第四話 俗物召還
三ツ瀬栞那が帝王学研究部に入部して二日が経つ。まだ通い慣れていない文化部の部室棟三階の部室。彼女にとってはすでに大切な場所だった。普段は塗らないリップを薄く引き、彼が気付いてくれるかもと淡い期待を抱きながら部室へと向かった。
その日の帝王学研究部の部室には栞那の知らない男子生徒がいた。悠希や美優と何やら話し込んでいるため、彼女の控えめな挨拶は誰にも届かなかったようだ。
栞那は会話の邪魔にならないように、部室内の棚に入っている備品を整理することにした。あらかじめ備え付けてあった棚にはティーセットや紅茶の茶葉などが雑然と入れられていたため、使いやすいように収め直しておきたかったのだ。
その男子生徒が梅沢美優に呼び止められたのは下校するために教室を出ようとした時だった。美優とは話をしたことがなかったが、彼女の事はよく知っていた。良い意味でも悪い意味でもとにかく目立つ存在なのだ。
文化部の部室棟三階、『帝王学研究部』という見慣れない表札が掲げられた小さな部屋。連れてこられた先には、これまた学校内で話題になっている来栖悠希の姿があった。
「何だよここは? 梅沢が顔を赤くしてモジモジしながら話しかけてくるから、てっきり告白されると思って着いてきたのに」
「下心が強くなると幻覚まで見えるようね」
「全く隠していないものを下心と言っていいのか?」
美優と悠希の男子生徒への対応はぞんざい、かつ無遠慮だった。
男子生徒は不機嫌さを隠す様子もなく、部室内を見回している。まるで胡散臭いものを見るような態度だ。身長は高いわけでも低いわけでもなく、体型はやや痩せ形。特徴はないが、すっきりとした端正ともいえる顔立ちである。
「何で俺、ここに連れてこられたわけ?」
その疑問は悠希としても同様に持っていたものだったので、彼をこの部室へと連れて来た美優を見やり説明を促す。
「こいつは……ええと、何だっけ? 假屋崎? まあ何でもいいわね、とにかく何故か私と同じクラスにいる奴よ。ねえ、一度聞きたかったんだけど、あんたどういうつもりであの教室にいるの?」
「酷くね!? クラスメイトの閑崎尚人君だろっ!」
「そう、確かそんな奴よ」
「何だよ、この扱いはっ。初めての彼女が金髪メイドっていう俺のささやかな夢を打ち砕きやがって」
「……で? この低俗な男が何故この神聖な部室にいるのだ?」
「待っていても部員は集まらないわ。だから暇そうなのを勧誘してきたのよ」
「お前ら、もう噂になってるぞ。変な奴らが変なことを始めたってな」
「ふん、『変』か。庶民の目にはそう映っても仕方がなかろうな。燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや、ということだな」
「俺は絶対こんな部に入らねーからな! どんな噂が立つか分かったもんじゃねえし。だいたい、人に物を頼むには――」
「なあ、美優よ。我が帝王学研究部の品位というものを考えろ。このような俗物を推挙するなど、お前らしくもないではないか」
「仕方ないじゃない。さすがにまともな人間を巻き込むのは気が引けるもの」
「おいっ、入らねーって言ってるだろ!?」
「何を言っているのだ。三ツ瀬先輩というまともな前例がいるだろうが」
「ああ、あの人はね、一時的におかしくなってるのよ。お医者様でも治せない心の病にかかっているんだから」
「それは本当か? すぐにいい病院を紹介した方がいいのではないか?」
「……ちょっと、人の話を――」
「まあ、聞きなさいよ。庶民の感覚を学びたいんでしょう? だったらいろんなタイプの人間を揃えて、その考え方を吸収すべきだと思うの。自分の欲望に忠実で、そのくせ常に他人の評価や噂を気にするような生き方、あんたに理解できる?」
「そう言われると全く自信がないな……」
「なあ、俺のこと見えてるよな? 俺、ここに存在してるよな?」
「それに、どんな人材でも使いこなせるというのがリーダーの資質でもあると思うわけよ。あんたは自分が気に入った部下しか率いることができないわけ?」
「むっ、そのようなことはない」
「ね、ねえ……ああー、どうしようかなあ? 俺ってば入部しちゃおうかな?」
「よし、わかった。そこまで言うなら仕方がない。俗物代表として貴様の入部を認めてやろう。ありがたく思え」
「酷くね!?」
栞那は全神経を集中して背後で行われている会話に耳をそばだてていた。体は棚に向いているのだが、作業の手が完全に止まってしまっている。悠希の口から自分の名前が出たことが気になって仕方がなかったのだ。
「三ツ瀬先輩もそう思いますよねっ!」
「は、はいっ!?」
閑崎尚人からの突然の呼びかけに、不意を突かれた栞那が調子外れの返事をする。初対面の新入生が名乗ってもいない自分の名前を知っていたのが不思議だった。
「私の名前……どうして?」
「一年生には意外と三ツ瀬先輩のファン、多いっすよ。ムチムチしてて可愛いのに派手さがないのが逆にいいって」
「むっ、ムチムチ?」
「ああ、栞那先輩。部室の整理をしてくださるのはありがたいんですけど、しゃがんだり台の上に乗ったりするとき気をつけてくださいね。こいつさっきからスカートの中、覗こうとしています」
「ヒッ!?」
美優の指摘に栞那がスカートを押さえながら飛び退る。
「ばっ!?ちがっ――みっ、見てねーよ。わざとじゃねーからっ! 見えてないからっ」
「結局どっちなんだ?」
「前から言おうと思っていたんですけど、栞那先輩は無防備すぎます。男の目というものを意識してください」
「ごっ、ごめんなさい。いつもは部室に悠希君と美優ちゃんしかいないから、つい……」
「俺も一応男なんだが」
「他の男に見られるのは嫌だけど悠希なら構わない、そういうことですかね?」
美優が極端な解釈をしてからかうと、栞那は耳の先まで真っ赤にして俯いた。
「ふん、三ツ瀬先輩は人を見る目があるだけだ。この俺がそのような低俗な真似をするはずがないと思っているのだ」
「えっ、えと、私は別に……はい、そうです」
「……うわぁ、つまんねえ。従順でエロ可愛い先輩を俺色に染めるっていう、この部に入る楽しみが半分失われたじゃん。あとはツンデレ金髪メイドとのイチャラブ学園生活を目指すしかなくなったよ」
「残り半分のお楽しみの可能性も絶対にないわよ。あんたね、思ってることをそのまま口にするの止めなさいよ。頭の中身が低俗なんだから」
「そういう特典もなしにこんな部に入るわけわけないだろ? どうすんの? どうしてくれんのっ!? 責任者を出せ!」
「おい、あっという間にクレーマーになったぞ」
「タチが悪いわね……やっぱりこいつの勧誘は考え直しましょうか?」
「まあ待て、俗物にも使いようはあるだろう。俺にいい考えがある。こいつが望む特典とやらを提供してやればいいのではないか?」
「特典って……いくらあんたの頼みでも、私は嫌だからね」
「そうではない。他にも俗物が好む物があるだろう――金だ」
「えっ、金っ!? 金くれんの? だったら入るっ!」
「……」
激しい食いつきように悠希と美優が思わずたじろいだ。閑崎は身を乗り出してギラギラと油の膜が張ったような目を輝かせる。恐ろしい執着心だった。
「幾らっ? いくらくれんの!?」
「人材の価値を総合的に判断して見積もりを出すとだな、年間契約で五百円といったところか」
悠希の金額提示に美優が馬鹿にしたような顔を見せる。
「あんたは本当に庶民感覚が欠けてるわよね。こいつに十円以上出す価値はないでしょう」
「酷くね!? 一年働いてチョロリチョコも買えないじゃん!」
「贅沢な男ね。チョロリチョコが無ければ草でも食べていたらいいでしょう」
「お前、何トワネットだよ!? 本家よりも酷えよ!」
「チョロリチョコとは初めて聞くチョコレートの名前だが、どんなパティシエが作っているんだ?」
「チョロリなめんな、このボンボンがっ! チョロリは鉄でできたパティシエが工場で作ってるんだよ!」
「ぼっ、ボンボン……ふうむ、庶民の説得とはなかなか骨が折れるものだな」
「……なあ、お前ら説得する気あったわけ?」
一向に進む気配のない勧誘活動を見かねた栞那がおずおずと提案する。
「あのう、一度来栖先輩に相談してみたらどうでしょう?」
「だめだっ!」
語気の鋭さに思わず身をすくませる栞那。悠希に叱られたのだと思い込み、目に涙を浮かべてしまう。
その気配に気付いた悠希が慌てて言い訳をした。
「ちっ、違うんだ。先輩に怒ったわけではない。ただ、姉上の手を煩わせるほどの問題では――」
「来栖先輩って、あの三年の!? お前の姉貴ってのは知ってたけど、この部と何か関係あんのっ?」
「亜希良様はこの部の名誉部長よ。時々部活にも顔を出すとおっしゃっていたわ」
「おいっ、美優」
「うっほお! マジで? あの来栖先輩だろ? 間近で来栖先輩の来栖おっぱいを拝めちゃったりするの?」
「……こいつマジで最悪ね」
「いやあ、あのレベルのおっぱいとお近づきになれるチャンスなんて滅多にないもんなあ。凄いよアレは。早く世界ナントカ遺産に登録すべきだと思う」
閑崎の狂喜は部室内の空気を一瞬で冷えさせた。人の良い栞那ですら硬質な真顔のまま彼を見つめている。閑崎はそんな雰囲気に気付くことなく嬉々として宣言する。
「非常識なお坊ちゃんに庶民感覚を教えてやるって事だろう? 同級生になったのも何かの縁だ。仕方ない、入部してやってもいいぜ」
悠希は苦々しく思いながらも彼の入部を了承した。部員集めの期限が迫っているのは事実だった。不純な動機の俗物とはいえ、入部希望者を逃す手はなかった。
「亜希良様を含めたら、これで五人揃ったことになるわね」
「名誉部長は部員ではない。あの人の名前は記載しない」
「そういうこと言っていられる状況かしら?」
美優は呆れながらも勧誘すべき次の部員候補を頭の中で検索する。あれこれ文句を言いながらも、悠希の意向に最善を尽くすのが彼女の常だった。