第一話 不発の先制攻撃?
「帝王学研究部?」
生徒会長の藤島芳弘が眼鏡のブリッジを指で押さえながら、手にしている用紙に書かれた文字を読み上げた。
その日の放課後、公立高天津高校の第一会議室では生徒会の活動に関する報告会が行われていた。新年度初めての会議であり、簡単な報告のみが予定されていた会議であったため、穏やかな雰囲気の中で進行していた。そんな会議の最中に、新入生の二人組が乗り込んできて部活動設立の申請用紙を彼に突きつけたのだ。
コの字型に組まれた長机のちょうど真ん中のスペース。その闖入者の一人、来栖悠希はあえて生徒会役員の視線を集めるかのように、その目立つ位置に立っていた。
高校一年生にしては少し小柄なその少年は、値踏みするかのように机に向かう一同を見回していた。まだあどけなさを残した童顔には、尊大とも取られそうな自信に満ちた表情が浮かんでいる。多くの上級生の前に立ちながら、物怖じした様子は微塵も見られなかった。
巨大複合企業、来栖コーポレーション。彼はグループを総べる来栖本家の長男で、将来そのトップに立つことを約束された人物だった。本来なら、この高天津高校のような普通の公立高校に入学するような生徒ではないはずだった。
悠希の隣には興味なさそうに窓の外を見つめる少女が立っている。長いブロンドヘアと青い瞳が印象的な少女で、学内でちょっとした話題になっているハーフの新入生であった。クリスタルでできた繊細な彫刻を思わせる透明感がある美少女なのだが、奇行が目立つという噂が流れている。その風貌と相まって、注目を集める存在だった。
梅沢美優は、自分に向けられる奇異の視線にうんざりしていた。自分の外見が日本では人目を引くものだということは理解しているが、奇人のように見られるのは納得がいかない。自分の奇行に見える行為は、常に行動を共にしている悠希の意向によるものなのだとことあるごとに訴えたかった。
今回の新部活設立の申請にしてもそうだ。わざわざ会議中に乗り込んで直訴などしなくても、正規の手順を踏んで申請用紙を提出したらいいのだ。余計な反感を買って効率的じゃない。
彼女は学生でありながら来栖家に仕えるメイドという立場でもある。学校は彼女のプライベートな場所ではあったが、主家の御曹司と同じ学校に入学したからにはお目付役という役割を自らに課さないわけにはいかなかった。メイドという仕事に対しては責任感が強い美優であった。
藤島会長は興味深そうな表情で申請用紙と下級生達を交互に見ている。もの珍しさもあるのだろう。二人に申請用紙を交付してくれた担任教師の言葉によると、少なくとも彼がこの高校に赴任してからの過去十年間、部活を新設しようとした生徒は一人もいなかったらしい。現生徒会にとっても初めて提出される用紙ということだ。
「なになに、活動内容は……将来率いるべき庶民達の考えや価値観を学び、支配層としての流儀と心構えを身につける、か」
芳弘が用紙に書かれた内容を読み上げると、役員達からこれみよがしな失笑が洩れる。
当然の反応だと美優は思った。無礼で生意気な新入生が奇妙な事を言い出せば、馬鹿にされるに決まっている。悠希のやり方は、余計な敵を作りすぎるのだ。 しかし、当の悠希には周囲の揶揄を含んだ反応に動じるような様子はない。
「ああ、『帝王学』という言葉がしばしば使われる事があるが、本来そのような学問は存在しない。リーダーが身につけるに相応しい教養や、心構えの総称をそう表現しているだけなのだ。俺は自分なりの『帝王学』を完成させたい。将来、優れた支配者となって、お前達庶民を正しく導くことができるようにな」
「庶民に支配層か……学校の部活動としては表現が適切じゃないな。『優れたリーダーになるための知識や教養を身につける』ということでいいのか?」
「庶民流に解釈したければそうするがいい。書面は勝手に書き換えてくれ」
「リーダーシップを学びたいと言うのなら、生徒会に入ってみるというのはどうかな? 来栖悠希君」
「生徒会? 学校側から与えられた権限の中で権力者ごっこをしている、ただの小間使いではないか。そんな物に何の意味がある?」
生徒会に対する痛烈な批判に室内がざわめいた。役員達は眉をひそめ、中にはこの生意気な新入生を睨みつけている者もいる。
そんな雰囲気の中で、芳弘は涼しい顔で悠希の批判を受け止めていた。身振りで周囲を静めると、ゆったりとした口調で反論する。
「君にとってはそうかもしれないな。だが、本当の自由が与えられる人間なんてほんの一握りだよ。多くの人間は社会に出てからも、与えられた権限の中で最高の仕事をこなすことを求められる。上からは押さえつけられ、下からは突き上げを食らう。それと似た環境下で自分の影響力を培うのは有意義なことじゃないかな。少なくとも、俺達にとっては意味のあるものだ」
悠希は不意を突かれたように黙り込んだ。彼は生まれながらにして権力を持つことを約束された身だ。しかし、学校とはそのような特殊な立場の人間が集まることを想定して作られている場所ではない。この場で彼の価値観を持ち出すことに何の意味があるだろう。
悠希は生徒会長の言い分に一理あることを認めた。
「お前の意見はもっともなものだな。悪かった、先程の発言は撤回する。庶民との価値観の違いを理解し、自分なりの帝王学を完成させるためにこの公立高校に入学したというのに、いきなり学ぶ姿勢を忘れてしまっている。まったく、忸怩たる思いとはこのことだ」
美優はため息をついた。この男は謝罪をするのにもいちいち尊大なのだ。言っている内容はともかく、胸を張って腕組みをしながらの謝罪などあるだろうか。
藤島生徒会長は意外そうな表情を浮かべている。悠希がこれほど素直に謝るとは思っていなかったのだろう。反感を持っていたはずの役員達も毒気を抜かれたような表情で事態を見守っていた。
自分が間違っていると納得できれば、素直に謝罪の言葉を口にすることができる。美優は呆れながらも悠希の美点は認めていた。
「ずいぶん素直なんだな。別に構わないさ、君の言っていることはある意味事実だ」
芳弘の戸惑いは一瞬のことで、鷹揚に悠希の謝罪を受け容れる。そして、再び申請用紙を確認しながら事態を収束しようと事務的な段取りに入った。
「うん、申請用紙は確かに受け取った。後は五人以上の部員の署名が揃えば部活動の新設は認められる。こちらのペースを乱して優位に立とうとしなくても、規定でそう決まっているからね」
「……ああ、よろしく頼む」
「ふうん、お見通しというわけね」
美優の台詞に芳弘は軽く肩をすくめる。彼にとっては何気ないリアクションだったのだが、美優は挑発的なものと受け取った。
いつかこの生徒会長の鼻を明かしてやりたいと美優は思った。彼女にとって、優秀な人物は全員ライバルなのだ。
美優は悠希の後を追うように、第一会議室を後にした。
「まるで子供扱いだったわね」
美優は先を歩く悠希に話しかけた。知らず、意地悪な声色になっていたかもしれない。時々こうやってへこまされるのは、彼にとって良い薬になるだろうと美優は思っていた。
「まあな――だが、この学校にも俺とやりあえるだけの人材がいるということが確認できたのは収穫だ。それに第一の目標は達成できたんだ、悔しがる必要はないだろう」
悠希の尊大さは変わらず、声には活力がある。相手にペースを握られ自分がいいようにあしらわれたことより、興味深い人物と出会えた事が彼にとっては印象的だったのだ。
修行中のメイドと自負している美優だったが、悠希のことを自分の主とは思っていなかった。歳が同じなため一緒に行動することが多いだけで、あくまで主家である来栖家の使用人として彼のお目付役をしているという認識なのだ。未熟な悠希では自分の主としては物足りない。だが、彼の前向きな姿勢は悪くないと思った。
後日、生徒会執行部より空き部室の使用許可書が届けられた。以後は文化部の部室棟にあるその部屋を仮部室として使用できることになった。
そして、二週間以内に五名以上の部員の署名を集めることができれば、正式な部活動として認められるという段取りだった。
署名用紙には部長として来栖悠希、副部長として梅沢美優の名前が記された。
仮部室の薄汚れたドアには見事な楷書で書かれた『帝王学研究部』の表札。外見からは想像もつかないが、習字は美優の特技の一つであった。
今後は、その小さな部室が彼らの本拠地となる。当面の課題は部員を集めることであった。