* 歴代の記録
ディーナ、だんだんと自分の存在に疑問を持ち始めています。
シィーラは亡くなってなどいない。ただ、いないだけだ。不在なだけ――。
だからずっと、置いてきぼりにされた子供は、母の帰りを待ち侘びているのだ。
* * * * *
必要ないと散々訴えても無駄らしい。
ディーナにあれこれ食べさせようとしている人たちが、この館にいる限り。
決まって昼過ぎ、夕食との合間にはこうしてお茶とお菓子の時間まで設けられてしまっていては、ますます夕食が入らなくなる。
しかし好意を無下にもできない。ここの所は受け入れて、ディーナは大人しく従っている。
「どうぞ、ディーナ様」
「・・・・・・ありがとうございます」
ディーナはぎこちなくカップに手を伸ばす。様などと付けられて、丁重なもてなしを受けるたび身をよじってしまいたくなる気持ちは、ここに来てからずっと変わっていない。
様は要りません、と何回も訴えているディーナだったが、いつも侍女の皆さんは困ったように微笑むだけだった。
そのうちディーナも立場ってものがあるのだと理解して、訴えるのは止めにした。
だが、慣れることができない。
緊張したまま、カップに恐る恐る口をつけた。少しでもお嬢様らしく振舞って様付けされていることに報いろうという、ディーナなりの気遣いからだ。
目の前でこうやってお茶を淹れてくれている、侍女の皆さんの方がよっぽど堂々としていて優雅だと思う。手馴れた仕草でお菓子を取り分けてくれる様を、こっそりと窺いながらお茶を頂いている。
「さ、ディーナ様。木苺の焼き菓子ですよ。お茶もおかわりいかがですか?」
「ありがとうございます。え、と・・・?」
「――リゼライです」
「リゼライさん、お茶おいしいです」
にっこり笑みながらリゼライと名乗った侍女は、とても小柄だがくるくるとよく働く。その様子をいつもディーナは感心して見ていた。身の回りのことは彼女が主になって、世話してくれるのだ。
侍女の仕事着である動きやすそうなスカートならば着ても良い。そう言ったがもちろん、却下された。密かにディーナの憧れの服装なのだ。それをきっちりと着こなすリゼライは見た目にも清潔感に溢れ、仕事に対して意欲的なのがうかがえた。きちんと彼女の腰の辺りで結ばれた、前掛けのリボンまでが様になっている。
密度の濃い蜂蜜みたいなキレイな金髪をひとつに後ろで束ね、白地に孔雀の羽根が刺繍された三角巾が頭髪を押さえている。さらさらと真っ直ぐの髪なのが、ディーナはちょっぴり羨ましい。自分の髪はふわふわと落ち着きが無く、まとまりが無いので毎朝苦労する。実際、苦労しているのはリゼライだ。彼女が髪を梳り、まとめてくれるので申し訳ない。しかし自分では梳かすだけが精々なので、甘えさせてもらっている。
優しげで頬の線はまろやかなのだが、目元は涼やかで切り込みの深い二重のまぶたがとても彼女を理知的に見せていた。それすらも自分にはない恵まれ方をしているな、とぼんやり比べてしまう。ディーナは・・・・・・まつげが重たそうに縁取るおかげで、いつ見ても眠たそうな表情だなと鏡の中の自分に言ってしまうのだ。
リゼライの凛々しさのある美貌が、鏡の中に一緒に並ぶものだから余計に。
それでも見当つけて自分とさして変わらぬ年頃か、少し年下かと思わせる。もっともディーナは自分の年すら知らないのだが。そう思い当たって、思い切って質問してみる事にした。
「あの、ですね。リゼライ、さんはおいくつなのですか?」
「はい。じき、十七になりますわ」
「そうですか。・・・・・・私もです」
(多分)とこっそり心の中で付け足しておいたのはヒミツだ。
「リゼライさんはすごいですね。私・・・何にも、あまりうまくできません」
心からの賞賛だった。そうだ。しまいには、段差を下りることさえ手を借りなければ危うい。
「は、い?」
リゼライは片す手を止めて、これまた髪に負けないくらい琥珀色の眼差しをむけた。
驚きのためか声が裏返っている。
「わたくしが、ですか?」
「はい。すごいです。いろいろ、できるんですもの」
「――ありがとうございます。・・・こう、申し上げてはなんですが。ディーナ様のほうが私めなどよりずっと『すごい』と思いますよ?」
「いいえ。ディーナはリゼライさんよりも優れたところはありません」
きっぱりと告げるディーナに苦笑気味に、リゼライはご謙遜をと困り顔だ。
「ご謙遜を、ディーナ様。わたくしどもには成し得ない御力の持ち主だと、うかがっております。――若君のお母上、白孔雀様さながらの『御力』だと・・・・・・」
そう言ったリゼライから、敬虔な瞳を向けられる。
ディーナはう、と言葉に詰まった。なるほど。自分は今こういう目で一部からは見られているのか。目の当たりにして改めて身をよじりたくなった。
「そ、そんなことは」
ありません、リゼライさんの方がと、もごもご口ごもりながら答えるのが精一杯だった。
* * * * *
後はご自由にどうぞ、とリゼライはお茶といくつかの焼き菓子を残して退出して行った。
ディーナは午前中からずっと、フィルガ推薦の書物とにらめっこしていて流石に煮詰まってきた頃に、お茶が運ばれてきた。
正直、いい気分転換になった。また改めて、資料の山に向かう。
まずはディーナでも理解できる(かもしれない)範囲の物から。それがジャスリート家の年表だった。
一番聖句や術から遠くにあると思われたから、後回しにしていたのだ。
自分がなし得たいのは『聖句を覆す解術を心得た、他の干渉を物ともしない』術者だ。
手っ取り早く分かりやすい明確な目標として、要はフィルガを超えればいいかと思ったがどうも・・・少し違うような気がしてきた。
単にやられっぱなしなのが、癪に障るだけというのもある。
契約も、シィーラも、自分自身の記憶ですらも、ディーナにはこだわる所ではないのだ。
記憶というものは、過去のことだ。
それが無ければ、自分が成り立たないなどとあってたまるか。無いということは、必要ないからじゃないのだろうか。
大事なことは――自分は自分だという事だけだ。
そのせいか下手にシィーラの情報を与えられると、振り回されやしないかと警戒してしまうから、避けていたい気持ちもある。
私と彼女は違う。周りがどう思って、重ね見ようとも知った事ではない。
そう強くディーナ自身声を大にして言っておきながら、揺らぐ自分にも気がついている。
この世の中の誰よりも、シィーラに近い自分。その気になれば、たやすく――。
(ばかばかしい)
ディーナはその可能性を無視すると、銀で型押しされた題目と真向かう。
四隅も同じく銀で型押され、装飾ともなるように補強されているようだ。
『ジャスリート家 歴代の記録』
そのずっしりと重みを感じる背表紙をめくる。ディーナが感じるのは単に手の感覚としてだけではなく、優に三百年と続いているこの家の悠久の時を想ってだ。
書物というよりも書き込み式の記録書であり、後半のほうは白紙だった。
ただ、罫線だけが引かれている。それはこれから記録されていく、歴史をひっそりと待っているかのようだ。どんな出来事も静かにありのままを、受け止めんとして――。
(シィーラ・ジャスリート)
彼女の年表が、一番新しい記録のようだ。シィーラの後からは白紙が続く。
どうやら年表というものは、その者がこの世を去ってから綴られて行くものらしい。
【シィーラ・ジャスリート】 * ジャスリート家歴代の中でも特に優れた獣耳の娘――世間からはジャスリート家の“白孔雀”と謳われた――
まずは彼女についてそう述べられてあった。けものみみ・・・獣たちの言葉を理解するものはそう、呼ばれるらしい。
ディーナは初めて知った。獣耳。ならば、自分も獣耳だ。
その呼び方は何だかとてもステキだ。気に入った。ディーナの耳も獣みみ。
何となく気落ちするような事しか、書かれていないような気がしていただけに意外な発見に得した気分だった。
前向きな気持ちで、シィーラの年表を追い始める。
シィーラは四つの歳で養女に入ったと、始まっている。
ルゼは見当つけて、四つとしたのだ。正しい年齢は不明なのだから、仕方が無い。
次いで十七歳で、神殿に一時巫女として召集。翌年には巫女を引退。
その翌年には、十九歳で男児を出産。
いきなり、そう記録されているのには目を見張る。前後に婚姻を結んだとの記録は無いのだから。
(男児・・・・・・フィルガ殿の父親って・・・・・・。)
巫女を引退。神殿に巫女として上がりながら、彼女はフィルガを身ごもったのか。
「・・・・・・・・・・・・。」
当時、大変な騒ぎとなったのではなかったろうか。そう想像するのは容易い事だ。
良家の娘が婚礼も挙げずに、出産――?
その五年後にシィーラは消息不明と記されて、後は空白だった。それは、今から十七年前の事になる。
こうして見ると、複雑な気持ちになってくる。
人の一生がこのたった一枚の紙に、数行の文字で収まっているのだ。
淡々と在りし日の事柄のみが綴られたそれからは、主役であるはずの人物がどう想い感じて生きたかまでは判らないのだ。そこは年表をなぞる者が、想像力を働かせるしかない。
シィーラは夫婦の娘になって、成長して。そしてきっと恋をして、フィルガを産んで母親になった。
何も特別ではない、ごく普通の女性の人生・・・年表だけを見ていれば、そうなのだ。
(・・・・・・シィーラ。どこから来て、どこへ行ってしまったの?誰にもさよならする理由も告げないで、子供を置いて行ってしまうなんて。アンタ何があったの?)
ディーナは心の中で、初めてシィーラに問い掛けていた。
(橋を渡ってから、ちょうど二十年という月日が許されていた時間だったの?わかんないよ、何がしたかったの?)
シィーラにぶつけてみたい疑問の数々は全て、ディーナ自身が己に問いかけたいことでもある。
これは全部怖くて向き合えなかった事だと、初めて自覚した。
ディーナは両手でまぶたを覆う。シィーラを知ることが恐れであったのに、知らないフリをしていた。
(シィーラに逢って、話が聴きたい)
そうできなければ、自分の心に立ち込めた靄のような想いを晴らせない気がする。
ディーナは視界を覆い突っ伏したまま、フィルガもこんな想いのままで今日まで来たのかもしれないと、少しだけ同情した。
疑問すら感じなかったのに、自覚し始めた事によってディーナは焦り始めますが。良い兆候です。
もう、なんかディーナの存在がハッキリしだしました。(私の中で)やっとかよ。
そんな感じで、周りも動き始めてます。
君の敵ははフィルガじゃないんだよ、ディーナさん!
気がつくまでもうちょっと、かかりそうですが★
長々お付き合い、ありがとうございます〜。