* 風に乗る歌声
術は机上で学ぶものではない。
ましてや頭だけに覚えこませるのは効率が悪い。
真に身に付かせたいのなら、その魂にまで記憶させるに限るよ。
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「アナタは。基礎をここまで固めて置けと一週間前に言い渡したはずですよね、ディーナ?」
「申し訳ありません、フィルガ殿」
「謝る暇があるのなら、この展開を説明する術を頭に叩き込んでください。いいですか?ではもう一度説明をしますよ」
「よろしくお願い致します、センセイ」
『経験不足を補うのは知識』をモットーに掲げた彼は宣告通り、実に容赦が無い。
一日中術の展開と解読とやらを、色々な角度からディーナに見れるようになれと教えてくれる。
事細かに根気強く――厳しく。
ねぇ、フィルガ殿?
――フィルガ殿?
あのねぇ
こういうのは実践を伴なって初めて活きてくるものじゃない?
なんていう言葉は一睨みされた後、一蹴された。
その実践に至るまでの道のりはこんなものです、とにべも無い。
この調子で行くと実践は『ぶっつけ本番』になる気がするが。
それもまた申し立てたところで却下され、大人しく教師に従うディーナである。
それにあまり日が無いのだ。ディーナが神殿に『召集』される日が。
その日が近付くにつれ、正直気が滅入ってくる。
フィルガも一緒に行くと言って譲らないが、多分ソレは公には叶うまい。
よくてなにかしら胡散臭い手を使う事になるだろう。
事実上は敵陣に単身で乗り込む事になるのだ。
ディーナは心して掛かろうと思っているから、こうやって根性を振り絞って必死に勉学に励んでいる。
秀才の彼に手ほどきを受けているのだ。
かつて『フィルガ殿を超える術者になるから!』等と、本気で言っていた自分が恥ずかしい。
遥かに自分を凌ぐ相手の実力も測れやしない、身の程知らずとはそういうことだ。
ばか正直に認めるのならば、未だに彼に物事を頼むのは癪に障るのもまた事実だった。
だからと言って学ぶ事を放棄する気にもならない。
彼には無条件で反抗したくなる。それは多分、彼がディーナを甘やかすからだ。
何だかんだと言っても、フィルガはディーナに対しては過ぎるほどに甘いのだ。
ディーナが神殿に行くと言ってしまったから、それなら精一杯応援してやろうというのが彼のやり方らしい。
そのやり方の現われがこの一日中の猛勉強と言う訳だ。
だがそれもどこかしら面白くないであろう彼は、ちくちく嫌味ったらしい物言いで始終ディーナをやり込めるようになったが、それでもディーナは黙っている。
それだけフィルガは納得行かないのに、付き合ってくれているらしいとディーナとて解る。
文句を言うつもりは無い。むしろありがたいと思っている。
何て根に持つ性格なんだろうかと実際は呆れるを通り越して、彼らしいと妙に納得するディーナである。
彼の執着心を舐めては行けないとすら思った。
それは『シィーラに』であってディーナにではないと踏んでいたのだが、それはとんだ間違いのようだと認めるほかは無い。
どれほど待ち侘びたと思っているのですか?
ディーナの認識の甘さに物凄い笑顔で、その実ちっとも笑っちゃいない恐ろしい社交辞令の笑みで迫られ逃げられなかった。逃すかと物語るかのような笑みで見下ろされると、固まるほか無いのだ。
物事を上手く運ぶためにと提案されたかりそめの婚約者に、うっかりと乗ってしまったのはディーナである。
いつでも取り下げる気まんまんのディーナだったなどとは、よもや口が裂けても言えない。
その前に『口封じ』されてしまうのがオチだ。もちろん、命を奪うというやり方以外をさす。
もうかりそめだろうと何であろうと、婚約にこぎつけた事は彼の安心材料でもあるらしい。
神殿側に対する、無言の圧力である。
しょせん流れ身のディーナだ。フィルガに与えられる事はたくさんあっても、彼に与えてやれる物は持っていない。
地位も財産も術者としての類まれな才能も、既にそれらは彼のものだ。
与えるものが無いと訴えるディーナに彼は提案してきた。では代わりに不動のものを下さい、と言われてまた頭を抱えた。
それが何かなどと深く考えたくは無かった。今は、まだ――。
(それは恐らく。この身と心を両方・・・魂ごと)
そんなやり取りのまま授業に入る彼が信じられなかった。
おかげであの日は集中できなかった。今でも思い返してしまうたび、必死で頭の隅に追いやるしかない。
(逃げたい)
相変らずの結果しか出てこないディーナである。
全てが済んだらお暇乞いをする気は未だに失せていない。
婚約を破棄してくれ等と申し立てて、ジャスリート家の若君に恥をかかせた女と広く知られるのも避けたい展開ではある。
その逆なら一向に構わないが――。
そうかその手があったか!と思い当たったのは、ディーナにとっての安心材料だ。とはもちろん伏せている。
「ディーナ」
ぱん、とフィルガが両手を叩いていた。
は、と我に返る。
「も、もうしわけありませんでした、センセイ」
慌てて謝る。
「ここまでにしますよ」
「滅相もございません」
――そんなやり取りをずっと繰り返して、はや一週間である。
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根を詰めすぎて、頭が痛くなってきた。無意識に頭に拳を当て込んだ。
はふ、とひとつ息を吐いてからディーナは切り出す。
「ねぇ、フィルガ殿。私、術者対決もあるけれども。それだけですまない気がする。この国の裁判と審議会、かつてのシィーラの時の記録も見ておいたほうがいいと思うの?どうかしら?」
「確かに。それはありますね。法に長けた連中を相手にする事になるでしょう。まぁ、何にせよ彼らの都合のいいように転がされそうですけれどね」
「うん。それは避けられないとは思うよ。でも、私なりに下準備くらいはしておいた方がいいと思うの。呼び出されて縛られたままの獣たちのためにも」
「いいでしょう。俺もそう思います。気持ちの上で負けないためにも、その辺もつめておきましょう」
「よろしくお願いします」
「俺よりも祖母の方が詳しい所もありますから。それをまとめておきますので、明日からでいいですか」
「もちろんです。ご面倒お掛けします」
では資料を取ってきましょう、とフィルガは早速取り掛かってくれるようだった。
「では、ここからここまで『暗唱』できるようになっていて下さい。出来ねば進みませんよ?」
「ぅ・・・も、もちろんです!」
指定箇所は優に二十項目はある。
フィルガは薄く微笑むと席を立った。
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【やあ・・・ディーナ。お勉強は進んでいるかな?】
カーテンが風に優しくさらわれてふうわりと持ち上がった。
風が引くとカーテンも一緒に引いてゆく。
それと同時に幼い容姿の彼が現れた。
くすくすと忍び笑いを漏らしながら、窓枠にもたれかかっている少年にディーナは目を細める。
いつの間に、とか。
いつから等とは、彼には愚問でしかないハズだった。
だからディーナは何も訊かない。
当たり前のように彼の存在を受け入れる。ただそれだけ、だった。
どうしてだろう。彼を目の前にしているとその何もかもどうでも良くなってしまうのだ。
その儚い風情にほだされるのだろうか。
「トゥーラ。見ていたのならあえて訊かずともわかるでしょうに」
ため息交じりでディーナは答えた。
すぐに視線を手元に戻し、覚えこむために書き取りを再開する。
術をかわすに必用な配列を敷き詰めるとは、についての術句に、術を惑わし相手に返すための配列との違いとは。
気が遠くなりそうだ。だが、やり遂げねばと思うから向き合っている。
【必要ないよ。だってディーナは全て知っているから。改めてお勉強などする必要なんてないのに。僕がついているのだから、ディーナ。僕らの愛し子。君は神殿に上がる前に決着を付けたい相手がいるはずだ。そうだろう?】
「知るわけないじゃない!それに、だ・・・誰と」
否とは言わせない。そんな無言の脅迫にも似た彼の見透かすような眼差しに、すべてが晒されてしまう。
ディーナは首を横に振ることは出来なかった。もちろん、縦にも。
【決まっている】
逃げねば!
彼の眼差しに捕らえられる前に、という本能からの警告も空しく身体は動いちゃくれなかった。
せめて目を閉じてしまわねばとも思ったが、何もかも遅かった。
すぐ目の前に、少年のまろやかな手の平がかざされている。
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部屋に戻ってみればディーナの姿が見当たらない。
教科書は開きっぱなしだ。窓から入る風がページをめくって遊んでいる。
どこへ?と不審に思う間もなく同じ風に乗り、歌声が届いた。
窓から見下ろした中庭に紅い髪。
フィルガは急いで階段を下りた。
「ディーナ!また勝手に抜けだして!」
木々に指先を添わせながら進む彼女の背に声を掛ける。
充分に咎を含ませた叱責に、歌声がぴたりと止んだ。その歩みも。
ディーナはゆっくりと振り返ると、フィルガを見上げた。
「フィルガ殿。実践をお願いしたいわ」
自信に満ち溢れた笑顔に寒気がした。
フィルガはそれが放つ歪みに、彼女が『ディーナでは在らざる者』だと知る――。
おひさしぶりでございます。
ずっと書いては消し〜の日々。
あっという間に・・・こんなに月日が経ってました!
お付き合いありがとうございます!