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眠り姫と婚約破棄

「アレクシア・ティルフォード! 『精霊の愛娘』イレーナに対する無礼の数々、最早無視できるものではない! 貴様のような令嬢を最早、我が婚約者にしておくわけにはいかぬ! 直ちに私との婚約を破棄してもらおう!」


 エイザール王国王立学園の放課後。中庭に朗々と響き渡るのは、第二王子レイドリックの声。


 それに対する、彼の婚約者である公爵令嬢アレクシアの反応は──


「ふわぁ……」


 死ぬほど退屈そうな欠伸であった。無論レディの嗜みとして、口元は上品に扇で隠しているが。


「相手をするのも馬鹿らしい、と言いたげだね? アレクシア」

「……分かっていらっしゃるのなら、是非とも可愛い弟君にご忠告願えませんかしら、グレンハルト王太子殿下? 懲りずに毎日いらっしゃるので、わたくしとしてもいらない疲労が溜まってしまいますのよ」

「うーん、でも流石に、婚約破棄まで言い出すのは今日が初めてだよね? 僕としては願ったりのことではあるけれど」


 斜向かいに座り意味深に微笑む王太子は放っておいて、アレクシアは膝の上の小さな頭を優しく撫でてやる。


「う、ん……」


 長椅子に横たわり、公爵令嬢の膝で幸せそうに眠りを貪る、神の手による人形か天使かと思わせる美貌の少女こそ、『精霊の愛娘』イレーナ・メルテス子爵令嬢だった。

 彼女を愛でるアレクシアもまた、女神のごとく煌びやかな顔立ちに慈愛を極める微笑をたたえており、何と言うか誰もが近づきがたい雰囲気を漂わせている。


「……どちらにもそんなつもりはないと知ってはいるけれどね。レイドリックや皆が、百合の香りの錯覚を覚えるのも無理はないなあ……」


 その場に平気で居座るグレンハルトでさえ、苦笑気味にそう呟いてしまうほどだった。


 ほどなく、その背後でレイドリックの癇癪が爆発する。


「~~~~っ、いい加減にしろ、アレクシア! イレーナに膝枕をするなど、羨ましい、ではなくて無礼に過ぎるだろうが!」

「そう仰られましても、イレーナ様が起きてくださらないのですからどうしようもありませんわ。そんなにお気に障るのでしたら、レイドリック殿下がイレーナ様を起こしてくださいませ。……無論、出来るのならば、ですが」


 煽るように言い放つアレクシアであった。

 実際、何の補助もない『精霊の愛娘』の一日の活動限界は、約八時間。学園の朝の授業開始から放課後までをぎりぎり覚醒状態で過ごせる程度だ。なお、昼休みは食事もそこそこに休息にフル活用される。

 そのため、イレーナは放課後になると、子爵家のタウンハウスからの迎えを待つ間、毎日のように中庭で眠りにつくのが恒例となった。様々な理由からアレクシアの膝が枕にされるようになったのは、ここ半月ほどのことである。

 今のところ、脚が少し痺れることを除けばアレクシアはさほど困ってもいないので、普通に放置と言うか許容している。可愛らしいイレーナを愛でるのは良い癒しになるし、ささやかな特権だ。


 さて、一方煽られたレイドリックはと言うと。


「ああ、分かった! 今日こそイレーナを起こして、私が彼女の『運命の伴侶』であると証明してやる!」

「いや、無理だよね? それ」


 兄の突っ込みを聞き流し、レイドリックはつかつかとイレーナ(とアレクシア)のもとへ歩み寄ろうとして──


 べちゃ。


 あえなく見えない壁に阻まれ、数々の令嬢を騒がせる美麗な顔立ちが台無しになった。


「……毎日のようにこんなお顔を見せられては、百年の恋も冷めますわね」

「おや? アレクシアはレイドリックに恋をしていたんだっけ?」

「いいえ。そもそも顔で恋に落ちるのでしたら、真っ先にグレンハルト様が対象になるでしょうね」

「嬉しいことを言ってくれるね。それなら是非とも、私の婚約者になってはくれないかな? いくらイレーナ嬢に惚れ込んでのこととは言え、ここまで愚かさをさらけ出すような弟は、君にはあまりにも相応しくない。僕は王太子としても個人としても、君へ最高の処遇をすると、我が名にかけて約束するよ。──それに何より」


 立ち上がり近づいたグレンハルトは、イレーナの髪を撫でていた手を取り、跪いてその甲に口づけを贈る。


「僕は昔からずっと、初めて会った時から君のことを愛しているんだよ、アレクシア」

「まあ、光栄ですわ。──でも」


 社交界の華に相応しく、レディの見本のように美しい微笑を返し、アレクシアは自らの膝の上を見下ろす。


「もう一度、イレーナ様や他の皆様がいらっしゃらない場所で同じことを仰っていただけたなら、喜んでお返事をいたしますわね」

「そうだね。今回はひとまず、日を改めるとするよ。良い返事を期待してもいいかな?」

「さあ……それはグレンハルト様次第だと思いますけれど」

「おや、挑戦されてしまったようだね。僕は挑戦されると燃える性格だと知っているかい?」

「勿論ですわ。わたくし、グレンハルト様のことでしたら、大抵のことは存じておりましてよ」

「アレクシア、貴様! 私という婚約者がいながら浮気を、ぎゃあ!」


 空気を読まないレイドリックの叫びの途中で、彼を阻んでいた精霊の壁が消え、第二王子はべしゃっと前のめりに倒れた。

 蛙のような体勢の彼を尻目に、新たに現れた人物が颯爽と横を通り過ぎ、アレクシアたちの側で立ち止まった。

 そして、優雅にグレンハルトに頭を下げる。


「グレンハルト殿下、お邪魔いたしまして申し訳ございません。我が妹アレクシアと、『精霊の愛娘』イレーナ・メルテス嬢を迎えに上がりました」

「お疲れ様、ショーン。どうやら、イレーナ嬢との婚約の準備が整ったようだね?」

「何ぃ!?」


 がばっとレイドリックが起き上がるが、誰もそちらを気にしない。


「はい。陛下と父、加えてメルテス子爵ご夫妻にも、私が彼女の『運命の伴侶』と正式に認めていただきましたので。早速今夜、我が家にイレーナ嬢を招待するようにと、両親より申し付けられております」

「おめでとうございます、お兄様。イレーナ様にも準備が必要でしょうから、そろそろ起こしてさしあげてくださいな」


 促すアレクシアの膝から、慣れた様子でイレーナを抱き上げたティルフォード公爵家嫡男は、妹とよく似た美貌によく似た微笑み──無限の慈愛と恋情がこもった表情で少女を見下ろし、こうささやいて白い額に口づけた。


「起きなさい、愛しいイレーナ。さもないと制服のまま、我が家へさらっていきますよ?」

「ん……ショーン様……?!」


 きらきらと光る加護を『伴侶』に分け与え、あどけなくも危うい色気をほのかに漂わせながら目を覚ましたイレーナは、至近距離にあるショーンの顔を見て──


 ぼんっ!


 と、爆発したかのように赤くなり、がちがちに身を強張らせた。


「……まだ私の顔に慣れてくれていないようですね? アレクシアにはこの半月ですっかり馴染んだようなのに」

「ア、アレクシア様は女性ですもの! とてもお綺麗でお美しくて気高くて、ただただ尊いなと思って拝見していれば済みますけれど、ショーン様は殿方ですから……!」

「やれやれ。何故『伴侶』たる私の顔だけが苦手なのです? 綺麗すぎる男が駄目だとか言っていましたが、王子殿下お二人には平気で接しているでしょう」

「それは、お二人ともあからさまにアレクシア様のことしか眼中にないので、私としては気楽なのです。特にレイドリック殿下は、私といる時はいつもアレクシア様の話題ばかりですから」

「……ああ、アレクシアのこと以外に共通の話題がないんだね……我が弟ながら、その不器用すぎるところには同情するよ」

「ほ、放っておいてください!」


 本気で憐れみの目を向けられ、レイドリックは真っ赤になって噛み付いた。迫力というものが皆無なので、グレンハルトには全く痛手はない。そもそもグレンハルトの肝の太さは、大陸最強と名高い帝国の皇帝と一対一で顔を合わせても動じない程度なのだが。


 そんな兄弟王子をよそに、『愛娘』と『伴侶』の会話は続いている。


「つまりそういうことですから、ショーン様も私を眼中から外してくだされば、問題は解決するのでは、と……」

「却下です。……まあ、『愛娘』と心から愛し合えると精霊に認められた男が『伴侶』となるのですから、貴女もいずれ私の顔に過剰反応はしなくなるでしょうし、不本意ながらある程度は待ちましょう。嫌われているわけではないのは確かですし。……とは言え、出来るだけ早く慣れてもらわなくては、私の我慢にも限度がありますからね」

「が、我慢、ですか……?」

「何の我慢か聞かせてあげましょうか?」

「け、結構ですっっっ! アレクシア様、お兄様が怖いので助けてください!」


 必死に訴えるイレーナだったが、彼女のことで兄にブレーキを掛けきれる気がしないアレクシアは、ただ苦笑するしかできなかった。


「ええと、ごめんなさいね、イレーナ様。わたくし、貴女を『お義姉様』と呼べる日をとても楽しみにしているのよ」

「そ、そんな……! アレクシア様の身内になれるのは嬉しいですけれど、肝心のショーン様が恐ろしすぎます!」

「失礼ですね。私は愛する相手はこの上なく優しく扱うつもりなのに」

「その『扱う』というのが怖いのですってば! と言うか、もう下ろしてくださいっ!」

「逃げる気満々のえも、じゃない、相手を下ろす馬鹿はいませんよね? 着替えのためにご自宅まできちんと送り届けますから、大人しくしていなさい」

「今、獲物って言おうとしましたよね!?」

「気のせいでしょう。幻聴が聞こえるとは心配ですね。今夜は私が付きっきりで看ていることにしますか」

「いーやーでーすー! 精霊さんたち、助けてくださいー!!」

 《大丈夫だよー。ショーンはイレーナが本気で嫌がることはしないからー》

 《最後の切り札は『大嫌い!』だから、それを言えばいいよー》

「何でしたら最終手段として、我が家のお母様を頼ればよろしくてよ。それならお兄様も無体なことはできなくなるでしょうから」

「……ちっ。アレクシアも精霊たちも余計なことを」


 どす黒く舌打ちをするものの、忠告について否定できないショーンは、拍子抜けするほどあっさりイレーナを下ろして地面に立たせた。……細い腰にはしっかり手を回していたが。


「これでよろしいですか? イレーナ」

「は、はい……」


 腰を抱かれる感覚は気になるが、ショーンの大きな手は頼りがいがあって安心できるので、イレーナは頬を染めながらも素直に頷いた。……そういう可愛らしい顔をするからショーンにますます執着されるのだということは、残念ながら自覚していない。


「では、改めて。ご自宅までエスコートさせていただいても?」

「はい。よろしくお願いいたします、ショーン様」

「わたくしも同行しなければいけませんので、これで失礼いたしますわね、グレンハルト殿下、レイドリック殿下。……ああ、そうですわ」


 と、アレクシアは地面に座り込んだままの婚約者に歩み寄り、すっと腰を落として視線を合わせる。


「婚約破棄の件は承りましたので、性格の不一致が原因ということで処理させていただきますわね。……わたくし、レイドリック殿下のことは愛してこそいませんでしたけれど、幼なじみとしてはそれなりに好意を持っておりましたのよ」

「……ふん。物は言い様だが、どうせ王族らしくない行動ばかりする考えなしだと言いたいのだろう」

「否定はいたしませんが、それでこそのレイドリック殿下でしょう。……酷なお願いとは存じますけれど、殿下がもしもイレーナ様に相談を持ちかけられた時には、マナーに反しない程度に、()()()()()ご助言をさしあげてくださいますか?」

「……いいのか?」

「わたくしも出来る限り同席いたしますし、何よりイレーナ様には精霊の守護がありますから、流石の我が兄も許容するでしょう。と申しますか、そのくらいは許容してもらわなければ、我が家もわたくしも困ります。公爵家次期当主が痴情のもつれで王子殿下を手にかけた、などという話にはならないよう、お互いに注意いたしましょうね」

「あ、ああ」


 笑えない話に引きつり気味でうなずくレイドリックへ、アレクシアは最後に一瞬だけ、イレーナに向けていたのと同じ笑顔を見せた。


「幼なじみとして、今後のお幸せをお祈りしておりますわ、レイドリック様。──それでは今度こそ、御前失礼いたします」


 天女を思わせる優雅さで身を翻し、急いでいるとは全く悟らせない足取りで兄とイレーナを追う元婚約者を、レイドリックが呆然と見送っていると、残った彼自身の兄が声をかけてくる。


「僕たちも帰ろうか。……まさかとは思うがレイドリック、いくらお前が惚れっぽいとしても、今更アレクシアに恋をしたなんて言わないだろうね?」

「──言いませんよ。もしも将来、兄上が彼女を泣かせたりした時には、うっかり言い出してしまうかもしれませんが」


 歩きながら軽く本音を口にすれば、グレンハルトも笑って返してきた。


「ならば何も心配はいらないな。……まあ、今お前が出来るのは、アレクシアの祈り通りに幸せを掴めるよう、あれこれとしっかり努力することだろうから頑張れ。兄としても全面的に応援するよ」

「ありがとうございます。兄上も是非、アレクシアにプロポーズの承諾を貰えるよう頑張ってください」

「鋭意努力中だよ。正直、次の申し出で即座に頷いてもらえる確率は、あまり高くないと思っているんだが」

「……つまり、三度目以降にもつれ込んででも頷かせる気満々ということでしょう」

「当然じゃないか。それにアレクシアは多分、『普通の貴族の求婚劇』という、今まで全く縁のなかったことを経験したいんだと思うからね。一生に一度のことでもあるし、愛しい女性(ひと)のささやかな希望くらいは叶えてあげたいと思うだろう?」

「……今、この瞬間。私は兄上に対して、とてつもない敗北感を覚えました」

「え、いきなり何故?」


 珍しくも本気で理解できない様子のグレンハルトにも、全く優越感を覚えないレイドリックだった。……イレーナにせよアレクシアにせよ、側にいてほしいだの贈り物で喜んでほしいだの、自分を見て受け入れてほしいだのと願いを向けるばかりで、レイドリックの方から彼女たちの望みを叶えようと思ったことなど一度もなかった気がする。

 ──理解した途端に、頭や肩にずっしりと重いものが乗った。


「レイドリック、どうしたんだ? あそこにもう馬車が来ているから、体調を崩したなら急いで王宮に──」

「いえ、平気です、大丈夫です。本当に」

「そうなのか? ならいいが……」

「はい。心配をかけてすみません。……とりあえず、私が幸せになるには、まずは兄上を見習うべきだというのがよくわかりました」

「そ、そうか。……本当に、いきなりどうした?」


 らしくもなく疑問符を大量に頭上に浮かべる兄をよそに、レイドリックは今更ながら、これまでの女性への接し方を顧みて反省するのだった。




 エイザール王国の歴史書において、賢王と称されるグレンハルト一世と、その片腕たる王弟レイドリックの仲は、学生時代まではさほど良くはなかったと記されている。

 その要因としては、グレンハルト一世の正妃アレクシアが、元来はレイドリックの婚約者であったことが大きいと見られる。想い合う婚約者たちをグレンハルトが引き裂いた、アレクシアが王妃の座を狙い弟から兄へ乗り換えた、愛し合っていた兄と婚約者を思いレイドリックが身を引いた等の様々な説があり、三人の関係性は、演劇や小説の題材としても数多く扱われている。

 愛妻家の多いエイザール王室の例に漏れず、グレンハルトもまたアレクシアを生涯ただ一人の妃として愛し、二人は実に五人もの王子王女に恵まれた。この事実と、レイドリックが後に兄の片腕となったことが、相愛の二人を引き裂いた『アレクシア略奪説』が主流とはなり得ない大きな理由となっている。

 もっとも、三人の間の事実がどのようなものであれ、グレンハルト一世の治世は、レイドリックと王妃の兄であるショーン・ティルフォードを両腕とし、内政や外交をよりいっそう発展させ、長きの平和を築いたことは紛れもない真実である。

珍しくヒーローがさほど腹黒ではないお話。その分、脇役ががっつり真っ黒ですが。腹黒敬語キャラはあまり好みではない割に、妙に書きやすいことが判明しました。何故だろう。


何も考えずに書き始めると、最近は大体こんな感じの話になります。

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