* 魂への試み
――シアラータにトゥーラ。一章と八章ぶりでございます。
彼の者の魂を・我が物に・我が物に・我が物に――。
それ以外は考えられない。
けれども。我が物となった魂をどうしろと言うの・・・・・・?
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月明かり僅かばかりの闇の中。橋に立つ者の影が、飛翔するかのように立ち去った獣を見送っていた。
【・・・・・・君はまだ物足りなさそうだね、ダグレス?もっと彼と牙を交えたかったかい?】
””――ふん。こんなものはお遊びでしかない。だがこんな所でくすぶっているよりも、優先する事があるからな。それはあやつめも同じであろうさ””
ダグレスはつまらなそうに言い捨てる。そうは言っても立ち去った銀の獣の方角に向かっての、威嚇とも取れる動き――首を前後に打ち振りながら己の一角を構える――のを止めない。
トゥーラの目から見ても、彼が不完全燃焼なのは明らかだ。
それは彼がディーナの想う獣だから、本気を出せずにいるのだろう。ずいぶんといじらしい事だ。
【それは確かに。よくやってくれたね、ダグレス。礼を言うよ。君のお蔭だ。ディーナはちゃんと聖句を刻んだし、フィルガは獣身のまま――彼女の元に向かった】
””別に。我は嬢様のために動いただけだ。全く!!若造が!いつまでたっても子供で、世話の焼ける。だから、せっついてやっただけだ。それに・・・嬢様が『聖句』を必要とする時が、必ず来る””
――神殿の輩が動き出したからな。
そうダグレスは付け足すと、ようやく首をもたげて胸を張った。
『名乗り』を上げ、『高見に立つ』と宣言から始まるのが聖句の特徴だ。ただし、それは人の子の操る聖句だからだ。
あくまで聖句を用いて獣を従えるのがその目的であり、築かれる関係は『主従』だ。
獣は調べに心を奪われるが、まだいくらか自由がある。聖句は魂という深みに触れても、食い込むまでには及ばない。
心は本来ならば、軽やかで自由なものだ。何者であろうとも。そのせいか比較的、第三者からの介入という影響も受けやすいのだ。――だが、魂だけは違う。よほどの事が無ければ、誰もその輝きを鈍らせるまでには至らないのだ。
わずかばかりその光に触れることはできても、犯すことの出来ない領域だ。その源が何で出来上がってるのかまでは、今だ答えは無い。しかしこれだけは断言できる。
『魂』を傷つけることが出来るのは、その魂の『持ち主』のみがなせる行為だと。
何者であろうとも、他の魂にまで食い込むのは不可能。そう結論はつけた上で導き出し、なおも続けられる『研究』という名の実験。
トゥーラ・ファーガのいつ果てる事もない、好奇心の表れ――。
そんな己の『研究』に、そろそろ終止符が打てるかもしれないと思い始めていた。
やっと。やっと、だ。その兆しが見え始めた。それは収穫のある成果として、収めてやれるかもしれないと希望のあるもの。
トゥーラは満足そうに笑う。それはあどけなさの残る少年のものでもあり、齢を重ねたもののようでもある。
【はははっ!いいねぇ、ダグレス!君はいい役者になれるよ。――ねぇ?そう思わないかい、シアラータ?】
(( ””・・・・・・・・・・・・。””))
【――なんだよ、無視かい。まぁいいけどね。本当によくやったね、ダグレス。これで舞台も役者も整った。・・・・・・首尾よく面白いものが見れそうだ】
””・・・・・・嬢様は見世物ではないハズだ、トゥーラよ””
【ふふふ。あの子は僕の研究の成果だ。観察して当然だろう?シアラータも彼が心配?】
((””当然だ。いかにお前の仮説が正しいと理解した上であっても、結果は出ていない!可能性は未知数だ。心配して当然だろう””))
【――・・・それでも。あの子らには必要だから。唯一の者の魂に己の『魂を預ける』か。『預かる事』が出来たならば、それはここに留まる錨になる。そうすれば志半ばで、橋を戻らずとも済むようになるかもしれないんだ。二度と橋を戻らなくて済むのなら、そうしてやりたいんだよ。わかるだろう?それが双方のためだ】
相変らず愉快そうに笑いながら、トゥーラ・ファーガは答えた。
背後に幾頭もの獣を従え立つシアラータに、少年は怯む様子は無い。実にゆったりと構える様は、不遜とも取れる。
彼自体とても華奢であり、その背丈はシアラータと呼ばれた獣の半分以下しかない。
そんな少年の身体は、獣の影にのまれている。
もっともシアラータは闇に居座っており、それ以上は踏み込む様子は無かった。時折り足踏みをするのは、恐らく彼の子供たちが心配だからだろう。それでもそこからは腰も上げず、眼差しだけを向けている。
背後に引き連れた獣たちの遠吠えを、橋の向こう側に押し止めながら――彼は見守っているのだ。
それはトゥーラやダグレスも同じだ。
【さあ。どうなるかな。早いところ幕が上がって欲しいよ】
””我も行くぞ””
【ダグレス、待った!――それは野暮ってものだろう。ここで待つんだ】
””――そうだが・・・・・・””
【ここでシアラータに倣うんだ。いいね?これは『あの二人』の対峙なんだから。さて・・・僕は孔雀の目を借りるとしよう。まぁ全部は覗き見せず、制限を加えるから安心して?】
((””なぜ、私に言うのだ?””))
【・・・・・・それが道理だろうからさ、保護者殿。――シアラータにダグレス。万が一暴走したら、対処を頼むよ】
””もちろんだ””
頷く二頭の獣を確認すると、トゥーラも深く頷いた。そのまま瞳を閉じると、両方の腕を広げる――。
そうしてトゥーラ・ファーガ・ジャスリートは、意識を飛ばした。
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実に通い慣れた部屋なのだが、こうして訪れてみると奇妙なものである。
ここは昔、彼の母親が居としていた自室だ。
別名『孔雀のための鳥かご』部屋。皮肉を込めてそう呼ばれていたし、彼もそう呼んでいた。
『白孔雀』こと――シィーラの持つ輝きに魅せられて、彼女を訪れる獣があまりに多かった。それが昼夜問わずとあっては、流石に彼女に支障が出る。
だからその輝きを幾らかでも封じてやるために、細部に獣よけを施してあるのだ。それから改善を加えて、より強力な術が作用するにまで至った部屋。
獣に目くらましを与えるだけではなく、住まう者の力にも制限を与える。もう鳥かごどころで済まない、立派な牢屋でもある。
そこまで持っていったのは、フィルガの意地だ。それが成した技の表れだった。
もちろん、その為に何度も足を運んだ部屋である。――つい先ほども。
だが今・・・少しだけ気まずくて、つい遠慮がちに足音忍ばせてしまう。
それは訪れ方にも原因があるだろうが、何より――今この部屋にいる娘を泣かせてしまったのが、自分だからだ。
””泣き止まない””そう告げられて、フィルガの胸が大きく軋んだのもまた確かだった。
(・・・俺に戻れとダグレスは言ったが、必要なのはフィルガではないとか言っていたな。アイツ)
その言葉に引っかかりを覚えたが・・・まずは様子を窺うために、耳をそばだてる。
そんな『銀の獣』の耳に届くのは、微かで規則正しい寝息だった。穏やかな息使いにどこか安堵しつつ、彼は意を決した。
窓からそっと入ったのだが、彼女に寄り添うようにと命じた獣には気付かれたらしい。
細心の注意を払っても、そうそう獣の耳は欺けるものではないのだ。
””――何しに来た・・・・・・いじめる気・・・――””
『高見に立つ我が この獣の心を預かる』
ディーナに寄り添っていたレドに、間髪いれずに一句を見舞った。途端に白い獣は意志奪われて、大人しくなる。
『そうだ――。我が行くまで控えていろ』
””――――。””
レドはすり抜けるように、寝台から降りた。そのまま扉の向こうへと歩み去る。
あたかもその意志の無い動きは、そのまま空気の移動を眼にしているかのようだった。
それに倣うかのように、フィルガもまたディーナへと歩み寄った。ちょうどレドと行き違う格好になる。
寝台に横たわるディーナに、もう涙のあとは見られなかった。ただ肌寒そうに身を丸めている。
ドレスのまま横になるのを、窮屈に思ったのだろう。彼女は薄い下着一枚の姿で、その裾に足をすくめていた。
その様子があまりにも無防備な幼子のようで、侍女も付けずに放置した事を今更ながら後悔した。彼女はあんなにも寒がっていたのに。
フィルガは何か羽織り物を掛けてやろうと、室内を見渡した。その時。
「・・・・・・ん、・・・レド・・・・・・?」
ディーナは傍らに寄り添っていたレドが居なくなり、ますます寒さを覚えたのだろう。
手を伸ばして探る。だがそうしてみても、空を切ることに違和感を感じたようだ。
「ん・・・ん?・・・ど・・・こ?・・・レ、ド・・・どこ?・・・どこ?」
ディーナのそのあまりに切ない呼びかけに、フィルガは反射的に獣の身体をすり寄せようと近付いた。
躊躇ったのも一瞬で、すぐさま寝台に上がる。そのまま彼女のさ迷う腕の下に、身を滑り込ませてやった。
その途端ぬくもりに安心したのだろう。離すまいと抱きついてくると、ディーナはやわらかく微笑んだ。
瞳は閉じたまま――。
何の憂いも感じさせない。いや――。まだその憂い自体を知らないかのような、無垢なる者のあどけなさに眩暈がした。
そのあまりに満ち足りた笑みは、フィルガの胸をまたも違った意味でかき乱す。
こんな彼女の表情は、はじめて見た。いつも曇らせてばかりだったから。
その感動と・・・また、泣かせてしまいかねない己への罪悪感。それでいて獣に信頼を寄せる彼女を、裏切ってやりたいとも思う。
ひとつの胸中にいっぺんに湧き上がった想いが、予想もつかない方向へと獣の我が身を突き動かしかねない。
そんな可能性に焦りを覚えるフィルガに、ディーナは囁きかける。
「・・・・・・つかまえ・・・たぁ」
くすぐったそうに、くすくすと笑いながら。やわらかな身体で必死にすがりながら。
――捕まった。その瞬間、そう観念するしかなかった。
しかも揃って悪だくみ(?)ですね。この御三方は。
ダグレスは役者ですね。
そしてディーナ。無邪気という魔性っぷりを発揮してます。
フィルガはもう、逃げられません。