第十四章 * 囀る白孔雀
『シィーラは』
何をしにきたのでしょう?
見つめあうは愛しの少女に身を借りた、かつての最愛の存在。
それは何とも皮肉だと思った。
幼かった頃の自分ならまだしも、自分はもうその存在には煩わしさしか感じないからだ。
いくばくかの懐かしさは認めるが。
かつてその存在を神聖なものと崇めた少年は、一人の少女を愛する青年になったのを忘れてはならない。
しかしいくら身勝手であろうとも母親は母親らしい。良くも悪くもフィルガは彼女の息子なのだ。
今、彼女の目に映っている青年はどういう形で映っているのかなんて、改めて問わずとも解る気がした。
だからこそ余計に、どこまでもたちが悪い。
「”フィルガも一緒に神殿に行くのでしょう?だったら――・・・!”」
「お断りします」
「”いやあねぇ!まだ何も言っていないわ”」
ふんだ、とその見てくれのまま頬を膨らます様子は、実年齢を無視している。
解ってはいるが思わず微笑ましさを覚えてしまった自身にこそ、怒りを感じずにはいられないフィルがである。
なまじ可愛らしい分凶悪だと思う。誰彼構わず魅了して歩く白孔雀。
そこを肝に銘じて、いい様にされぬよう警戒を怠ってはならない。
「却下します。ご心配頂かずともディーナは俺が守ります。あなたもさっさとあの方の元に戻るといい」
「”あの方の許可は得ているもの。それにあの方もいい考えだった褒めてくださったのよ?”」
「だから何です?」
誇らしげに言う姿に腹が立った。まるで彼の誉れは自分の誉れと言わんばかりの態度に、いちいち腹が立つのは嫉妬に他ならない。
そのディーナの口から、他の存在を崇める言葉など聞かされたくはない。
「”フィルガが何と言おうと・・・考えようとあの方はアナタの、”」
「だから!何だというのです!?」
シィーラの言葉を遮って、フィルガは声を荒げていた。
母親でさえがこの調子で、父親もそう大差のない存在。
だとしたら自分は何者なのだろうかといつも思う。
「”そうね。だったら・・・抗ってみるといいのだわ――紅雷。”」
ク ラ イ
紅き雷と名づけられた
フィルガの魂の名
その名を知るのは、名づけた少女と名づけられた獣だけのはずだ。
フィルガの中の血が逆流し、一気に心臓に集まったかのような激しい鼓動に瞳孔が開く。
それに屈するわけにはいかないとばかりに、胸をかきむしりながら呻いた。
どうしたって芽生える殺意に流されてなるものか、と歯を食いしばりながら叫ぶ。
「何故それをアナタが知っているのです!」
「”今、わたくしはディーナという存在の器に収まっているからよ。彼女の記憶を辿るのは簡単だわ”」
対するシィーラの声音の調子は変わらず、余裕である。
実の息子が今、何を抱いているのかは間違いなく見透かしているだろうに。
あってはならない。向けてはならない。
いくら憎らしかろうと、獣の本性を剥き出しにして良いわけが無い。
そんな理性とは裏腹に、先ほどからその細く白い喉元から目が逸らせない事に焦りを覚えた。
「その名を呼ぶな。呼んでいいのは『ディーナ』だけだ」
「”そうよ。ディーナだけ!ディーナだけよ!だけど残念ね。名は言葉というものに変換されて初めてその威力を発揮する。この響きを持たせるのはディーナの唇よ”」
フィルガは鋭さを増した歯を食いしばる。ぷつりと微かに唇の端が音を立てて切れた。
胸元をかきむしるのは、あまりにそこが煩いからだ。
対する少女はすら、と優雅に己が唇に指を這わせて見せた。
ゆっくりと下唇の輪郭をなぞると、うっすらと口を開け指先を舐める。
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雷をくるむは闇 。 闇 振り払うは 光 。 光 放つは 雷 。 よって 光は 雷に従う 。
従うは雷光という名の放たれる槍 。つがえられる弓から、引き放たれる矢 。
その切っ先の射ぬくは、彼の獣の魂の在り処。 闇のとばりにくるまれた魂の在り処 。
振り払え、輝ける雷光の矢刃よ 。
射掛けられた雷光という名の下に、仕留めるは彼の者の魂の在り処 。
射かけよ、 闇を切り裂く雷の光 。
―― 彼 の 者 の 魂 を 我 の 物 と せ ん が た め に 。
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「”彼の者の魂を我が物とせんがために”」
彼女の唇から紡ぎだされる詠唱の美しさに聞き惚れながらも、込みあがってくる嫌悪感は獣としての本能だ。
屈してなるものか。
何故、人の子ごときの聖句で縛られねばならない?
今すぐその忌々しい詠唱を止めてやらねば気が済まない。
それは術者の命を奪うことを意味する。
冗談じゃない!!
そんな事をしでかしてしまう位なら、大人しく聖句の徒になる方がいいに決まっている。
だがそれに素直に従ってくれる本性ではないから苦しんでいる。
フィルガ自身、今『紅雷』という獣の手綱を取ろうと必死なのだ。
それは、この愛しき紅い髪の少女のために他ならない。
その強情さを満足げに見下ろしながら、シィーラは無情にも詠唱を続けた。
「”射かけよ、 闇を切り裂く雷の光 !”」
それは挑発以外の何でもなく、どうしたって獣の本性を引きずり出される。
フィルガは己のなかで軋む筋肉の変化に必死で抗った。
せめて、という想いのためか完璧な獣身に落ちることは無かったが、今にも暴れだしそうだった。
自身の腕の浮き出た血管や、隆とした筋肉、鋭さを増した爪を見ないようにと瞳を閉じる。
『白き雷』に永久の忠誠を誓う。
オレを紅き雷と呼ぶのなら、ディーナ、アナタはオレの白き雷とする。
そう宣言した自分にすがる。
【白雷!どこにいる、白雷!返事をしろ】
返事は無かった。
【どこだ?どこにいる・?白雷】
(紅雷・・・)
微かに届いた呼び声は幻聴かもしれなかったが、紅雷は素早く反応していた。
呼ばれたことに対する誇らしさと忌まわしさを同時に抱えたまま、その身に飛び掛かり押し倒す。
相変らずの跳躍力の高さが、この時ばかりは忌々しかった。
ほんの一蹴りで距離を縮め、気が付けば少女の身を地面に押さえつけていた。
背を強かに打ち付けたとあって、呼吸すらままならなかったらしく少女は喘いでいる。
その苦悶の表情をいい気味だと喜ぶ獣がいた。
そんな獣が暗い笑みを浮べると、組み敷いた少女は弱々しく微笑み返してきた。
あろう事か牙をむき、殺意をむき出しのままだったというのに!――少女は嬉しそうにはっきりと笑み浮べていた。
「く、らい!」
私の、と満足げに呟かれては毒気も抜かれ、牙も抜かれたに等しい攻撃だ。
どんな聖句よりも強大な威力に、獣の殺意はなりを潜める他は無かった。
【ディーナ!】
「”そうよ。ディーナちゃんはここにいるわ。眠っているだけ”」
素早くシィーラの気配が表に出てきた。
ディーナはここに、と両手を少女の胸に当てながらそう繰り返して微笑んだ。
「”『銀の彼』はどこかしら?また会えるのかしら?それとももう会えないのかしらと、思い詰めているのがディーナ。かわいそうにね、フィルガ。残念だけど、ディーナちゃんの心は彼にかっ攫われているようよ?目の前の公爵家の跡取りではない、銀の彼こと紅き雷と名づけた獣にね?”」
さら、と髪をすくい上げられて、フィルガの中の紅雷がゆっくりと眠りに落ちて行くのがわかった。
ディーナの心を占めるのは銀の獣と知り満足したらしい。
それとは逆に聞き捨てならないと、眼を覚ましたのがフィルガだ。
自身の中で眠りに付こうとするケダモノと入れ替わる形で起きた。
その目覚めは何とも複雑だった。
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フィルガとて心得ている。
己が成りこそは人ではあるが、存在自体は『獣』ということくらいイヤと言うほど知っている。
知っているが見たくない事実だ。
力一杯押し倒してしまった身体を抱き起こし、頭についた葉っぱを払ってやる。
「”フィルガ!アナタもわたくし達と同じなのよ。それを認めたアナタでいて欲しい。
恥じることもなく、ましてや嫌悪を抱きながらなどではなく。そうでなければ思うまま力を発揮できないわ。
その迷いが枷となり、つくべき隙とあの人たちには映るだろうから”」
「俺は何者なのですか?」
「”自分では何と思っているの?”」
「量りかねるから実の母親に尋ねているのです」
「”決まっているじゃない!そんなの。ふふふ”」
「何です?」
「”言われないとわからないの?嫌ね。ディーナにでも聞いてみるといいわ。彼女ならちゃんと答えてくれるでしょうから”」
困った子ね、と笑われてフィルガは何とも居心地が悪かった。
「そう思うのなら早い所お引取り下さい。いい加減、ディーナを戻して・・・何がそんなにおかしいのですか?」
シィーラはくすくすと笑いながら、そんなフィルガを見つめていた。
ふてくされたように、ぶっきらぼうな口調で尋ねられても気にも止まらないらしい。
「”だってね!危険だと思って心配もしているけどね、少し懐かしいなと思ってね!”」
「懐かしい?何をのん気な」
無邪気に続ける母親に、フィルガはゲンナリしていた。
そもそもこの人に場の空気を読め、などと要求する方がおかしいのだ。
彼女はいつだって、自身の良い様に空気を変えてしまう。
おかげで周りを見渡して見れば、いいようにされてしまった者達が今もシィーラを待ち侘びている。
その魅了したままの手綱、橋渡る前に手放してやればいいものを。
獣たちに加えて神殿仕えのあの男が浮かんだ。
ヒゲ面のギルムードとかいう男は、子供の一人や二人いてもおかしくない年だ。
それでも未だ独り身でシィーラの影を追い続けている。
おそらくフィルガの目に入らないだけで、まだまだ被害者がいるに違いない。
「”あら。わたくしだって神殿に呼ばれて、不安は無かったわけじゃないのよ”」
「ああ。そうですか。」
「”もう!本当だったら!可愛くないわね――フィルガ。不安がるわたくしにあの方はずっと寄り添っていてくれたのよ”」
「お惚気ですか。息子相手に」
「”いいからお聞きなさいな。あの頃のわたくしは『契約に従って』まだ記憶が曖昧だったの。
自分の存在に自信が持てなかったから、危うかったと思う。だから言い切れる。ディーナを一人で神殿にやってはダメ!
揺らぎの無い自分自身を確立できないまま、あそこに赴くのは危険だわ。
色々な思惑が渦巻くあそこはね、自分というものがなければ他者の思いに染め上げられてしまう。
正義と言う名の下にね。それがさも、己自信で導き出したかのような答えだと錯覚してしまうほどに、巧妙なのよ”」
「そうなったら、アナタはどうなっていました?」
「”巫女としてずっとあそこに留まっていたでしょうね。もっとも・・・時間は限られるけど。
それより何より、アナタがいなかったと思う”」
「シィーラ」
「”そうよ!あの方がお側にいてくれたからこそ、アナタを授かったのよ!それはとても誇らしいとわたくし、思うわ”」
「シィーラ。アナタって人は、まったく」
「”ふふふ。だからね、フィルガ!上手く行けばそれはいい機会よ”」
「何のですか」
飛びついてきた柔らかな身体を受け止めながら、フィルガは苦笑した。
「”決まっているじゃない!本当にディーナちゃんはいい造りだわ。でかしたわ、フィルガ。
流石呼び出すのに十七年もかかっただけはあるわねぇ。待ったかいがあるというものでしょう?”」
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「フィルガ殿?」
「ディーナ」
「私、一体どうして外に?だって、確か」
「ディーナ。良かった。帰ってきてくれて」
「フィルガ殿。私、どうかしていたのでしょう?」
「ディーナ・・・ディーナ。良かった。あなたは意識を・・・失っていたのです」
「ごめんなさい」
「謝らなくともいいのですよ」
「だって、フィルガ殿の様子が尋常じゃないのですもの」
ディーナはその唇に手を伸ばしていた。気がつけば触れている。
「アナタは戻ってきてくれた。だから大丈夫ですよ」
戻る?自分はどこに意識を飛ばしていたのだろう。その間に何があったのだろうか。
フィルガの縋るような、安堵に満ちた瞳の光が柔らかい。それが、嬉しくて苦しくなった。
「うん。はい。ただいま」
内心の苦しさを押しやって、ディーナは精一杯微笑んで見せた。
『ただノロケに来たのか』
フィルガにしてみたらそんなところでしょう。
何て事は無い。ちょっかい出しにきただけです。
しょうもない。
そんな事は無く、フィルガに課題を突きつけに来ました。
シィーラさんはこれからも出しゃばってくるでしょう。