いい出汁は出るかもしれないけどな
携帯電話が鳴りだした。
ディスプレイには【鶏ガラ】と表示されている。
ああ、面倒くせぇ。
友永はやれやれ、と立ち上がって廊下に出た。
発信主の名前は原田節子。
宮島の温泉旅館【御柳亭】の仲居である。過去に何か大きな病気でもしたらしい、やせ細った身体と、顔色の悪さから友永は【鶏ガラ】と勝手に呼んでいる。
先回の事件の折り、情報提供者になってくれそうだと思って連絡先を教えたのは失敗だったかもしれない。
よく電話がかかってくる。
それも仕事にはほとんど関係のないことだ。
どうやら彼女は天涯孤独の身らしい。詳しいことは知らないが、かつていた【家族】は離散しており、生き別れの息子がいるらしいことだけは聞いている。
身寄りがなくて寂しいのだろう。
が、正直なところ歓迎はしていない。面倒くさい。
外見がどうこうとか、そういう問題ではない。
実を言うとやはり別れた妻が一番良かった……と思ってしまうのである。
向こうがどう考えているかは知らないが。
そして彼女の用件は、
今夜会えないか?
そのお誘いを上手く断ることができたのは、今夜は智哉と約束があったからだ。
給料日だから一緒に夕飯を食べよう、という誘いに相変わらず少し遠慮していたものの、了承してくれた。
どうやったら智哉は和泉と同じぐらい、図太い神経を身に着けてくれるのだろう?
今日は定時退社しなければ。
友永はいつになく真剣に仕事に取り組んだ。
夕方になって友永が約束の場所に向かうと、既に智哉と絵里香の2人は来ていた。
友永さん、と妹の方が嬉しそうに走り寄ってくる。友永は彼女の小さな身体を抱き上げた。
出会ったばかりの頃は考えられなかったことだ。人見知りが激しいとは聞いていたが、打ち解けるようになるまで、わりと時間がかかった。
「なんだ、今日はえらくめかしこんでるな?」
「……かわいい?」
「ああ、すごく可愛い」
えへへ~、と絵里香は嬉しそうに微笑む。
が、その傍らで兄の方は複雑そうな顔をしていた。
「どうした? 智哉」
「……あとでお話します……」
何度言っても彼は遠慮することをやめない。
敬語で話さなくていい、と言っているのに一向に直らないのもそうだ。
こればっかりは時間の問題だろうか。
商店街を少し歩いて、友永の馴染みの店に入る。
好きな物を注文しろよ、と言ってもどうせ気を遣って長時間悩むに違いない。どちらも好き嫌いはないと知っているので、友永は店員に適当な物を注文した。
智哉は少し驚いた顔をしていたが、何も文句は言わなかった。
しばらくは絵里香の他愛ない話に耳を傾ける。
おしゃべりに飽きた彼女は、今度は黙り込んでメニュー表に書いてある文字を読もうとする。最近、文字をいろいろ覚えることに興味を示しているようだ。
「……で、どうしたんだ? まさか好きな男でもできたのか」
智哉は苦笑しつつ、
「前からなんですけど……どうも、周のことが好きみたいなんです」
「へぇ、幼馴染みで同級生の【義弟】か。いいじゃねぇか」
「……まだ5歳ですよ?」
智哉は苦い顔で水を一口飲んだ。「実は最近、周が絵里香の通っている保育園に来ているんです。それで、可愛い格好をさせろって……」
「へ? 保育園に何しに行ってるんだ?」
「保育士の仕事を見学したいって、知り合いの人に頼んだらしいんですけど」
「……あいつ、県警に入るんじゃないのか」
「僕もそう思っていたんですけど……まだいろいろ悩んでいるみたいで」
ふと友永の脳裏に和泉の顔が浮かんだ。
班長が定年を迎えた後、いったい誰が、あの面倒くさい男の相棒を務めるというのだ。




