* かいま見た雪原
覚悟を決めて待つディーナですが・・・・・・。
なかなか『その時』が――。
初めて会ったときから、気になっていた。
彼女の呼吸の浅さと、歩き方のぎこちなさ。
それは普通なら誰も気にならない程の、微々たる異常――。
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いつまで待っても、フィルガの両手はディーナの肩を捉えたままだ。
――そろそろと、薄目を開けてフィルガの表情を窺う。そのまま鋭い眼光に、射すくめられてしまった。
フィルガの灰かぶらせたかのような銀の眼と、もろにぶつかる――。
ディーナは何故か、雪原を覆う冬の空を思い浮かべていた。
あの雪が今にも舞い降りてきそうな、鈍く輝くあの空を自分はどこで見たのだったろう?
今こうやってフィルガ越しに仰ぎ見る天は、自分の瞳と同じ澄み切った空色なのに。
「・・・・・・ィル、ガ、・・・・・・。」
何かまた大切なものを、取りこぼして来てしまった気がする。ディーナは、意識が飛んでしまいそうになるのを堪える。
フ ィ ル ガ 殿 。 私 は ど こ か ら 来 た の か 、思 い 出 し た く な っ た の 。
うまく言葉が紡ぎ出せなかった。気がつけば喉が渇ききっていて、からからだった。
そういえば、ずっと声を張り上げていた事を思い出す。
唇を動かそうとするのだが、かろうじてわななくばかりで伝えられない。
だ か ら ね 、 橋 を も う 一 度 渡 っ て み よ う と ―― 。
それでも、ディーナはフィルガに語り掛けていた。唇は思うように動いてはくれなかったが、それでも充分な気がした。
不意に、強張っていたフィルガの顔が歪む。
「・・・・・・ディーナ、良かった」
そう呟いたフィルガに、突然抱き締められた。
腰回りをフィルガの腕が、がっちりと固定する。思わず逃れようともがくが、身動きが取れない。
そのまま、後ろ頭を撫で回された。
「!?」
「良かった。また、行ってしまうのかと・・・・・・。」
「なんで、フィルガ殿?私のこと、ぶたないの?」
「――なぜ?」
「言うこと聞かないから、怒っているんでしょう?」
「・・・・・・。」
ぶ っ た り な ん て し ま せ ん よ 。
そう答える代わりかのように、フィルガは柔らかく頭を撫でてくれる。何度も何度も。
「フィルガ殿。心配掛けて、ごめんね」
ディーナはもう一度そっと、謝った。フィルガはまた、何も答えずにただ抱きしめる腕に力を込めてくる。
「――くるしいよ」
訴えたが、聞き入れられなかった。だから、せめてものお返しに――。
ディーナもそろそろと腕を伸ばすと、出来るだけ抱き返してやった。
「私。ちゃんと、ここにいるでしょう?」
フィルガは答えない。ディーナの額に、唇を押し当てている。・・・・・・答える気は無いようだ。
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フィルガが腕を弛めようとしないので、顔を上げる事も出来ない。
そのまま胸に頬を押し付けた格好で、ディーナは尋ねた。
「ねぇ、フィルガ殿。やっぱり、橋での出来事ぜんぶ見ていたの?」
「・・・・・・ダグレスにそそのかされて、神殿の奴に待ち伏せされていましたね」
「どうして?ぜんぶ、知っているの?」
「――俺の領域内だからです。言ったでしょう?俺は術者の中でも、上級者だと」
「言ってたね。・・・・・・ずるいよ」
「ずるくないです」
「そういえば、あの神殿の人。ギルムード?レドの事まで知ってたよ。私、
一言も触れていないのに!第一、初対面なのに名前まで呼ばれたわ」
「アレは、シィーラに執着していますからね。間者を絶やさず送ってくるんです」
「――え?」
ディーナの存在を、彼は知っていた。それはすなわち、館内に間者が入り込んでいるという事になる。
その狼狽を感じとったらしいフィルガは、すかさずディーナの頭頂部に唇を押し当てる。
そして、さして気にも留めていない口調で言う。
「わざと隙を与えてやっているんですよ。あまり完全に締め出してもね・・・・・・。見えない分余計な妄想されて、
いらぬ底力を発揮されると面倒ですからね。まぁ、うちも似たようなものですけど」
「そういうものなの?」
「忌々しい事に」
間者。例え仕事だとしても、ジャスリート家に縁ある誰かが・・・そうだとしたら。
何だか哀しい。自分が騒ぎの元と自覚した身の上であっては、なおさらそう感じる。
色々事情があるとしても、きっとお互いに哀しいと思う・・・・・・。
「・・・・・・そう」
「アナタは気にしなくてもいいんですよ」
「もう放して!」
身体が密着していると体温どころか、感情までが伝わってしまうようで気恥ずかしかった。
ディーナは、逃れようともがく。フィルガは、腕を弛めてくれる気配は無い。
再び、後ろ頭に大きな手のひらを押し付けられた。
「・・・・・・嫌です」
「は〜な〜し〜てっ!もう、放せ!」
「嫌です。もう少し、このままでディーナさん?」
「なんでよ?嫌がらせ?」
「お仕置きです」
「うっ・・・・・・だから、ごめんねってば!」
「ははは。許しません」
「や、やっぱり、めちゃくちゃ怒ってるじゃないですか!!フィルガ殿!」
ディーナはもがき疲れて、ぐったりと大人しく罰を受けるしかなかった。
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泣き喚きすぎて、体力も限界といったところであろう――。
ぐったりと寄りかかってくる華奢な身体を、抱きしめ続ける。
フィルガは、前々から気になっていたことがあった。
それを確かめるために、ここぞとばかりにディーナの身体を撫で回している。
(・・・・・・やっぱり、か・・・・・・)
そっと、手のひらを背中と腰に這わせる。そうすると明らかに、伝わってくるのもがあるのだ。
思っていた通りだった。彼女の体の腰の横がわ、右の大腿部で手が引っかかる感覚があった。
他にも右の腰側。そして、肩甲骨の辺りも同じく右に異常が感じ取れた。
(・・・・・・骨折の名残があるな。だから、ディーナは段差が苦手なのか)
フィルガは暗い怒りがこみ上げてくるのを、止められなかった。悲しみ、と言ってもいい。
自分の見立てが正しかったからだ。彼女が過去に大怪我をしたことがあるのは、これでまず間違い無いだろう。
ディーナは実際、よく転びそうになっていた。自分で思っているよりも、上手く足が上がらないのだろう。
歩き方からして、そのぎこちなさにフィルガは心配していたのだ。
(・・・・・・ディーナ)
憐れみだと悟られたくは無い。だが胸に込み上げてくるものは、抑えようがなかった。
嫌な予感があるせいだ。――これは、はずれていて欲しい。
これは、転んだくらいで出来る怪我ではない。強く、殴りつけられて折れたような痕だ。
(ディーナ。アナタは誰かに、暴力を振るわれて・・・・・・?だから、俺も殴るものだと?)
そんな自分の推測は、間違いであって欲しい。フィルガは、ディーナから手を放すことができなかった。
セクハラし過ぎですよ!フィルガ殿。そして、ディーナさん。あんたのその反応の薄さは一体。
彼女はまだまだ、精神年齢が低いのです。
そのままで、いさせてあげたいような。もうちょっと、成長させてあげたいような。