* 当然の仕置き
トゥーラに促されるままに、振り返ってみました。
その視界に飛び込んできたのは――。
結局のところ、自分の無力さを思い知っただけだった。
――何だって私は橋を渡ってきたのだろう?
こんなにも周りに、迷惑を掛けるためなんかじゃないはず・・・・・・。
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振り返ると、人影が目に入った。館からこの中庭を臨む、回廊を勢い良く駆けてくる――フィルガだ。
これだけ離れているのに、目が合った気がした。ディーナは思い切り『しまった』という顔のまま固まる。
遠目からでも、彼の表情が険しいのには正直震え上がった。何と言うか。
・・・・・・立ち上る怒りのようなものが、彼を取り囲んでいる。
しかし固まっている場合ではない。獣の首を軽く叩いて、急いで立たせた。
「ダグレス!ひとまず、行ってっ!」
名残惜しそうに黒い獣は、ディーナの身体に身をすり寄せる。その耳元に『また、あとで。ね?』と、囁き掛けてやる。
ダグレスはそれでやっと、しぶしぶ承知したようだ。ゆっくりとその身が霧散していく――。
初めてディーナの元へ、訪れたときと同じよう徐々に――輪郭が風にさらわれて行った。それを見送り、ディーナは胸を撫で下ろした。
フィルガの怒りを買うのは、自分ひとりで充分だ。とは言え、やはりかつて無いほどの怒りを買うのは・・・・・・。
(嫌だなぁ。――ぶたれるの)
『術者で』なおかつ『ジャスリート家の領域内』だから、トゥーラは全て見ていたと言った。と、言う事はアレだ。
フィルガにも同じ事が言えるだろう。言い逃れは通用しそうに無い・・・・・。ごまかしも、きかないだろう。
「っ、ねぇ!トゥーラ。私、何て説明・・・・・・?!」
――したら、フィルガ殿の気が治まると思う?そう尋ねようと、ディーナは振り返った。
(・・・・・・いない?)
周囲を見渡してみるが、すでに少年と思しい人影は無い。そして孔雀『ヅゥォラン』の尾羽も。
ずいぶん素早い、突然の退出だと思った。
これ以上質問攻めにされたくない。そう、思ったのだろうか?
それは、ちょっとズルイと思ってしまう。何の術も持ち合わせていない自分の、ひがみでしかないとは分ってはいるが。
(みんな・・・・・・。いいわねぇ。そうやって、素早く雲隠れできてさぁ)
ディーナは風に吹かれて揺らめく木陰を、眺めるばかりだった。――ただそうやって、呆然と立ちすくむ。
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全てお見通しとあっては、もはや言い逃れようと足掻くのは無駄だ。
(あああああ〜ぁ〜〜〜〜・・・・・・)
たっぷり、説教されるのはまず間違い無さそうだ。それくらいで、済んでくれればいいのだが・・・・・・。
ディーナは一旦は肩をぐったりと落としたが、無理やり力を入れると胸を張った。両拳にも、ぐっと力を込めて待つ。
「ディー・ッナ、さん!」
駆けつけたフィルガが、息を切らしながら名を呼ぶ。それよりも早く、ディーナは振り返っていた。
いつも束ねられているフィルガの髪が、ところどころほつれ落ちて頬に張り付いていた。
結び紐がかろうじて、比較的長めの後ろ髪だけを束ねている。その結び目も、今にも解け落ちそうな乱れっぷりだ。
全力で走ったためなのか、怒りのためなのか。フィルガの呼吸が荒々しい。
その切れ切れの息づかいの合間合間に、フィルガは言葉を紡ぐ。
「ディー、ナ、さん。一体、何だって、――外へ!」
「うん。もう一度、橋を渡れば何か・・・・・・。思い出せるかと、思ったの」
「〜〜〜ディーナ!!アナタって、人は!」
「うん。ごめんなさい。」
素直に謝った。だがそれくらいで、フィルガの気が収まるはずもあるまい。
ディーナは今、睨み付ける様な鋭い視線に晒されている。たまらず一歩、後ずさる。
――するとフィルガも、一歩踏み込む。
ディーナも、慎重にもう一歩下がった。フィルガも、同じようにまた近付く。
「・・・・・・。」「・・・・・・。」
お互い視線を外さず無言のままで、同じことを五回繰り返した。
後ろへ一歩。前へ一歩。これ以上、近付いて欲しくない。これよりも、近付きたい。
そろそろと、後ろへ一歩。大またで、前へ一歩。
近付いてくるから、後ろへ一歩。遠ざかろうとするから、前へ一歩。
これで、一定の距離を保てているはずなのだが。ディーナは気がついた。このままでは、マズイという事に。
(なんか、私が不利?足の長さが違うせい?さっきから繰り返せば繰り返すほど、距離が縮まっているような。このままだと)
――捕まる。
それだけは、何とか避けたいところだ。これだけ殺気立ってるフィルがは、初めて見た。
捕まったら最後何をされるか・・・なんて考えたくも無い。
上目使いで、フィルガを注意深く窺う。窺いつつ、慎重に右足の踵を上げた。
心の中で間合いを計るために、数えだす。
(いち、にぃ、の――)
我ながら情けない作戦だが、人前に出ようという魂胆だった。可能ならばルゼの。
「ディーナ?」
フィルガが一歩、近付いた。見逃さずに間延びさせていた間合いを、勢い良く数え切る。
(――・・・さんっ!)
それを合図に、右足を軸に飛び退いた。そのまま素早く回れ右をし、駆け出す――が。
(なっ、何?ええぇっ!?)
ろくに逃出せない内に、フィルガに右腕を捕まれていた。乱暴に引き戻されて、身体がバランスを崩してよろめいた。
そんなディーナの両腕をがっちりとつかんで支え、フィルガは自分へと向き合わせる。
ディーナは青ざめた。フィルガの身のこなしの機敏さに、だ。
ギルムードをかわしたばかりで、ディーナには逃げ切れる自信があったから、なおさらだった。
「・・・・・・っ」
放して。そう言いたくても、声が出ない。
何一つ、この男より抜きん出る事は出来ないのか。何より、腕力の差がそれを見せつけてくれる。
込み上げてくる恐れと悔しさで、頭の中がどうにかなってしまいそうだった。
(これは――。ぶたれるな)
フィルガの強く見下ろす双眸が、何よりもそれを物語っている気がした。ディーナは思わず首をすくめて、固く瞳を閉じる。
わからずやの自分には、当然のお仕置きだろう。いくら言っても、わからないのだから。
そのせいで、銀の獣は血を流すほどのケガをしてしまった。それに、比べたら何てことはない。
改めて申し訳なさに、胸がずきんと痛む。自分は仕置きを受けるべきだ。
ディーナは強く瞳を閉じて、覚悟を決めて待つ――。
軽く、やけっぱちです。あわわわわ、といったところでしょうか。
ディーナ、珍しく素直に謝っています。
・・・猫がぶたれるとき、こんな感じですよね。(ある意味、この子は猫と一緒だと思っています。近付くと、逃げる。)
何気にディーナは、フィルガが怖いのです。