第四話 メインディッシュは謎の肉
一部女性からすると不快な表現があります。
「う~ん」
大きく伸びをして起き上がる。あの後夜も遅いので一度寝てから積もる話をしようと相成ったが、彼女、ハンナの家にはベッドは一つしかないらしく、彼女曰く――馬小屋の隣の倉庫が空いているからそこで寝ろ。だそうで。
もちろんそこにベッドなどなく、藁に適当なシーツを被せただけの粗末な寝床ではあったが意外と寝心地は悪くなかったことをここに記しておく。
ただ藁のベッドは存外心地よかったものの、この倉庫は木造のかなり粗雑な造りで、事実壁を作っている木の板の隙間から数多の太陽の光が差し込んでいる。その光の光量から見ても日の出から大分時間が経ったと見える。左手の電波ソーラー腕時計は午前11時を指しているが“此処”では太陽電池は役に立っても、電波時計は何の役にも立たないであろう。そもそも一日が24時間なのかどうかすら怪しい。
軽く体についた藁クズをはたきながら彼女の家に向かおうと粗末な倉庫を後にする。倉庫を出ると森の香りが鼻をくすぐり、暖かい日差しが体を打つ。日本で言えば初夏を迎える頃であろうか?時折吹く涼しい風が何とも心地よい。
昨晩は暗闇の中だったので周囲の様子を探る術はなかったが、今でははっきりとその様子が見て取れる。まず目に飛び込んでくるのは倉庫を出て正面にそびえる雄大な山脈である。確か彼女はアルヴェン山脈とか言っていたか……。とにかく目の前の山々は頂に白い雪を備え、それぞれの標高の高さを雄弁に物語っている。写真でしか見たことはないが地球のスイスアルプスに匹敵する美しさだ。
次に飛び込んでくるのは木、木、そして木である。倉庫と家そして馬小屋の建屋の周りはびっしりと生い茂った広葉樹の森で囲まれている。しかしながら建屋を中心として半径50 mほどか、すっぽりとあたかも最初から木がなかったかのように森が消え失せているのは奇妙な光景である。魔法でも使ってこうしたのであろうか?
しかし天頂ほどではないにしろ大分太陽が高い。これは彼女を待たせてしまったかなと思い、気まずさを紛らわすかのように大きく深呼吸をする。そして彼女の家のドアを開くが……。
「遅い。もう昼食の時間だぞ」
その面から不機嫌さがひしひしと伝わってくる。彼女の家は玄関のドアをくぐるとすぐキッチン兼ダイニングなので、何かはわからないが何かの肉を焼いたいい匂いが漂っている。
「悪かった。これから気を付けるよ」
「まあ期待せずに待っていよう」
彼女はそう言いながら鼻で笑う。
「とりあえず食べながら話そう。生憎口に合うかはわからないが……」
彼女はてきぱきと昼食のメニューを――僕にとっては朝食だが――並べてゆく。僕の異世界初の食事は、メインディッシュの何かわからない肉、主食の如何にも硬そうな黒パン、そして外の畑で収穫したであろう馬鹿でかいキャベツと、トマトとナスを足して二で割ったような野菜を丸々ぶち込んだ漢気あふれるスープの三種だ。このラインナップから彼女には微塵も女子力というものを感じないが、異世界では食べられるだけで有難いことだし彼女の名誉のためにも贅沢は言わないほうがよいだろう。
料理を並べ終えた彼女は乱雑に椅子を引き、ぶっきらぼうに座ると勢いよくフォークをメインディッシュの肉に突き立て口の中に放り込んた。
「それ、何の肉なんだ?」
「ん? これか? タルビーの肉だ」
「いや、それじゃわからん」
「ああそうか……。そうだな……、これくらいの大きさの肉食の獣だ」
そう言って彼女は手を広げる。おいおい中型犬、柴犬位あるぞその大きさは。
「まあ食べてみろ、旨いぞ」
彼女に言われおずおずとタルビーの肉に手を伸ばす。一口大に切られた肉片を恐る恐る口に運んで一噛み、まず独特の臭みが口内を駆け巡る。すわ口に合わないかと思うも二噛み、先ほどの臭みを打ち消すように甘みの強い芳醇な肉汁があふれ出す。三噛み目、肉食獣ということで筋張った肉質を予想したがそれはいい意味で裏切られ、高級な和牛もかくやという柔らかさを堪能した。肉にかかっている塩コショウであろう調味料の塩梅もよく、あっという間に肉片は胃の中へ追いやられた。その美味しさから自然と笑みがこぼれる。
「気にいってもらえたようで何よりだ」
「ああ、こんな美味い肉は“向こう”でもなかなかなかった」
「まあ一応高級食材だからなタルビーは」
「いいのか? そんなの食べて?」
高級食材と言われ小市民的な僕の心臓は跳ねる。
「構わないさ。こんな辺境じゃあ買い手が現れる前に腐ってしまうからな。食べてしまうのが一番いい。それより昨晩はどこまで話したか……」
それを聞いて安心したと同時に、頭の中を切り替える。そうだ確か昨晩は……。
「ハンナの研究テーマが“完璧な人類の錬成”だという所までだな」
「そしてアマネの研究が“調整生命体の創造”だったか? 参考までに教えてくれ。どうやって生命を作り出していたんだ?」
彼女はそう聞いてくるがこれはなかなかに難しい。解り難い話を解り易く相手に伝えるスキルは研究者には必須の能力だが、ハンナは科学の“か”の字も知らない。どうしたものかと頭をひねる。
「僕の言う調整生命体とは知力、体力が元となった種より高くなった生命のことを言う。で、どうやって肝心の調整を行うかだが、生命体には遺伝子というものがある。まあ、神が作った生命の設計図だと思えばいい。こいつを弄くってより能力の高い生命体を作り出すんだ」
僕は一息に言い切る。これで彼女は理解するだろうか?まあ考え込んでいるようだしちょうどいい機会だ、一服しようと大ぶりの野菜の入ったスープに口をつける。これは……、すごくしょっぱいです……。出汁という発想がないのだろうか、塩コショウだけのスープは日本人の舌には物足りなく感じる。口直しにとかなり大きめにカットされたキャベツ――らしき野菜に手を付ける。おお、これは地球産のキャベツに味も食感も瓜二つ。キャベツの甘みとスープのしょっぱさがシンクロしてちょうどいい旨みを届けてくれる。ならばこちらはどうだろうとナスとトマトの合いの子の野菜に手を伸ばす。口に運ぶとシャキっとした歯ごたえが帰ってくる。うん、ダイコンだこれ。だがしかし舌に伝わる味は想像と異なり、酸っぱいトマトのような強い酸味とナスのようなほのかな苦みがやってくる。これが塩気のきいたスープによく合うのだ。スープを飲みながらタルビーのステーキにも手を付ける。望めるならば白飯が欲しいところだが。
「う~む、そのイデンシとやらはわからないが、何をするのかは大体解った。だが解らないこともある、設計図を書き換えるのはいいが組み立てるときはどうするのだ?」
彼女は少しの間考え込んでいたが、僕がスープを味わっている少しの時間で核心を突いてきた。あの程度のざっくりとした説明から僕があえて隠した“それ”に気づき、あまつさえ踏み込んでくる。
いいね。そうでなくちゃ困る。だがこれからの話に彼女は耐えられるだろうか?一抹の不安を抱きつつ僕は言葉を繋げる――。
「話は単純だよ。人間の調整体を作りたいならば、まず女性から赤ん坊の素である卵子を取り出す。しかる後卵子に調整を施し、女性の子宮にそれを戻す。後は十月十日待つだけで調整体人類が出来上がるってわけさ」
今の僕の顔は鏡に映せばさぞ醜悪に映っていただろう。口角が吊り上るのを抑えようともしていないから。
反対に彼女の顔はひどく青白い。無理もないだろう調整体人類を“フラスコの中の小人”とするならばその母体である女性は“フラスコ”扱いなのだから……。
「そんな……、そんなことがお前の世界では許されているのか……?」
彼女はようやく絞り出したか細い声で小さく非難の声を上げる。
「許されていないし許されるはずもない。だがそれでも、たとえそうだとしても知的好奇心を満たさずにはいられないのが研究者という人種だ。そう思わないかい、あんたも?」
そう言って彼女に強烈な二択を叩きつける。お前は女なのか研究者なのか、と。
重い沈黙が場を征する。しばらくして彼女は気持ちの整理がついたのかその顔の青白さは失せ、わずかな苦笑を浮かべつつぽつりぽつりと話し始めた。
「ははっ、私の中の女は“それ”に強く忌避感を持っている。持っているんだ。ただ、そうほんの少し、ほんの少しだけ私の中の好奇心が忌避感を上回っているんだよ……。そんな私を嗤うかい? アマネ?」
「嗤うものか、嗤うものかよ、ハンナ。その忌避感は正しく君の女としての感情だ。ただ研究者というのは業の深い生業だ。結果として好奇心が勝ったとしてもそれだけで君がおかしいわけじゃない。その忌避感と好奇心を合わせて君という人間なんだ。それだけの話さ……。そう重く考えることもない」
それを聞いたハンナは天井を見上げ大きく、そして深く溜息を吐く。しばらくのち彼女の中で折り合いがついたのか口を開いた。その顔は迷いが消え去ったように見える。
「少しだけ研究者寄りだった……。それだけの話か……。話を戻すが“調整”とやらは此処でも可能なのか?」
「いや、難しいだろうね。そもそも設備がない。まあ魔法で代替可能かもしれないが、生憎僕には魔法の知識がないしね」
そう言いつつも僕は黒パンに噛り付く。ホント硬いなこれ。味は悪くないがゴムサンダルの底を食っているようだ。
「そうか。ならアマネは何が出来るんだ?」
昨晩は値踏みするような形でそう聞いてきたが、今度は柔らかな口調で単純に好奇心からの質問であろうとわかる。
そこで僕は半分冗談のつもりでこう答えた。
「この馬鹿みたいに硬い黒パンを柔らかくできる」
「それは本当かっ!?」
どうやら彼女の今日一番の関心は黒パンを柔らかくすることらしい。