第六話 魔法ってなあに?
深い森の中、不自然に開けた野球グランドほどの土地にスコンスコンと軽快な音が響く。
「ふう。一休みかな」
僕が召喚されてから一週間が経った。その間まあいろいろあったが一つずつ話していこう。
まず黒パンは実験の結果柔らかくなった。現代に生きた僕からしたらまだ少し硬いが、ハンナは嬉しそうに食べていたのでこれで良しとしよう。美人の笑顔を見られただけでも満足だ。
次に二つ目、僕は現在ハンナに文字と言葉を習っている。文字だけではなく言葉も習っているのはある懸念があるからだ。現状ハンナと会話するだけなら意思疎通ができている。全く別の言語同士で喋っているのに意味が通じてしまうこの現象を翻訳魔法とでも名付けようか。懸念とはこの翻訳魔法がハンナと僕の間でしか通じない可能性のことだ。この翻訳魔法はおそらく召喚に付随するものだと推察できるので、被召喚者である僕と、召喚者であるハンナとの間でしか効力を発揮しない可能性が高い。その場合僕はハンナ以外の異世界人とはコミュニケーションが取れない。それは非常にまずいことである。今でこそ辺境にハンナと二人引きこもっているわけだがいつまでもこの状況でいるわけにもいかない。研究の発展のためには広い視野とより良い議論、そしてこれは世知辛い話だが……何よりもお金が必要である。実験設備を整えるためにもハンナ以外の協力者、ありていに言えばパトロンが必要になってくる。そしてその時コミュニケーションが取れなければお話にならないわけで――。
とにかく急ぎではないにしろ言語の習得は必要不可欠である。ちなみに習得方法についてだがかなり面倒ではある。何しろ彼女に何か単語を発音してもらっても、片っ端から日本語に翻訳されていくのでまったく意味がない。そこで彼女に一音づつ発音、例えば地球で言う林檎の単語なら「ア、ウ、グ」とぶった切って発音してもらうことで何とかしている。非常に面倒な方法で、実際彼女もめんどくさそうな顔をしているが、嫌々ながらも付き合ってくれているのには感謝しなければならない。
この調子で語彙力が増えれば書籍から文法を類推していくこともできる。とにかく外国語習得のコツは語彙力である。それが増えるだけ習得のペースは加速度的に増えてゆくはずだ。
そして最後に三つ目。これは僕たちの研究についてだ。僕は研究の一助になればと現代知識、特に生物に関しての知識を彼女に教えている。いきなり細胞やらDNAやらの話をしても仕方ないので人体の仕組みの説明から始めた。人体模型があれば話が捗ったんだけどな。正直僕の稚拙な絵ではどれだけ伝わったか……。
だがしかしこれに問題があった。問題の最たる原因は彼女の、――いやこの世界の魔法使いの、と言ったほうがいいか、とにかく彼らの基礎研究に対する理解度の低さに起因する。
魔法というものは便利なものだ。水が欲しければ魔力を用いてひねり出せる。火が欲しければ手をかざせば火が灯る。必要なのはわずかばかりの魔力とその現象のイメージだけ。なぜそこに至るのか、その過程を全てすっ飛ばして結果だけが残る。そんな状況でその“なぜ”を追求するものが早々現れるはずもなく、この世の理を知ろうとする者は少ない。
つまるところある現象があり、問題を把握し、その現象を再現する実験を行い、実験の結果を考察し、結果の法則性から現象の原理、法則を発見する。地球では一般的なこれらの科学的思考法というものがこの世界では全く育っていないことが問題である。
ゆえにハンナが言う実験というものも酷いものだった。
彼女が今目指しているのは霊薬の精製である。なんでも飲むだけで不老不死になれる伝説の薬らしいが、今はその創造物についてはどうでもいい。その実験方法に問題があった。
本来実験というものは、うまくいかなかった場合にこそ得るものがある。何が原因で成功しなかったかを考察して次に活かすことが出来るからである。
だが彼女の実験にはそれがない。
彼女はある実験がうまくいかないと見るや、方法を変え、材料を変え、機材を変えとやりたい放題である。例えるならチャーハンを作っている時に思いつきで肉じゃがにメニューを変えるような状況だ。
このような偶然の産物に頼るような実験方法では結果が出るはずもない。そのことを彼女に理解させるのに一週間かかってしまった。もちろん科学的思考法を身に着けてもすぐに結果が出るという訳ではない、ないが、現状の実験を続けるよりははるかにマシだろう。
とまあ色々と濃い一週間ではあったが、今現在僕が何をしているかと言えば薪割りだ。
ここで生活するにあたり、魔法の使えない僕の出来る仕事はとても少ない。魔法が使えなければ火を点けることもできないし水を出すこともできない。それゆえに料理も洗濯もできないのだ。まあ料理が出来ないのは火を点けられないことだけが原因ではないのだが。
兎に角、僕に残された仕事は薪割りや小屋の隣の畑の世話位のものだ。さらにそこに僕の知識を彼女に伝える仕事も含まれる。ただし彼女は自身の研究を行いながら炊事洗濯などの家事を行っているため、仕事量で言えばハンナのほうが圧倒的に多い。一応彼女の談では、一人で全部やるよりはマシだそうなので分業できていると思いたい。
ところで分業を行ってから一週間、僕たちの間には僕たちなりの一定の生活リズムが出来ていた。今の時刻は左手の腕時計で13:42。昼食を食べ終えてからそろそろ二時間。彼女が出てくるのにはいい時間だが――
「こっちはひと段落ついたよアマネ。そろそろ始めようか」
なんてことを思っていると少々不機嫌な顔をしたハンナが小屋から現れた。その顔から察するに、ああ今日も実験がうまくいかなかったんだな、と思わざるを得ない。それと同時に今日の実験ノートの記録も大変なことになりそうだと独りごちる。
「ああ、始めよう」
何を始めるのかと言えば魔法の実験である。これから研究を行うに当たり、僕が魔法への理解を深めることは重要である。というかハンナもよく理解しないで感覚的に使っているだけなので、なおさら魔法への理解は必要である。
これまでの実験で魔法を制御できる距離限界を知ることが出来た。ハンナの場合おおむね三メートル弱であり、この距離を超えると魔法は発動しない。また彼女曰く魔法を遠くで発現させるほど多くの魔力が必要となり、距離が延びるほど加速度的に魔力が必要だそうだ。
また魔法発動距離を超えた魔法はそれ以後は物理法則に従うことも発見できた。たとえば水球を飛ばす魔法、そのまんまの命名だが《ウォーターボール》を例に挙げる。ハンナの手元から発射された《ウォーターボール》は最初は加速され、地面と水平に飛んでゆく。そしておおむね三メートルを超えたところで重力によって落下を始め、最終的には地面とキスをする。
ここで問題なのは発射され地面にぶつかった水球がそのまま水たまりとして残っている点である。ではその水はいったいどこから来ているのか?それが目下最大の謎である。
ちなみに一応彼女にこの謎を問うてみたが、水が出るんだからどこから来たのかなんて関係ないだろう、とのことである。頭が痛い。
ここで考えられる主な原因は三つ。
①空気中などの周りの水分を集めている。
②何処かから水を召喚している。
③魔力から水を創りだしている。魔法とは創造である。
「で、今日は何をするんだ? アマネ?」
「この箱の中に水を満たしてほしい」
そう言って僕三十センチメートルほどの木箱を取り出す。これこそ僕が原因究明のために作り出した実験装置“うぇああーゆーふろむ君”である。この木箱の中には空のコップと湿らせた布切れが入っている。もし魔法の原因が①なら布きれは乾くはずである。当然濡れたままなら②か③ということになる。
「木箱の蓋を閉じるからこの中にあるコップに水を満たしてほしいんだよね。ちなみに見えないところに魔法出せる?」
「やったことはないが出来るだろう。なにせ私は天才だからな!」
魔法の水といいこの自信といいどこから来るのであろうか。もちろん彼女のメンタルは大いに見習わなければならないところだが。
「まあ見ていろ」
そう言って彼女は木箱の上にその右手をかざす。
「こんなものだろう」
かざしていた時間は五秒にも満たないであろう。彼女の言葉を聞き僕は木箱の蓋を外して中を確認する。
「おお、確かにコップ一杯の水が出来てる」
「どうだ、これが私の実力だっ!」
彼女はそう言って豊かな胸を天に向け鼻息を荒くする。
「いや流石ですねハンナさん!これが天才ってやつですかハンナさん!ハンナさんマジカッコいい!ハンナさんマジ天使!」
「いや……その、なんだ……照れる……」
僕の心にもない美辞麗句を彼女は素直に受け取り、思春期の乙女のように顔を赤らめうつむいた。チョロい。
そんなことはともかく濡れた布の確認をしなければ……。
「あ~布は濡れたままだね。とすると原因は②か③か……」
正直水を創り出していると考える三番は勘弁願いたい。いや魔法がそんなふざけた力だと僕が思いたくないだけだが。
「水がどこから来ているなんてこと確かめて意味があるのか?」
どうやらハンナは乙女モードから復帰したようだ。
「魔法が出来ること出来ないことが解ればこれからの研究を進めるのに必ず役立つはずって前に言ったろう?まあ今のところ成果が出ていないからいじらしく感じるのは解るが、基礎研究なんてこんなものさ」
そう伝えるとハンナは肩をすくめる仕草をして見せた。どうやら理解をしても納得はしていないようである。
「ああそうだアマネ。そろそろ食料の備蓄が怪しいから明日は狩りに行くぞ。当然アマネも一緒にな」
「は?」
ハンティングは突然に。あるいは僕の初めての狩りはこうして決定された。