すみません、すっかり忘れてました。
保育園に到着した。
【ひかり保育園】と看板のある、パステルカラーに彩られた建物の中からは、子供達の黄色い声が響いている。泣き声も混じっているようだ。
もう1人の友人である円城寺信行の弟達も、だいたい誰かが泣いている。
そんな中でも集中して勉強している長男を周は、常々尊敬している。
「こんにちはー」
智哉が声をかけると、中から保育士の女性が出てきた。
「あ、はーい。お迎えですね……えぇと」
その女性を一目見て、周は思わずあっ、と声を出してしまった。
この顔には確実に見覚えがある。髪型は少し違うが、間違いない。
トロ田ドジ子。
年末に、旅館の仕事を手伝った時にやってきた客だ。
そういえば保育士をしていると聞いた。
すると。
相手もこちらに気付いたようだ。
「あなたは……!!」
智哉が不思議そうな顔でこちらを見る。
「周君だ!!」
しかし、そう声を発したのは保育士ではない。
ぴったり、と周の膝にくっついてきたのは友人の妹……篠崎絵里香である。
「お迎えに来てくれたの? ありがとう~」
誰の真似をしているのか知らないが、あまり意味をわかって言っているわけではなさそうだ。
抱っこをせがむ少女に、ちょっとごめんね、と声をかけてから改めて、周は保育士の女性に視線を向ける。
「やっぱり……周君……」
名前は、確か名刺をもらったのだが、どこにしまったかわからない。
何だっけ?
その時、彼女の後ろから園児の一人が「マリカせんせー」と呼んだ。
あ、そうだ。確かなんとか茉莉花って書いてあった。
彼女はいったんその場を離れたが、すぐに戻ってきた。
「あ、あの。見学に来てくれたんですか……?」
そうだ。一度、見学させてもらえないか、なんて冗談で言ったのを覚えている。
まさか、本気にしていたとは。
「いや、今日はそうじゃなくて……」
すると茉莉花は泣きそうな顔をした。
「……何度か電話したのに、全然つながらないから……」
連絡?
マズい。彼女にもらった名刺はポケットに入れっぱなしで、もしかしたらクリーニングに出してしまっていたかもしれない。
なのでスマホに彼女の番号を登録していないのだ。
知らない番号には出ないようにしているから、そのせいだ。
悪いことをしてしまった。
「ねぇ、周君。早く行こうよ~」
足元で絵里香が周を急かす。うるさいので腕に抱き上げると、静かになった。
「ごめん。全然気付かなかった……」
「あの……」
智哉が申し訳なさそうに口を挟む。
友人にも悪いことをしてしまった、と忸怩たる思いだ。
保育士の方も我に帰ったようで、
「ご、ごめんなさい! 絵里香ちゃん、今日もとっても元気でした。いい子にしてましたよ?」
連絡帳です、とノートを渡す。
それから保育士がいくらか智哉に連絡事項を伝えている間、周はなんとなく彼女の様子を見ていた。
絵里香が何かしゃべっているようだが聞き流している。
肌が白い。
黒い髪は艶々しており、顔も小さい。
たぶん、世間一般で言われる可愛い子なんだろうな。
まぁ別に、だからなんだと言う訳でも……。
「痛ぇっ?!」
気がつけば周は、絵里香に耳を引っ張られていた。
「絵里香!! 何やってるの?!」
身咎めた兄が叱るが、妹の方はぷいとそっぽを向く。
「ごめんなさい、は?」
「いや、いいんだ。俺がちゃんと、絵里香ちゃんの話を聞いてなかったからだよな……ごめんな?」
絵里香は小さくごめんなさい、と呟いて周の首にしがみつく。
「それで、あの。見学の件なんですけど」
茉莉花は周の右手を両手でしっかりとつかんでいる。
……なぜ、そこで手を握る?
「いつでも来てくださって構わないって、園長が言っていました。なんだったら今からでも……」
「いや、あの、これから約束があって……」
「……そうなんですか……」
なぜだろう?
とてつもない罪悪感に襲われる。
「明日、また来るから」
「ほんとですか?!」
だって、そうでも言わなきゃ手を離してもらえなそうだし。
ようやく事態の鎮静化を見て、保育園を後にした時、周はなぜか疲労感を覚えていた。