別に誰も困らないはず……だけど。
なんであのタイミングで、よりによって和泉に出会ったんだ……。
周は深く溜め息をついた。
「……どうしたの? 周」
「あ、ごめん」
兄の見舞いに来ておいて溜め息はない。周は手で口元を抑えた。
賢司にはいろいろ報告してある。
成り行きで保育園の見学に行くことになったこと、忙しい時は本当に手伝わされていること。
何か文句を言われるかと思いきや、彼は何も言わなかった。
それどころか、
「ところで周。富澤さんっていう、僕の担当の看護師さんから聞いたんだけど。親しい女の子ができたんだって?」
誰だ?! そんな話をしたのは!!
「別に、特別親しいっていう訳じゃ……」
「富澤さんのお嬢さんで、保育士さんなんだってね。周のことを彼氏だ、って報告を受けたって言ってたよ」
そうだろうな、あの子の性格的に。
「あのね。実は……色々と深い事情があって」
それは、今からほんの3日ほど前の話である。
その日も保育園に見学と言う名の手伝いに行った周は、園のまわりとウロウロしている不審な男がいるのを見かけた。
今の時代、子供を狙った犯罪が後を絶たない。
周が思いきって男に声をかけると、彼の目的は子供たちではなかった。
彼は茉莉花の、いわゆる元カレらしい。彼女から別れを告げられ、でも忘れられなくて、なんとか復縁できないかと職場にまで押しかけてきたそうだ。
ストーカー同士でお似合いじゃねぇか。
周はいっそ、よりを戻すよう彼女に話をつけてやるよ、なんて言おうとしたのだが。
様子を見に外に出てきた茉莉花は、男の正体に一目で気付いたようだ。そして。
咄嗟に周の身体にしがみついてきて、
「私、今はこの方とお付き合いしてるの!!」
と、叫んだのである。
「……ち、ちが……」
「だからもう、こんなところにまで来ないで!!」
男はショックを受け、トボトボと歩いて帰りだした。
「周君。お願い、完全にあいつがあきらめるまでは彼氏のフリをして欲しいの」
何それ?
「でも……」
「それとも、誤解されて困るような人が誰かいる……?」
瞬間的に頭に浮かんだのはよりによって、和泉の顔だった。
「……別にいねぇよ!! そんなの」
「じゃあ、決まりね?!」
トロくてドジな子な、大人しい子だと思っていたのは完全な間違いだった……。
「……それで、彼女と一緒にここまで来たのはどういう理由?」
兄は完全に面白がっている。
「今日、仕事終わったら母親と一緒に買い物に行く約束してたんだって。で、俺がこれから賢兄の見舞いに病院へ行くって言ったら……無理矢理ついてこられた」
そうして病院に到着した時、よりによってたまたま和泉に出会ってしまったのである。
「お母さんが、この病院の看護師だったのは何かの縁かもね」
縁だか何だか知らないが、彼女と一緒にいるところを和泉に見られたのは誤算だった。
まぁ、そのことは兄に言っても仕方がないので黙っていることにする。
「ところで……姉さんは?」
周はまわりをキョロキョロと見回した。
「さっき帰ったよ」
なんだ、一緒に帰ろうと思っていたのに。
「それで、どうなんだい? 保育園の手伝いは」
たいへんだ。想像以上に。
猫の世話と変わりないかと気軽に考えていたが、さすがにそういう訳にはいかない。
おまけに、噂のモンスターペアレンツは確かに存在したのである。
言いがかりをつけられ、ひたすらすみません、と頭を下げるばかりの他の保育士を見ていて苛立ってしまった周は、つい思わず彼女を庇って相手を怒鳴りつけてしまい、後でさんざん園長から叱られた。
「楽な仕事なんて、ないよなぁ~……」
それからしばらく兄と会話をしたあと、ふと周は時計を見た。
「じゃ、俺そろそろ帰るね」
「そうだ、周。美咲に伝えてくれないか……」
「何を?」
「毎日来なくてもいい、って」
わかった、と周は返事をした。
ほんとは毎日、もっと長い時間居て欲しいんじゃないのだろうか、と思いながら。