第三話 初めての部員
仮部室の部長用デスクで腕を組む来栖悠希は苛立っていた。生徒会に部活の新設申請書を提出してからすでに五日以上経つが、この仮部室を訪れる学生が一人としていなかったからだ。
部員を獲得するために十分な宣伝活動を行ってきたつもりだった。帝王学研究部のウェブサイトと新入会員獲得用の特別サイトを作り、学校の許可を得て、高天津高校のホームページに相互リンクを張った。さらに高天津高校の在学生が集まるいくつかのSNSで広報活動を行った。もちろん、ビラを作って学内の掲示板に貼ったり、下校時に校門前で帰宅部の生徒達に配布することも平行して行っている。
全ての実務は美優の手配によるものだった。これらの作業を三日の内に終えている。文句の付けようがない実務処理能力だった。
悠希は押し寄せてくる入部希望者をどうやって選定するかを考えていたくらいだった。これが支配層と庶民の価値観の違いなのだろうか? これでは帝王学を完成させるどころか、部の発足すら叶わない。
「まあ、当然でしょうね。こんな怪しそうな部活、好きこのんで寄りつく奴なんていないわよ」
「……どういうことだ?」
「言ったままの意味よ。だって、得体の知れない部活じゃない。正直意味がわからないと思うわよ」
「得体が知れない? 当然だろう、俺のような支配層と庶民では考え方や価値観が全く違うのだぞ。それを理解するために――」
「だから――奇人が部長をしているような訳の分からない集まりに入るはずがないと言っているのよ。評判ガタ落ちで学生生活が一瞬で終わるわよ」
美優の毒舌に悠希がキョトンとした表情で応える。
「奇人? いったい誰のことだ?」
「……」
完全に本気の発言だった。あまりにも無垢な表情に、さすがの美優も追撃を躊躇う。
「確認しておくが、部長は俺だぞ。お前は副部長だ」
「……ちょっと、あんた。それ、どういう意味なのかしら?」
そんな微妙な雰囲気の中、仮部室のドアが控えめにノックされた。悠希と睨み合ったままの美優が来訪者に向かって、「どうぞ」と呼びかける。
おずおずと入ってきたのは、大人しそうな女子生徒だった。上履きのラインの色から二年生であることが分かった。
セミロングの黒髪を耳の後ろあたりの二カ所で短く束ねている。顔立ちは整っていて、見る人によっては美人と言う人もいるだろう。だが、自信のなさそうな表情が彼女の印象を地味なものにしていた。
「あっ、あの、帝王学研究部の部室はこちらでしょうか?」
「そうですが……どういったご用件でしょうか?」
対応した美優は怪訝そうな表情だ。まさか人が訪ねてくるなどとは想定していなかったのだ。悠希の意向に従って広報活動に協力してはいたが、美優自身はこの部の設立に積極的ではなかった。
悠希がそんな美優をたしなめる。
「どういった用件も何も、入部希望者に決まっているではないか。失礼なことを言うんじゃない」
「そんなはずないでしょう。どう見ても普通の人じゃない。罰ゲームでもなければこんな所に――」
「あっ、あのっ、ごめんなさいっ!」
言い争いを始める二人に向かって上級生の少女が頭を下げた。自分が原因で火種が付いたような形になってしまったので、いたたまれなくなったのだろう。
「その……一応、入部希望者なんです。もちろん自分の意思です。だから、喧嘩は止めてください」
「……謝る必要なんてありませんよ、先輩。この程度いつものことなんですから」
ペースを乱された美優が取り繕うように咳払いをする。初めての入部希望者の訪問に悠希が勢い込んで呼びかけた。
「さあ、そこに座ってくれ。そしてこの書類にサインを!」
「ああ、はい。わかりました」
「ちょっと待った! 待ってください」
何の説明も聞かないままサインをしようとする女子生徒を美優が慌てて制止する。いかにも大人しくて押しに弱そうな女の子だ。キャッチセールスなどに容易く引っかかってしまいそうな危うさがある。本人の意思を確認してから段取りを進めるべきだと美優は思った。
「何だ美優。邪魔をするんじゃない」
「この馬鹿は部長の来栖悠希、そして私は仕方なく副部長をやっている梅沢美優です。先輩のお名前を教えていただけますか?」
「二年二組の三ツ瀬栞那です。一生懸命頑張りますっ! よろしくお願いしますっ!」
面接でも受けているかのように緊張しながら深々と頭を下げる上級生。上気した頬、真剣な眼差し。どうやら意気込みは十分のようであった。
「何が仕方なくやっている、だ。三ツ瀬先輩のやる気を見習え。何なら彼女に副部長を任せてもいいんだぞ」
「そっ、そんな――私にはそんな大役相応しくないです! ただの部員がいいんです。それでお願いします」
美優にとって副部長解任は望むところであったが、引っかかる部分を問い質しておかなくてはならない。
「それがよく分からないんですよね」
「え?」
「ここが『帝王学研究部』というのはご存じですよね。建前としては優れたリーダーになるための知識や心構えを学ぶという活動内容があります」
「あ……」
「それなのに三ツ瀬先輩は人の上には立ちたくないと言う。会ったばかりですけど、そういう我が強いタイプにも見えません。どうしてこの部活に入りたいんですか?」
「そっ、それは……」
返答に窮した栞那が真っ先に視線を移した先にはデスクにふんぞり返る悠希がいた。目が合った悠希は彼女の意図を測りかねて目を瞬く。栞那はとんでもない失敗をしたかのように顔を真っ赤にして俯いた。
その反応で美優は彼女が入部を希望する理由を察することができた。何が気に入ったのかは不明だが、栞那は部活内容ではなく悠希に興味、あるいは好意を持って、この部室を訪れたのだ。
美優が特別鋭いわけではない。その場に他者がいたら、ほとんどの人間がそれに気がついただろう。その中に含まれない男が諭すように美優に語りかける。
「なあ、美優よ。そのような一方的な見解は狭量というものだぞ」
「……あんたにだけは言われたくないわね」
「まあ聞け。いいか、世の中の人間全てがリーダーになりたい、トップに立ちたいと思ってるわけではない。人に率いられることを望む、あるいはその方が能力を発揮できる人間がいることも事実だ」
得々と解説する悠希を栞那が頼もしそうな表情で見つめながらコクコクと頷く。
「だが、部下が優秀だったとしてもリーダが無能では、その能力を活かすことはできない。率いられる方にも自分の上に立つ人間を選ぶ権利はあるだろう。リーダーを選ぶ目をどう養うか。それにはどのようなリーダーが優れているかを学べばいいわけだ。つまりだ、帝王学を極めることは、優れたリーダーを見いだすことにも役に立つということだ」
「さすがですっ。今、来栖君が私が言いたいことを全て言ってくれました」
小さな拳を胸の前で握りながら、栞那がここぞとばかりに悠希の考えを後押しした。美優の目から見た栞那の挙動は不自然で、嘘がつけないタイプなのだろうということが窺える。
「はははっ。そうだろう、そうだろうとも。俺にも庶民の感覚が身についてきたようだ」
「いや、多分この人、そんなこと全く考えてなかったと思うけどね」
栞那の気持ちにも気付かず浮かれる悠希を、冷ややかに見つめる美優。しかし内心では面白いことになってきたと思っていた。
悠希は女嫌いというわけではなかったが、年上の女性――特に彼に興味を持って必要以上に構ってくるような人物を苦手としている一面があった。それは亜希良という劇薬のような姉の存在があったからだろう。そんな悠希が年上の女性からの好意にどのような反応を示すのか? どんなうろたえっぷりを披露してくれるのか? 美優にとって興味深いことだった。
美優は帝王学研究部に何の思い入れもなかった。このまま部員が集まらない方が面倒がなくていいと思っていたくらいだ。だが、部が設立することへの楽しみができてきた。
考えてみると、帝王学研究部があろうとなかろうと悠希の奇行に振り回される学校生活になることに変わりはないのだ。だったら居心地の良い居場所を作っておくというのも悪くない考えかもしれない。
「……あと二人、というわけね」
「そっ、それじゃあ、入部を認めて頂けるんですか?」
「三ツ瀬先輩、貴女は勘違いをしている。そもそも美優には部員を選定する権利などないのだ。部長である俺が最初から認めている。おめでとう、貴女は帝王学研究部の部員第一号だ」
「ありがとうございますっ!」
頬を上気させ、瞳を潤ませた栞那が感極まったように頭を下げる。このコントは一体何なんだろう? 美優は内心突っ込まざるを得ない。
「せいぜい帝王学とやらを学んで、悠希のようなポンコツリーダーを掴まないようにしましょうね、先輩」
「はいっ! いえっ悠希君――来栖君がどうこうじゃなくて、帝王学を頑張ります」
「あら、『悠希君』って呼んでいいですよ。せっかく同じ部の仲間になったわけだし。ねえ、悠希?」
「ああ、俺は呼び名などにはこだわらないからな。何と呼んでくれても結構だ」
「じゃあ、『悠希ちゃん』で」
目を輝かせた栞那が即答する。
「……先輩、その冗談は笑えないぞ」
「そっ、そうですよね。じゃあ、『悠希君』でお願いします」
こちらの了承につけ込むかたちで、それ以上の要求を乗せてくるとは。冗談ということになってはいるが、目が完全に本気だった。ぽやっとしているように見えて意外と図太いのかもしれない。美優は三ツ瀬栞那という人物をそう評価した。