ということになりますが。それに伴う報酬はいかほど?』
『…………はっ?』
『ですから、報酬です。何せ危険を冒して皇女殿下に魔法をかけたり、殿下を誘拐するようにということですから、そうですね……最低でも金貨五千枚は支払っていただかないと見合いませんね』
大陸西方をルーツとしながら、東部のみならず大陸最大を誇る帝都にも進出を許された商会で、皇族と直接取引のある支店の長に育てられた身でも、一度たりとも聞いたことがない金額だった。度合いの差はあれ商会の仕事に直接関わっていた兄や姉なら、そこまでではなかったかもしれないが。
皇女の身分はあれど自由に使える財産など皆無である少女は、顔色を変えてイリーゼに食って掛かる。
『なっ、何それ!? 僕は『依頼』じゃなくて、あんたに『命令』したの! なのに何で、報酬なんて話になるわけ!?』
『生憎と、私は単なる冒険者であって、帝国に仕える騎士や魔術師ではありませんから。皇族や貴族に限らず、依頼主と冒険者の関係は、報酬の伴うビジネスであって主従関係ではないんですよ。いくら身分の高い依頼主でも、適切な報酬なしに冒険者を動かすなんて横暴な真似は、何があろうとも絶対に許されません。──そのことは、冒険者ギルドと蜜月の関係にある帝国の皇族であれば勿論、以前は冒険者だった殿下なら尚更、ご存知のはずですよね?』
『それはっ……! でも、困ってる女の子が必死に助けを求めてるんだよ!? 冒険者である前に人として、何とかしてあげたいとか思わないの!? その手段がないならまだしも、あんたはいくらでもどうとでもできる実力があるんだから!』
『……『必死に助けを求める』というのは、皇女としての地位や権力を振りかざして、上から目線で『助けろ』『命令を聞け』『さっさとしろ』と言い放つことなんですか。初めて知りました』
つい先ほどの自分の振る舞いを指摘され、怒りと恥辱に真っ赤になるラエラであった。
相変わらずのお花畑なラエラと、淡々と除草剤を撒くイリーゼの図。でもお花畑はとても根深いので、なかなか深いところまでは届きません。皇女教育でそれなりに弱らされているはずなのに、まだまだしぶとい。
父親がああなので、母親に似たんでしょうが……夢見がちではあっても、娘ほどのお花畑ではなかったはず……多分。
エピソードとしては、「愛する陛下に無色無味無臭の媚薬を盛って想いを遂げたものの、目覚めた陛下は睦言も何もなく、すぐに体を洗ってから最愛の皇后様のもとに駆けつけ、『すまなかった』と膝をついて謝罪した。そのことを侍女長から聞かされた彼女は、完全に恋に破れたのを知って職を辞した」というところでしょうか(長い)。
ラエラ母は産後に体力が戻らず亡くなった設定ではありますが、死に際に思い浮かべたのは、娘かはたまたその父親なのか。
また、魔術に関する設定が少し出てきましたが、要は「魔力量と練度が桁外れなら瞬間発動が可能だよ」ってことです。なのでイリーゼは、某大魔王様がやったメ○ゾー○二連射とかイ○ラのグミ撃ちみたいなことも、やろうと思えばできます。大魔王じゃなく冒険者なのでしないけど。技術的に可能なだけで、威力が及ぶかは別問題ですし。
「そもそも無駄にそんなことするより、広範囲の大技一発で一掃した方が効率がいいと思うの」
「いくらイリーゼでも、魔力量には限界ってものがあるからな。杖で消費を半分くらいにしてるとは言え、考えなしに乱発したらピンチになるのは一瞬だし。リソース管理は冒険者の鉄則だろ」
だそうです。
なお、五○爆○弾あたりは、火の大精霊なら似たようなことができそう(そろそろやめろ)




