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眠り姫の婚約破棄

「クラウディア・ティルフォード! 貴様の日々の無礼と暴虐の数々、最早無視できるものではない! 今日こそ私との婚約を破棄してもらおう!」


 エイザール王国王立学園の放課後。中庭に響き渡るのは、第二王子ルドルフの声。

 それに対する、彼の婚約者である公爵令嬢クラウディアの反応は──


「……くぅ」


 ……とても可愛らしい寝息であった。


「ク~ラ~ウ~ディ~ア! 貴様、いい加減に()()()()()! 毎日毎日いつもいつも、婚約者である私を蔑ろにしおって!」


 こちらも毎日毎日いつもいつも──よく飽きないものである──怒りで顔を真っ赤にしながら、ルドルフは婚約者の横たわるベンチに大股で近づく。

 続いて、最近彼と必要以上に親しくしていると噂のライラ・ランドル男爵令嬢も、ぎりぎり淑やかと言えるゆったりした足取りで──内心は酷く意気込んでベンチに歩み寄った。

 が、何を目論んでいたにせよ、どちらも未遂で終わった。


 ──ドカッ!!


「ぐぁ!?」

「きゃあああっ!!」


 ()()()()()()に弾き飛ばされ、二人はあえなく地面に倒れ込む。


「く、くそ……! 何故だ、何故いつも近づけない! ライラ、大丈夫か? 怪我は……」

「だ、大丈夫です。多分……痛っ!」

「どうした!?」

「あ、足首が痛くて……どうしよう、立てません。明日の試験に向けて勉強しなければならないのに、私……!」

「大丈夫だ、怪我をしたのだから仕方ない。不可抗力ということで、後日に追試をしてもらうよう私から働きかけよう。……しかし、それもこれもクラウディアのせいだ! 何と忌々しい……!」

「……こんなにルドルフ様や私を酷い目に遭わせておいて、何故あんなにも無邪気な顔で眠ってられるんでしょうか。信じられません!」


 美女の範疇には入るがあまり品のない派手やかな顔立ちに怒りを宿し、憎々しげに睨み付ける先には、ただひたすら無邪気に眠る、天使のように美しく可憐なクラウディア。


「……全くだ! 婚約者である私を近づけようとせず、ただただ愛らしい寝姿を見せつけるだけなど、実に生意気で残酷で腹立たしい!!」

「……ルドルフ様? それはどういう……」

「あ、いや、何でもない! それよりライラ、君の足の手当てをせねば! さあ、私に掴まって。保健室まで送ろう」

「はい……ありがとうございます、ルドルフ様」


 ライラをお姫様抱っこしたルドルフは、颯爽と身を翻してその場を去る。上等なジャケットやスラックスが土まみれになっているせいもあり、傍目にはあまりどころか全く様になってはいないが、それを指摘する者が誰もいないのは幸か不幸か。


 ──残されたクラウディアは、近くで行われていた茶番劇などつゆ知らず、どこまでも安らかに眠りの世界を漂っていた。




 そして、この茶番劇の一部始終を見物していた人影が二つ。


「さて、ケネス。君の可愛い妹と我が国のため、私はあの阿呆な異母弟とその愛人をどうしたらいいと思う?」

「……恋人だとか女友達とかいう段階を超えて、最早愛人呼ばわりですか、セドリック殿下。まあ間違ってはいないのでしょうが」


 恐れ多くも王太子殿下に呆れたように突っ込んだのは、ティルフォード公爵家嫡男のケネス。クラウディアの二つ年上の兄で、同い年で幼なじみでもあるセドリック王太子の側近を務め、学園でも生徒会副会長として、会長である彼を補佐する役割をしている。

 もしクラウディアが起きてこの生徒会室にいれば、「気にすべきところはそこではありませんわ、お兄様」と更なる突っ込みを入れてくれただろうが、彼の最愛の妹は未だに中庭ですやすやと深い眠りについていた。

 もっとも、クラウディアが気にすべき点と言うに違いない『王太子による『第二王子は阿呆』発言』は、ケネスとしては全く何の異論もないので放置しているだけだった。確かに他人に聞かれてしまうと大問題にもなりかねないが、どうせ聞いているのは自分と発言したセドリックだけだし、そもそも聞かれては不味い状況で不味い発言をするほどセドリックは愚かではない。ルドルフが阿呆なのはクラウディアだって否定しないだろうし。

 そんなことよりもケネスにとって今大事なのは、この世で一番可憐で美しくて可愛いクラウディアの将来と、会長印を貰って処理を終えたばかりの書類の山の整理である。


 手と口を別々に動かしながら、ケネスはとりあえずの答えを述べる。


「とは言え、セドリック殿下が取り立てて何かをなさらずとも、ルドルフ殿下やあの男爵令嬢は勝手に落ちていくでしょうね。何せ、自分勝手極まりない理由で『精霊の愛娘』たるクラウディアを蔑ろにしているわけですから。殿下は余計なことには構わず、クラウディアのフォローさえしていただければよろしいかと」


 魔力を持つ人間は多かれ少なかれ精霊の加護があるものだが、その中でも飛び抜けた数の精霊から愛され加護を受けた女性が『精霊の愛娘』である。百年に一度現れるかどうかという貴重極まりない存在で、クラウディアはたまたま公爵令嬢だが、別に貴族にのみ現れるわけではなく、過去の『愛娘』は貴賤を問わずあらゆる階級に分布している。男性に同様の存在がいない理由は、精霊が女性の魔力の質をより好むからとも、全精霊を統べる存在である精霊王が男性だからであるとも言われる。

 ともあれ『愛娘』に与えられる加護は人間の身には余るほどに絶大で、生涯に渡る幸福やその身への絶対的な守護を約束される代わり、一日の大半を睡眠に費やさねばならないほどの負担がかかる代物だった。

 だが彼女たちには、精霊たちが認める『運命の伴侶』が必ず存在し、彼の口づけを体のどこかに受けることで、その後の一日は彼と加護を分かち合うことができ負担もなくなるので、一般人同様に活動することが可能になるのだった。なお『伴侶』でなくとも、肉親や友人等、近しく信頼できる相手であると『愛娘』本人と精霊が認める者であれば、手を繋いだりすることで少しだけ負担を軽減することができるが、それでも活動時間を延ばすのはなかなか難しいのが実情である。


 クラウディアの場合、十歳の時からルドルフという婚約者はいたが、精霊たちは彼を『伴侶』だとは最初から認めておらず、そこにライラの存在は無関係である。それでもライラが現れる前までは、恋愛感情はなくとも友人に近い相手というクラウディアの認識もあり、彼女の負担軽減に一役買う程度のことはできていたのだが……


「精霊目線で言えば、最愛のクラウディアを放置して、何の取り柄があるのかも分からない女に走るなんていう、とてつもない愚行をやらかすような男など彼らが許すわけがないからね。そりゃあクラウディアに指一本触れるどころか、近づくことさえできなくなるはずだよ」

「元々はご自分が原因を作ったくせに、近づこうとして弾き飛ばされるのをクラウディアの『日々の無礼と暴虐』扱いですからね。呆れて言葉もありません」

「全くだ。そんな状態が三ヶ月も続いていれば当然父上の耳にも入るし、ルドルフの非による事実上の婚約破棄状態だと見なされて、挽回も不可能になっているということくらい、少し考えれば分かるだろうに。考えようともしないあたりが実に愚弟らしいと言うか何と言うか……」

「そんな『らしさ』は百害あって一利なしですよ。……ルドルフ殿下も、以前はそこまで阿呆ではなかったはずですけどね。だからこそ『伴侶』が見つかるまでという条件とは言え、両親も婚約を承諾したのですから。……まさかその『伴侶』が、こんなにも身近にいらっしゃるとは思いませんでしたが」

「そうだね。私もびっくりしたよ」


 くすくすと楽しげに笑うセドリックこそ、他ならぬクラウディアの『運命の伴侶』だった。


 生母である前王妃が彼を産んで間もなく息を引き取ったため、セドリックは祖母である王太后の手で育てられた。後妻として嫁いできた権力欲の塊のような現王妃と、公明正大と名高い姑の仲は当初から最悪で、自然とセドリックと現王妃の産んだ異母弟(ルドルフ)の交流もほぼ皆無となり、現王妃のごり押しで決まった異母弟の婚約者とセドリックが初めて顔を合わせたのは、二人の婚約を祝うパーティーの場だったのである。


「いやー……あそこまで最悪のタイミングというのも他に経験がありませんね。精霊がいつになく盛大に騒いで、おとなしくしてもらうのにも苦労しましたし。まさか、他国の大使もいる祝賀パーティーの場で『めでたくこの場で『伴侶』が見つかったので婚約を解消します!』なんて宣言もできませんでしたし」

「あの場で私はクラウディアの手にキスすらできなかったからね。実に残念だった」

「……当時十二歳だった御方が何をおっしゃるんですか。確かにあの日のクラウディアは、それまでにも増してこの上なく美しく愛らしかったですが」


 さらりとシスコン発言をかますケネスも大概だが、二人にとってはいつものことだ。


 その後、セドリックの未来の側近としてケネスが正式に仕えることとなり、彼を通じて改めてクラウディアと会ったセドリックは、作法通りに華奢な手を取り挨拶をしてから、その甲にそっとキスを落とした。


 ──効果はすぐに表れた。


 ……ふわ、と。柔らかくも温かく、神聖な光がクラウディアを包み、その光が彼女に触れているセドリックにも伝わって……そのまま彼の身に染み込むように、ゆっくりと瞬いて消えていった。


 そして、酷く眠そうにしていたクラウディアのサファイアを思わせる瞳が、確かな意思の光を宿してセドリックを見つめ……ぽっ、と、その薔薇色の頬がより美しく赤らみ、酷く恥ずかしそうに可憐な顔が伏せられた。


『……お見苦しいところをお見せいたしまして、大変申し訳ございません。改めてご挨拶させてくださいませ。わたくし、ティルフォード公爵家が長女、クラウディアと申します』

『丁寧にありがとう、クラウディア嬢。でもできればこちらを向いて、その可憐なお顔をよく見せていただきたいな。勿論、先ほどまでの無防備なお顔もとても可愛らしかったけれどね』

『まあ……恥ずかしいですわ。からかわないでくださいませ』

『からかってなどいないよ。……クラウディアと呼んでも構わないかな?』

『はい、セドリック殿下』

『うーん……君から『殿下』呼びされるのはどうにも味気ないな。こうして二人だけの時か、君のご家族しか同席していない時にはセディと呼んでほしい。これからは長い付き合いになるのだし、ね?』

『……はい、セディ様。とても嬉しいですわ』


 そう言って微笑むクラウディアは、セドリックが軽く目まいを覚えるほどに愛らしかった。

 しばらくして二人のいる部屋に顔を出したケネスが目にしたのは、膝に乗せたクラウディアと楽しげに談笑するセドリックの姿だった。


「……ああ、思い出せばますます殿下が妬ましくなりますよ。クラウディアを膝に乗せるなんて、私はもうここ十年はしたことがないのに」

「レディらしく成長したということで、兄としては喜ばしい限りじゃないか。膝抱っこは『伴侶』の特権だよ」

「これ以上ない上機嫌の笑顔で言われるとますます腹が立ちます。……ようやく明日、ルドルフ殿下や王妃様との縁が切れると思えば、多少の気は紛れますがね」

「気持ちは分かるよ。愛息子ルドルフと権力可愛さに、延々とクラウディアや公爵家にしがみついていたあの継母(ひと)も、肝心の息子の不祥事となれば流石に力尽きるだろう。……これでやっと、クラウディアを私の婚約者にすることができる」


 クラウディアに一目惚れしたその瞬間、精霊に祝福を受けてから約六年。誰にも邪魔されず公の場で触れ合えるようになる喜びは、セドリックにとって何よりも大きいのだ。


 結婚前の地均(じなら)しも兼ね、学園卒業までには異母弟や継母の影響力を奪う算段をしていたが、その手間を大いに省いてくれたという点ではライラに感謝してもいい。玉の輿を狙いルドルフを体で落としてくれたおかげで、弟の婚約者を気遣う兄という名目で大っぴらにクラウディアと過ごせるようになったし、ルドルフの社交にクラウディアが連れ回されることもなくなった分、彼女と恋人として過ごす時間を作れるようにもなったのだから。


「さて、では今日も『伴侶』の役目を果たして来るとしようか」

「……かまいませんが、あまり長引くことのないようお願いいたしますよ。あと二十分もすれば、我が家の迎えの馬車が参りますので」

「分かった。なら余分な時間はかけないに限るね」


 と、セドリックはひらりと優雅に窓の外へ身を躍らせた。ちなみに生徒会室は四階にあるのだが──


 とんっ、と重さを感じさせない音を立て、当たり前のように無傷どころか汚れもなく中庭へと着地する。


「……魔法も使わずに()()とか、殿下も大概規格外だよな。頼もしい限りではあるけど」


 側近としてもクラウディアの兄としてもしみじみ思いながら、ケネスは妹を抱き上げ東屋へ向かうセドリックを見送ったのだった。




 それからティルフォード家の馬車が来るまで、東屋ではこんな会話が交わされていたとか。


「おはよう。僕の眠り姫」

「セディ様……ありがとうございます。またわたくしを目覚めさせてくださったのですね?」

「うん。ようやくそれができる正当な立場になる目処もついたからね。明日にも僕は新しい婚約者として、毎朝きちんと君にキスをして起こしてあげられるようになるよ。……クラウディアはいつから、どこにキスをして起こされたい?」

「まあ……意地悪ですわ、セディ様。そんな恥ずかしいこと……」

「酷いな。僕はただ、愛しい君の希望なら何でも叶えてあげたいだけなのに」

「それでしたら、まずはそういった恥ずかしい質問をやめてくださいませ。……それにわたくし、セディ様になら、どこにキスをされても嬉しいですもの」

「ああ、本当に君は対僕限定で無防備だね。でも、そんなことを迂闊に言うのは駄目だよ? ほら、この赤く染まった可愛らしい耳とか……」

「んっ」

「この甘い香りのする首筋とか」

「や、くすぐったいです……」

「この綺麗な鎖骨とか、服を脱がせなければキスできないような場所でも、本当にいいの?」

「だ、駄目に決まっています。そういうことはまだ……せめて婚約式を終えてからでなくては……」

「そう? 残念だけど、恥じらうクラウディアも可愛いから我慢するとしようか。ああ、本当に君の婚約者となる時が待ちきれないよ」

「もう、セディ様ったら……」

「こんな僕は嫌いかい? 君と正式に婚約したら、すぐにでも王太子妃の部屋に越してきてもらおうと企むような男は」

「いいえ。……わたくし、そんなセディ様を心から愛しておりますもの」

「ありがとう、クラウディア。僕も君を愛しているよ。出会った時からずっと……」




 その後、予定より少し遅れて到着した馬車に乗るため、クラウディアをエスコートしたケネスは、扇の陰で頬を上気させ目を潤ませた妹の様子に、(もう少し加減というものを覚えろ!)と内心で未来の国王へ力いっぱい毒づいたのだった。




 そしてその翌日。


「クラウディア、私の責任で婚約破棄とはどういうことだ!? 非があるのは貴様の方だろう! 謝罪と訂正を──!?」

「やあルドルフ。今日もまた懲りずに言いがかりを付けに来たのかい?」

「なっ、兄上!? 何故貴方がクラウディアに膝枕などしているのです!」

「勿論、今日付けで私が彼女の婚約者になったからさ。……さあ、クラウディア。起きて?」


 と、セドリックは瞳を閉じ、華奢な背を覆うハニーブロンドを慈しむように手に取って、この上なく恭しく口づけた。




 ──かくして、『精霊の愛娘』クラウディア・ティルフォードの『運命の伴侶』が他ならぬ王太子セドリックであると正式に認められ、その事実は即日、国中へと広められた。

 半年後、次代の王たる青年は最愛の令嬢を妃に迎え、その婚儀は大陸中の精霊の祝福を得て更に華やかなものとなる。


 後の世に、エイザール王国中興の祖と謳われるセドリック五世と、その唯一にして最高と名高き正妃クラウディア。

 二人はその輝かしき未来へと、こうして共に一歩を踏み出したのだった。

悪役令嬢もので定番の流れに、眠り姫設定を注入してできたのがこの話。『精霊の愛娘』の設定がいいネタの素になり、短編集を作る流れになりました。


セドリックとクラウディアは身分が釣り合うので何も問題のない二人ですが、『愛娘』と『伴侶』に身分差があった場合、悲恋になるケースもありそう。特に『伴侶』側の身分が低い場合は可能性が高そうですね。……そのうち書ければ書きたいな……

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