* 神殿の書状
仮タイトルは「今度こそ張り切るギルムード」でした。
泣かないで・・・どうか。
我等が身を曝すのは、望まれたからではなく――。
望んだからなのだから。
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フィルガはディーナの手を離そうとはせず、また扉の前から一向に動こうとはしなかった。
そんなフィルガを窺いながら、ディーナはどうにか『貴婦人らしい』ご挨拶をしてみせる。
ドレスの裾をつまみ上げて、優雅に膝を屈める。一瞬だけ。彼にはそれで充分だろう。形だけのもので。
顔を上げると、にこやかな笑みを湛えるギルムードと目が合う。
「これは――これは。ディーナ嬢・・・随分と愛らしい、紅の孔雀様でいらっしゃる・・・・・・」
胸に当てていた両手を広げると、彼はさらに笑み浮べた。再び左手を胸に押し当てると、ギルムードは改めて敬礼する。
それは、明らかにディーナに向けてのものだろう。ギルムードが目線を上に運ぶと、一瞬にして様子が違ってくる。
ディーナは射る様に鋭い眼差しを、あの日橋で見たから知っている。彼が容赦の無い視線で威嚇する対象は、その先にいるから。
対象とされるのは、ディーナの傍らに寄り添うもの。
「・・・・・・。」
「これはこれは。公爵殿の・・・・・・」
鳶色の瞳が眇められたのは、愛想のカケラすらも見当たらぬ笑みのため。
髭に邪魔されてあまりよく判断できないが、ギルムードの唇はかなり薄い気がした。
意地悪く、片方だけを歪めて引き結ぶ・・・その様から見当つけてしまう。
「――ギルムード殿」
一向に動こうとしないフィルガを見かねたらしい、ルゼも立ち上がる。一旦、姿勢を正すと改まったところで、両手を腹部に重ね置いた。
「はい」
その凛と響く声に呼ばれて、ギルムードもそれに倣った。視線をルゼに向ける。
「神殿のご使者殿。こうして当の本人も挨拶を済ませた事ですし、早速ですがご説明願いますわ。――神殿がわざわざ使者まで立てて、当主である私を挟むのを許さずに、直接この娘に伝えねばならない用件とやらは・・・何だというのでしょう?」
ルゼはギルムードから視線を外さないまま、切り出しながらディーナに歩み寄った。
促がす口調は品良く柔らかで、浮べる笑みもまた同じく穏やかなものだ。それなのに――。
ルゼを取り巻く空気は、気のせいではなく威圧的だった。
彼女の得意とする威厳を醸し出す、公爵としての『顔』を前面に押し出しているのだろう。
ルゼもディーナの傍らに立つと、フィルガと同じように右手をすくわれた。
握り締めてきたその手は冷たく、微かだが震えていて一瞬ディーナは動揺する。それでもルゼを見習って表情には出さないように心がけた。
神殿からの使者。
それだけではディーナには予測も付かない事も、ルゼには見当が付いているから・・・これだけ心配しているのだろう。
顔にはけっして出てはいないが、つないだ手からそれが伝わってくるようだった。
「そう身構えずとも」
ギルムードは苦笑しながら、テーブルに置かれた筒型の書状をまとめた紐を解く。
てっきりディーナに手渡されるかと思いきや、彼自ら仰々しくも読み上げ始めた。
――書状の内容はだいたいこうだ。
ディーナの『異質なる能力』が故に、神殿の術域にあった獣たちの『聖句による忠誠』が振り解かれて、『損害を被っている』との事。
一般領域ならまだしも『正当な聖句を用いて支配し、共存を図っている獣たち』を、横取りしてしまうディーナという存在自体が危険だという事。――だからこそ、ディーナは神殿に隔離されて当然だという主張。
ここでギルムードはわざとらしく、右手首に巻かれた包帯を覗かせる。何の演出かと思わせるそれに、付け加える台詞がこれだ。
「聖句を振り切った獣が、人を傷つけてしまう恐れが無いとは・・・言い切れますまい?現にこうして私めなどは、かつての聖句の徒に牙を向けられていますからね」
(・・・・・・獣が意味もなく、牙を向けたりなどするものですか!)
ディーナはギルムードの怪我は、彼の自業自得だと思ったが黙って言わせておいた。
多分、つけられるだけ文句をつけてやろうとしているのが、わかるから。
どう転んでも被害のうちの一件だとして、並べ立てているだけだろう。
ギルムードが物々しい調子で続けた伝達事項は――ディーナがその能力を私事ではなく、平等に振舞うようにと締めくくられていた。
すなわち『民衆の為に用いるように』との進言のようだが、実際は警告だった。
要するに巫女として神殿に上がり、活かすのならば善し。だが拒めば、ディーナは世間を騒がせる危険人物とされるのだ。
すなわち『魔女』と。
ルゼもフィルガもディーナも。誰も一言も発さず、ただ黙って立ったまま聞いていた。
ディーナは二人に手を握ってもらっていたお蔭で、思ったよりも動揺せずに聞いていられた。
途中何度か腹が立ったが、感情をむき出しにして・・・怒鳴るような真似はしないで済んだ。
何よりもこういった場数を踏んでいるであろう二人が、怖いくらいに落ち着き払っているのだから。
――だったら、それに倣った方が上手くことが運ぶのだろう。ディーナはそう考えた。
静かに何の反応も示さずに、使者の声に耳を傾けていた三名を見渡すと、ギルムードは書状を丸めて再び紐で結んだ。
それを両手で恭しく、ディーナへと差し出した。受け取れ、という事だろう。
だが二人に手を掴まれたままでは、動く事もできない。どうしたものかと代わる代わる、二人を見た。
フィルガとは一瞬目が合った。すぐ外されたが、より一層握る手に力を込められる。
ルゼの方は淡い笑みを浮べて見せてから、すぐに厳しい表情をギルムードへと向けた。手を放すと、使者殿に向き合う。
「随分、一方的な物言いですこと!貴女方は一体、ディーナに何を期待しておいでですの?獣が聖句を振り切ったからといって、このコのせいにするなんて・・・神殿も落ちたものですわね。自分たちの無能ゆえの不始末を責任転嫁するなんて。そんな暇があるのなら、修行に励む方が道理でしょうに」
ルゼの紡ぐ言葉は嫌味どころか、痛烈な批判だった。微笑む表情と相変らず優しげな口調からは、とても想像できない。
対するギルムードも顔色ひとつ変えずに、しらばっくれる。
「これはこれは・・・・・・ルゼ殿。私目はただ神殿の審議会の決定事項を、お伝えするよう仰せ付かっただけですから。真意とやらまではとてもとても――」
「勝手に決めた事を一方的に押し付ける。そんな横暴を通してやるほど、神殿に義理立てする理由はこのジャスリート家には存在しませんよ?それをよもや、忘れたわけでは無いでしょうに」
「真意とやらはともかく。神殿が優先しているのは、民の平穏と豊かな保障された生活ですよ。審議もそれに重点が置かれた上で、決定が下されています。――・・・・・・その平穏を乱す獣の存在を御する者がいてこそ、またその恩恵に浴するというものでしょう」
「何が仰りたいのかしら?御使者殿」
「ディーナ嬢の稀有な能力を、ジャスリート家のみが独占しているとなれば。それこそ世論は何と言い出しますかな?」
いけしゃあしゃあとギルムードが言う脅しを、ルゼは迫力ある笑みを保ったままで言い返す――。
「とんだ言いがかりなのではなくて?ギルムード殿。そもそも、何を証拠にディーナが獣を奪ったと言い出すのでしょう」
「――・・・・・・そうですね」
ギルムードはあごひげを撫でさすりながら、悠然と構えている。ふいに例のあの――眇めきった眼差しが向けられた。
「!!」
ディーナは迷わず身を引いていた。――ギルムードが動きを見せるよりも、数段に早く。
それを見逃さずにいたらしい、ギルムードが笑いをかみ殺しているのが解った。
(フィルガ殿、危ない!!)
ディーナはしっかりと掴まれた手を、引き抜く事は出来なかった。だから・・・庇う。
己の体いっぱいを使って。
彼に背を向ける形は、ただフィルガにしがみつく格好になったとしてもだ。
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「ディーナ・・・・・・」
名を呟く声音は、感嘆とも取れる。それでいて、悲しみを充分に含んだ涙声でもあった。
「・・・・・・。」
――ごめんなさい、ルゼ様。そのような詫びは、心の中だけに今はとどめる。
「ディーナ」
――アナタって人は、まったく。あれほど・・・任せろと言うたのに。
そう、お説教が続きそうだった。それも今は押し止められ、彼の指が気遣わしげに髪を梳く。
ディーナはフィルガにすがり付きながら、神殿の使者を振り返って見る。
非礼にもギルムードは剣を構えていた。その切っ先が捕らえた先は、自分という獲物。
予測済みだったから、そんなに怯える事もうろたえる事も無かった。
まだこのような状況に慣れるにしても、二度しか場数を踏んでいないハズなのだがと、自分自身を訝ってもいた。
我ながら、安心して任せ切ってしまっているからこのザマなのだ――。
(ごめんなさい・・・私のお利口さん達。どのコであろうとも二度と、人の刃に曝さないと誓ったのに)
「――久しいな。ダグレスにレド。我が聖句の徒であった獣たちよ?紅孔雀様のお膝元はそれほどまでか」
ダグレス――漆黒の獣。闇をまとう。闇の一部、そのものの。
レド――白い獣。まだらのすかし模様のある。
二頭に庇われながら、ディーナはフィルガの上着をぎゅっと掴んだ。
――前回の仮タイトルが「張り切るギルムード」。
でしたが、リゼライに持っていかれたため今度こそギルに活躍の場を!!
っとなりましたが、別にそんなに張り切られると後々収拾が付かないかも・・・。
付けますが。
ええ。フィルガ兄さんが。