第八話 サブカル戦士達の集いと団地妻の憂鬱
サブカルチャー研究部の部室は、帝王学研究部の部室とほぼ同じ大きさだった。一番の相違点は、サブカルチャー研究部の部室には細々とした物が所狭しと並べられ、居住空間を圧迫しているところだった。ロボットや戦車のプラモデル、漫画雑誌や単行本、アニメ誌やテレビゲームの設定資料集、プライズ品などを代表とした低価格で手に入るフィギュアなど。個人の趣味趣向を抜きにしても、これだけの数のグッズが集まると異様な光景である。
見る者によっては『魔窟』とも言えるような室内。そんな中に帝王学研究部とサブカルチャー研究部、両方の部員達が入ると、相当窮屈な状態になる。特に美優と栞那は男性向けのグッズに囲まれて、居心地が悪そうに身を縮めていた。
「改めて紹介しよう。僕がサブカル研の部長、三年生の最上敏志だ。よろしく頼む。そちらは、二年生の伊勢谷と渋沢。そして本年度唯一の新入部員、菊田英孝だ」
部長である最上から紹介される度に、部員達が軽く会釈をする。伊勢谷は巨漢で渋沢は小柄という対照的な背格好の男達であった。共にメガネをかけていて、物静かな男であるというところは共通している。
菊田は内気で目立たない生徒だったが、一年二組のクラスメイトだったため悠希は彼の顔を見知っていた。
「菊田はこの部活に入っていたのか」
「来栖君、僕のこと知ってるの?」
「クラスメイトだろう? 当たり前のことではないか」
「そ、そっか。何だか嬉しいよ。来栖君は僕みたいな奴なんて気付いてもいないのかと思ってた」
部長の最上は人に何かを説明するのが好きらしく、一人席から立ち上がって司会進行役を率先して行っている。
その最上から依頼の詳細を聞くことになった。現時点でサブカルチャー研究部は部員が四名しかいないこと。このまま新入部員の勧誘期間が終了したら廃部になってしまうこと。それらを、尋ねてもいないのにオタクへの世間からの偏見に対する不満などを交えて冗長に語られた。
「それで部長さん? 私達は部員の勧誘を手伝うってことでいいのかしら?」
美優が先を急かすように話を進めようとする。少しでも早く、この居心地の悪い部室から抜け出したかったのだ。しかし、美優の声に答える者はいなかった。
「部員集めの極意を授けて欲しいということらしいが」
誰も話を引き継ぐ者がいなかったため、悠希がいつもの調子で最上に話しかけた。相手が上級生であろうが、お構いなしに上から目線である。
「いや、ウチの部活に人が寄りつかない原因はハッキリとしてるんだ。先ほども言ったように、ズバリ、オタクへの偏見だ。これがなくならない限り、サブカルチャー研究部に新入部員が集まることはないだろう」
最上は身振りを交えて持論を力説した。
美優はあからさまに発言を無視されたことに不機嫌になっていた。しかし、先ほどの質問は、最上に聞こえなかったのだろうと思い直し、再び問いかける。
「その偏見とやらを私達にどうしろと言うのかしら?」
最上は美優に答えるどころか、目を合わせようともしない。
「ちょっと、部長さん?」
「我々は具体的に何をしたらいいんだ?」
「ああ、ウチの学生達のオタクに対する偏見を取り除く手伝いをして欲しいんだ。プランは考えてあるから、それに沿って協力してくれたらいい」
祐からの質問にはむしろ饒舌に答える最上だった。いい加減、美優のイライラは限界に達しようとしていた。それを我慢して根気よく対話を続けようとする。
「……それで、そのプランと言うのは――」
「来栖君、そのプランなんだが――」
「ちょっと! どうして私を無視するのよっ!」
机を掌で叩きながら立ち上がる美優。最上の前に立ちはだかり、強引に彼の視界に入ろうとする。だが、最上はそっぽを向いて意図的にそれを阻止した。菊田が申し訳なさそうに仲裁に入る。
「ごめん、梅沢さん。ウチの部長、ここ一年くらい恋愛ゲームのキャラクターとしか女子と会話したことがないから……」
「……」
「まあ、オタクには金髪碧眼メイドの相手は厳しいんじゃねーか? お前、黙ってりゃ美少女だしよ」
閑崎のフォローを受け、美優が周りを見回すと、二年生の二人も赤面しながらさっと目を逸らした。美優はげんなりとした表情で聞き手に回ることにした。自分が参加しない方が、結果的に話が早く終わると判断したからだ。
「実は僕と一緒に仮入部をしてくれた新入生がいたんだけど……」
菊田は彼と一緒にサブカルチャー研究部の勧誘活動を受け、仮入部のサインをした生徒の存在を明かした。本来であれば、その人物の入部でサブカルチャー研究部は廃部の危機を免れるはずだったのだ。
「じゃあ、そいつに頼んで入部してもらえばいいだろ?」
閑崎の指摘はもっともなものだったが、菊田はばつが悪そうに視線を逸らした。
「それが、僕の幼なじみの女の子なんだけど、この部室の有様を見て二度と来なくなっちゃったんだ」
「ふむ、女子か……それは、厳しいかもしれないな」
多嘉芝が部室内を見渡しながら難しい顔をした。閑崎はもっともな話だといった様子で何度も頷いている。
「部室のこともだけど、やっぱり高校生にもなると、女の子としては周りからのイメージも大切にしたくなるんだろうな」
悠希にとって、サブカルチャーを愛するオタクの生態は理解し難いものであった。しかし、それが理解できなくとも趣味にのめり込む人間の気持ちはわかる。
だが、話を聞いていると、彼らの趣味が世間一般で理解されにくいものであるため周囲からの評判が落ちる、ということらしい。高々個人の趣味、それが他者を評価する基準になり得るのだろうか?
「先ほど最上部長もさんざん語っていたが、オタクという存在はそれほど世間から白い目で見られているのか?」
悠希からの質問に最上が待ってましたとばかりに勇躍する。
「その通りっ! 何か事件が起きれば、マスコミはそれをゲームやアニメの影響だとやり玉に挙げ、オタクに対する悪評を垂れ流す。一般人はそれを鵜呑みにして我々を――我々が好きな物を侮辱する! 我々が愛してやまないのは美しい虚構であって、薄汚い現実には何の興味もないというのにっ!」
最上が勢いよく立ち上がり、机を叩かんばかりに力説し始めた。
「そのくせ都合のいいときにはクールジャパンなどと日本のアニメをもてはやす。普段はキモいと言っておきながら、アニメをダシにして自分達が優越感に浸ろうとするのだ。世界が賞賛しているのは日本のアニメであって、お前達のことではないというのに。思い上がりも甚だしいっ!」
感情が昂ぶり、唾を飛ばしながら熱弁を振るう最上を美優が嫌そうな顔で見ている。その隣の栞那も迷惑そうな表情である。
「ふむ、具体的な庶民の声というものを知りたいものだな」
いまいちピンと来ていない悠希だった。その反応を受けて、菊田がおずおずと自分の考えを切り出した。
「試しに梅沢さんにオタクに対して言いたいことを言ってもらうというのはどうかな? 梅沢さんなら遠慮なく言ってくれるだろうし、オタクが一般の人にどう思われているかの一例になると思うんだけど」
「いいのね? 本当にいいのね?」
美優がキラキラと目を輝かせながらやる気を漲らせていた。望まれて毒舌を振るうことなど滅多にないことだからだ。
「これは、本当に大丈夫なのか?」
多嘉芝が不安そうに一同に念を押す。美優の遠慮のなさを熟知している者にしてみれば、容赦のなさ過ぎる口撃によって、阿鼻叫喚が予想されたからだ。菊田もだんだんと不安になってきたのだろう、プランの変更を提案した。
「梅沢さんの意見を三ツ瀬先輩の解釈で伝えてもらうというのはどうでしょう?」
「わっ、私がですか?」
「三ツ瀬先輩、お願いできるだろうか?」
戸惑う栞那だったが、悠希にそう頼まれれば断るという選択肢は考えられなかった。美優も不承不承ではあったが、菊田の提案を受け入れた。自分が口にしようとしていたオタクに対する『言いたいこと』を栞那に耳打ちする。栞那の表情が見る見るうちに強ばっていった。
「でっ、では発表します」
栞那が緊張した面持ちで美優の意見をなるべくマイルドに伝えようとする。困難の始まりだった。
「ええと……努力で何とかできる部分については、改善した方がいいのではないかということです。例えば、少しカラフルな服を着たり、ちゃんと髪型をセットしたりと見た目に関する部分に気をつけた方がいいと思います。他人に対する接し方を考えましょう。例えば、ちゃんと人の目を見て話すよう努力してください。あとは、毎日お風呂に入って、洗濯した服を着てください。フケが出ない程度には髪を洗いましょう。歯も磨きましょう。それと一番重要なことは、いい大人なんだと言うことを理解してください。ちっちゃな女の子はあなた達とは縁もゆかりもありません。必要以上に意識しないでください。その程度の常識がないような人は……ええと、デスですっ!」
「……最後のは英語だろうな」
「これ、言い方を丁寧にしてディスってるだけじゃねーか?」
「いや、三ツ瀬先輩はよく頑張ったと思うぞ……」
帝王学研究部の男子部員一同がひそひそと講評する一方で、サブカルチャー研究部の面々がひきつった顔を見合わせた。美優の毒舌を中和しようとしたこの試みが成功したのかどうか、誰にも判断できなかった。
栞那は上気した顔を掌であおぎながら美優に向き直る。
「はあ、緊張した。美優ちゃん、ああいうことよくズバッと言えるねえ」
「ちゃんと言葉にしないと相手に伝わらないじゃないですか」
「それはそうなんだけど……」
「栞那先輩も悠希に好きだってハッキリと伝えないと。あいつ鈍感だから絶対に先輩の気持ちに気付きませんよ」
「それはそうなんだけど……へえっ!?」
栞那は素っ頓狂な声をあげて椅子から飛び上がる。顔をみるみるうちに真っ赤にして、錆び付いたおもちゃのようにギシギシと美優に向き直った。
「どっ、どどっ……どうしてそれを?」
「……気付かれてないと思ってたんですか? ウチの部じゃ悠希以外は全員知っていますよ」
栞那は気が遠くなる思いがした。自分はそこまで隠し事ができない人間だったのかと不安になる。ハッと今の状況に思い至り、周りの人間に今の話を聞かれていないか確認する。男子生徒達はオタクとオタク文化に関する知識を悠希にレクチャーしているらしく、彼女達の話には耳を傾けていないようだ。栞那は胸をなで下ろした。
「思ったことをそのまま言っちゃえばいいんですよ。考える前に口に出しちゃうんです。それで話に入れないっていう悩みも解消されちゃいますから」
「だっ、駄目ダメっ。そんなことできないよ!」
「どうしてですか?」
「…………あのね、美優ちゃんには言っちゃうけど、実はね――」
美優が同性であること、そして悠希への好意が知られていること、それが栞那に最近の自分の悩みを語らせる後押しをした。口は悪いが、面倒見がよく義理堅い美優の性格を考えると、面白おかしく言いふらしたりはしないだろうという信用があった。
「私、ある出来事があって悠希君のことが、その……気になり始めたんだけど……」
栞那は美優の方を見ることもできずに、赤面している。声がどんどんと小さくなるので、美優は徐々に栞那に顔を寄せなければならなかった。
「悠希君と話したり、悠希君のことを考えると、その……エッチなことをね、想像しちゃったりするの……」
「え、エッチなこと?」
美優は身を引いて大げさに反応し、意外そうに栞那を見つめた。その視線に耐えかねたように栞那が言い訳をする。
「まっ、前まではそんなこと全然なかったんだよ? それに、誰にでもそんな想像しちゃうわけじゃなし……」
「例えば、どんなことをですか?」
「……言えない」
栞那は美優の視線から逃れるように両手で顔を覆って俯いてしまった。耳やうなじまで真っ赤になっている。
「それを詳しく説明した友達にはね、『欲求不満の団地妻みたいだね』って言われたの」
「だっ、団地妻?」
「だから、思ったことをそのまま言っちゃったら、大変なことになっちゃうの。……変態なことになっちゃうの」
「……」
この件に関してはこれ以上詮索しない方がよさそうだと、美優は判断した。大体において、欲求不満の団地妻とやらの欲望がどの程度のものなのかもよく分からない。そんなものに下手に関わったら、自分自身が大火傷を負いかねないと思ったからだ。
オタクに関する世間の認識など、手短ながらも悠希に対するレクチャーが終了したようだ。遠回りだったが、最初の最上の提案にまでようやく話が進んだのだった。
「ふむ、オタクというものが庶民から良くないイメージを持たれているということは承知した。よく分からない感覚だが、そういうものなんだろうな。で? それを払拭するために、どのようなプランがあると言うんだ?」
最上が得意げに持説を披露する。
「ああ、我々のような普通の生徒がアニメ好きだと言えば『根暗で気持ち悪い奴』との評価を受ける。だが、それが影響力のある生徒だった場合はどうだろう? 例えば学業優秀なイケメン人気者がアニメ好きだと知れたら、一般生徒は多様な趣味に理解がある『懐の深い人物』と評価しする。そしてアニメに対しても、そんな人物が好きな物なら素晴らしい物に違いないと思うだろう。つまり! 同じ趣味でも誰の趣味かによって、他者の印象が違ってくるんだ」
悠希からしてみても、さすがに最上のこの意見は極論に聞こえた。
「そんなに単純なものか?」
「庶民とはそういうものだよ。自分の感性より、他者の評価が価値観の基準になる。単純で流されやすい」
庶民とは、などという前置きで断言されてしまっては、悠希にはそれ以上の反論のしようがない。彼らのことが分からなくて、知りたくて、この帝王学研究部を立ち上げたのだ。悠希は曖昧に頷いて、最上の話を促した。
「そこで来栖君と、そこの君……ええと、梅沢君か? 君達の出番だ。我が校のオタクのフラグシップとなってもらう」
指名を受けた悠希と美優は、最上の意図を察することができずに、お互いに顔を見合わせた。
「校内でも目立つ存在である君達がオタクだと知れたら、オタクに対する評価も上がることになるだろう。そこで君達には立派なオタクになってもらい、それを存分にアピールしてもらう」
校内では奇人変人の類として知られている悠希と美優であったが、全校生徒からの評価は決して低いものではない。近寄り難いと思われているだけで、羨望や憧れの眼差しで見られていることが多いのだ。本人の立場、そして能力や容姿が優れていることがそうさせるのだろう。最上の案はそれを利用したものだった。
美優は血の気が引く思いがした。すでに奇人というレッテルを貼られかけているのに、これ以上濃いイメージを全校生徒に植え付けようと言うのか。オタクの評価が上がる前に自分の評価が地に落ちることが容易に予想できた。
異議を唱えようとする美優の肩を力強く掴み、悠希が堂々と宣言する。
「任せておけ。どのような困難な要望だろうと、我々に不可能はない」
自信に満ちた頼もしい言葉に自然と拍手が沸き起こる部室内。美優は絶望を感じていた。何事にも根拠のない自信を振りかざし、挑戦してしまう。こうなった悠希を止めることは不可能だという事を熟知していたのだ。
美優にとって生き地獄の幕開けだった。