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第五話 錬金術は台所から

 半ば冗談のつもりだったが、ハンナの黒パンへの情熱は僕の想像以上だったらしい。まあ無理もない、主食だものな。僕に直せば古米と新米の違いみたいなものだろう。そりゃ誰だって躍起になるか。とりあえずご飯も食べ終えたところだし地球産の知識のお披露目にはちょうどいいだろう。


「それでっ、どうしたらパンが柔らかくなるのだ!? もったいぶらずに早く教えろ!」


 前言撤回。躍起になるにしてもこれは異常ですわ。もう目が血走ってるもん。ちょっと食い意地張りすぎじゃあないですかね。


「とりあえず落ち着けよハンナ。まずいつもパンは自分で作ってるのか? 自分で作っているなら作り方を教えてくれ」

「あ、ああ。いつもはギシャの粉に水と塩を混ぜて焼く。それだけだが」

「それだけか?」

「ああそれだけだ」


 ギシャの粉という聞きなれない単語が出てきたが、色合いからまあ地球のライ麦みたいなものだろうと当たりをつける。


「パンを柔らかくする方法は簡単だ。一晩捏ねた生地を寝かせるだけでいい」

「それだけでいいのか? 魔法を使ったりは?」

「いらん。寝かせるだけでいい」

「それだけでこの靴底のようなパンが柔らかくなるなんて詐欺みたいな話だが、どうなってるんだ?」

「パンが柔らかくなるのは酵母の働きで……、まあパンを柔らかくする妖精とでも思っておけばいい。その妖精がパンを柔らかくする時間を取ってあげることで――」


 ちょっと待て、此処は異世界だぞ。地球と同じく酵母が存在しているかなんてわからない。それなのにパンを柔らかくできるなんて大見得切ったのは早計だったか?


「ちょっといいかハンナ。この世界に酒はあるのか?」

「酒か? あるぞ? なんだ飲むのか?」

「いや、あるのが確認できただけでいい」


 酒があるということは発酵が可能ということ、それだけで十分か? いや、確認はしておくべきか。しかし酒があってもパンが硬いままとは何とも歪な世界だな。


「一応寝かすよりももっと柔らかくする方法はあるよ。聞きかじりの知識だけどね」


 寝かすだけでもこの木の板をかじっているような黒パンではなくなるだろうが、やはり粉の中にわずかに存在している酵母に頼るよりもしっかり酵母を育ててから製パンしたほうが柔らかくなるはずだ。何よりこれからずっとこの馬鹿みたいに硬いパンを食べ続けるのは御免だしな。


「ええと、そのギシャの粉だったか。それに水を入れて放置するだけでパンを柔らかくする液体が出来るはずだ。多分な」

「随分と自信がないようだが?」

「言ったろう、聞きかじりの知識だと。方法は知っていても実際に試したことはないんだよ。大体僕の世界では酵母、さっきも言ったけどパンを柔らかくする妖精は店で買ってくるものだからね」



 まあ日本で売っていた所謂イースト菌はこんな原始的な方法ではなく、純粋培養されたものだが顕微鏡も寒天シャーレもないこの状況ではそこまでは望めないだろう。


「聞きかじりの知識か。研究者なら知識は実践するためにあるのではないのか?」

「耳が痛いね。まあおおむねその通りだとは思うけれども時間は有限だからね。僕には他にやることがあったってだけさ。誰かがすでに通った道を綺麗に慣らしても大して評価はされない。こっちでも研究者はそんなものだろう?」

「そうだな。アマネの言い分にも一理ある。しかしその言い方だとパンを柔らかくすることが火急の用に聞こえるが」


「それはそうだろう。こんなテーブルを食べているようなパンを毎日食べるのは御免だよ。だから実験するのさ」

「ああ、私もそれには同意するよ」


 彼女はくつくつと笑いながらそう言った。



「とりあえず実験を始めようか。粉に水を混ぜて放置すればよかったのかな?」

「ああ、しばらく放置してポコポコと泡が出てくれば成功だ。後はその上澄みを生地に混ぜて放置すれば生地が膨らむはず。それを焼けば柔らかいパンの出来上がりだ」

「ふふ、そうか。いやしかしこうも結果が楽しみな実験は久しぶりだ」


 彼女は大きめの木のボウルにギシャの粉と水をぶち込みながらそう笑う。


「そうだね、僕も久しぶりだよ。ああちなみに僕のいた世界だと『錬金術は台所から始まった』なんて言葉があったね」

「そうなのか!? その言葉も興味深いが、アマネの世界にも錬金術があったことに驚きだよ。魔術は存在しないんだろう?」


 適当な目分量で粉と水を混ぜ合わせ終えた彼女は目を見開きこちらを見やる。とりあえずあとは放置すれば発酵が始まるはずだ。


「とりあえずそのボウルには一応蓋をしておこう。一晩くらい放置すればいいか。そして僕の世界にも、という言い方からするにやっぱりこちらにもあるんだな、錬金術」

「生憎私は金を生み出すなんて俗物的な研究に興味はなかったからあまり詳しくはないが、研究しているものは多かったな」


「世界が変わっても人間の考えることは同じってわけだ」

「ああまったく救えないね」


 僕と彼女はそう言ってニヤリと笑いあう。



「ちなみにアマネの世界では金を作り出せたのかい?」

「理論上は可能ということがわかっているよ」


「おお、それは素晴らしいな。少々引っかかる物言いだが」

「ほんの少しの金を作り出すのに莫大なエネルギー、こちらでは魔力と言い換えればいいか、それが必要で金を作っても全く割に合わないってことがわかったのさ」


「あははははっ! なるほどそういうことか! いやまったく世界はそう都合は良くないということか!!」

「くくくっ! いや本当にその通りだね!」



 僕らはそう言って陽気に笑いあい、台所にはしばらく二人の笑い声が響き渡った。




「ああ、こんなに笑ったのは久しぶりだ。ありがとうアマネ」

「どういたしまして」


 彼女は笑いすぎて目じりに溜まった涙を拭う。いつもは眉を寄せて近寄りがたい雰囲気を醸し出している彼女。それが美人なのだからなおさら話しかけづらい。だがこうして笑っている彼女は綺麗な年ごろの女性にしか見えない。思わず間違った気持ちを起こしてしまいそうなくらいには美人だ。あまり考えてなかったが年齢は僕と同じか少し年上――


「このまま立ち話もなんだ、居間に戻ろうか」


 僕が年齢のことを考えた瞬間、彼女の柔らかな雰囲気は薄れ、おもてには険が戻っていた。こういう時女性の直感の鋭さを馬鹿には出来ない。たとえ世界が変わっても女性は女性ということか。



「さて、アマネの世界の知識を披露してくれたからな。今度はこちらが話す番だが」


 そう僕らは互いの知識を知る必要がある。


 僕と彼女は目指す点は同じ。魔法と科学で手段は違うが同じ結論を目指す二人が出会った。これは偶然ではないだろう。つまるところ彼女の“召喚”は成功したと言える。であるならば双方が双方の知識を吸収し研究を進めるのが最善であると考えられる。


 厳密に言えばパンの件は披露しただけで結果が出ていないのでまだ完全ではないのだが、ある程度信頼してくれているということだろう。


「その前に一つ確かめなきゃいけないことがある。気づいているかい?」

「何が言いたい?」


「口元を見てもわからないか?」

「口元?食べかすでもついているのか? ……ああ、そういうことか」


「そう、僕らは全く違う二つの言語を話しているのに言葉が通じている」


 僕の耳にはハンナが日本語を話しているように聞こえるが口元の動きは明らかに日本語のそれではない。おそらく彼女にも同様に見えているだろう。全くもって不可解な状況だがこれが魔法のなせる業か。



「言葉が通じないよりは今の状況はマシだが、さらに確認しなきゃいけないことがハンナの後ろにある」


 そう言って僕は彼女の後ろの本棚を指さす。


「後ろ? ああ本棚か。これが?」

「いくつか背表紙に文字……らしきものが書いてあるが全く読めない」


「つまり翻訳されているのは言葉だけということか」

「そういうことらしい。というわけでまずはこちらの文字を教えてほしい」


「ん? なぜだ?」

 彼女は怪訝な表情でこちらに投げかける。


「何故って、文字が解らなければこれまでのハンナの研究結果が解らないでしょ」

「すまないが、文字と私の研究結果がどう繋がるんだ?」



 これはもしや……。ある可能性が僕の中で浮き上がる。



「ハンナ、研究ノートってつけてるか?」

「そんなものつける必要があるのか?研究結果は私の頭の中にすべて入っているぞ?」


 ……ああ、こういうタイプは地球にいなかったわけじゃない。ただ今までの何が良かったのか、悪かったのか、知るためにはノートをつけるのが効率的だ。


「わかった。まあ文字はおいおい教えてもらうとして研究ノートは僕が付ける。紙とペンを貸してくれ」

「そんなものを付けたら研究が盗まれる可能性があるだろう? まあ此処は辺境だからその心配はないかもしれないが」


「わかってる。だからノートは僕の国の言葉で書く。これなら読めるのは僕だけだ」


 日本語で書けば読めるのは僕だけだ。彼女もまあそれならいいかと戸棚から取り出した紙と筆、そしてインクを渡してきた。


「これ……、高いんじゃないのか?」


 彼女に渡された紙は現代の真っ白な紙とそう遜色ない質感をしている。色合いは若干茶色っぽいが……。


「安くはないが高くもないぞ。気にせず使え」


 紙が高くないのか。この世界の文明レベルは謎だ。そして渡されたのは筆。羽ペンよりは使い慣れているからいいが。


「ありがとう。それじゃあ直近の研究を教えてくれ」

「ああいいだろう、今現在の目標は霊薬エリクシールの精製で――」



 僕らの話し合いは日が落ちて夕飯が近くなるまで続いた――。


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