* 待ちわびていた人達
「身柄を拘束します」
いきなり、不法侵入者扱いされてしまったディーナさんですが、どうやら歓迎されている様子です。
本人は今のところ、知る由もありませんが。
フィルガの頬に泥が付いている。
「ほら、ほら。ここ、ここ。」
ルゼは自身の右頬を軽く打って、教えてやった。
ディーナに付けられたようだ。思わずルゼは微笑む。
それを笑われたと判断したらしいフィルガは、袖口でぬぐったが取りきれなかった。
「あとで鏡見ないとダメみたいよ?」
「そのようですね」
はにかんではいるものの、それでも別段気にする様子は無い。
むしろ、嬉しそうに見える。
ディーナと名乗ったあの娘に構ってもらえて、さぞ嬉しかろう。
図体は大きいが、フィルガは犬の仔みたいだと思った。
あの、紅い髪が印象強い少女。
真紅と言うほど、鮮烈では無いがアレは目立つ。
気持ち茶色がかってこそいるものの、磨きたての銅がねみたいだった。
濡れていてさえ、あの光沢。
加えて、背の中程まである豊かな長さだ。
乾かして、くしけずってやり、髪飾りを付けてやりたい。
そしてぜひとも、日の光の下で眺めたい。
ルゼは楽しさのあまり、顔がにやついてしまう。
孫の手前だというのと、一応は領主という立場から、顔の下半分は扇で隠している。
平静なフリは、少しでも威厳を保つ為にだ。
「お見事。おばあ様」
「あんまり褒められた事じゃあ、ないわよねえ・・・。まあ、いいわ。
でかしたわよ!フィルガ」
「恐れ入ります」
「でも、気の毒な事したわよね。・・・・・・ずいぶん、うなだれていたし」
あの、うなだれ様ときたら。
ルゼは自分で宣告しておきながら、取り消してやろうかと思ったほどだ。
―…少女が今にも立ち去ろうとしているのが見て取れた。
だから、不法侵入者だから捕らえるとしたのだ。
いとまを告げるスキを、与えないために先手を打ったのだった。
「では次は、病人扱いという事にしてしまいましょう。絶対安静で、どうですか」
「あんた、良いこと言うわねえ!」
さも名案だとばかりに、目を輝かせてルゼは同意した。
祖母と孫息子は、本人のいないところで勝手に話を進めている。
最近は滅多にやらなくなったが、あまりおおやけに出来ない取引をしている時のような、
奇妙な高揚感があった。
利を追求する為のくわだては、期待と背徳感があいまっているものだった。
それでもなぜか、いつも胸が躍るのだ。
「それでは早速、医師を呼びに行って来ます」
「あら。わざわざ自分で行くの?」
「そうします」
からかったのだが。さらりと流された。
「・・・・・・。」
(やだやだ。大人になちゃって。つまんないわねえ。)
扇の陰からやや非難を込めて、孫にいちべつをくれる。
(大人ぶってるだけのくせに、ねえ?)
そんなルゼの無言の非難にも、フィルガは何も言い返す事はしてこなかった。
少女の事で頭がいっぱいなのだろう。
いてもたってもいられない、そんなフィルガだが、しばらくはディーナと話すのは待たねばならない。
少女はこれから湯浴みだの、着替えだの、食事だので忙しいのだ。
男のフィルガは、同席が許されるまでただ待つしかない。
話したいことは、たくさんあるだろうに。
だからだろう。フィルガは自分で馬を出す、と言っているのだ。
せいぜいディーナのために出来る事といったら、それしかないとの判断だろう。
実に懸命な判断だ、と褒めるのはただの肉親の欲目というものだろうから、ルゼは黙っていた。
まだ乾ききっておらず、湿って重そうなマントを羽織ったままで、フィルガも黙ったまま
頭を下げた。
「いってらっしゃい。気をつけてね」
きびすを返す孫の後ろ姿を見送る。
それから、自分は何をして待とうかと考えた。
―そういえば。
「フィルガ、鏡を見てちゃんと泥を・・・!」
振り返ったが、もう孫の姿はなかった。
***
いったい子供なのは、誰でしょうか?
(精神的に)
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