第十三章 * 皆で交す約束
お互いゆっくり歩み寄ってきたようです、な二人。
その懐かしの風の吹く源、とやらは。
――あの橋を渡ってきた者の腕に
抱かれればわかること。
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「――さて、ディーナ。・・・・・・お聞かせ下さいね?先ほどのアレは一体どういうつもりなのかを」
「・・・・・・フィルガ殿」
ディーナは居心地悪そうに椅子に背を預けながらも、のけぞった。例え僅かであろうともフィルガとは距離を置きたい。
そんな願望の現われだった。
フィルガとはテーブルを挟んだだけの距離なのだ。彼が手を伸ばせばディーナなど呆気なく捕まってしまう。そんな距離。
不機嫌そうに髪をかき上げるフィルガの手が、いつこちらに伸ばされてくるかと思うと・・・ディーナは気が気ではなかった。
いつ何時・・・等と身構えていては疲労が増すばかりだ。だから先手を打つ――。
「殴ってもいいですよ、また」
気が済むのなら。何。自分はその間、大人しく堪えていればいいだけの話だ。
いざとなったら、『お呼び下さい』と退室していった彼を頼るかもしれないが。
明らかに怯えを隠そうともせずに身構えるディーナに、フィルガは長く無言だった。
かける言葉が見つからない。そんな様子だった。それが怒りのせいなのか、呆れているせいなのか。
フィルガは前髪をかき上げたままの体勢で、天井を見上げている。
「――・・・ディーナさん・・・・・・」
深い深いため息と共に名を呼ばれ、ディーナは膝上に置いた両手でドレスを握り締めた。姿勢も正す。
そんな目の前の彼はというと、組んだ両手で己の口元を覆うように、上体を倒していた。
ディーナと視線を合わせようとしているようだ。
「先ほどは肝が冷えました。・・・・・・なぜ、あのような言動を・・・まったく」
今現在、私も冷えています。そんな事を口に出来るはずも無く、ディーナもまた言葉を探していた。
彼の聞かせろと言う『あのような』とは、何をさすのか。
それはギルムードの持ってきた『神殿の書状を受け取った』ことをさすのか。あまつさえ『神殿に異議申し立てに行く』と告げたことか。それもそうだが『クゼラなる獣を呪縛から解き放った』ことか。
(――全部かな)
どれにしろ、一度には答えられない。中には答えの無いものもある。
「フィルガ殿の言う『あのような』とは、何をさして言っているのかが・・・わかりません」
はぐらかすつもりなどない。ただ――彼が一番聞きたがっていることから答えたいから、ディーナは尋ね返したのだ。
「ギルムードの挑発に乗ったことですよ。アレほど任せろと言うたのに。――なぜ俺を庇うような真似をしたのです?」
やはりフィルガは気が付き、汲み取っていたようだ。ギルムードが抜き身の刃を向けたあの時。
例え傍目からはディーナがさも、フィルガにすがり付いたように見えたとしても。
そうなのだ。ディーナはあの時彼を身を挺して庇おうとした。
ディーナにとって意外な部分に、彼は引っ掛かりを感じている。小さな苛立ちを言葉尻に引きずらせて、彼の声が響く。
それは無茶を重ねるディーナを責めているようだ。実際そうなのだろう。
「自分でもわかりません。――ギルムード殿が剣を向けたのは『私』ではありませんでした。だから、です」
「――だから。何故です?何故、俺を庇う必用がある?」
「・・・・・・わかりません。無意識に身体が、勝手に。ちゃんと理由を言えと言われたら『ギルムード殿がフィルガ殿に害なす心を向けたから』としか、お答えできません」
ディーナは答えになっていない、と自分自身で思いながら伝えた。こんな理由を言われた所で、彼は納得するかどうか。
自分があんな行動を取った『はっきりした理由』なるものがあるのなら、ディーナ自身もお聞かせ願いたいところだ――。
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彼女の行動の理由とやらは、ギルムードがフィルガに害意を向けたからだと言う。
だとしたらアレだ。ギルムードはあの場で見抜いていた事になる。
(まぁ・・・橋でのやり取りを目にすれば、一目瞭然か)
彼女が己よりも『他者』を庇う気質だと。
そうしてそれは・・・彼女が『能力』を振るう動機となる。
実際こうして彼女の背に庇われたのは二度目だ。『紅雷』なる銀灰の獣だった時にも、彼女の行動は理解し難いものだった。
他者に守られるを良しとしない。己の力量を凌ぐ者にも怯まず、身を投げ出すかのように晒す。
そうしてまでも彼女は守ろうとする――。それをフィルガは由々しきことと思いながらも、心が浮き立つのを抑えられなかった。
(それは・・・すなわち)
たとえ選択権が二箇所しかなかったとしても。あの場合『ルゼ』か『フィルガ』かだとしても、ギルムードは自分に殺意を向けたのだ。
それが何を意味するのかなんて。たとえ深読みと言われようとも、少しは希望が持てた気がする。
「・・・・・・『我が婚約者殿も一緒に』?」
俯きがちにこちらの様子を窺っていたディーナが、はじかれた様に勢い良く面を上げた。
フィルガを真正面から見据える。明らかに表情が固く、強張った。実にわかりやすい。白い頬にうっすらと赤みが差して行く。
その様子があまりに可愛らしいので頬が緩みかけたが、ここはハッキリさせたい。フィルガはその眼差しを覗き込んだ。
「う・・・打ち合わせ通りです、フィルガ殿」
「――確かに」
こうなる事を予測したルゼ主催の『打ち合わせ』で、参謀の提案した策だ。
『ディーナ。貴女フィルガとは婚約者同士です、としておきなさいな。そうすれば神殿も中央政権も。おいそれとは貴女を、連れ去る事が出来なくなるから。ね?――そうしなさい?別にどうしても嫌なら、無理にそうしろとは言わないけど』
『――え・ぇと・・・・・。』
あの時ディーナは何も言い返せずただ黙って、困ったように祖母を見返すだけだったのだ。当然だろう。
その場に居ながら何も声を掛けようともしない自分の方を、時折りおずおずと見上げてきた。
フィルガはただ黙って微笑んで見せただけだ。――貴女のお好きなように。そんな気持ちを込めて。
本来ならばフィルガから持ちかけようとしていた話だ。ルゼの『ほんの何かのついでだから』といった調子に、深刻めいた執着は気取られなかった・・・ハズだ。多分。
実際は執着心たっぷりの本音をひた隠し、ルゼのさりげない切り出し方は身内から見ても見事だったと思う。
祖母があくまで軽い調子で切り出したのは、彼女に負担をかけ過ぎない為にだろう。孫息子に任せたらそれこそまた、執着も露わに詰め寄るに違いあるまいと踏んでの事だろう。
なにせ相手は自由を愛する『紅孔雀』。
下手に出方を誤まれば・・・安全な鳥かごなどは興味が示されない所か、窮屈がって脱出を試みるかもしれない相手だ。
――まったくもってお気使い、どうも。
「――・・・・・・フィルガ殿、ごめんなさい。また、巻き込んでしまいましたよね・・・・・・?」
巻き込んだも何も。最初から巻き込まれるつもりだったから、フィルガは驚く。
「今更です」
ですよねぇ、とディーナは微かに小さく呟くと、また俯いてしまった。
「本当にいくら謝っても済まないと思っています。フィルガ殿も神殿に『一緒に』等と巻き込んだこと。申し訳なく思っています」
「構いませんよ。貴女を一人でやる方が気が休まりません。もとからそのつもりでしたから、貴女が気に病むことはない」
「そのつもり・・・って?」
「誰がディーナを神殿に渡すか、と。そんな気などありませんからね。側から離れる気は無いと言っているのです」
「フィルガ殿には不利かと思われますが、それでも?」
「不利?俺が?何故ですか」
「――聖句を用いました。レドと・・・ダグレスを従えて見せて。見せかけて。咎められるのは私一人で充分だと思います。それなのに」
「ああ。神殿の者は『白孔雀』の忘れ形見なら、それくらいやってのけると思っていますから。大丈夫ですよ。それよりも、ディーナさん。俺からしてみれば貴女の方が遥かに不利に見えますけど?レドとダグレスと言葉を交わし、あまつさえ『クゼラ』なる獣まで魅了してしまいましたからね」
「――仰る通りでございます、フィルガ殿」
「それでも。それでも・・・行くと言うのですか?貴女が拒否すればジャスリート家の名に掛けてでも、退けられますよ」
「だからこそです、フィルガ殿。譲れません、どうしても。私・・・巫女として上がる気はありませんが、あのようなやり方で獣を縛る神殿に抗議しなければなりません。だから、行きます」
フィルガは予想通りのディーナの決意に内心、苛立ちもしたが表には出さなかった。
ただ静かに――。決意漲らせる光宿した空のような青に、少しでも影なす曇がないか探るように見つめる。
「フィルガ殿・・・・・・だって。きっと『クゼラ』みたいな子達が――待っているわ」
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その懐かしの風を。
焔鎮めて、浄化の雨降らす雲を呼ぶ風を。
みんな、みんな、待っている。
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ディーナはその想いに突き動かされるように、何者かの介入をよしとしてしまった。自分でもその自覚があった。
先ほどのやり取りはディーナであってディーナではない。――何者かの仕業。
正直『ディーナではなくなる』感覚は、不快ではないが恐怖ではある。それはディーナを先々『白孔雀』の身代わりと立てかねない。その可能性をはっきり神殿の使者の前で証明してしまった。
「ディーナ。貴女は何か思い出したのですか?――俺が教えてもいない術もって、獣を・・・魅了し始めていますね」
「いいえ。いいえ――」
ディーナはきっぱりと首を横に振って見せた。
「何も。私が橋を渡って来た『ディーナ』であるという事だけです」
それでも、自分の中に眠っている記憶の中にその答えがある気がする。必用とあらば呼び覚まされる何かは。
何が、とか。どうして、とか。それは今のディーナには、言葉に変換するのは不可能な気がした。
自分は何か『深み』に触れたのだ。それは皆がほのめかす『懐かしの風の源』やらに当たるかとは思う。
ディーナはその風と――それを『孕み持つ』と評された、自分の内に秘められたものを想ってぼんやりと視点を失う。
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その様子にいち早く気づいたフィルガは、あからさまに苦々しい表情を浮べる。
ディーナをすくませるに充分な、苛立ちを隠そうともしない眼差しで睨みつけたが――。その事にさえ、ディーナは気が付かない有様だった。
目の前にいるフィルガの存在など、霧散してしまったかのように。
フィルガはその様子を、ここ最近頻繁に目にするようになった。その事に焦りを覚えずにはいられない。
それは彼の女性とどうしても重なってしまう。いつも同じ空間に在りながら、いつ消えてもおかしくない風情だったあの人に。――重ねたくはない。あれほど、重ねずにはいられなかったはずなのに。
彼女を、『ディーナ』という存在を失いたくはない。
それは他者からの介入はもちろんの事。神殿からの横槍にも膝折る気はない。それより何より『懐かしの風の吹く』その源とやらからも。
フィルガはおもむろに立ち上がると、指をひとつ鳴らした。
ぱちん!と乾いた音が響く。響いたと同時に我に返り、驚いたらしいディーナが目を見張る。
「・・・・・・レド」
彼女が何事かと尋ねるよりも早く、フィルガは扉の方に呼びかけた。
かたん、とまた新たに小さく音がする。ディーナはそちらに注意を奪われ、立ち上がって振り返った。
「レド!!」
””――ディーナ!大丈夫だったか?ギルムードのヤツは、もう諦めて帰ったのか?””
気遣わしげに駆け寄ってきた白い獣の巨体を、ディーナはためらい無くその両腕を広げて迎える。
「だいじょうぶ・・・だいじょうぶよ、レド。ありがとうね、お利口さん・・・・・・」
””ディーナ・・・無事。良かった。いじめられなかったか?””
「――うん・・・・・・。うん。だいじょうぶ」
””ディーナ、ディーナ!レド、お利口。だから、ディーナ。レドがまたギルムードが来ても、追払ってやる!””
白い獣は胸を張って、誇らしげに答えた。ディーナの無事は、自分の手柄と信じて疑わないらしい。その無邪気な様子に、獣の首に回した彼女の腕に力が込められた。
――それは・・・微かに、震えているように見える。
「・・・・・・うん。ありがとうね、レド。でも無茶しないでね?約束よ?」
””レド、無茶しない――『約束』。ディーナも、約束!一人で無茶したり、しないって『約束』して!””
「うん――・・・・・!?」
嬉しげに頷いたディーナの声が突然、飲み込まれる。
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「そうです。『約束』ですよ、ディーナ?一人ではけして無茶をしないと。――できますね?」
フィルガはその無防備な背中を包み込むように、後ろから抱きしめていた。
レドと自分の身体とに挟まれては、彼女は振り返ることもままならない。
本能からか逃れようともがく華奢な身体に回した腕に、フィルガは注意深く力を込める。
そうすると、彼女の見事なまでに赤い髪が視界を占めた。その後頭部に唇を押し当てる。
ディーナの言う『殴ってもいい』という、行い。愛しさ込めた行動の現われなのだが、彼女の中では『お仕置き』に位置させてしまったようだ。その事をフィルガは後悔している。だから慎重に、やんわりと押し付ける。彼女の心の砦とするべく、レドという第三者も挟むという配慮つきで。
ディーナが助けを求めるように、ますますレドにしがみ付く。だからフィルガも、やんわりと――力を込める。
レドはそんな二人を不思議そうに、代わる代わる見つめている。
「ディーナ?どうぞお願いですから誓って下さい。けっして己を、危険に晒すような真似はしないと」
いつまでも答えない彼女を追い詰めるように、フィルガはその耳元に囁き掛ける。
「――っ・・・は、い。『約束』します。だから、フィルガ殿も・・・・・・」
どうしても守りたいと願う者に選ばれた――喜び。だがそれは気持ちだけで充分だ。誰もその身を挺してまで、守られたくは無い。
「誓います。ディーナ・・・・・・」
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””ヅゥォランも誓う!!ディーナ!!””
””――ヨウランもだ!!ディーナ!!””
””嬢様、このダグレスめこそ!――よけ、フィルガ!嬢様をお放ししろ””
””・・・・・・我、も””
――我が婚約者殿。フィルガがそう、付け足そうと声を発するよりも早く。
孔雀が二羽に、闇色の一角、焔のたてがみ。
そんな扉の隙間から窺っていたらしい獣たちが、口々に言いたい事を言いながらなだれ込んできた。
レドを押しのけ我も我もと、ディーナの胸に抱かれようとする始末。
「あらあら、お利口さんたち。順番よ?」
フィルガは重みに耐え切れず、後ろに傾くディーナの身体を支える。
(・・・・・・こいつらは全員、留守番だ。もちろん)
フィルガは『一緒に』神殿に召集される気満々の面子に、嫌でも疲労が増した気がした。
もっとも。
留守番させたところで『神殿』に上がれば、ディーナの言う『待っている子達』に同じように集られる気がするが。
仮タイトルは『少しは甘さの増した二人。』(目標)
でした。
出来上がりに『――増したか?』と、相変らず自問自答。
フィルガの予想は大当たりです。
あ〜じれったい〜と思いつつ。
そうそう簡単に、二人っきりにはさせませ〜ん。
・・・な、獣さんたち。




