* お叱りを受ける子供達
怒られもしなかったし、殴られもしなかった。
しかし、その方がむしろ楽かもしれません。
この期に及んで大事な事を、忘れていた。
どうして――この胸がこんなにも苦しいのか。
責められて罵られるよりも、そんな目で見られることの方が辛いという事を。
* * * * * * * *
「ディーナさん。覚悟なさって下さいね」
「な、な、っ、何をですか、フィルガ殿?」
「・・・・・・怒られるのを」
「フィ、フィルガ殿。そんな事、言われましてもですね・・・・・・」
ため息交じりでフィルガは呟くと、一旦腕を弛めディーナを覗き込んだ。両肩を上から力強く、押さえ込まれる。
「同情しますよ」
「!?」
多分、押さえられていなければ、身体は跳ね上がった事だろうと思われる。怯え竦む身を、フィルガに笑いながらもう一度抱き寄せられた。
「大丈夫です。――俺も一緒に怒られますから。と、言うより俺の方が咎められるでしょう。責任重大ですからね」
よしよし、大丈夫、大丈夫ですからね。そう言っているみたいに、背に回された腕をぽんぽんと軽く叩かれた。
「・・・・・・誰に。ですか?フィルガ殿」
「決まっています」
「・・・ぇぇ、ええと、ですね・・・・・・」
「祖母に。ルゼ・ジャスリートに」
「それは・・・かなり、まずい事になりそうだね・・・・・・」
フィルガは無言だった。だが、ディーナを抱きしめたまま大きく頷いたのだけは、わかった。
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――覚悟を決めて二人、こうしてルゼを前にしての反省会が始まっていた。
領地の視察から帰るなり、沈痛な面持ちでルゼは着替えもせず二人を呼び出した。
「おや、耳が早い」
「――ヅゥォランとヨウランが報告に来ましたからね」
しれっとフィルガが言うのに対して、ルゼは答える。そう、ルゼの傍らには左右一羽ずつ孔雀が控えている。
“あ。ディーナ。また、怒られるんだな”
“――だな”
「・・・・・・。」
(ええ。そうみたいですねぇ・・・おのれ〜ヅゥォラン!後で覚えてなさいよ)
孔雀がいい気味だという含みを込めて言うから、言い返したいところだったそこは堪えた。何せ怒れるルゼの御前だ。
真向かいに足を組み、腕組んで座るルゼの顔がまともに見れなかった。ディーナは小さく縮こまって、俯く。
(・・・・・・さすが、フィルガ殿の血縁だよ。怒り方が一緒だよ)
何と言うか。静かに怒りを全身から燻らせて、室内の温度を冷やしているかのような。
隣に一緒にソファに腰掛けている、フィルガを盗み見た。だが、フィルガも同じように腕組んでふんぞり返っていた。
いたっていつも通り。恐らく――フィルガは何回も、この修羅場をくぐり抜けてきたとみた。
出来ればこの場はお任せしたい。ディーナは思わず、そんな虫のいいことを思ってしまう。
ディーナは身を固くして、構えているしかなかった。
怒られる・ディーナ・悪いコ・ディーナ・・・・・・。
そう騒ぎ立てる孔雀たちを、ルゼは腕を解いてその頭に手を置いて諌めた。
「さて。やってくれたわね、ディーナちゃん?――これからどんな厄介ごとが待ち受けているか。予想が付いていて?」
「・・・いいえ」
「でしょうね。――私には付いている・・・それがただの取り越し苦労であればいいのにと、切に願うほどにね」
ルゼの厳しく寄せられた眉根が、ふっと緩む。そのまま、今度はルゼが額に己の右手を当てて、俯いた。
ディーナが戸惑い、気遣いの声を掛けるよりも先に、ルゼが声を絞り出した。
「――フィルガ。貴方が付いていながら、何て失態ですか。もっとしっかりして頂戴!ヅゥォランにヨウラン!貴方達にも同じ事が言えますよ!」
「はい。仰る通りです。申し訳ありませんでした」
フィルガが静かに詫びたのには驚いた。なぜ彼が、咎められなければならないのか。ディーナは納得行かないと思った。
“――怒られた・・・勝手に出て行ったディーナが全部悪いのに” と不満そうに、ヅゥォラン。
“――悪いのに” と同じく、ヨウラン。
孔雀たちは、恨みがましい視線をディーナに寄こす。
“ルゼよ。なぜ、ディーナではなく我々を咎めるのだ?”
“――だ?”
ディーナもそう思う。だから孔雀たちが、ふて腐れる気持ちもわかる。だが――。
「そんな事は当たり前でしょう!」
ルゼは全く反省の色を見せない、二羽の頭を同時に叩き付ける。ピシ・ペシ!と、乾いた小気味良い音が響いた。
ディーナもそれには驚いたが、それよりも当の二羽たちがもっと驚いたようだった。
“叩いた。ルゼが叩いた。――叩かれた”
“――叩かれた”
「当たり前でしょう!不覚を取ってダグレスの侵入を許したばかりか、ディーナが館から抜け出したのに気がつけなかったのは、お前達の落ち度です。――そして、ヅゥォラン!館の守護に就く貴方が、橋に駆けつけたのは浅はかですよ。しかも、ギルムードに接触したですって?それが後々神殿からのジャスリート家に対する、要らぬ画策の元となるとは考えませんでしたか!?」
“・・・・・・” “・・・・・・”
孔雀たちは押し黙った。見ていて不憫になるほど、しょんぼりとルゼの足元にうずくまっている。
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その重い沈黙を破って、ルゼが問いかけてきた。
「ディーナ。私が貴女の身柄を拘束するとしておく理由は、前に伝えたわよね?」
「――はい。騒ぎの元と成りかねないからと・・・・・・」
「そう。確かに、私は領主の立場も交えてそう言いました。加えて自分の個人的な気持ちとして、貴女には出て行って欲しくないとも伝えたはずです」
「・・・・・・はい」
ディーナの胸が詰まる。ルゼがすがる様な瞳を向けるからだ。
その眼差しとは裏腹に、口調からは領主たる者の、凛とした響きと威厳が感じられるから余計に。
ルゼの差し迫ったかのような心情が、イヤでも読み取れる。それは先ほど、フィルガからも向けられたものと同じもの。
それは何故かディーナを怯ませるに、充分な威力のあるもの。
「そうとしながら、私が貴女を牢屋に閉じ込めない訳を理解してくれていて?」
『いいえ。』 そう、言葉では答えずにディーナは首を横に振った。
「貴女には意味がないからよ。むしろ、是が非でもそこから逃れたくなるような環境に貴女を置いたら。持てる力を必要以上に振るい起こしてでも、行ってしまう事でしょうからね。だからよ」
『確かにその通りです。私なら、やりかねません。』
ディーナはそう同意しかけたが、言葉を飲み込んだ。言ったらますますルゼが、取り乱してしまう気がしたから。
――そうだ。口調が落ち着いているから、見逃してしまいそうになるが、彼女は明らかに気が動転している。
その証拠に胸元で組まれた手が、肩が。――微かにだが、小刻みに揺れているではないか。
「わかりますか、ディーナ。このルゼ・ジャスリートが恐れている事が何なのか」
「ジャスリート公爵家に及ぶかもしれない、損害ですか?」
「いいえ。――いいえ、違います。確かに損害には違いないかもしれませんが。ディーナ。私の恐れは貴女を神殿にさらわれてしまうかも知れない、という事よ。しかも、あの時のように公に堂々と図々しくね」
「あの、時――?」
「忌々しい事に、私は神殿の言う通りにしなければならなかった。わが子が獲られるのを、私は黙って見送るしかなかった・・・・・・。」
そこまで告げると、ルゼは堪えきれなくなったようだ。両手で顔を覆い、突っ伏してしまった。
ディーナは助けを求めるかのように、隣のフィルガを見上げた。彼の表情もまた険しい。
「――かつてシィーラは神殿に呼び出されたのはもう、年表を見てご存知ですね?獣を魅了するというその稀有な能力故に、審議会が執り行う【異端審問】にかけられる為にね。俺が生まれる前の話になりますが。シィーラはそのまま、巫女として招集されることになった・・・あの事件です」
「・・・・・・私も?」
「可能性が無いとはもはや、言い切れません」
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「ディーナ。私が貴女を咎められないのは、その権利が無いからよ。貴女はまだ・・・『橋を渡って来てくれた』ただ、それだけだから。貴女は自由だわ。だからディーナ。私は、貴女を責められない――」
一呼吸置くと、ルゼは姿勢を正した。
「――ディーナ。貴女はどうしたいの?まだ、出て・・・・・・行きたい?」
苦しそうに紡がれる言葉は、恐らくルゼにとって勇気を振り絞ってのものかもしれない。
それでも。言わねばならない言葉がある。
「・・・・・・シィーラの身代わりはごめんです」
告げながら、ディーナの胸は痛めつけられたかのように、大きく軋んだ。
どこに子供達が!?とつっこまれる前に。
ルゼにとって、館にいる子は皆『ジャスリート家の子』です。
もう大きくなった孫はもちろんのこと、守護に当たっている獣たちまでまんべんなく。
ちなみに館に勤めてくれている、侍女のお嬢さんたちも含みます。
かわいそうな孔雀たち。針のむしろのディーナさん。明らかに、一番場慣れしているフィルガ殿。
叱られ方にも、個性が出ますね。