* 紅孔雀の目
獣の彼には素直なディーナ。
そんな彼女に素直に喜べない、銀の彼。
アナタに名前を与えます。
それは『アナタに命を与えます』――と・・・そう言われたのと、同等。
賜ったものが”いのち”なのか、”めい”なのかで大きく意味は異なるけれど。
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ディーナはぬくもりに安心したのか、そのまま再びまどろみに引き戻されていった・・・・・・。
瞳が開かれる事は無かった。だから、今この腕の中に大人しく抱かれている獣は『レド』と信じているのだろう。
それでいい。ならばレドとして、お利口サンに振舞うまで。――そう思う反面、何やら釈然としないのはナゼだろう。
(・・・・・・ディーナ。アンタは本当に無防備すぎて、腹が立つんだが)
わかっている。そんなものは自分の勝手だという事くらい、わかっている。
安心して信頼しきってくれているからこそ、こうして見る事の出来る表情があるのだ。そう己自身に言い聞かせる。
(――それでも・・・やはりこの状況は、アレだ・・・・・・。『お預け』をさせられている、よな)
そんな切ない状況だと思う。しかし獣はお利口サンだから、やせ我慢を通すのが道理だ。
『銀の獣』は諦めて、いくらか緊張した筋肉を弛めた。すよすよと安らかな寝息が、獣の密集した毛並を撫でる。
――獣の彼は鼻先で小突くように、そんな彼女の頬に触れてみた。
とたんにくすぐったそうに身じろいで、微かに微笑みが返される。
目覚めて自分を『銀の獣』と認識しなおした上で、抱きついてはくれないだろうか――?そんな想いもディーナが夢の中の住人のままなので、淡い期待のままで終わった。
フィルガは観念して、自身も瞳を閉じた。そうするうちに彼女の寝息に誘われる形で、獣は眠りに落ちていった。
そうして迎えた明けの空。
獣はわずかばかり射し込む朝日に、その時の訪れを知った。もう、立ち去っても構うまい。・・・そうした方が無難だろう。
ディーナは規則正しい寝息を繰り返している。その乱れの無い調子からも、彼女の夢が深いだろうと窺えた。
(ディーナ。アンタは目覚めたら、また――。すべてを忘れ去っているのかもしれないな)
ふと、そんな風に思った。それほどまでに彼女の寝顔には、何の憂いも見当たらない。
そうであって欲しいような。それはそれで、また悩まねばならないような。どちらにしろ『フィルガ』でディーナに向き合わねばなるまい。
話はそれからだろう。この伝わるあたたかさから立ち去るのは、正直・・・名残惜しいが支度をせねばなるまい。
そうとは気取られぬようにと祈りながら、四肢を起こした。
眠りに着く直前まで感じていた、しがみつく様であった必死さも今は無い。ほんの少しだけ手を添えられているだけだ。
――それでも細心の注意を払って、銀灰色の獣は身を引いた。しかし。
「ん・・・ぁ、・・・れ?」
ディーナの瞼が持ち上がった。寝ぼけているのか、焦点が定まっていない。
まだ眠そうに、そして眩しそうに。目を擦りながら、片手を寝台に付いて身をわずかに浮かせる。
ただでさえ鎖骨も露わな薄着の、肩紐がずり落ちた。そのせいで深く胸元が覗く。
そんな無防備極まりない様を見せ付けられて、獣は固まって動けなかった。
何と言う危うさかと。それでいて、まるで猫がしなやかな身体を投げ出しているかのような。――小さいながらも彼女も獣。そう思わせた。
そして――それはそれは満面の笑みを、傍らの獣に向ける。それと同時に両の腕を広げて、思わず見惚れていた獣を抱きしめた。
「――捕まえたんだから。もう、行っちゃだめよ?どこにも」
甘さを含ませて響かせる、優しい声音はいつも通り。それなのにどこかしら色香を感じさせる囁きが、獣の耳朶をくすぐる。
熱に浮かされているかのようではないか。まるで――そう、まるで挑発されているかのような。そんな錯覚に囚われてしまいたくなる。
(ディーナ。寝ぼけているのか?それとも・・・誘っているのか?そんな声を出してくれるな・・・襲うぞ)
それは有り得ないと踏まえた上であっても、そう思わずなじりたくなった。せめてもの抗議も、不機嫌そうにただ低く唸るだけ――。獣はか細く非力であるはずの腕から、逃れられなかった。
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彼 女 が 。 デ ィ ー ナ が 瞳 を 開 け た 。 少 年 に と っ て そ れ が 合 図 と な っ た 。
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ディーナの心までくすぐる忍び笑いが、銀灰の毛並に埋もれる。そんな心地のよい甘さにたっぷりと浸されて、再び瞳を閉じ掛けたが・・・・・・。
彼女の呼吸が弱まり、意識が一瞬失われたのを直に感じた。そう感じとった、次の瞬間。
『・・・ふふ。――・・・闇を切り裂く雷の光』
(ディーナ!?)
その瞬間。獣はためらい無く飛び、後ずさっていた。身の危険を感じたせいもあるが、何より彼女に危害を加えかねない。そう判断したからだ。
『雷をくるむは 闇。 闇 振り払うは 光。 光放つは 雷。 よって光は雷に 従う。』
グゥゥと押し殺そうとした殺意が、飲み込めきれずに牙の間からこぼれた。獣は『聖句』を操る術者に容赦が出来なくなる。
このまま『聖句』に躍らせられまいと抗う本能が、フィルガを凌ぎ切ってしまったら。その後に待つ結果は疑いようが無い。
――獣はディーナの喉笛を狙う。その白い肌を、紅で染める。一番、最悪の事態に陥ってしまう。
『従うは雷光という名の放たれる槍。 つがえられる弓から 引き放たれる矢。 その切っ先の射抜くは 彼の獣の魂の在り処。 闇のとばりにくるまれた 魂の在り処。 』
微笑みという仮面を貼り付けたまま、ディーナの唇は聖句を刻み続ける。
まろやかな笑みの形に引き結ばれたままの唇が、ただ、とうとうと――。
何者かがディーナに介入している。術者の目を持ってしても、掴めるのはそこまでだった。術者に行き当たらないのだ。
正体が掴めない。だから対処の仕様が無い。このまま甘んじて彼女に受けて立つしか。
波が起こされたかのようだ。月に影響される潮の満ち欠けのように、血という潮がざわめく。
しかしそれは強制である。自然の理を無視したその行いに引き起こされたソレは、逆流に近い。このままでは、まずい。
( ――何だ!何者の筋書きだ?ディーナ!止せ、やめるんだ!でなければ、オマエの身が危ない!!)
不気味なほど静かな気配を保つ、赤い髪の少女が自分を見ている。獣からおさめ切れない殺意を向けられていても、その湖面は静けさを湛えている。ディーナのやり方からは程遠い方法で、獣に向かっているとしか思えなかった。
少なくとも今までの彼女の心の在り方からは、想像できないのは確かだ。
しかも――。この、三の属性を見抜いた『聖句』だと?人の子の身では、不可能のはずの術句。
獣は『フィルガ』を完全に忘れてしまい掛けている。かろうじてその縁に、引っかかっているような状態だ。このままでは・・・・・・。
次に獣が意識を取り戻した時に、彼女の獣となっているか。それとも、彼女の喉笛を仕留め鮮血の中にいるか。
そのどちらかだ。
『振り払え、 輝ける雷光の矢刃よ。 射掛けられた雷光という名の下に 仕留めるは 彼の者の魂の在り処。 射かけよ、 闇を切り裂く雷の光。――彼の者の魂を 我がものと ・・・・・・』
苦しいのに。もっと聖句を望む獣と、屈してはなるものかという己との一騎打ちは続く。
そんな薄れ行く自我の縁で聞いたのは、彼女の悲痛な叫び声だった。
「『・・・・・・我がものと せんが・・・・・・』――できない!できない!私にはできない!!お願いだから『紅雷』――早く逃げて」
(クライ?もしかしなくても、俺の事か?――紅い雷、だと?この雷は紅い孔雀のものだとでも言い出す気か)
――それはそれで、銀の獣をそこに縛り付ける威力がある。
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【残念。いい所まで行ったんだけどね。ディーナが拒否したから、跳ね飛ばされちゃったよ】
意識を。そう言いながら、両目を開けたトゥーラに非難の声が上がる。
””――嬢様に介入したのか?これは『二人の』対峙としておきながら、トゥーラ!””
【彼の者の魂を我が物とは、したくないんだってさ。バカだね。素直じゃないんだから。ま・『名を与えた』からまずは良しといった所かな。無意識でソレをやってのけるんだから、流石というか。怖い子だよね。性質が悪いよ!】
((””話をすりかえる気か、トゥーラよ。・・・オマエは、孔雀の目を拝借していたのではなかったのか?””))
『孔雀の目を借りる』そう言われれば、ヅゥォランかヨウランの目を借りると思うではないか。ジャスリート家の守護の。
呆れたような視線を二頭は少年に向けた。ほとんど同時に。
【そうだよ。ボクが借りていたのは、紅い孔雀の目だよ。その方が見極めやすい。――異変をさ】
しれとトゥーラは言い放つ。事も無げに。さも当然だろうという響き。
それはそうだが。一番、野暮なのはおまえじゃないか――。そんな非難を込められた眼差しを、左右いっぺんから受けても彼に悪びれた様子は見られない。
責めても無駄な彼の性質。付き合いの長い二名はそれを知っている。
理解しているが、それでも二頭は冷ややかな視線を送るのを止められなかった。
【当然だろう?あの子は――ボクがこしらえ上げたようなものなのだから。ほんの少しばかり力添えをしたまでさ。そうでなければなかなか先に進めそうも無いしね。・・・・・・この身で年月を重ねるのにもいい加減、飽きてきた。そろそろ解放されたっていい筈だ。ボクは新たな転生を望む】
””そう思うならさっさと昇天したらどうだ?トゥーラよ。おまえは充分償ってきたではないか””
【まだまだ、だよ。もう少し・・・あと少し。この契約を完全に機能させて、あの子らが幸せになれるよう見届ける事ができたならば――次に進もう】
トゥーラは二頭に背を向けたまま、答えた。振り向かずに橋を進む。渡りきった彼方、ジャスリート家の館を目指して。
橋を渡る風が、その背を押すように煽った。
はい、余計な世話焼きがいますよ。しかも3名(+α)も。そっと見守るだけに、とどめようよ?
そんな、つっこみはさておき。
どうでもいいですが、最後まで悩みました。銀の彼の名前。
『雷狼』――ライロウ。そのまんま、ですね。
or
『紅雷』――クライ。紅い孔雀のものを主張させたかったので、こちらに。
というのに加えて、『暗い』=『闇をちらつかせる』で、こちらに落ち着きました。
フィルガ考えがちょっと、暗いしね・・・・・・。
(いいのか。それで)