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      * 聖句の間


 引き続き、企みのギルムード&シャグランスの娘さんです。

 術者はその場で初めて目にした聖句を解読する。

 

 理解して、念を込めるのだ。失敗は許されない。

 

 失敗したらどうなるのか・・・生き抜いていこうとする自分には、いらぬ知識だ。

 

 *  *  *  *  *  *

 

「さあて、と。シャグランスも動き出した事だし、おまえはどうするつもりなんだ?ダグレスよ」

 “・・・・・・。”

 話は分かったと獣は頷いて見せたが、動こうとはしない。顎を引き、上目遣いでギルムードを見返すばかりだ。

「何をためらうのだ?」

 “我ならばジャスリート家への侵入は可能だろう。――だがな。シィーラの加護を受けた我だからこそ、『紅孔雀』が同じ御方だとしたら抗えなくなるかもしれぬよ・・・。そうなれば我も、他のものと同じ道を辿る”

「そうか。そうなればお前さんも、俺を見捨て行くのだろうな。だが、お前はどうしたいのだ?」

 “・・・・・・決まっている”

 苦しそうに呟いたダグレスだが、決定的な意志は口にしようとしなかった。

 ギルムードは椅子から立ち上がる。そんなダグレスを目線で促し、薄く笑み浮かべながら壁に歩み寄ると房飾りのついた紐を左右に引いた。小窓ほどの面積を覆っていた朱色のビロードの向こうは窓ではない。

 

 まばゆい陽射しの中――優雅に微笑む在りしの彼女を閉じ込めたものだ。

 彼女はこうやって、ずっと・・・だ。二十年という歳月を経てなおも変わらぬ微笑を湛えて、ギルムードを見返してくる。

 だからいつも彼女と真向かうときは、自分も微笑むことにしている。言葉を交わすことができない代わりに。

 “いつまでお美しいな、シィーラ嬢は”

 彼女の笑みに引き込まれていたギルムードは、隣に並んで腰を落ち着けていたダグレスの言葉に我に返った。

 微笑む少女の側に一緒になって描かれている獣の、一方はレド。もう、一方はダグレスだ。彼もまた、この在りし日の至福の時を思い返しているのだろう。眇められた穏やかな眼差しが、それを物語る。

「そうだな。全くだ。俺はもう一度シィーラに会いたいと切望している。お前はどうだ?」

 “・・・・・・それは我も同じだ”

「だろう?だったら好きに動けよ、ダグレス!本来のお前ならば何にも縛られない存在だろう?あえて、聖句に囚われた理由を忘れたワケじゃなかろうよ」

 

 我を捕らえてくれぬか。でなければ、あの御方を追い求め続けてしまうのだ――。

 そう自ら頭を垂れて、獣は首輪を所望したのだ。

 どこにもこの世界には感じられない気配を追い求め続けていては、近いうちに壊れてしまうだろうから、と・・・・・・。

 獣はあの時と同じくらい苦悩して見えた。シィーラ失踪から実に十七年という歳月を共にしてきた、長い絆だ。

 それすら断ち切ってでも、少しでもシィーラに近しい者を手に入れたい。だからギルムードは獣に行けと(けしか)けているのだ。

 

 “もう一度言うぞ、ギルムード?我は帰ってこれぬかもしれぬ・・・賭けだぞ”

「俺だってなあ、おまえとこうやって軽口叩きあえなくなるなんて嫌さ。だがおまえに、これ以上制限加えるほうが嫌だね。せっかく、手を伸ばせば届く宝が目の前にあるというのに。だからおまえに賭けているんだよ。この長きに渡る聖句の関係に執着し、断ち切れぬ絆だと必ずや証明してくれる筈だと」

 一種の術比べと、呼べるもしれない。ギルムードの、ダグレスに対する聖句への力量が試されるのだから。かの少女が獣を魅了してしまえば、自分は負けとなる。それはすなわち一頭残らず、獣を失うことを意味している。

 

 “――ギルムード。お前は薄情だ”

 ダグレスは諦めたかのように小さく告げると、身を翻した。そのまま開け放たれていた窓から飛び出すと、木の影から影へと渡って行った。

「はは・・・・・・っ。違いない」

 ギルムードが呟き返した時には、獣の姿はもうどこにもなく――ただ風が頬を撫でて行った。

 

 *  *  *  *  *  *

 

 ――・・・聖句。聖なる力宿る言葉から成るとされるものは、全部で十章まである。

 言葉の持つ力そのものに、術者の能力が合わさって初めて効果を発揮する。

 言葉の響きと配列が、人の子の発する声音で目覚める。その原理に気がついた者達の研究の成果だ。

 目的は自分たちよりも力の強い獣たちの心を縛り、己の支配下へと置くこと。

 それを意のままに操るよう仕向ける、制限を与える句だ。

 

 ずいぶん一方的な、どこに神聖さがあるのかと疑ってしまうが『聖なる句』なのだと教わった。しかも術の現われ具合は、唱える者の心のあり方ひとつで全く違ったものになる。

 ひどく不安定だとしか言いようが無い、取り扱う者の力量が常に試されるものなのだ。

 おまけに聖句の伝承法は、書物に記されているわけではない。それは禁忌とされて久しい。許されて機会を与えられた者だけが、それを取得することができるのだ。

 おそらくあまりこの秘術を広めては、他国に利用されかねないと踏んでの判断だろうと思われる。獣の利用価値は高く、また上手く御する事ができれば恩恵も期待できる。(まつりごと)の勢力争いに、その力を欲する輩もまた多いのだ。

 

 そうした事を踏まえた上で臨んだとしても、伴う危険もまた半端ではない。

 術者としての条件には能力の有無はもちろんの事、命を投げ打つ覚悟のある者でなければその資格はない。

 それほどまでの決意なくして、獣たちに挑もうなどとは考えないことだ。

 誰が喜んで、下僕になどなりたがるだろうか。当然獣たちは必死で抗ってくる。

 それだけではない。聖句を修得しているという事は、獣たちに対して宣戦布告しているのも同然なのだから、常に油断できなくなってくる。

 知れば知るほど必然的に、さらなる上級(ハイ・クラス)の獣を従えて己の守護に当てなければ、いつ寝首をかかれるかもしれなくなっているという訳だ。

 

 聖句を修得する。

 

 それは一歩踏み込んだら最後、二度とは戻れない領域に踏み込むという事だ。

 先に進むより他に選択の余地は無い。そうやって、魂に聖句を刻んで行く――。

 ただの言葉としての羅列に、獣を御する力などありはしない。人の声を通して初めて句は目覚めるのだから、要は術者の精神力がものを言う。

 

 神殿の中でも限られた者だけが足を運ぶことの許される、『聖句の間』―別名『封じの間』の扉の前で少女は呼吸を整えていた。

 

(・・・・・・一介の・・・・巫女風情・・・ギル・・・ドは・・・・・・正気・・・か・・。いくら、・・・・・グランスの・・・・・・血筋・・・・からと・・・・・。)

 

 切れ切れにだが確実に、自分を値踏みしているのであろうから届く中傷ごとが耳障りだ。

 だがそれも毎度のことなので、軽く受け流す。そんなものはたいして自分を脅かしもしない、ただのやっかみだ。石柱の影に身を潜め高見の見物を決め込んでいる連中なんぞは、最初から自分の敵ではない。相手をする価値も無い輩に、かかずらっている暇は無いのだ。

 

 呼吸に意識を集中する。

 

(――・・・いいか。おまえこそが、正統な聖句の伝承者なのだ。自信と誇りを持って主張しなさい)

 いつも聖句に向かう前に、脳裏に蘇ってくる声が響く。

(我がシャグランス家は、下々の自称『獣使い』などとは格が違う。我が祖先が心血を注いで研究し、作り上げた聖句こそが真実のもの)

 

 ・・・・・・そうね、お父様・・・・・・。

 

 少女はいつもそう答えていた。

 

 だったらどうして?こうやって神殿に頭を垂れなければ、聖句を修得できないのかしら?

 

 そう少女が直に疑問を投げかける前に、父は他界してしまった。だから父がなんと答えるのかは、永久にわからずじまいだ。

 それでも多分子供の自分に言われるまでも無く、父とて知っていたと思う。

 

 あの人は正当性を主張して、聖句の権限を再び取り戻そうと躍起になっていただけだ。

 落ちぶれたシャグランス家を、盛り返そうとして『獣耳』の娘に賭けた。ただ、それだけのことだ。

 神殿に取り上げられた聖句を手中に収めれば、失ったものが取り返せると本気で思っているのかと、ちゃんと尋ねておけば良かったのかもしれない。

 まあ、いまさらどうだっていいが。誰かや何かのせいにしてしまえれば、楽なのだ・・・・・・。

 

 自分は目を背けてはならないものがあると知っている。だからこそ見据える先がある。

 

 ジャスリート家を見ろ。あそこの家は、聖句を放棄したが別に不利になど働いていない。

 獣耳の血筋でありながらも聖句を公に用いずに、当主ルゼとその跡取りのフィルガの手腕で繁栄している。

 

(うちの子たち、食べさせていかない事には・・・・・・ねぇ?)

 

 詰まるところはそれだ。そして自分にあるのは術者としての、優れた才覚だ。

 生かすべきなのは、その点だろう。この呪われた祝福は、正直ただの貧乏くじを引いたものだとも思う。しかし選択の余地は無い。

 生活能力なんぞ最初から持ち合わせちゃいない、お嬢様育ちの母。それにまだ幼い、妹と弟。飢えや苦労など、知らなくていい。無邪気に振舞えるようにしてやりたい。

 そのための手段など、選んでいる場合ではないのは明らかだ。

 だから具体的に、こうやって行動している。

 傍目からは、亡き父の意志を受け継いでいるかのように映るかもしれない。

 

 実際はそんなつもりは更々無い。

 

 こうして命を張っているなどとは、誰に打ち明けられようか。ましてや家族にはなおさらだ。聖句研究のため神殿に、巫女として上がっていると伝えてあるだけだ。

 

 呼吸を意識して繰り返している。心を静めようともしているのだが、次から次へと雑念が浮かんでは消えていく。

 ――・・・切りが無い。

 そう諦めにも似た気持ちになった頃が、実は皮肉にも頃合だったりもする。

 ひとつ大きく息を吐くと、一歩を踏み出す。

 それを合図と受け取った、扉の両脇に控えていた巫女二人も構える。

 二人とも扉に施した封印を解除し、また再び施すのがその役目だ。

「・・・・・・。」

 お互いに無言で、深々と頭を下げあう。

 ゆっくりと頭を上げる頃には、扉がわずかに開かれていた――。

 

 *  *  *  *  *  *

 

 背後で扉が閉められたのを感じた。音一つたてずに扉は閉ざされたが、背後で感じていた外の世界の気配が完全に絶たれたから、嫌でもわかる。

 再びこの封じの間に満ちた獣の気配だけが、場を占める。薄暗い空間はひどく静かだ。

 

『正統なシャグランス家の血筋の我に、かの契約によりて従え』

 

 問われるよりも早く、名乗りを上げた。先手を打って仕掛けるためだ。

 闇の中まどろんでいたらしい獣が、暗がりの中でうごめく気配がした。

 間髪要れずに迷い無く――。ベールを後ろへと跳ね上げて、額飾りを両手に構える。

 薄闇の中、自分の蜂蜜色の毛先が浮かび上がって見えた。

 窓も無い空間でありながら、髪がなびくのは獣の吐き出す瘴気に当てられるからだ。

 間を置けば置くほど不利になる。深い部分がそう告げてくる。警告だ。自己を守ろうとすべく働く何かからに、言われるまでもない。

 

 強くひとつ(まばた)いて息を吸い込み、詠唱を開始する。

 

『我、リゼライ・シャグランスが眼前に伏す御身よりも高見に立つ』

 

 “――・・・シャグ・・・ランス・・・・・・?”

 

 その名に聞き覚えでもあったのか、獣は不快感もあらわに牙を剥いた。

 


それぞれの準備を万端にすべく、動き始めています。

リゼライは、ディーナを別に恨んじゃいませんが、対決は避けられそうにありません。


次、やっとディーナに戻れます・・・・・・。


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