* 焔鎮める風
焔を煽るのではなく、鎮める風――。
そうよ、私も。
あの橋のむこう側から、渡ってくる風を引き連れて。
その風に背を押されて、誘われて来た。
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『クゼラ』――そう呼ばれた獣の気配が、この客間を支配しだす。
目には映らない。だが肌で感じる・・・。
ディーナは思わず顔をしかめた。
この胸を押しつぶさんばかりの勢いは、何なのだろうかと。内側から沸き起こる、己が胸を焦がすような。
激しさに隠れた静けさは、虚無という名の絶望を思わせる。
何もかも炎のうちに焼きくべてしまえばいい――!!。
ディーナが感じ取れる獣の想いを、言葉にするのならそうなる。
(・・・・・・むごい事をする)
『神殿』という所は・・・どこの神が座するのかと、お聞きしたいところだ。
慈しみすら許せぬのか?相手が獣だという、そんな理由だけで?――彼らとて心があると言うのに?
ディーナは自然、この焦点定まらぬ眼向ける獣に同調していた。自分と似た赤みの印象強い毛並の獣。
ア ツ イ ク ル シ イ ニ ク イ
ク ル シ イ ニ ク イ ア ツ イ
ニ ク イ ア ツ イ ク ル シ イ
人の言葉持たぬ獣なだけに、己の感情を人間に表現する術は皆無だろう。そのせいだろうか。
『クゼラ』の抱いた『感情』の具合は、はち切れんばかりだ。
(・・・・・・気が狂いそう)
『獣耳』のディーナなだけに、嫌というほど直接的に感じ取ることが出来る。
ディーナはその想いに、絡め取られそうになった。身体を包みだす奇妙な浮遊感は警告だった。だが、そんなわけには行かない。
憎しみは熱く、彼を苦しめているのだろう・・・・・・。そんな彼を焔から救い上げるためにも、ディーナは踏み止まらねばならない。
そんなクゼラのように、逃れられない焔に焼かれ続けるのならば、いっその事――。
誰だって、終わりにしてしまいたくなるに決まっている。
呼び声に応えた獣はすでに、己の精神など焼ききってしまったのだろうか。それこそ己が焔で。
かわいそうに。なんて・・・かわいそうな、かわいそうな『クゼラ』。
ディーナは眼差しを細めながら、定めた。
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焔に圧されるのか、ダグレスは苦しそうなうなり声を上げる。
””・・・グゥゥ!!””
そのうなり声がディーナを、いくらかこちら側へと引き戻してくれた。
「ダグレス!無茶をしてはダメよ!」
””どうぞ――お引き下さい、嬢様。この無礼者は我が引き受けますゆえ・・・・・・!””
「・・・・・・いいえ。引かないわ・・・『私は』ね。いいからダグレス。よけなさい」
いつもとは違う有無を言わせぬ強い調子に、ダグレスは戸惑いを隠せないようだった。
そのゆるぎない声音が物語る、凛としたたたずまい。
それはどうしても、彼の女性を思わせた。
驚いたのはダグレスだけではない。その場に居合わせた者達が、何かしらの異質さを僅かばかりだが感じていた。
「ディーナ?」
いち早くディーナの変化を感じ取ったフィルガが、名を呼ぶ頃には・・・すでに。
「””――さぁ、よいてちょうだいダグレス?お利口さん・・・この子は私が貰い受けるの””」
ディーナはこの上なく優しく、微笑んで見せた。誰に向けるとでもなく浮べられた微笑み。
それはそれは、思わず引き込まれそうな可憐なもの。
それでいて、絶対の自信溢れるもの。そう、宣言を兼ねたものとして響いた。
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人間はいつだってズルイ。
ズルイだけならまだしも――。とんでもない仕打ちで出迎えられ続けた頃には、焔操る獣はすっかり精神を傷めていた。
そんな時に出会ったのは、確か人間の女だった。アレは『何者』だったろうか?
その頃の名はもう・・・意識のカケラにすら上らぬようになって久しいが、『クゼラ』では無かったのは確かだ。
『クゼラ』
――何の意味すら見出せぬ、ちゃちな所有者の『低脳の現われ』の名でしかない。
意識は奪われているが、表に出せぬだけだから思考は実のところ制限は無い。
それをこの低脳は気が付いてもいないだろうが。
『完全に意志を奪う』と息巻いていたのを、うかがい知っているからこそ、あざ笑ってやりたかった。
出来ぬ身が口惜しい。
こやつらに牙向けてやれぬ事も、組み敷いてやれぬ事もだ。
そう想いが膨れ上がるとまた、己が内の焔が勢いを増すのだ。
そうしてそれはなぜか他でもない『クゼラ』の身を、身の内を勢い良く焼き付ける。
勢い増すばかりの焔、向けてやりたい相手がいるのは確かなはずなのに。
どうして。どうして・・・だ?
『クゼラ』という名にすがるしか、今は己という個に固執出来ない自分は何なのだ?
わからない。
わからない・・・わからない。
解せない事ばかりだ。
ただ苦しさにあえぎ続けながら、炎の気配を抑える事が出来なくなっている。その自覚だけがある。
ただ、ひたすらに。己が苦しみを周りにも押し付けることしか、出来なくなってどれくらい経つ?
ただ――。
今、少しだけ意識が己に戻った気がした。気のせいなどではない。
自分を真っ直ぐに見つめ下ろしている、あの少女と瞳をかち合せてからだ。
何という目で自分を見つめるのだろう!
加えて自分に向けられた眼差しが物語るのは、同情などという見下したモノでもない。
それは喩えるのならば。優しく天から降りそそぐ、惜しみない雨の雫に似ていると思った。
ふ・・・と。――『クゼラ』の胸が僅かに緩み、呼吸がたやすく感じられる。
清浄なる空の色をした瞳が、『クゼラ』なるものの焔を鎮めてくれるようだ。
自分と同じ毛並を持つあの少女は、姿こそ人間のものであるが、もしかしたら自分の同属なのかもしれない。
ああ・・・そうだ。
思 い 出 し た 。
――・・・・・・『シィーラ』。アンタか。来てくれたのか。待っていた。ずっと。ずっと・・・・・・。
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「”違うけど・・・そう。来たわ。私・・・迎えに来たわ。なつかしの風が吹くあの場所から、橋を渡って”」
――違う?どこがだ?
「”貴方が『クゼラ』であっても、そうではないように。・・・私もまたそうなの。さぁ、もう大丈夫。解きましょうね。その枷すべて。貴方を縛り付ける、呪縛も思惑も何もかも”」
歌うように告げる言葉は、一種のなぞかけ遊びのようだ。くすくすと零れる小さな笑い声ですら、謎めいて転がる。
あくまでゆったりと、少女は微笑みを絶やさなかった。まるで旧友との、久方ぶりの再会をよろこんでいるかのようだ。
一歩少女が踏み出す。両の腕を広げて、迎え入れようとしながら。
それを制するものは、誰もいなかった。
ただ気遣わしげな眼差しに気づいた少女は振り返って、いたわる様な眼差しで応えた。
「”だいじょうぶよ。――・・・フィルガ・・・殿”」
名を呼ばれた青年が瞳を見開く。何か言いたいようだが、言葉が上手く紡げないらしい。
ただ、頷いて応えた。呆然としながら、何とかそれだけがせいぜい。そんなぎこちなさだった。
ディーナは獣に歩み寄ると、膝をついて焔の源を迎える。
「”ああ、アンタもたいそうお利口さんなのね・・・・・・”」
それを見守る人も、獣も。今胸に抱かれているのが、まるで自分かのような。そうで無いのが、悔やまれるような。
そんな気持ちで見守っていた――。
『クゼラ』はあっさりと大人しく、ディーナの腕の中に納まっていた。
虚ろだった瞳にも、まだ曇りが見受けられるとはいえ、力強さと輝きが宿っている。
誰の目から見ても、獣が己を取り返したのは明らかだった。
彼女の優しい抱擁に保護された、獣の焔はすっかりキレイに鎮められている。
(何事だ――?術句も用いず、術具も用いず・・・いったい何をしたのだ?)
「ディーナ嬢――。貴女は『何を』されたのですか?お答え下さい『紅・孔雀』よ。我ら神殿の持ち物である獣を奪う、それは何と言う術なのですか!? 返答によっては問答無用で、」
「”ギルムード・・・殿。私何もしておりません。ただ、獣の心に寄り添っただけです。――ご覧になっていらしたじゃぁ、ありませんか?”」
ディーナは責めるような口ぶりの使者にさえ、笑みを浮べた。何を驚く必用があるのか。
そう逆に尋ね返すかのような、眼差しを向ける。
ゆったりと獣の首筋に、頬をうずめながら優しく。
その様子に言葉を失っているギルムードに代わり、ただ固唾をのんで見守っていたルゼが声を上げた。
おそらくその場に居合わせた者たち全員が、確かめたかった言葉をかける。
「ディーナ・・・貴女は・・・ディーナなの?」
「”・・・はい。ルゼ様。私はディーナです”」
「・・・・・・シィーラでは、ないのね?」
「――はい。残念ながら」
ディーナは哀しそうに、獣に抱きついたまま俯く。それでも唇をかみ締めると、面をあげた。
「ギルムード殿。神殿の御使者さま」
「何でございましょうかな。ディーナ嬢」
改まって呼ばれたギルムードが、緊張とわかるかしこまった声音で答えた。
「書状の内容を確かに受け取りました。私、神殿に上がります」
「「!?」」
何を言い出すかと思ったら、本当に何を言い出だすんだ!貴女って人は――!
大方、そんな風に思っているであろう。そんなフィルガを挑むように、ディーナは見上げた。
唇を引き結んで、一瞬言葉を飲み込んで。それから・・・意を決したかのように、一気に告げた。
「――それと・・・我が婚約者殿も一緒に」
「「「!?」」」
「ディーナ!?」
戸惑いを隠せず声を上げたルゼに、ディーナは視線を向けた。そのまま、言葉を遮って話を切り出す。
ギルムードを真っ直ぐに見上げて。・・・視線を見据え、合わせるべくゆっくりと立ち上がる。
「神殿の御使者殿・・・私の能力のあり方とやらを、裁きたいと仰るのでしょう?ナゼでしょうか?私の能力は獣たちを利用するために有るのではないのに。・・・ですから。神殿の方針に添うように、獣を使って民の豊かさへと結び付けるなどとは、私には到底及ぶ事ではありませんの」
「ご謙遜をディーナ嬢。私め個人の意見はどうあれ、神殿の下した判断なのです。その恵まれた御力を放置するのは惜しいことだし、何より・・・あまりに危険だ」
「危険、ですか?」
「こうしてジャスリート家に貴女が身を寄せている事が、ですよ。貴女を手に入れれば、不可能であったはずの事も可能になる。稀有な孔雀の能力を独占していると取られれば、真実はどうであれ――世間はそうは見ますまい」
「・・・・・・現にこうして、難癖付けられていますけどね。別にたいした事じゃありませんよ。まぁ、小虫にたかられるのと同じくらい鬱陶しいが・・・何。ふり払えばいいだけの話だ」
ついに黙っていられなくなったらしいフィルガが、ギルムードに答えていた。
この神殿の使いが巧みに、ディーナが神殿に上がる事こそが『ジャスリート家の保身につながる』と、結論つけたがるのが我慢なら無いのだろう。
恐らくその辺りが、ディーナに世迷言を言わしめていると考えているのかもしれない。何にせよ、ひどくケンカ腰である。
「ギルムード殿!それこそ履き違えていらっしゃいますわ。私はただの一度だって、力を強要された事などありません」
「ですから。真実はどうあれですよ、ディーナ嬢?この館に引き篭もってらっしゃる貴女様を、誰が正しい目で計れましょうか。力を手に入れれば誰だって、己の便宜を図るように使うものだと・・・・・・。人の脆さがそう邪推させましょうぞ?」
「そうですか。では――神殿の皆様方にも同じ事が言えると、解釈できますわよね?私・・・どうであれ神殿に異議申し立てに参ります。能力云々で私を裁きたいのでしたら、どうぞ。――巫女となるかどうかは、それから自分で判断いたします」
もはや誰もがあまりの勢いに飲まれて、口を挟む事が出来なかった。
ギルムードですらやっと『承った』と頷くまで、みな無言だった。
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使者殿を追い出すように見送り、一通りの説教を二人にし終わった後――。
ルゼはまた二人でよく話し合うように、と先に席を立った。
いつまでも、ディーナの側から離れようとしない獣たちも促がす。
「はいはい、ダグレス。『クゼラ』アンタもよ――ほら。行くわよ」
””嬢様。御用があればすぐお呼び下さい。『クゼラ』の処置は我にお任せを””
ダグレスは、しぶしぶとルゼに従う。フィルガを睨みながら。
「ありがとう、ダグレス。あとでまたね、クゼラ」
そうして二人を残し、ルゼが後ろ手で扉を閉める間際に。
「――・・・・・・フィルガ殿。・・・殴ってもいいですよ、また」
そうディーナが小さく呟く声が届いて、一瞬止まってしまった。ルゼは自分の耳を疑いながら、振り返る。
(婚約者殿・・・ねぇ――?)
こっそり閉まり行く扉の隙間から、孫息子を窺ったが無視された。当然だろう。
ちぇっと名残惜しく感じながらも、ルゼは扉を閉める。
(婚約者ねぇ?)
そんな風に言いだした割りに二人、まだまだ甘さが足りないような気がした。
やたら間があきました・・・。
出来ていたのに、二転三転〜。
『婚約者?』って、感じですよね。誰がだ。
微妙な関係のまま、(またしても)次回!