第二話 ハンナ・スカーレット
私、ハンナ・スカーレットは魔術師である。字名のスカーレットは私の魔法の師に貰ったものだ。結構気に入っている。
私は天才だ。齢八つにして魔術師に師事し、十五才の頃には師を超え“スカーレット”の名を授かった。魔術師にとって名を貰うことは一人前の証であり、弟子をとることが許され、自分のやりたい研究ができる。私のような若さで名を貰うことは前代未聞であり、私の将来は順風満帆で将来の成功は約束されたはずだった。
そう、はずだったのだ。
私にはやりたいことがあった。目指す目標があった。全身全霊をそのために捧げた。寝る間も惜しんで研究に没頭した。そんな私を都の魔術師ども、クソ凡人どもは轟々と非難した。
曰く、異端の所業。
曰く、神に反する行為。
私の師も例外ではない。なぜこの崇高な研究を理解できないのか、まったくもって度し難い。まあ私の胸をちらちら見てくる視線に嫌気がさしていたところだ。あのエロジジイと縁切りできたいい機会だ。
エロジジイのことはともかく、凡人共がうるさくて研究が遅々として進まないことに業を煮やした私は都を去り辺境へと旅立った。そもそも私の研究を理解できない凡人どもと一緒にいるメリットなどない。一人で研究に没頭出来るのだこれもちょうど良い機会だ。
しかしながら研究に没頭できる環境を手に入れたのはよかったが、私は行き詰った。だがこの程度でくじけるような私ではない。行き詰ったなら誰かの知恵を借りればよいのだ。自分の無知を認めることが出来るのも私が天才たる所以だろう。
知恵を借りるといってもここは辺境だ。こんなところに他の魔術師はいないし、そもそも私以上の魔術師などこの国にはいない。他の国に旅立つという手もあるがめんどくさい、却下だ。そもそも辺境でも知識を得ることが出来る方法があるのだから。
そう、『悪魔召喚』だ。
こんなこともあろうかとエロジジイの書庫から魔術書を借りてきておいたのだ、やはり私は天才だ。なんでも昔、『悪魔召喚』によって一晩で亡んだ国があって禁術指定だそうだが私には関係ない。魔術の発展に犠牲は付き物なのだから。
以上が私が『悪魔召喚』を行うまでの経緯だ。召喚を確実に行うため、慎重に魔法陣を描き、三日三晩通してあらん限りの魔力を注ぎ、万全を期して一日の休養を取った後召喚陣を起動したのだ。
結論から言おう、失敗した。
召喚陣自体は起動はした。ただし召喚時の強烈な光の後から出てきた者は何とも形容しがたい恰好だ。薄暗いためはっきり見ることは出来ないが、暗闇の中でも目立つ純白のローブは貴意の高さを伝える。特筆すべきは体のラインに沿った仕立てだろう。スッと伸びた足に張り付くような仕立ては薄暗い中でもそれが上等なものだと伝えてくれる。
しかしどんなに上等な衣服に身を包んでいても関係ない。なぜ私が失敗したと思ったか、その答えは私の『眼』になんの魔力も映っていないからだ。
この世界に生きる者は獣であれ魔物であれ人間であれ魔力をその身に纏っている。赤子でも多少の魔力は持つ。それなのに目の前に立つ男には何もない。悪魔であろうとなかろうと魔力を持たぬ者など聞いたことがない。
「もしも~し、聞こえますか~?」
「魔法陣の構築に失敗したか?いやそれはない、間違いがないよう構築に一週間は……」
「すいませ~ん」
「魔力量が不足していたのか?私の魔力で不足となるとこの世に成功する魔術師はいないということに……」
「失礼!」
「ひうっ!」
いきなり大きな声を出すな!変な声を出してしまったじゃないか!悪魔だか何だか知らないが、この男は礼儀というものを知らないのか!
「この状況の説明をお願いしたいんですが」
状況の説明?ずいぶん間抜けな質問だな。本当にこいつが私の研究の助けになるのか?
「ここは私の研究所の地下室だ。そしてお前は世界最高の魔術師たる私に召喚されたのだ。誇りに思え」
「つまりこうなったのは貴方が原因だと?」
何を言ってるんだこいつは?そう言ってるじゃないか。
「僕を元居た場所に返すことは?」
「知らんな。契約が終われば勝手に帰るんじゃないのか?」
これは本当に知らない。というか私は私の研究が進めばいいのでその後のことなど知ったこっちゃない。
「つまりお前はいきなり僕を拉致した挙句、その帰り方は知らないと言うんだな」
うっ。天才たる私にはわかる。この男にこやかに微笑んではいるが怒っている。静かに怒っている。この男がどの程度の実力を有するかは知らないが、暴れられて万が一があるとまずい。ここはマスター権限を使って……。
「マスターであるハンナ・スカーレットが命じる!跪け!」
「……。」
「……。」
おかしい。何も起こらない。
「ええい!跪け!」
「さっきから何をしてるんだ?」
召喚された男は、何か残念なものを見る目で私を見やる。それと同時に体を巡る血流の温度が上がり、恥ずかしさから顔面に血が集まるのを感じる。
「おかしいぞ貴様ぁ!召喚されたものはマスターの命令に絶対服従のはずなのに……」
そう、それがマスター権限。召喚された悪魔はマスターたる私に逆らえない。そう古の書物には記されていたはずなのに。
「先ほどチラッと言ってたけど、そもそも“契約”をしていないのでマスターも何もあったもんじゃないんじゃ?」
確かにその通りではないか!この男魔力は持っていないが多少の考える頭は持っているようだな!
「よし!ならば契約だ!」
「まあ当然拒否するけどね」
男は微笑みとともにそう言い捨てる。
「何故だ!?」
「あたりまえでしょ。いきなり連れてこられて絶対服従の下僕になれなんて、誰だって嫌だよ。やりたいことがあるので元居た所に帰りたいんだよ」
ぐぬう、確かにこいつの言うことにも一理ある。そんな状況は私でも御免だ。
「とりあえず立ち話もなんだし、どこか落ち着いたところで話さない?」
「あ、ああ。すまないそうするとしよう」
私たちはこの薄暗い地下室を後にした。