* ジャスリート家の少年
ディーナ、銀の獣に行かないで欲しいのです。
行ってしまうと、どこと無く気がついているので。
シィーラに似た容姿に、シィーラに引けをとる事のない能力。
君は本当に申し分ないよ、ディーナ。
――僕の研究の成果・・・・・・。
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「待ってっ!!待ってよ!――手当て、しなきゃ・・・・・・!」
ディーナは銀の獣に向かって叫んだ。今はもう遠く、高い石壁の上にいるその背にだ。
獣は先ほどまで、ディーナの腕の中にいてくれた。涙を拭って慰めてくれた、優しい銀の彼。
ディーナが落ち着きを取り戻すまで、傍に寄り添っていてくれたのだ。
あれだけ・・・最初のほうは触れられるのを、嫌がっていたようなのに。
ディーナは思う存分、獣の胸元に顔をうずめてその香りに包まれていた。もっと、そうしていたかった。それなのに。
獣はやんわりとディーナの腕から、一蹴りですり抜けてしまったのだ。
何の前触れも無く、ぬくもりを失くしたせいなのか・・・・・・寒気がした。
――彼に体温を奪われてしまった。
この感覚が寂しさなのだと、自覚する事ができなかった。動けないそのままで、背を目で追っただけだ。
「・・・・・・ねえ!待ってよ!まだ、行かないで傍にいてちょうだいよ!!」
どうしようもない寂しさに気がつき、必死でそのぬくもりを取り戻したいと叫んだ頃には、獣はもう手の届かないほど高い所にいた。
「ねえ、どこ行くの!?」
“・・・・・・・・・・・・。”
「また会える!?来てくれる!?」
獣は答えない。振り向きもしない。しかし、動こうともしない。
「もう、来てくれないというのなら――私も一緒に連れっててよ!」
“・・・・・・!?”
獣は答えない。でも、振り返ってくれた。ほんの一瞬だけ。
疑いを浮かべたかのような途惑う瞳と、絡み合う。ディーナは必死でその瞳に、追いすがった。それでも。
「あっ!待って!」
――銀の背はそのまま、見えなくなってしまった。
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その孔雀模様の浮かび上がるしっぽが、見えなくなる。途端に言い表しようのいない心細さで、哀しくなった。
また、涙がにじみ始める。そのまま、ぼんやりと獣の去った方角を見上げていた――。
【だめじゃないか、ディーナ!黙って館を抜け出したりしちゃあ!】
「!?」
声を掛けられたのが、あまりに突然だった。ディーナは、驚きのあまり飛び上がった。
(まずいところを・・・・・・)
見つかったものだ。ディーナは恐る恐る振り返る。
「?」
ディーナに声を掛けたのは、はじめて見る少年だった。歳の頃は十一、二才といったところだろうか。
明るい金の髪に、薄あわい空色の瞳が映える。少年は、にこやかにディーナを見上げていた。
【だめじゃないか。ディーナ!知らない奴の誘いに乗っちゃあ、危ないだろう?】
少年は同じように繰り返して、ディーナを咎めた。それでも口調も笑いを含んでおり、怒りは全く感じられない。
くすくすと笑いながら、少年はディーナに歩み寄る。歩くたび、彼の身にまとう長い上着の裾が揺れた。
不思議な紋様だ。まるでそこに、波が打ち寄せては返すかのように見せる。
「――乗ってないじゃない。だから私、ここにいるのよ」
少年の背丈は、ディーナの胸の高さにも満たない。そのせいか、強気で言い返してしまう。
見下ろされて覚える、威圧感が無いからだ。
【ギルムードの奴もそうだけど。そこのソイツもだよ】
少年はディーナの背後を指差した。視線で追う。振り向くと木陰で、お行儀良く前脚を揃えている黒い獣と目が合った。
「ダグレス!あんた、いつの間に戻ってきたの?無事?どこもケガはしていない?」
ディーナはダグレスに駆け寄ると、しゃがみ込む。獣の身体を撫でてやりながら、ケガをしている様子はないか確かめた。
【・・・・・・あのねぇ。ソイツはギルムードの使いだったの。わかる?】
「私が頼んだの!橋まで連れて行って、って。ダグレスのせいじゃないわ。それにさっき、逃がしてくれたのよ?そのギルムードから」
ディーナは、ダグレスの首筋に取りすがって庇う。強く抱きしめると言い聞かせてやるように、繰り返した。
「――悪くないわ」
“ディーナ嬢・・・・・・”
ダグレスは嬉しそうだ。頬をすり寄せると、うっとりと呟く。
【あのねぇ】
少年はその様子に、腰に手を当てて深々と息を吐いた。
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ダグレスに寄り添いながら、まじまじと少年の顔を見上げていた。
なめらかな丸みのある、幼さの残る顔立ち。その割には大人びた眼差しと言葉使いに、違和感を覚えた。
「・・・・・・ね。君、誰?何者なの?」
【ボク?――トゥーラ・ファーガ・ジャスリート】
「トゥーラ・ファーガ・・・・・・」
初めて見る顔だが、ジャスリート家の子なのか。この家の子なら――。
この突然の登場にも、無理にでも説明が付けられる。
ディーナは、ダグレスに強くしがみついた。
【トゥーラ、まででいいよ】
警戒し始めたディーナに、トゥーラは再び微笑んで見せた。
「トゥーラ、どうして?だから、何で・・・知っているの?」
あの橋での一部始終のやり取りを『知っている』のか、とディーナは問う。なぜ。あの場に居合わせたわけでもないのに。
【わかるさ。見ていたからね。まぁ、あの橋であれだけ騒がれれば、嫌でもわかるよ】
「見ていた?だから、どうして見ていられるのよ?」
【ジャスリート家の領域内だから】
「また、それ?――術者なの?トゥーラも」
【そうだよ】
「――・・・フィルガ殿みたいな?」
【うん、まぁね】
「・・・・・・。」
短く受け流すような口調に、ディーナは軽くあしらわれている気がしてきた。
これ以上何を訊いてもこの調子で、はぐらかされるだろう。ディーナはむっとして、黙り込んだ。
少年はそんな様子のディーナに悪びれる様子も無く、にこにこしたままだ。
そんな少年を、ディーナはうさんくさそうに眺めた。二人とも、しばらく無言で見詰め合った。
先に少年の方が、言葉を発する。
【――ヅォラン!】
そうふいに、トゥーラは天に向かって呼びかけた。ディーナもつられて、少年の高く上げた右腕を見上げる。
トゥーラ、出ました。何モノでしょう?な、少年ですが、タダモノじゃないのだけは確かです。
ジャスリート家縁の子なのは、本当です。
ディーナ、警戒したまま続きます。