* 不相応な取り引き
相変らず、帰れ帰れ言われていますが。
まだまだ引き下がれませんね。な、リゼライ。
本当にこの子は、気が強くて怖いもの知らずです。
『蜻蛉』なんぞに譬えたのが、間違いだった――。
いや、間違いと言うよりも騙されていた。
その儚げな見てくれは『まやかし』だという事に、気づけなかっただけだ。
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ギルムードは不機嫌も露わに、自由の利く左手でしっ・しっと二回追い払った。
「――やはりオマエ、さっさと帰れ!今日はご苦労だったな。帰って、とっとと休め休め!」
言い捨てると、再び杯に酒を注ぐ――。
身体を深く椅子にあずけきって、ふんぞり返ったようにも脱力したようにも取れる。
そんなギルムードに怯むことなく、リゼライはにっこりと笑いかける。話をつけるまでは、帰る気はさらさらないようだ。
「 ギ ル ム ー ド 様 」
「・・・ダグレス?アイツなら今頃『紅孔雀』様のお膝で、憩っているだろうよ。羨ましいこったな」
わざとらしいくらいバカ丁寧に自分の名を呼ばれ、うんざりしながらギルムードは答える。
そうでなければ、いつまでも彼女は居座るだろうから仕方なく。はっきり言って、この少女の気質は怖い。
思わずギルムードがたじろいでしまう、この気迫は何なのだろうか。そうとは彼女に気取られたくはないから、乱暴に言葉を吐き捨てる。
「呼び声にも応答なし、ですか?・・・・・・・・・ ギ ル ム ー ド ・様?」
言葉に詰まり、黙り込もうとしたギルムードを咎めるように、再度同じ調子で名を呼ばれる。
「そうだよ!なし、だよ!――何だよ?オマエ、怪我した理由知ってるんだろ?女達から聞いて・・・・・・」
「直接は聞いておりませんわ。正直、小耳に挟んだだけの情報ですの。そもそも、その女達が私にわざわざ説明しに来るとでも?ただ物陰で、こそこそやり取りしているだけの連中が?」
「・・・・・・リ〜ゼ〜!オマエ、友達いないだろう」
やや呆れながら、ギルムードは尋ねる。と、いうよりも断定気味に訊いた。
そんな言葉にもリゼライは取り合わない。と言うよりも、逆に何を仰っているんだと言い出しかねない勢いだった。
そんな事。当たり前でございましょうよ――と。
「私、友人は選んでおりますからご心配なく。そもそも私、ここには巫女としてお仕えするために上がっていますの。
“仲良しごっこ”をするためなどではありませんわ。そんな事より、噂は本当なんですのね?」
「まぁな」
「だから、先ほどから『完全に意志を奪え』と勧めてらっしゃるんですのね?そうしておけば、下手に感情移入した挙句に、
裏切られた・・・なんて。そんな気分を味わわなくて済みますものね」
「――そうだよ。その通りだよ・・・・・・」
いちいち言葉にされると情けなさ倍増だから、もう察しているなら黙っていてくれまいか?シャグランスの娘よ。
容赦のない少女の追い討ちにも似た言葉に、ギルムードは残り全部の体力をごっそり持っていかれた気がした。
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「ところでオマエの新しい『聖句の徒』の名前は何だ?準備なぞいらんから、見せてみろ」
「名前は――まだ、ありませんの」
「そうか。先の術者が亡くなって、名を失ってから久しい獣だと聞いてはいるが。早いところ『名』を与えて縛らん事には、面倒だろう」
名は本質を表すものだ。それ自体が、『聖句』の文言そのものになると言ってもいい。
獣の本質を見極め属性を判断し、その名を聖句にのせる事によって、より強力な術を施した事になる。
それがなされないままだと、ほころびが生じて『解術』になりかねないのだ。
せっかく虜にした獣を手放してしまったら・・・・・・。
次は用心深くなっている上『聖句』にやや順応してしまうからか、ますます捕らえにくくなってしまう。
「ですからね、ギルムード様。獣に名を与えてやって下さいません?」
「・っお、オマエな!?意味判って言っているのか・・・・・・?」
ギルムードは息を呑み、思わず姿勢を正した。杯を持つ手も微かに震えるほど、力が入る。
正気か?そう絡み合う視線に問いかけるが、少女の瞳は静かに蝋燭の炎を受け止めている。
そこに迷いや、ためらいは映り込む隙すら無いらしい。
鏡のごとく静まり返った湖面が、陽光でも月光でも――。まるごと受け止めるかのような静寂。
ギルムードは長い、長いため息をつく。それは、感嘆のためか嘆息のためか。どちらともつかないモノだった。
「・・・・・・判って言っているんだな。小賢しい奴め。それでか?わざわざ俺に漬け込むために、弱ってる所を狙って来たのは」
「まあ、人聞きの悪い。それはただの被害妄想ですわ」
「じゃあ、何だよ?――丸腰で獣やら敵やらに、晒される事になる俺を心配してくれた・・・とか?」
「どうとでも。お好きなように」
「――可愛くない奴め!」
そうは言っても、心なしかギルムードの語尾は上がっている。リゼライは気がつかないフリをして、淡々と提案を続けた。
「取引をしに来ましたの。そう、取引です。それなら、ご満足いただけますか?」
名を与える。捕らえた術者の特権を、第三者にその権利を委ねる――。
術で魂を捕らえた上に、名前という命そのものを縛るのだ。
獣は『聖句の徒』でもありながら、命を与えた者の『護り』にもなる。
それは二重拘束という、念の入った術となるから実に頑丈なのは間違いない。
(確かに。それならば、紅孔雀サマに対抗できるかもしれん)
本来ならばそれは術を心得ようも無い、王族や貴族などが術者を雇って、それを貰い受けるのが普通だ。
そうやって世にも美しく、力強いナイトを手に入れる。それが社会的にも、大きな身分の象徴を誇示すると言う訳だ。
だからまず、術者同士でやり取りはしない。お互いが権利を主張しあっては、術そのものが成り立たないからだ。
言葉や態度といった、そういった意味での主張ではない。『術者同士の力量の差』――それが、ハッキリする。
(要するにこの俺に、自分の庇護する術の配下になれと言っているんだぞ?この『神殿の護衛団長』であり『巫女王の弟』である、この俺に!ただの小娘が)
もはや無礼を通り越して、ただの笑い話だと思えた。自分も落ちたものだ。こんな小娘に同情される日が来るなんて。
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「オマエなぁ!!何が望みだ?んん?・・・リゼライ・シャグランス!」
ギルムードは、大声で笑いながら尋ねた。
「私の望みは、我がシャグランス家の復興。それと――神殿とロウニア家の繁栄です。どうぞ次の『聖句の間』への計らいを、ギルムード様?」
ギルムードはおもむろに立ち上がると、飲みかけの杯を一気に呷った。そしてまた酒を杯に注ぐ。
痛みに顔をしかめながら。
それを見かねたリゼライが手伝おうとしたが、やんわりと左手で制した。それでは意味が無いのだ。
「――オマエも飲め」
有無を言わせぬ口調で、杯を押し付ける。同じ酒を、ひとつの杯で交わす――。
リゼライはその意味を理解するまで、杯とギルムードとを見比べていたが、やがてうやうやしく両手で受け取った。
そのままギルムードに倣って、一息に飲み干す。少女の眉根が寄っていく。明らかに彼女にとっては、強すぎる酒だろう。
それでも何とか飲み切って、杯を空にするとリゼライは告げた。
「これで取引は成立ですわね」
その様子を見届けると、満足そうにギルムードも宣言した。
「契約は成立した。我が命・・・・・・リゼライ・シャグランスに預けるぞ!」
『アラクエア・ヴィータエ』
生命の水の意を持つ蒸留酒。それは少女に注いでやった分で、ちょうど瓶は空になった――。
「私ここには働きに来てるんですよね。友達?ここにはいませんし、必要ないでしょう?」
そんな事より、とさらりと言い切ったリゼライ。
クール。まぁ、情熱とか術に対する心構えとかは『熱い』タイプですが、どこかしらは常に冷やしてがんばっているのです。
危ない橋を渡ろうとする時ほど、冷静にが彼女のモットーです。