* 守護像からの目線
ヅゥオラン チュエウェイ
ヨウラン チュエウェイ
孔雀の尾の形をつくって防ぐ、左・右です。
いつの頃からか、我々はこうして石像に宿っている。
それは、遥か昔からだっだような。そうでもなかったような。
――我々はジャスリート家の守護獣。二羽で、ひとつ。
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フィルガは執務を切り上げて、ディーナの部屋を訪れていた。
彼女には色々食べさせねばならない。ルゼ及びフィルガを始めとして、侍女たちとも一致する意見だ。
そのために食事以外にも、お茶の時間を設けている。
特別小食なタチでもない様なのだが、ディーナは気分に食事の量が左右されるのは明らかだった。丸二日、何も口にしなかったのはついこの間の事だ。
しかもその後しばらくは、ほとんど食事を残し続けて周りを心配させた。
それは全部フィルガのやり方に対する、反抗の現われだったようにも思う。実際ディーナは自分を前にすると、何も口にする気が起こらないらしく――ただ黙って俯くばかりで、食事の時間を終えていた。
その様子にルゼから、言い渡されてしまった。
『フィルガはしばらく、食事の席を別に設けた方がいいわね?』
身に覚えがあるので何も言い返せずに、フィルガは祖母の言いつけに従った。しばらくは。
まあ、実際はほんの、四・五日。
落ち着いたあたりに祖母の判断で、再び同席が許された。何でも、ディーナからの申し出だったらしい。
フィルガは一人で食事を取らせるから、ディーナは気兼ねせずもっと食事に専念して欲しい。ルゼがそう告げたのを、気に病んだらしい。盛り返す事もないままに、またしても食事の量が落ちたそうだ。
『私はディーナちゃんに、一人で食事をとらせるなんて嫌よ?フィルガなんて、放っておいてもちゃんと食べるでしょうから、
一人でとらせるけどね。・・・・・・フィルガを同席させてアナタが食が進まないのを、見るのが嫌なだけよ』
ディーナはそれで納得したというか、丸め込まれたというか。どんな時でもちゃんと食事を取る、と約束させられたらしい。
・・・・・・以上が、アンタも今日からまた一緒に食べていいわよと、得意げに告げた祖母から聞いた経緯だ。
(さすが。お見事です、おばあサマ)
そんなディーナに、祖母は事あるごとに甘い菓子を与えようとしだした。
それでは益々食事の量が落ちるし、栄養が偏る。菓子片手に始終ディーナを訪れるのを、フィルガはそう諌めた。
ルゼに口やかましいと言われ様と、譲らなかったのだが・・・・・・。
しかし、近頃では方針を変えていた。
菓子でも、何でも。口にしてくれるなら、良しとしよう。
ディーナの目方の減りを食い止める方が優先だ。明らかに、痩せてきているのだ。
祖母はディーナを、もっと女性らしい体つきに持って行きたいらしい。
あまりのか細さに、危うさすら感じてしまう・・・・・・。抱きとめるたびに、自分もそう思った。だからそれは賛成だ。
別に自分の好みから、遠いせいではない。
ディーナはまた、お茶と菓子を与えられているはずだった。だが、今日はあの様子から察するに資料に夢中になって、手付かずになったままかもしれない。それは容易に想像できる。
だからこうして、フィルガは様子を伺いにきたのだ。自分も一緒に一休み入れるつもりで。
――が、いくらノックをしてみても返答がない。不審に思ってそろそろとドアを開け、中を覗き見た。
「ディーナさん?・・・・・・入りますよ?」
声を掛けながら部屋に入って見渡したが、彼女の姿はない。
窓は開け放たれており、窓際に置かれたテーブルに開かれたままの年表があった。
近づき見るとやはり、『シィーラ・ジャスリート』のページだ。一瞥したがフィルガは何の感情も見出せないままに、無表情でテーブルの上を見た。
注がれてそのままのカップはすっかり冷え切っており、菓子も申し訳程度に一口かじっただけのようだ。
コレくらい、二口・三口で片付けられるだろうに――。
案の定たいして食べたとは思えない様子だ。フィルガは残りの菓子を摘むと、口に放り込んだ。
酸味のきいた紅いベリーが、甘い生地を引き立てる。フィルガも子供の頃から馴染んできた、焼き菓子だったが。
久しぶりに口にしたが、思っていたよりもずっと甘い。冷め切っているが構わず、カップ残りのお茶も立ったままで飲み干した。
彼女の残り物を片付けながら、フィルガはディーナの気配を追っていた。
「・・・・・・。」
おかしい。確かに彼女の気配は館に残されている。だが、その居場所までは掴めない。
フィルガにとって、『誰かの気配を追い・居場所を確定する』のは朝飯前だ。
こんなものは、術者の基本中の基本・・・のはずなのだが。その『誰か』に行き当たらない。
両手を差し伸べてみても、ただ虚しく空を切るような掴みどころのなさは・・・・・・。
そうだ。この嫌な感覚には覚えがある。何者かに煙にまかれているかのような、気持ち悪さはかつて出し抜かれた時に味わって覚えたもの――。
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嫌にレドの気配がわざとらしい程、主張されて感じられるのも引っかかる。
フィルガは熱さと冷たさに、同時に貫かれた気がした。瞬時に対処の判断を下す。
「ヅゥオラン!」――左手の甲を前にかざしながら。
「ヨウラン!」――次いで、右手の甲も同じく。
フィルガは己の甲を飾る、孔雀の刺繍に呼びかけた。
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軽やかな鈴をふるわせたかのような振動が、フィルガの鼓膜を打つ。それは遠く、微かに――。呼び出した者のみが受け取る合図だ。
目の端でふわりとカーテンのドレープが、風にさらわれて持ち上がったようにも見えた。
だが、それも一瞬の出来事だった。カーテンがゆったりと戻りきるよりも早く、鮮やかな藍色が視界に入り込む。
フィルガが両手を下ろすと、足元にひれ伏していた二羽の孔雀が面を上げた。
藍と翠とで囲み飾られた黒い眼が、キロリ、キロリと左右に振れてからフィルガを見つめる。
己の左羽根で手前を払い、尾羽を広げ見せながら身を起こす。美しく渦巻く羽根模様が、幾つもの緑の瞳を向けられたかのようにも見える。もう一羽も、左右対称に全く同じ構えでかしずいているせいで余計に。
“呼んだか。フィルガ”
と答えたのは、ヅゥオラン。長い首をかしげて、左目でフィルガをとらえる。
“――か。フィルガ”
とは、ヨウラン。こちらも首をかしげてフィルガを見ている。ただし、ヅゥオとは反対の右目でだ。
フィルガから見て右手にヅゥオ。左手にヨウ。二羽は左右対称に、フィルガを挟んで尾羽を半開きに、身を低く構えたままだ。
孔雀たちが呼び出される時は少なからず、館に異常が起こった時と心得ているからだろう。
いつでも次の行動が起こせるようにと、身を張り詰めて緊張させているのだ。
自分たちが守護するジャスリート家に、二羽の眼をかいくぐった不届きな輩がいるとしたら。それは由々しき事態に他ならない。
「呼んだ。ディーナを知らないか?館の中に気配はあるが、姿はあるか?」
“気配はあるな”と、ヅゥオ。
“――な”とは、ヨウ。
二羽は瞳を閉じて、答える。
“だが、姿はないな”
“――な”
「だな」
二羽の断言から確実なものとなった。ディーナはこの館にはいない――。
フィルガは冷静に答えながらもその表情は険しく、拳を強く握り締めている。
ディーナは館のどこにもいない。だが、気配は薄れていない。ということは、まだフィルガの領域から外れてはいない事を意味する。
ディーナの気配にすがり付きながら、必死でその居場所を追う。多分、彼女はあそこを目指すはずだ。
瞳を硬く閉じて集中するフィルガを、二羽は心配そうに見守りつつ指示を待っている。
(・・・・・・シアラータ!)
声に出さないまでも、強く強く呼ぶ。返事が返るよりも早くに、要求を告げる。
(お前の目を貸せ!)
否とは答えられなかった。その証拠にフィルガの脳裏に、ここよりも遥かに離れたあの橋の光景が浮かぶ。
石を組んで掛けられた、緩やかに弧を描く橋。その下を流れる川にきらめく陽光が眩しくて、思わず瞳を閉じたまま眉根を寄せる。
自分は今、橋を守護するように据え置かれた石像の目線を借りて、橋を見下ろしているのだ――。
フィルガも急ぎ、目線だけで橋を渡る。風が強く渡っているようだ。石像とあっては風を感じないにしろ、視界がぶれた気がした。
(ディーナ!!)
橋の中ほどにはディーナが、そして見覚えある黒い獣の姿があった。
やはり向かい風の中にいるようで、赤い髪もドレスもひどく後ろになびいていた。
しかも――。橋の向こう岸には、見えないまでも明らかに何者かの気配が待ち構えている。
その何者かは、渡っていないところが憎らしい。渡らなければ結界に触れた事にはならない。
そうと知っての行いだろうと、察しが着く。慌ててフィルガは『自分』に引き戻った。
「見つけた。橋にいる。しかも、ダグレスと一緒だ」
頭を左右に打ち振り、かきむしりながらフィルガは視線を戻した。
心なしか呼吸が荒い。そんなフィルガの様子に、ヅゥオランが気を使った。
“我々が先に一っ飛びして、見に行ってやろうか、フィルガよ?”
“――よ?”
「いや、いいさ。お前らが人目に触れたら、ジャスリート家の面倒になるかもしれないからな。
それより、館の守護を引き続き頼みたい」
わかった、と二羽はほぼ同時に頷いた。
““承知した”――た”
ここから馬を飛ばしても間に合うか。・・・・・・間に合わないだろう。
そんなフィルガの心中を察したらしい、勘のいい二羽が騒ぎ立てた。
“走ればいい、フィルガ!走れば”
“――走れば”
「言われずとも」
そうするしか他にない。最後まで答える暇もなく、フィルガは駆け出していた。
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“・・・・・・ヅゥオ?”
二羽はジャスリート家の正門に据え置かれた、孔雀の石像の上に降り立っていた。
向かって左側はヅゥオランの、右側はヨウランの仮の宿ともいえる。
ヨウはなかなか石像に戻ろうとしないヅゥオランに、声を掛けた。
“ヨウ、留守を頼む。やはり、ヅゥオも行く。フィルガ、いくら早くても心配。相手はしかも――ダグレス”
“・・・・・・心配?”
“フィルガ、ディーナにまで立ち去られたら・・・・・・。もう、お終いな気がする”
思いつめたように呟きながら、ヅゥオは橋の方向を見据えながら羽ばたいた。
“でも、フィルガ、待てと言うたよ?”
ヨウランが石像に宿ったまま答えた頃には、すでにヅゥオランは飛び立った後だった。
(ヅゥオ・・・・・・)
ヨウランは館を留守にするわけにもいかず、ただ相棒の後姿を見送るしかなかった――。
お久しぶりです、フィルガ殿。
ダグレスに出し抜かれて、こんなことになってますよ。
しかも。孔雀たちにまで気を使われるほど、彼の心は結構崖っぷち★みたいです。