* 獣の血筋
やり場の無い想いは、勢いある跳躍へと変換されて発散されます。
な め ら か な 毛 並 み も
し な や か な 筋 肉 を ま と っ た 体 躯 も
全 て は あ の 御 方 の た め の も の
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吹き抜ける風と共に、疾駆する影がひとつ。平原を駆け抜けるのは一頭の狼。
その艶めく銀の毛並みは月明かりでさえもはじき返し、輝き放ってそれはそれは見事な光沢だった。
残念ながら賞賛を送るものは、今はただ満月のみである。
強くしなやかな筋肉は駆け抜けるための造りであり、ほんの一蹴りでかなりの距離を縮める――。
丘陵から次の丘陵へと、まさに飛翔するかのように跳ぶ。一躍した直後に彼は空に留まる。
やたらに長く感じるその一瞬。身の浮く短い時間だけが、彼を思い煩わせる全てから解き放ってくれるのだ。
滞空する心地よさは瞬きにも満たない時間だった。だから・・・だろうか。
彼の前脚が着地する頃には、また足の裏に鉛でも貼り付けられたかのように現実に引き戻されてしまうのだった。
左の肩口の引き攣ったような痛みも、思い出したかのようにソレを手伝う。
彼女が半狂乱になって心配してくれていた傷だが、今はもう体重をかけても気にはならない。
我ながらこの身の回復力の速さには、有り難いと思う反面・・・軽い嫌悪感が伴なう。常人ならばありえないからだ。
【忌々しい。この身は何て化け物じみているのだろうか!汚らわしい呪われた血筋を、清められるのは一体なんだ!?】
腹立たしさから思わず唸り声を上げていた。長い鼻っ面にシワがより、自身の牙が己に深く喰い込む。
風を切って跳躍を続ける彼の耳に届くのは、己の息使いと平原を渡る夜風のみ――の筈で。
遠く。そして、近く。吹きすさぶ風の咆哮が耳をかすめて行った。繰り返されるそれが、すすり泣くあの子を連想させる。
振り切ろうにも獣の身であるがために、どんな微細な音色でさえも拾い上げてしまう・・・・・・。
獣は自在に動く耳をなるべく後方に倒して防ぐよう試みてはいるのだが、たいして効果は無いようだった。
やり場の無い想いを、これ以上あの娘にぶつけてしまいたくは無い。それでも抱えた想いは抑え付けようもない。
――だから彼は走る。ひたすらに、風と月明かりを連れ立って。
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『銀の獣』は気がつくと、あの橋のたもとにたどり着いていた――。
幼い頃から通いなれた場所である。
いくら目的も無く無意識であったとしても、今またこの場にいるのは少しいたたまれなかった。
橋の真正面に立ち、その闇に見えない向こう側を見据えた。
見えない闇に目を凝らしてみても、彼の目に映るのはおぼろげな橋の輪郭のみだ。
【・・・・・・ディーナ】
思わず呟きもらしたのは、彼女が霧の中を渡って来たあの日を思い返しての事だった。
あの日――。霧のベールをまとって現われた少女は、彼の『生涯で唯一人』の『望む者』で間違いない。
迷いの無い確信に、根拠は無い。あるとすれば自分の血が教えてくれたから、とでもしておく。それしかないが充分だろう。
どれほどこの胸が歓喜に打ち震えたことか。高鳴る胸に手を当てて跪く。
それは古来からの作法による表現そのままに、フィルガはそれに倣っていた。
実際かつて無い動悸にそうせずにはいられなかったから、そうしたまでというのが真相だ。
きっと皆――ジャスリート家の先人達も、そうせずにはいられなかった事だろう。
痛むほどの鼓動を抑え感じつつ、跪いて迎える者は穢れ無き無垢な者なのだから。
幼いままの心で一心に願ったものは、まだ形にならなかった。だからだ、きっと――。
幼かった彼が望む者を与えられなかったのは、自分で自分が何を寄こせといっているのかが、あやふやだったせいだ。
幼い息子を捨て去ったとしか言い表しようの無い母親に、文句のひとつも言ってやりたいところだったせいもある。
しかし確信もあった。あの人は二度と橋を渡ってはこれない。契約は一度きり。彼女は祖母に呼ばれた娘なのだから、二度目は無い。じゃあ何だって、自分は橋に立ち続けるのだろう?少年が青年へと成長する頃に、やっと答えが見付かった。
霧に巻かれながら、過ごした歳月に自分が望む者を何と呼ぶか。そのおぼろげな答えが、確信へと変わったその年。
彼女が。『ディーナ』が渡って来てくれた。これを歓喜と呼ばずに何としようか。
ジャスリート家の契約に従って、迎えるのは霧のベールをまとった花嫁。
ただの言い伝えでしかないだろうと、半信半疑だったのだが――。実際にその神秘に触れたのだ、ジャスリート家のフィルガは。
この身に引き継いだ血の現われが、何よりもその証拠だと思える。
(・・・・・・獣の血筋、か。嫌な響きだ)
だがそうである事が、契約を満たすためには必須の条件。それが何を意味するのか、フィルガは薄々勘付いていた。
橋の向こう側にいる者達を責める気はないが、自身の現われように嫌悪感は拭えない。
もちろん獣の片鱗を見せず、血の中に眠らせたままの者の方が大半だ。
フィルガはこの自身の現われ具合は――『呪い』というモノに等しいとすら思っている。
無理やり眠っていた獣を作為的に呼び覚まされたから、こうなった。恨みがましく、フィルガは橋のたもとの像を見上げた。
【シアラータ・・・・・・!!いい加減に、解放してくれ】
――そう呼びかけたが、返答は無かった。
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見上げた像の視線の先――闇の中から出でしものがあった。凝らし見なければ見逃してしまいかねない。
それでいて己の存在を誇示する闇に、フィルガは馴染みがあった。
闇をまとい引き連れたその者も、橋をゆっくりと渡って来たようだ。
しかし跪く気には到底なれないその者を確認すると、銀の獣は鼻を鳴らして出迎えた。
【こんな所で何用だ、ダグレス?】
ふん、と闇色の獣も鼻息を荒くして、言い返す。
””――今すぐ戻れフィルガ。ディーナ嬢さまの元へ””
【何だと?また、侵入者か?オマエのような】
””いいから、戻れ。嬢さまが泣き止まない””
ダグレスの言葉に、フィルガはがっくりと首を下に落とした。
(またコイツは人の目を盗んで、ディーナの元に行ったのか。しかも封じを施したあの部屋に、易々と侵入したようだな)
ダグレス――この獣は、予てから『シィーラ』の加護を受けている。
彼女がいなくなった今でも、その祝福は有効らしくフィルガを悩ませる。いくら遠ざけようとしても、昔からこの調子なのだ。
シィーラの力は純粋なまでに強く、絶大な影響力を発揮したままダグレスに祝福を与え続ける――。
それを断ち切ってやろうと何度試みた事か――は、もう忘れたが。
また今回も敗れたのは、フィルガの方だというのだけはわかった。
【・・・・・・断る。俺が行ってどうなるものでもない。それどころかむしろ、泣かせてしまうのがオチだろう】
ダグレスは胸を反らしながら、顔を背けたフィルガを見下す。何故こやつに頭を下げねばならんのか――。
そう言いたいのは山々だろうが、ディーナのためなら仕方なし・・・といった所だろうか。
””ディーナ嬢さまは御心を『銀の獣』に預けられておしまいのようだからな””
ヴゥヴ・・・と喉を鳴らして、ダグレスはつまらなそうに吐き捨てた。
【・・・・・・じゃあオマエが行って伝えてやれ。『銀の獣』の傷は癒えたと。そうすれば少しは――泣き止むだろうから】
””忌々しいほど鈍いヤツだな!わからんのか?わからんのだな?なら、教えてやるから悩めばいい、シィーラの息子!ディーナ嬢さまは『銀の獣』に夢中なのだから、オマエが行かねば意味が無い。でなければわざわざオマエに、頭を下げにくるものか””
【何だと?ディーナが・・・俺に?】
””違うな。『銀の獣』にだ。貴様――フィルガ・ジャスリートにではないわ。だからせいぜい悩め。でなければ我の気が済まぬわ!なつかしの風を孕み持つ、その源からオマエが導き出した御方なのだぞ?それをよもや忘れたわけではあるまいな?シィーラの息子、フィルガめ。オマエよりも獣の我の方が、ディーナ嬢さまのお心に留まるのは至極当然のことだ!””
カッ、カッとダグレスは前脚をその場で蹴り上げた。相当苛立っているのだろう。首も前後に打ち振る。一角の切っ先はフィルガへと的合わせしている。
ダグレスは自分が『魅力的』な事を熟知している。それすらも獣の持つ、力の強さの現われ具合なのだ。
大方ディーナを魅せ付けて、あの日も連れ出す事に成功したのだろう。そこに『銀の獣』が現われて、ディーナの関心を奪ってしまったのだ。
その事でよほど自尊心が傷ついたのだろう。シィーラの術にはまた敵わなかったが、ダグレスよりもあの娘の心を魅了できたようだ。確かにフィルガではなく『銀の獣』の彼が、という所が何とも皮肉なものだが・・・・・・。勝ちは勝ちだ。
それを妬いているらしいダグレスに、フィルガは勝ち誇るように負けじと胸を張った。
””それを!!それを貴様は――。嬢さまを魅せつけておいて、何も言わずに立ち去るとは何事か!””
【言えるか阿呆】
””ふん。ここで一突きしてやりたい所だが、それくらいでは気が治まらんわ。””
【ここで勝負をつけるか?それもいいだろう】
””のぞむ所だ。この若造めが!!””
ダグレスの紅い眼が、闇の中で鋭い光を放った。怒りのためか、爛々と輝かせながら唸る。
その咆哮にも似た叫びに呼応するかのように、橋の向こう側から遠吠えが上がった――。
ダグレスが訳知りなのは、長く生きているからでしょうか。
――ディーナの好みが『獣』なので・・・フィルガは(恋愛)対象外だった様子。
しかし『銀の彼』は彼女の心を掴んだようです。よかったね(?)フィルガ。
(たらたら書いては消し〜で、前回よりちょっと間が空いてしまいました。こんな調子で二人の距離はいつ、縮まるんでしょうか・・・・・・。自問自答)