第十二章 * 全ての始まり
物語はここから、紡がれる事になったようです。
フィルガやディーナが存在しなかった、遥か昔からとっくのとうに、物語の幕は上がっていたようです。
ああ――。思えば、その時から始まっていたんだ。
ボクがこうして、長いこと・・・さ迷う事になるなんてね。
あの頃は予想もしていなかったのは確かだよ。
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かねてからトゥーラ・ファーガ・ジャスリートは、頭を悩ませていた。
獣たちと共存するすべは無いものかと、最善の策を捻り出そうと想いを巡らせていた。日々――。
まず第一に互いが理解しあい、尊重しあう関係を築かねばなるまい。
(だが、一体どうやって・・・・・・?)
所詮人間側から導き出される答えは、獣たちにしてみればその能力を当てにした、身勝手な利益を優先させたもの。
そう、映るだろうか。・・・言い逃れできない、前科もあるのだ。
『古神獣』
古き神の時代から、その化身として崇めた歴史。古き――それは失われた、かつての神の座を意味している。
追いやったのは他でもない、かつて崇め奉った人間だった。『聖獣』。『幻獣』。『魔獣』。『怪獣』。
その呼び方は、人の心のあり方で様々だ。捉えかた一つで、込められる感情のままにそう呼び名がつけられて行く。
聖なる神の使い。幻の存在。魔の化身。怪しい野獣。
彼らは個々で形態も、気性も違っている。全体で共通している事といえば、人智を遥かに超えた能力を持つ、という点だ。
飛翔する翼や疾駆するに長けた筋肉といった、肉体的な能力。
それに加えて、天候すら従えてしまう能力に、大地すら変動させてしまうものまでがいる。
それは彼ら自身がこの世界の現われだと言う事だ。少なくとも、トゥーラ・ファーガの結論ではそうなる。
そう・・・世界の現われだからこそ、神と等しいと誰もが崇めた。――そこに併せ持つ、敬虔と畏怖を抱いたのだ。
美しくしなやかな有様に憧れて。桁外れに未知なる能力持つ存在に、恐れを感じて。
それでもカミサマの前に、躊躇など無意味だと信じた。
信心寄せられた『神』は、導いてくれた――。世界との付き合い方を。
礼を欠いては成る物も成らないと、教えてくれたはずだった。
植物と対話する能力ある獣たちが、命にひそむ薬効を伝えてくれたからこそ、今日の薬草学がある。
月の満ち欠けに影響される種子の発芽の事も、その実りを豊かさへと導く術を教えてくれたのも――。彼らだったという。
他にも医術から呪い、果ては紬に至るまで。彼らの力添えがあったからこそ、成立出来たのだ。
それなのに。
その手柄がいつのまにか全て、人間のものにされてしまった頃には、感謝の気持ちはおろか敬意も既に・・・どこにも見当たらなかった。
トゥーラ自身も獣から直に聞かされなければ、知る由も無かった事実。
””礼儀を知らぬ人の子よ――。我等が人の子と、再び組む事はあるまいよ。どちらにせよそれが、互いの為でもあるだろうよ””
彼はそう告げると、『申し出』を斥けた。
呆れているようにも、悲しんでいる様にも取れる口調はまた、トゥーラをも哀しくさせた。
申し出を断られたからではない。
両者の間に横たわるものの深さに、二度と接点など設けられそうにも無いと絶望したからだ。
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トゥーラは生まれつき、獣の声を聞く能力に恵まれていた。
ジャスリート家の血筋の者は、そうした能力者をよく授かる家柄として名を馳せており、代々神殿仕えをする者も多かった。
トゥーラも獣と交渉できる数少ない者として、その能力を買われて神殿に上がっていた。
そうはいっても――。もはや獣の声を理解できる者も、また理解しようとする者もほとんど皆無と言って良かった。
血筋を誇るジャスリート家であってさえ、そうした『血の現われ』すなわち『能力者』の存在は稀になっていた。
その頃からだ。
人間たちが獣たちの領域を犯し始めたがために、問題が起こる様になったのは。
ある地域では獣と境界線争いをした挙句に、討ち取ってしまったという。
そうして『邪魔者』のいなくなった森の豊かな恵みは、全て人間たちの手に入るはずだったのだが・・・・・・。
問題はその後だった。
豊かであったはずの森は、獣の死の道連れとなりあれから・・・十数年たった今でも、立ち枯れて朽ちた木が林立する『死の森』と化したまま、再生の兆しは無い。
それと似たような問題が神殿に報告される頃には、獣たちはすっかりただの『害獣』と見なされて、神の座から引き摺り下ろされていた。
そこで神殿は荒ぶるかつての神々を鎮めて、かつての豊かさを授ける『神獣』へと祭り上げ様と試み始めたのだ。
――トゥーラのような能力者を募って。
排除などという手段を取った愚か者達のお蔭で、それはどうしても避けるべきだ・・・と思い知った上で出された結論だ。
かつての尊敬や信頼はどこへやら。あるのは利得を目当てとした下心のみ。
トゥーラは獣がけっして肯くまいと、分りきった上で引き受けた交渉役だった。
結果――獣の長からの答えは、やはり予想通り。
””トゥーラ。いくらそなたの頼みでも無理だよ。悪く思わないでくれ””
トゥーラは子供の頃から、獣たちと親交を深めていた。大切に。守りを互いに交し合う、大好きな仲間。
だからこそ、こうした風潮を何としても変えたい。そう願っていた、そんな時だった。
『真に獣たちと共存するために、荒ぶる彼らの心を宥めるものを完成させよう』
――そう。それこそが『聖句』を、紡ぎ始めたそもそもの理由。
初めにそう言い出したのは誰だったろう?
仲間の一人だったかもしれないし、トゥーラ自身だったかもしれない・・・・・・。
今ではもう遠すぎて、どんなに目を細めてみても思い出せやしない。
そうした神殿の同志たちが集ったのだ。――シャグランス家。ロウニア家。そうして、ジャスリート家。
彼らと共に、トゥーラは研究を始めた。
獣の声を聞くことの出来る能力が、何より必要だと請われたのだ。確かに。獣の心を解らずに、聖なる句の魅力的な配列は成し得ない。
嬉しかった。だからこそ、喜んで協力した。獣の声が聞こえなくても、理解したいと望む者達がいる。
そんな両者の架け橋となれるのだ。
聖句が完成した暁には、獣たちとかつての関係を取り戻せる。そう・・・信じて打ち込んだ。
しかし完成を目前にして、トゥーラは引退を宣言する事となる――。
結局の所聖句は獣たちの慰めになるどころか、制限を与えてしまうモノでしかなかった!
何か・・・これ以上とんでもない事に荷担してしまう、その前に。
トゥーラは高齢を理由に神殿から、仲間から・・・・・・逃げたのだ。
自分が手を引けば、聖句の完成はままならぬものになるだろう。そう、踏んでのことだった。
――だが、それもどうだろう?
彼らの強い信念の前では、それがたとえどんな歪みを生み出そうとも、やってのけるかもしれない。
それほどの熱意を、かつての仲間から感じたものだった。
ならば。それならば、と思い立つ。
引退したと公に宣言したが、楽隠居する気など更々無い。
自分はいつでも、いつまでも能力を獣を研究し続けている。行き着く先は研究者だという自覚がある。
途中までとは言え、聖句完成に力を貸してしまった負い目もある。
ならば独自に、その償いの道を探し当てるのだ。両者にとって、最善の策を――。我が講じよう・・・・・・。
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あまりの快晴に、部屋にこもり切りなのがもったいなくて、ディーナは庭園に出ていた。
木陰に腰を下ろして、抱え持ってきた『獣の書・その属性と在り方』とにらめっこしていたのだ。その傍らにはレドも一緒だ。
木漏れ日が気持ちよい。思わずうとうとと居眠りしそうになっていた所を、笑い声が降ってきた。
【ははは。やぁ、ディーナ?お勉強は進んでる?】
もちろん。見ていたのならば分るだろう、もちろん・・・全然だ。
眠たそうに目をこすりながら、ふるふると首を横に振るディーナを、トゥーラはまた笑った。
【ふふ。ボクで良ければ、教えようか?】
――こっくりと、ディーナは素直に頷いたのだった。
少年はそんなディーナを満足そうに見つめると、隣に腰を下ろす。そうして一緒に書物をめくりながらの、彼の講義が始まったのだった。
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【――そういう事だからさ。どう?ボクの説明でわかってもらえたかなぁ?】
ディーナは大きく頷いてみせる。
「うん。ジャスリート家のご先祖の方も、獣の声が聞こえる人・獣耳だったんだね。それで・・・人と獣との仲を取り持ちたくて、色々研究したのね?」
そうそう、と少年も頷く。
「そのために、聖句を完成させる手伝いをしたのだけれど、どこか違うって事に気がついちゃった・・・。こんなの獣たちから自由を奪うだけだ。利用するだけだ。――だから、手を引いた」
【うん、そう。逃げたの。神殿から、仲間から】
「それで?それから、彼はどうしたの?自分の理想から逸れない策は、見つかったの?」
トゥーラの講義は、その先祖が引退したところまでで、一区切りだった。
講義と言うよりも物語を聞かせてもらったよう。続きの気になるディーナは、先を促がす。
【・・・・・・今日はここまで。残りは次回にしないと、いけないみたいだよ。ほら】
トゥーラが立ち上がって、館の方を指さす。
デ ィ ー ナ 様 、 ど ち ら に お 出 で で す か 、 デ ィ ー ナ 様 ―― 。
そう、自分を探す侍女の姿があった。
「何かしら?・・・じゃぁ、私行くね。また、後で教えてください。面白かったよ、トゥーラ先生。ありがとう」
ディーナも立ち上がる。まどろんでいたレドも、それに倣う。
【うん。この続きの復習と予習をしたいようなら、年表の一番古い物を見せてもらうといいよ。・・・今から七代前のご先祖の事だからさ。見ておくといいよ。うん】
「うん。わかりました、先生」
ディーナはそういたずらっぽく笑うと、ぺこりと頭を下げて見せた。トゥーラも笑いながら、手を振る。
【じゃあ、また後でね】
「じゃあね」
本を抱え直すと、ディーナは侍女の方へと小走りで急いだ。
トゥーラ・ファーガ・ジャスリートの成れの果て。
まだまだ彼の望む『終幕』まで、時間がかかりそうですが、もうじきです。
彼がさ迷ってきた時に比べたら、早いものかと思われますが。
まぁ、まだまだ掛かります・・・です。