* 闇に染む光
「つかの間の」
穏やかな朝の始まり――。どうぞ満喫して下さい。
闇に――。
まみれている訳でも無く、染まり切れている訳でも無い。
かと言って光で在れるはずも無く。
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僅かだが室内に射し込む光。それはフィルガの瞼を持ち上げさせる所か、ますます頑なに目元に力を込めさせる。
昨晩も眠りに付くのが遅かったフィルガである。やっと寝台に横になってから、そう時も経っていない。
かろうじて日が昇るよりも前に、といった時分だったのだから当然眠り足りない。
眉根を寄せ、フィルガは光に背を向けるように身体を反転させる。少しでも光を遮るべく、上掛けも引き上げて被った。
もう少しばかり眠らねば、今日に差し支える――。
そう思いながら再びまどろみに身を任せようとしたその時、フィルガの耳に届いたのは『彼女』の笑い声。
それは何よりもフィルガを目覚めさせる。まだ身体に重みは残るものの、フィルガは起き上がっていた。
寝台から身を起こすと、迷うことなく窓辺に近寄る。朝のまだ弱々しい陽射しではあるものの、起き抜けのフィルガにとっては眩し過ぎるほどだ。まだ日に慣れぬ目を無理やりにこじ開けねば、開いているのもまま成らない。
(――それならばもう少し横になっていればいいものを)
自分自身に苦笑する。
あまりに楽しそうな小鳥のさえずりを無視できなかったのだ。
もっとも彼女は小鳥よりも、孔雀に譬えるのが相応しい。赤い髪が豊かに波うち、日の光を輝き返して豪奢に広がる様など目にしたら特にその表現に誤りは無いと確信できた。
孔雀――。己の中の先入観も有るが、彼女の容姿は小鳥くらいでは収まりがきかぬ。その身の在り方はここの所、一際
優雅に広がりを見せるようになった。この館に来たばかりの頃の孔雀もそれはそれは優美だったが、あの頃広げられた羽根は彼女が身を隠したいがための物だった。
誰も彼も寄ってくれるなと広げられる、威嚇を込めた紅の扇。その紅が目の前の獣を余計に煽るとも知らずに。
もっとも華美な羽根を広げ魅せ付けるのは、オスの孔雀だけなのだが。
美しさを見せ付けるのもまた、強さの表れでもあると思う。その凛々しさはやはり孔雀でいいと頷ける。
・・・・・・孔雀は滅多にさえずらなくなってきていた。――ことフィルガやルゼの前では特に。
微かにほほえむことは有るのだが、楽しそうな笑い声をフィルガは久しぶりに聞いた。
それを聞き逃す理由などあるまい。一体何が彼女の心をくすぐっているのかにも、興味が湧いた。
それこそ軽い嫉妬も含めて。確認するべく、フィルガは窓から身を乗り出した。窓枠に手を掛けて見渡し――見つけたと同時に苦笑する。
(ディーナ!まったく貴女は・・・・・・また叱られますよ?)
見下ろすディーナは白と黒と赤それぞれの毛並の獣達と、井戸端に座り込んでいた。見たところ身軽な寝間着のままで。
レドにダグレス。それとごく最近加わった『クゼラ』が、大人しく順番にディーナの差し出す手を待っている。
―― は い 、 ど う ぞ 、 レ ド 。 は い 、 ダ グ レ ス 。 は い 、 じ ゃ ぁ 、 ク ゼ ラ 。
井戸の手桶は皆が使う物。その配慮からなのか知らないが、ディーナはひとすくい、ひとすくい、獣たちに水を与えてやっているのだ。
当然――獣の口に入る前に水は、掌の間から盛大に滴り落ちてしまっている。ソレを獣がせいぜい二舐め。
だからまたすぐ汲んでやる。レド、ダグレス、クゼラへと順番に。
獣の舌が彼女の掌を舐める度、はしゃいだ笑い声が上がる。嬉しそうに水をまた汲んで差し出す。また笑う。
その繰り返し――。
ディーナが笑うのはくすぐったいのと、己が掌では用足りぬ小ささを新鮮な驚きと捉えての事だろうか。
獣が水を飲み干す毎に、彼女の笑い声は高まる。また笑いながら、水を湛えた手桶に両手を浸しては差し出す。
(・・・・・・アイツら。何を甘えた事を!水くらい自分で飲め)
忌々しいながらも、その微笑ましい光景にフィルガは小さく吹き出した。その光景にと言うよりも、これから起こるであろう彼女の身を案じて。
おそらくと言うよりも確実に。彼女達からお小言を喰らうであろう、その光景に。
いい加減に学習して頂きたい所だが、そうできない訳ではなく懲りないだけだろう。あるいはちっとも堪えていないか。
(・・・・・・。)
いい加減、止めに入るか――。このまま放っておけば彼女は気の済むまでずっとそうしているだろうから。
衣服が充分に水を含み、身体が冷えようとも遊びに夢中のディーナが構うわけが無い。
そもそも誰も止めには入れまい。あのような獣に囲まれるディーナに、そう易々と近づける者はいないのだ。
せいぜい自分か祖母くらいだろう。取り巻きに囲まれた彼女に直に何か言えるのは。
今頃ディーナ付きの侍女が姿の見えぬ主に驚き、またかと探しているに違いない。そうなれば見つかるのも時間の問題だろうに。
見下ろす彼女は一向に気に留める様子は無い。そんな事はお構い無しで遊びに熱中している。
(・・・・・・侍女達が騒ぎ出し、ディーナを止めてくれと懇願される前に止めに入るか――。)
そう思い立ち、フィルガは身支度を始める。
部屋着を脱ぎ捨て寝台に放り、椅子に掛けたままの上着を身に着ける。湿らせた手ふき布で顔を乱暴に拭う。
髪もそのまま微かに湿った掌で撫で付けた。視界に入る髪先が疎ましい。肩に掛かる程の長さも有るのだから、当たり前なのだが。
未だ馴染めぬ髪の扱いに寝起きの不機嫌さも加わって、姿見に映る己の表情は険悪だった。
「・・・・・・・・・・・・。」
申しわけ程度に髪を撫で付けまとめると、素早く紐で一纏めにする。これでフィルガの身支度は完成だ。
無言で自身を一睨みして、フィルガはさっさと姿見から離れた。
それでも目の端に残る自分の残像に、視線を引き剥がしたというのに囚われている。
灰色の印象強い髪と瞳。よく言えば銀か――鉛。どちらかと言うと鉛の、鈍く重たく冷えた印象を見る者に与えると思う。
それが朝の陽射しの元ではいくらか軽さも増して見せるが、それもまたフィルガにとっては不愉快の元だった。
くすぶった鉄の色合いは浅い侵食の証。母方の薄い金色の髪を受け継がなかった息子を見て、誰もが父親の事を思ったのも頷ける。
『――純白の羽根は闇に呑まれた』
フィルガを産んだシィーラを一部の――主に神殿の――人々はそう揶揄したのは、フィルガの耳にも届いていた。
光をまとい、その化身であったはずのシィーラ。それがあろう事か未婚のままで身籠ったのだ。
しかも巫女の身であったシィーラは、当時大変な騒ぎの元だったことを想像するのは容易い。
――実際神殿に召集された後も彼女を娶りたいとう申し込みは、後を絶たなかったそうだ。
ついでに付け足すなら、フィルガを産んだ後も絶える事は無かったそうだから、その純白の羽根に惹かれるのは獣だけでは済まないといった所か。もっとも群がる輩は・・・・・・・獣と大差なかろうが。
そうしてシィーラが巫女の立場から退き、ジャスリート家に戻ってからも監視は続いていたのだ。公とそうでないものも含めて、彼女は常に見張られていた。それでも彼女の夫となった者の正体は分からなかったのだろう。
実の息子とて最近まで知らなかったのだから呆れる。――あの人の口の固さには。
彼から直接聞かされるまで、何ひとつ知らず育ったのだ。
その頃の幼いフィルガは父親の存在など知らなかったのだが、幼い自分にまで接触を試みる者も絶えなかったのだ。
それが好奇心からだけではないのも、また確かだったろう。要はシィーラの忘れ形見というフィルガの扱いを、位置づけを成されようとしているのだけはわかった。
シィーラと同じもしくはそれ以上の、能力をその身に秘めた子供。このまま公爵家の孫として、放置しておいてもいいものか?
何もフィルガは、力の片鱗を誰彼構わず披露した覚えは無かったが。恐らくその頃からすでに、館に間者の存在があったのだろう。
シィーラの側に憩う獣とのやり取りを、当たり前のようにこなすフィルガは確かに能力者だった。
『やはりシィーラの息子は生まれながらに獣耳。』 ならば――。
そうとでも判断したのか、中には聖句で縛った獣を送り込む輩までいたのだから!
そんな獣たちが、口にするのはいつも決まった台詞。
『――シィーラの息子・フィルガよ。シィーラは何処だ?して、お前の父親は誰ぞ?』
そ ん な 事 ! こ っ ち が 訊 き た い ! !
答えられない代わりに獣を送り込んだ奴等の願い通り、子供は片っ端から獣を従えてやった。
聖句かけた者をも上回る術者として振舞うに限る。それが幼いながらに導き出した答え。
それがシィーラの息子フィルガとしての、相応しい振る舞いだったかどうかは知らない。
だがある意味、期待に添ってやった手応えはあった。送り込まれる――渡り合う獣の知性レベルがどんどん高度になって行ったから。
そのうち、いちいち相手にするのも面倒臭くなった。だから結界を強めて締め出すほうに能力を磨いた。それでも締め出せぬ獣が何頭か。
ダグレスにレド。それに・・・・・・シアラータ。
シィーラの加護を一身に受けた獣の存在は、いつまでも子供の心を苛んだ。
煩わしいの一言だ、獣の存在など!いなくなったあの人を思い起こさせるだけで。
何も告げずに立ち去った者の心を計れるほど、フィルガとて成長していなかった。それは恐らく・・・今も。
そうやってますます締め出されて、しつこい者達の想像力を働かせてしまったのだろう。
はっきりしない白孔雀の心射止めた者の存在は、やはり人外の者と囁かれる様になるのにそう時間は掛からなかった。
邪推に命懸けの連中に期待以上の動きをして見せた、フィルガの働きの成果も大きかったろう。
大人の噂話だがそれは届く。例え幼い目と耳であっても、その心にも。
その噂話はシィーラ失踪の後、一段と強くささやかれる様になっていた事も。
祖母は勿論知っていたろうが、直接触れてきたことは無かった。フィルガが食って掛かるように質問をぶつけるまで。・・・・・・祖母もまた『フィルガの父親が誰か知らない』のだ。
本当にどうかしている!シィーラはもちろんだが、娘の事を何も知らない貴女もだ!
そう祖母をなじった事も有ったものだが、対する祖母が負けるわけも無く――。
『そうよ。それがどうかしていて?息子である貴方だって何も知らないじゃない!いいこと?よく、お聞きなさい!――あの子はけっして口を割らなかった。それはきっと私たちを思いやっての事だと私は確信しているわ。人外の者?言わせておきなさい。捨て置いていいわ、そんな陰口。取るに足らない実体の無いものよ。――どのみちジャスリート家の生まれの者は皆、その血を引いているのよ』
貴方も。そして私もね。そう怒鳴り疲れた祖母が脱力したように、呟いた言葉の方が耳に残った。
人外の者の血筋。それがジャスリート家の血筋と言うならば、俺は、貴方は何だと言うのか――!!
答えは自分で見つけろと言い渡された。その声は威厳に満ち溢れた領主としての物だった宣告。
それは甘えは許さぬとの叱責でもあった。
だが実に堂々と積極的にフィルガを、公の場に連れ出すようになっていた。その度に好奇の眼に晒されたものだが、祖母は取り合わなかった。彼女はどう在るべきかを態度で示し、フィルガに教えようとしたのだろう。
隠し立てする事など何も無い。何とでも、どうとでも言えばいい。逃げも隠れもしないから。
彼女もまたジャスリート家の生粋の孔雀。その紋章を背負うだけの女性。
『貴方はその血筋。行く行くはこの紋章背負って立つ日が来るのよ。だから――』
――強く在れ。そして笑えと、祖母からは叩き込まれた。
見上げる横顔の唇はいつも笑みを形作っていた。例え扇で隠されていても、誰を相手にしていてもだ。
その面を上げていく姿勢は、光を浴びて生きる者に相応しい在り方だ。子供心にも祖母を眩しく思ったものだ。それは今も変らない。
子供もそれに倣ったが、残念ながら気が付いてもいた――。
そうやって光に顔を向ければまた・・・それだけ、己の背後に落ちる影の濃さが際立つと言う事に。
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『私はディーナ!ディーナよ!それ以外の何者でもない!!』
いくら周りがシィーラの身代わりと立てようと、彼女を見ようともそれは撥ね付けられる。
――どうかしている!
持てる記憶のすべてと言えば『橋を渡って来た事』と『自分の名はディーナ』の、二点のみのくせに。
涙ながらに全力で訴え続ける娘に感心するよりも、半ば呆れたのも今となっては懐かしい。
そんな闇に侵食された獣の見る先は、陽だまりの中にいる彼女。
そのままそこで、いついつまでも微笑ませてやりたい自分と。
どうか一緒に闇を覗き見て欲しいと願う自分こそが、人外の血筋のなせるワザなのか。
(それがジャスリートの血だというのならば、俺は――。)
俺は?
未だ答えの見出せぬままフィルガは誘われるように、陽だまりに出向いていた。
「あけましておめでとうございます!」
――・・・一年前の後書きで↑と同じように書いたのは、3章の闇の向こうの遠吠えの頃でした★
確かに後から読んで下さった方にしてみたら「え?」でしょうが、折角の新年なので。
今年もよろしくお願いします。皆様のご多幸をお祈りする姿勢は変りません。
「フィルガのすさんでいた少年時代に入って行きます」――等とほざいたのは、8章の頃でござます。
なぜ、直さない私よ。すみません、わざとです。その時の気持ちを忘れないためです。
・・・すっごく!長くなるのでこのようにはしょり気味に行かせていただきまする!あうぅ。
「更新遅いよ、続きどうした?」
――身内に言われます。こんな調子ですが感想にて「ぷれっしゃあ」をお与えいただければ、
も少し早まるかとオモイマス〜。・・・今年もよろしくお願いいたします!