* 孔雀のための牢
ディーナ、自分を罰して欲しい様子。
この身をずっと包む寒さは何?
表皮だけでは済ませれずに、身体の芯から湧き上がってくるかのような。
――私の体温を奪ったまま行ってしまった、あの獣はどこ?
・。・:*:・。・:*:・。・:*:・。・:*:・。・:*:・。:*:・。・:*:・。・
「――着きましたよ。さぁ、どうぞ」
言いながら、フィルガは燭台を掲げる。促がされたその先にあるのは、四隅に細やかな彫り物の施された扉であった。
(孔雀。ここもまた・・・・・・孔雀。ヅゥォランとヨウランかしら?)
孔雀が左右に後ろを振り返る格好で、尾羽を引きずるように誇る様を彫りこまれてある。その繊細に施された彫刻の印象からか、重厚さのない扉に感じるが――えもいわれぬ威圧感がディーナの胸を詰まらせた。
フィルガに左手を引かれながら、ディーナは回廊を渡ってきていた。もう夜もだいぶ更けている。フィルガの手にした燭台の蝋燭だけでは、正直足元は頼りない。だから大人しく手を預けたのだ。
放して欲しいと訴えるのも、何だか気が引けたというせいもある。
多分、受け入れられないだろうしと・・・諦めているのと、放されるのも何だか。――何だかひどく寒気が襲ってくる気がして。
(どうしてかな。あの『銀の彼』がすり抜けて行った時と同じ事になるような、気がするの・・・・・・?)
ディーナは彼に体温の一部分を奪われたまま、込み上げてくる寒さに途方に暮れているしかなかった。
ディーナは自分の体に起こる現象に説明する術を持たない。なぜ何を自身に繰り返すばかりでしかない。
つまるところ対処のしようがないまま、こうして寒さを堪えるしかない。フィルガのあまり高いとはいえない、その掌の温もりにすがるしか・・・・・・。
促がされたままディーナは扉を前に、固まってしまう。いつの間にかディーナの手の方が強く彼の手を握り締めていた。
そうしている自覚の無いままに、ただ先ほどまでは預け置いていただけの指先に力を込めていた。
「――ディーナ。着きましたから、開けて下さい。俺は手が塞がっていますから」
強く手を包み込むように握り返される。名を呼ばれ、我に返ったディーナは小さく静かに頷いた。
自分で言い出したのだ。牢に案内しろと。だから、受け入れる。ただ静かに。
・。・:*:・。:*:・。:*:・。・:*:・。:*:・。:*:・。・:*:・。
一歩足を踏み入れた途端、奇妙な浮遊感に体の軸を失う。
足元から突き抜けていくかのような、この場を支配するこの力の正体は何なのだろう?
身体を何かに貫かれる。それでいてそれは体から芯を奪う。今だかつて味わった事の無い感覚に、ディーナは痺れて身動きが出来なかった。
「な、に・・・・・?ここが、牢なの?」
「ある意味そうと言えましょう。アナタのような能力の持ち主には完璧な『牢屋』です」
「な・・・にが・・・?だって」
視線を定まらせないままに、ディーナは呟きを漏らす。そうだ。ここはまたしても牢屋なんかではない。
厳かに設えられた書卓がまず目に入った。その両脇には整然と並べられた書棚が備え付けられている。
フィルガが部屋の中央に置かれたテーブルに、燭台を置くと室内の様子が照らされる。
ディーナは今一度、影の濃いフィルガの顔を見た。その眼差しに答えるよりも早く、彼は手を引いて一歩を促がした。
彼のもう一方の手が指し示す方へと、身体を向ける。そこは天蓋から薄布が幕のように張り出されている。
恐らくこの闇の中であってさえも浮かび上がって見えるから、その布地は光沢のある純白なのだろうと窺えた。
問題はその幕がしめやかに覆うその場所が、明らかに寝台だという事だ。
「・・・・・・」
ディーナは言葉無いままに、動こうにも動けなかった。先ほどから身体を支配しだした、この室内に張り巡らされたとでも言うべきか。
この身を怯えすくませるものの原因は何なのか。思い当たらなさが、より一層不安を煽る。
――縛られるかのような、感覚という感覚を麻痺させるこの『場』の大気が呼吸をも狭めてくるせいで、思考さえ制限されるかのようだった。
それでもなお、フィルガに手を引かれて促がされる。しかしディーナの足が運ばれる事は無かった。
(・・・・・・ぇ・・・?ぁっ、あ・れ・・・・・・?)
ディーナの視界が大きく傾ぐ。足が動かないのに引っ張られて、よろけたのだ――。
そう理解できた頃はフィルガに抱きとめられた後であり、目の焦点が合う頃には寝台に腰掛けさせられていた。
「大丈夫ですか?初めてこの空間に晒されたとあってはそうそう――立っている事すらままならないでしょうから、座っていて下さい」
「フィルガ殿。ここが『牢』なの?普通の部屋なのに?鉄格子も無いのに」
薄暗い室内から伝わってくるものは、溢れる高級感だ。それは威圧的でさえあるほどの。
それがディーナをすくませた訳ではないだろう。いくらなんでも、部屋に入った途端に立ちくらんだのは初めてだった。
そんなディーナに気使うように、どこか声を潜めてフィルガは説明しだした。それでも彼の声は響いてよく通る。
「アナタや俺には充分『牢屋』となりうる部屋ですよ。その証拠に立っていられないほどに、力を削がれているではないですか。――慣れれば治まりますから、どうぞしばらくは大人しくしていて下さい」
「・・・・・・力を、そぐ?この力を無くしてしまえるの?」
「いいえ。――いいえ、残念ながら『制限を加えるだけ』です。ディーナが持つ魅了する光をあまり外にまで出せないように、封じてはくれるでしょうが。ですからディーナ。無意識で有ろうと無かろうと、そうそうもう獣は呼べませんよ?」
いいですね?そう、念押すかのようにフィルガは告げた。跪いて彼は真摯な眼差しで、ディーナを見つめ上げている。
「――他に何か言いたい事はありますか。ディーナ?」
こく、と頷いてからディーナはかねてから言いたかった事を告げた。
「フィルガ殿。もう、私に敬語なんか使わないで。そもそもどうして、そんなに丁寧に敬語を使う必要なんかあるの?立場や年齢からいったら、フィルガ殿の方がずっと・・・上なんだし」
――ましてやこうして『牢』に案内されるほどの身上の自分を敬うなんて、バカにしているのだろうか。かえって惨めな気がする。
・。:*:・。・:*:・。・:*:・。:*:・。・:*:・。:*:・。・:*:・。・
「――わかった。・・・・・・ディーナ、他に言いたい事はあるか?」
長い沈黙の後、フィルガの口調はもう敬語ではなかった。だが、どこかぎこちなさが拭えない。
淡々と事務的な調子に、ディーナは一気に突き放された気がした。再び、体温が奪われてしまったかのような寒気が蘇る。
冷たく上からの目線でものを言うフィルガは、ディーナの知る彼では無いようにすら思える。
思いの他威圧的な印象に、今度はディーナが沈黙する番だった。
・。・:*:・。・:*:・。・。:*:・。・:*:・。・:*:・。・:*:・。・:*:・。・
「ぁ・・・ぁ・・・あのっ!」
そのまま首を横に振りさえすれば、フィルガは出て行ってくれるだろう。この気詰まりな空間も少しは和らぐというものだ。早く一人にして欲しかった。
ディーナがそれでもかすれた声を振り絞ったのは、もっとも気がかりな『彼』のことを知らずにはいられなかったからだ。
「フィ、フィルガ殿、あ、あのね。あのですね・・・・・。訊いてもいいですか?」
「何を?」
「私が橋にいた様子を知っているのでしょう?――でしたら『銀の彼』のこともご存知ですか?」
「・・・・・・あのケダモノの事か?ディーナ?」
「ケダモノだなんて!やめてください」
「ケダモノには変わりないだろう」
「そんな!彼は私を庇ったせいで怪我をして・・・そのまま・・・行って。行ってしまったんです。怪我を。していたのに・・・・・・」
自分の軽はずみな行動が、彼をギルムードの剣と聖句に晒してしまった。それを思うとディーナは罪悪感のあまり、立って入られそうもなくなるほどだ。それよりも――行ってしまった。その事の方が哀しいなんて。自分はなんて身勝手なんだろう。
いっその事彼が立ち去れなくなるくらい、手傷を負ってくれていたなら・・・・・・。そう暗く望んだ自分が許せなかった。
こみ上げてくるのはただただ自身に対する嫌悪感であり、なだめ様も無かった。そんな事を考えてしまった自分を幾度も打ち消したいと振り払うべく、叫んだし頭を振った。あの橋でギルムードを非難するカタチで、泣いて叫んだ。でもその訴えはディーナが自身に言い聞かせようとしていたに過ぎない。
その気持ちを認めたがらない自分は、何て偽善者なのだろう。
聖句を用いる彼らを責める権利など、自分にはありはしない。それよりも、非難されるべきは自分の方だろう。
それなのに、自分が一番心配しているのは――。
「もう、会えないのかな?」
奪われた体温を取り返したい。ただ、それだけだなんて。
自分をそんなに卑下しなくてもいいじゃないですか。な、ディーナさん。
ちょっと落ち込んでますね。